樋口一葉「いやだ!」と云ふ 田中 優子(1952年生まれ) 集英社新書 2004年
はじめに その5
そう。一葉の文章は古文である。正確には擬古文という。すでに口語体小説が書かれていた時代に(といっても生まれて間もないが)、一葉は当時話していた話し言葉ではなく、古文を駆使して近代小説を書いた。小説にはかなり話し言葉が入っているが、自分のために書いていた日記は、まったくの古文である。一葉は古文でものを考えた人なのだ。
一葉は歌人だった。学校を出てからは和歌の塾に通い、和歌を作っていたのである。和歌の修行で古典文学をたくさん読んでいたため、はじめは平安朝文学のような小説を書いた。しかし生活に困窮し、まみれ、目の前の現実に圧倒された。現実を見つめよう、現実から逃げるのはやめよう、と考えたかどうかは知らないが、一葉は江戸文学をてこにして、現実のただなかで書きはじめたのである。
一葉は22歳のとき、明治27年の暮からたった1年のあいだに、それまでとはまったく異なる小説群を生み出した。そして次の年、明治29年にはほとんど書けなくなり、亡くなった。
この本を書こうと思ったのは、一葉の一作一作に、「どう生きていけばよいのか」と、一葉自身が困惑し、問いかけ、「いやだ!」と幾度も現実を拒否し、しかし現実にとどまり、格闘する魂が見えたからだった。一葉の作品には、その魂の深みに引き込んでいく力がある。
一葉は女性であるが、そのことはこの執筆には関係がない。一葉はむしろ、男か女か、という視線の向こうにいることを望んでいた。私も人間としての一葉に向き合いたいと思っている。
はじめに その5
そう。一葉の文章は古文である。正確には擬古文という。すでに口語体小説が書かれていた時代に(といっても生まれて間もないが)、一葉は当時話していた話し言葉ではなく、古文を駆使して近代小説を書いた。小説にはかなり話し言葉が入っているが、自分のために書いていた日記は、まったくの古文である。一葉は古文でものを考えた人なのだ。
一葉は歌人だった。学校を出てからは和歌の塾に通い、和歌を作っていたのである。和歌の修行で古典文学をたくさん読んでいたため、はじめは平安朝文学のような小説を書いた。しかし生活に困窮し、まみれ、目の前の現実に圧倒された。現実を見つめよう、現実から逃げるのはやめよう、と考えたかどうかは知らないが、一葉は江戸文学をてこにして、現実のただなかで書きはじめたのである。
一葉は22歳のとき、明治27年の暮からたった1年のあいだに、それまでとはまったく異なる小説群を生み出した。そして次の年、明治29年にはほとんど書けなくなり、亡くなった。
この本を書こうと思ったのは、一葉の一作一作に、「どう生きていけばよいのか」と、一葉自身が困惑し、問いかけ、「いやだ!」と幾度も現実を拒否し、しかし現実にとどまり、格闘する魂が見えたからだった。一葉の作品には、その魂の深みに引き込んでいく力がある。
一葉は女性であるが、そのことはこの執筆には関係がない。一葉はむしろ、男か女か、という視線の向こうにいることを望んでいた。私も人間としての一葉に向き合いたいと思っている。