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メダルに手が届きませんでした

2006-02-21 05:42:41 | テニス・他のスポーツ
 NHKは公共放送の責務と考えてか、連日オリンピック放送を全面的にしています。ライブは、放送権契約をしている放送局がするので、分散されています。

 後1週間を残す後半になりました。これまで連日「メダルに手が届きませんでした」を繰り返しています。わたしはメダルの可能性を、女子フィギュアぐらいではないかと思っているので、その言葉が耳障りに聞こえます。憤慨しているわけではなく、オリンピック好きの日本ですから、メダルで感動がないので物語を作って放送しなければならなく、事情は苦しいと思っています。こんな見方は、われながらへそ曲がりだ、と自覚しています。

 このところまったく実績がなくとも選考され、しかも失格になった原田をも感動物語にしたてているようです。わたしは原田がオリンピックに選考された自体が、おかしいと思っていました。この間の力の衰えはほっきりしているし、若い選手に体験させたほうが、ジャンプ競技の将来のためにいいのです。しかし原田は、5回目の出場というニュース性と過去の物語をもっているので、話題性があるからかな、とわたしはとらえています。
 ジャンプと複合は、すでに日本は上位をキープできないのです。
 ジャンプは、かつてスキー板の浮力を利用できる小さな体の日本人が有利でした。ある時期、スキー板の先端を開き後尾をつけるV字飛行をつくり、日本が圧勝していたことがありました。その技術が世界に広がりました。
 浮力の利用ということで、ヨーロッパ選手では、体重の減量を取り入れる選手が出てきたのです。そこで身長に対して板の長さを決めるルールを作り、さらに体重も加味するようなルールにしました。
 このルール改正から以来、日本選手はシーズン転戦するWカップの実績は思わしくないのです。それなのに、過去のメダルの実績を引っ張り出して、期待を過剰に放送しています。多くの人がそんな状況が分からず、ジャンプは強いと思ってしまっているのではないでしょうか。おそらくジャンプのトレーニング内容を変化させなければならないのに、それに立ち向かえていないのではないかと考えています。

 複合はキングオブスキーといわれるぐらい、異質な2種目で勝利することを称えられます。それも荻原が圧倒的強かった頃は、日本は前半のジャンプで引き離し、その貯金で苦手とする距離を逃げ切って勝利していました。ところがジャンプの評価の比率が下がったことと、ジャンプ自体のルール変更も加わりました。これに日本は対応できるすべを、今のところ見出せないでいます。
 われながらちょっと大きなことを言い過ぎている、と自覚しています。

 女子モーグルの上村愛子は、エアのスリーディーにすべてをかけていました。この技は、女子では世界最初にしたという話題づくりと歴史にも残ります。上村はそれをすることが、よい結果につながるという取り組みをしたのでしょう。
 モーグルはスピード、ターン(こぶの滑り方)、エアが総合される競技です。エアとターンの採点と、スピードの絶対値が問われる不思議な競技です。エアのスリーディーだけでは結果につながりませんでした。

 スノーボードは、ハーフパイプのオリンピックレベルの競技場が日本にはない状態です。それなのに期待報道をしましたが、結果は競技環境を正直に反映しました。W杯での日本選手の成績がよかったのは、一流選手がアメリカである賞金のかかった大会に出ていたからです。

 フィギュアはテレビ時代にあった競技ですから、注目度が高くなっています。日本は3人出場枠を確保できるぐらい、レベルは高いものがあります。シーズン問わず練習でき、早教育が可能です。全国的に子どもを集めて才能あるものを選んで育てるシステムをつくっているので、今後とも世界の上位をキープするでしょう。

 競技が高度になればなるほど、日常生活とかけ離れた特別な環境を選べる特別な人によっておこなわれることになります。個人競技スポーツの宿命でしょうか。


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