民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「語りによる日本の民話」の発刊に寄せて  

2012年12月24日 00時27分21秒 | 民話(語り)について
 「語りによる日本の民話」の発刊に寄せて  日本民話の会・責任編集

 民話の生命は”語り”にある。
 民話とは 元来、眼に一丁字を持たぬ人々が、その豊かな想像力をことばと音声に託して表現し、時には身振り手振りを交えて 語り伝えてきた民衆の文芸なのである。
ことばや音声は語り手の唇をはなれた途端に空中に消えていってしまう、全く一回限りの生命でしかない。
その一回限りの生命を何とかして文字を通して再生できないものだろうか。
これは全く矛盾したことであるのは 重々 承知の上で、なお敢えて 文字による語りの再生に挑戦してみようとしたのが、この「語りによる日本の民話」の企画である。

 私たちが考えているこの本の読者は ごく普通の民話愛好者たちである。
特に研究者を意識して対象とはしていない。
もちろん、学術的な資料としての価値も 十分備えた民話集であることはいうまでもないが、全国の多くの人々が読んで興味のもてるような内容のものにしたいという希望を編集の中心に据えたつもりである。

 その場合、例えば 青森の語りを鹿児島の人が読んで 直ちに 語りのおもしろさをわかってもらうためには、ことばの壁をのり越える工夫を しなければならなかった。
各頁の下に かなり 丁寧な脚注を施したのは そのためである。

 それなら いっそのこと 共通語に直して 表記すればいいではないかといわれるかもしれない。
しかし それは間違いである。
地域語のもっているリズムや豊かな表現力を抜きにして、語りの世界を再生することはできない。
民話のおもしろさは 話の筋書きではない。

 また この「語りによる日本の民話」には、昔話だけでなく、世間話、村話、現代民話といったさまざまの形の語りが入っている。
昔話には独自の意味と役割とがあったことも承知してはいるが、今度の私たちの企画では 実際に村人たちの日常生活の中で 今日 生きている語りの世界を、全体として再生してみたいという考えに基づいて さまざまのタイプの語りを集めることにした。
民話の語りの世界のおもしろさを 文字を通して再生することは 至難の業であるが、私たちの意図するところをお汲み取り頂けたら 幸いである。

 「女川・雄勝の民話」宮城  岩崎 としゑの語り  松谷 みよ子編 株 国土社 1987年

 編集委員 今村 泰子  渋谷 勲  立石 憲利  樋口 淳  
松谷 みよ子  水谷 章三  吉沢 和夫  米屋 陽一