絵本と児童文学

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新ウイルスとメッセージのこと

2020-04-12 14:40:36 | 身辺のこと・自然
 11時過ぎからいつもの林までウォーキングに出かけました。曇りながらも風が弱いので心地よい陽気でした。いつもよりランニングとウォーキングの人が多く見かけました。とくに家族ずれやにわかランナーと思われる人も何人か見かけました。
 学校の運動場ほどの広さのゴルフ場は、数グループの人たちがプレーをしていました。家にとどまりながら野外でからだを動かす工夫をしているのでしょうか。
 道すがらのヤマブキ、レンギョウ、サクラの花がにぎわっていました。直径700ミリ余りのケヤキが、今年も4本ほど切られました。真新しい切り口に女性が「あ、きれい」と発していました。
 ぼくはといえば、そこを通るたびに「また緑が消えていった」「どうして切ったのかな」「初秋の枝切りなどの経費削減なのかな」「ケヤキの巨木は高価なはずなのでどこへ運ばれたのかな」といったことに思いを巡らしていたのでした。

 新ウイルスという困難に立ち向かうとき、指導者のメッセージは国民を奮い立たせるかどうかが問われています。ぼくはドイツのメルケル首相の国民へのメッセージには、感動しました。メルケル首相は東ドイツ時代に物理学の研究者で大学教員でした。
 新ウイルスの初期である1月に病院の罹患者受け入れ条件を整えました。ベッドの確保医療器具衣装用品等の整備も含めて、です。そのような取り組みは、罹患者に対して死者がとても少ないことに表れています。
 ドイツについては岩波新書の『豊かさとは何か』(暉峻淑子著1989年)に北欧の福祉事情と思に紹介されていました。原発についてもソ連のチエノブイリを経験し、日本の事故後再生可能エネルギーに転換しました。
 メルケル首相の民主主義にも及ぶメッセージは、ドイツ国民の民度としても受け入れられるものなのでしょうが、ぼくが読んで感激させるぐらい普遍性のあるものです。

*このコラムは、4月12日書きかけたものを4月30日完成させてにアップしました。内容が書きかけた日のものなのでアップの日と異なります。もう少し書くつもりでしたが、未完のままでした。ぼくの場合書きかけで消えていくものが多いのですが、今回は不本意な思いを持ちながら書いた日にしてアップすることとしました。今はまとまった時間が取れない暮らしなので、書きかけのものが増えています。だんだん限られた時間内にアップできる短いコラムを書くようにしていきたい思いです。

転ぶかも、体験

2020-03-22 16:19:52 | 身辺のこと・自然
 18日は電車で遠出をしました。乗り換え3回なので階段を6回利用することになります。エスカレーターを使わず歩くのですが、今回初めて足が重たく、時に手すりに手が出たのでした。老いるとこうして転ぶようになるのだ、と考えさせられる体験でした。
 原因はどうやら、4日間連続ウォーキングしていなかったからのようです。雨が降り続く、あるいは強風で花粉がひどいだろう、といったことで歩かなかったのでした。毎日のウォーキングが「歩く動作」の維持に役立っていることを実感できました。

 ところで健康年齢の維持のために、毎日やっていることがあります。ストレッチとスクワットなどを60分ぐらいかけてやります。内容は本を読んだりテレビで見たものを参考にして自分で作ったものです。
 4つのジャンルとして、①下肢を伸ばす②下肢の延ばしと背と腰の延ばし③下肢の伸ばしと腰の伸ばし④スクワットと膝の曲げ伸ばし、としています。一つのジャンル終わるごとに頸椎狭窄(けいついきょうさく、首のこと)改善のため、1分ぐらい壁に両手をつけて背伸びをするようなことをします。
 これをやるようになったのは、10年ほど前に頸椎狭窄と脊柱管狭窄(せきちゅうかんきょうさく)を連続して患ってからです。いづれも激痛でした。
 頸椎狭窄は痛みを脳に伝わらないようにするというストレッチを教わったので、通院はわずかな期間でした。その時の一部を今取り入れています。
 脊柱管狭窄は1年ぐらい通院(上記と別なクリニック)したが、際立った改善はありませんでした。

 テニスをやっていて腰をかばうようなプレーになりました。足を前後でなく横に開いたままの腰をひねりを入れないプレーです。そのためプレーの力量の向上がないばかりか、加齢も加わり散々になりました。その後テニススクールが変わったこともあり、本来のフォームでプレーをしるようにしました。それは四つん這いにの姿勢から腰を延ばすストレッチをすることで、脊柱管狭窄を悪化させないでプレーをしています。ストレッチで悪化を防ぎ、いわば「だましだまし」テニスを続けているということです。

 ストレッチに60分連続してとるのが難しい時は、ジャンル2回分にわけますが、朝方やった方が足の血の巡りがよい感じになります。スクワットは100回を15分ぐらいかけてやります。膝の曲げ伸ばしは椅子に座った姿勢で足の上げ下げを100回やリます。これらを続けているためか足や膝の筋肉が分かるように凹凸ができています。

 ストレッチはテニスをやり続けたいためですが、それが健康年齢の維持になっています。毎日ストレッチをやらないと平静を保てないぐらいになっています。
 また、声楽をやっていますがそれにも相当役立っているようです。このことは日を改めて触れることにします。

やすらぎの刻・道

2020-03-10 21:29:52 | 身辺のこと・自然
 テレビ朝日の倉本聰「やすらぎの刻・道」は、いよいよ今月いっぱいで終了となる。テレビ朝日開局60周年記念として、放送開始から1年がたつ。テレビドラマを日頃見たことのないぼくが、めずらしく最初から見ている。
 その作りは、老人ホームを舞台にしたものと、山梨県のおのがさわという架空の集落の人々と暮らしの歴史である。まったく異なる内容が2~3週間ごと交互に放送される。
 異質な内容であり、しかも出演者がダブったりしても、相互が峻別されながらどこか親和性がある。

 老人ホームは、入居条件がテレビ関係者等とされている。過去に輝いていた老人たちの暮らしで起きるエピソードで展開された。万引き癖、関係が不通になっていた孫との再会、認知症になる人、死との向きあい、若いからだづくりのインストラクターとの個人的関係等巷で起きているだろうことが、次々展開される。いわば短編連作といったところだろうか。
 出演者は名だたる俳優たちで、70歳代から80歳代と高齢である。ぼくは芸能関係に疎いが、何人かは思い出せる人がいる。
 ミッキー・カーチスは歌う人だっただろうが、セリフも多くひょうひょうとした人柄をなかなかいい演技でこなし、最後は死を迎えた。
 とにかくみんなが演技がうまい。というか悲しみ、愁い等の感情表現は見事と言うしかない。絶妙な間の取り方、顔の表情だけでなく体全体で表現される。べテランのなせる業と感心して見いるのだ。

 おのがさわという集落の暮らしは、戦前の国上げて戦争に向かっているとき、それに翻弄されている庶民の暮らしぶりがよく描かれていた。満蒙開拓団、山間部の自然との関わる山の暮らし、養蚕、出兵や戦死、戦争との様々なかかわり。それに戦後まもなくの暮らしぶり、やがて集落の空き家が増え開発の足音、そして今日の放送では東電の仕事をしている娘家族が原発事故にあう、と現在へと続いた。
 歴史をリアルに踏まえながら、庶民が時代の変化に翻弄されるのが描かれている。主人公家族の息子や孫の暮らしを通して人間と時代の変化がよくわかる。
 主人公は80歳を超えて(11年で83歳、84歳)なお、機織りや紐づくりなど昔の暮らしを守っている。それが基点として時代の変化を感じさせている。ぼくは主人公を演じる老夫婦が若い時どのような仕事をしたのかわからないが、とにかく安心感を持って物語にいざなってくれるのが、すごいと思って満足しているのだ。

 間もなく終わりとなるが、録画をして落ち着いた条件で見るのが楽しみの時間になっている。

 それに主題歌(このドラマでは3曲)をつくって歌っている中島みゆきの歌にも心惹かれる。彼女は詩がいいし曲も優れている。今は曲が中島みゆきという歌手と切り離せないのでなかなか歌いにくいが、将来はクラッシックの歌手が歌ってもよいのではないかと、改めて思っている。

自分の「終末時計」が気になる?

2020-02-03 20:40:06 | 身辺のこと・自然
 このところのウォーキングは住宅街の20分コースばかりになっている。昨日と今日は、最近歩いていない30分の林コースのウォーキングをした。林の中の獣道のようなところに足を踏み入れるのはなかなか良いものだ。それに折り返し地点としている所へ行くための自分だけの道を10メートルぐらい作っている。しばらくそこを歩いていなかったので、枯れ葉に埋もれてなくなっていた。また道らしくしようと思い、それを励みに30分コースに行くことにしよう。
 昼頃歩くと晴天のときは、西側の雪を頂いた山々の稜線がきれいで、少しだけ立ち止まって見いるのも楽しみの一つである。
 
 地球環境の危機あるいは戦争勃発の危険を「終末時計」として時計で表すことがある。地球の危機に切迫感を感じさせるのによい方法である。それを人間の命に例えると、寿命を予測するようで、心穏やかでなくなる。

 しかし死とかかわるビジネス等では「終活」といって取り組んでいる。数カ月前その業者が「フェア」開催として、それへの誘いの電話があった。家族が登録したようで、明るく気風のよい調子の誘いにはひるんでしまって、話には乗らなかった。
 「終活」は人生のしまい方として、自ら積極的にやっている人もいる。しかしぼくにはできない。やり残していることが多いと思っているのか、まだ生活、活動中と思っているのか、「終活」というくくりでは考えたことがない。
 60歳代の時、「エンディングノート」というのを渡された時がある。受け止められなくて内容もみなかった。世間からそうみられるだ、と思ったものだった。
 かつての知人たちも少しずつあの世へと旅立っている人もいるが、自分の「終末時計」はどのぐらい残っているかは知らない。知らないから今を送れるのであろう。

 からだの衰えは自覚できる。物忘れは、少しずつ気づいたときに対策を立てて、生活に支障ができないようにしている。それに認知症についての解説のテレビを見たり本を読んでも、客観的に知識を得て理解しようとする。
 しかし1月11日の「NHKスペシャル・認知症の第1人者が認知症になった」は、認知症の研究と臨床を仕事にしている医師が自らが認知症になったドキュメンタリーを見たが、怖かった。認知症の当事者が認知症について講演をしていたし、実の娘の支援・介護も印象に残った。ドキュメンタリーゆえに、自分のことのように見てしまったようだ。
 認知症は予想はつかないものなので、予防によさそうなことはとにかくやってみよう、と思っている。

 ラジオで和田秀樹(精神科医)さんが、瀬戸内寂聴(1922年生まれ 98歳)さんと橋田壽賀子(1925年 95歳)さんを例にして、書くことはいいことではないか、という話をしていた。この2人の文筆家の例を一般化するんのは無理があると思いつつ、刺激を受けたのか、こうしてささやかなコラムを書くのを再開した一因になったようである。

老いるということ

2018-09-16 14:29:40 | 身辺のこと・自然
 敬老の日のを迎えるにあたり、老人のことが話題になります。100歳以上の人口が連年増えて、6万8千人ほどです。老人関係の諸施設では、90歳以上は珍しくないとのことです。高齢社会というのはわが住宅街でも実感しているところです。
 ぼくも高齢者の構成員です。70歳以上に町内会で配布される紅白まんじゅうを頂きました。長寿を祝すということですが、昔から変わらない味を確かめるように食べました。

 ところで昨日公民館主催の文化講座の申し込み電話をしました。名前と住所等を伝えて最後に何歳かを聴かれました。「70歳台」と返事をすると、とたんに声の表情が変わり、言葉の語尾に「ね」という確かめるあるいは言いこめるニュアンスの語尾をつけ始めました。そして、一度触れたのに「水を必ず持参ください」と繰り返し、「2回目はフィールドワークです」「体に変調があったらの連絡先をお願いします」と続きました。その語気を強めての確かめる言い方に、「心配」や「配慮?」が必要と思われる年齢なのだ、という体験になりました。
 
 数日前のこと。住宅街で電動車椅子の男性とすれ違いました。
 「この辺に団地はありませんか」と問われました。その場所では団地といわれている建物がないので、年恰好から集合住宅を指しているのかなと思い、
 「民間ですか、公団(あえてURといわない)、それとも〇〇ですか」と返事しました。反応が思わしくないので、車椅子なので単独行動ではないと推測して、
 「どなたと一緒でしたか」
 「カミさんと・・・」そこで自宅を探しているのだ、と事情が分かりました。
 「〇〇ですか」と問うと、うなずきました。
 そこを目指すて歩きました。電動なので早いし、停止しなければ危険と思われるところもとまりません。その間、
 「〇〇から引っ越ししてきたばかり」「カミさんを待っているのがいやになって一人で来た」といったことを話していました。間もなく目的の〇〇にについたので、
 「何号棟ですか」と問うと
 「5号棟」という返事が返ってきました。しかし5号棟はありません。すると
 「ここを行けばいい」といって、たどり着きました。そこは〇号棟でした。
 その人は、しっかり話し方と声の張り、整った服装でした。一般的には、何か事情のある人とはとてもきづかないです。
 しかしこの間、ぼくは言外にある事情と状況を推測して、比較的効率よく彼の目的である自宅へ戻ることの手助けをできました。
 おかげさまで、このところ暑さで怠っていたウォーキングを40分できました。
 

小さな春の足音が・・・

2018-02-12 13:58:54 | 身辺のこと・自然
 昨日のウォーキングは、30分間コースの林までしました。昼頃だったので、久しぶりにコートを着ないで出かけました。10℃以下の気温が18日間続いたとのことです。朝はマイナス続きでからだが寒さに慣れてきましたが、少しばかりの暖かさはありがたく、心も穏やかになります。
 日曜日なのでランニングをする何人かに会います。サッカースタジアムぐらいの小さなゴルフ場では、いつもより多い7~8のグループがプレーをしていました。林のそばのベンチでは、80歳前後代と思われる男性たちが談笑していました。

 丹沢の稜線が、ところどころ刷毛(はけ)をさっと走らせたような白い雲と重なり、雪を頂いた山々は柔らかな感じでした。
 道すがらの木々が張りつめた感じがしなかったのも、わずかに寒さが緩んだせいでしょうか。梅のつぼみが赤くなっているのが目に留まりました。太陽が明るく柔らかいのが、春の足音が近づいているのを感じさせてくれます。

 声楽のレッスンを続けています。ちょうど今も季節を表している「早春賦」を歌っています。
 一.春は名のみの 風の寒さや・・・

 二.氷とけさり あしはつのぐむ
   さては時ぞと 思うはやにく
   きょうも きのうも 雪の空・・・
 雅文調の詩は、明治期のものです。作詞の吉丸一晶は大分出身で東京音楽学校の教員なので、居住地でない積雪地帯の早春のを歌っています。信州あたりかな…。
 
 知り尽くした歌と思いきやベルカントの発声で本格的に歌ってみると、音域が広くしかもメロディーラインをきれいに歌うのは簡単ではない、と感じています。高音が連続するメロディーが3カ所ありますが、2週間ぐらい歌っているうちに心地よくなってきました。歌に表している季節感と現実の微妙な日々の移ろいとの同時性を感じられせいもあるからでしょう。

 歌は他に「あざみの歌」「悲しくなったときは」に取り組んでいます。4月上旬にあるコンサートの準備でもあります。コンサートといっても、声楽、ピアノなど各自が演奏する「コンサートをするサークル」の催しです。

 「あざみの歌」は、小学生の頃のラジオ歌謡でした。バリトンの伊藤久雄の柔らかくて深みのある声の歌唱をラジオでじかに聞いた記憶があります。今詩を読むと熱烈こ女性を恋うる気持ちを、あざみの花に託したのでした。ラジオ歌謡、ホームソングという分野がありました。クラッシックをベースにしたいわゆる抒情歌といわれているものです。

 「悲しくなった時は」は、寺山修司の詩に中田喜直が作曲したものです。歌曲にしにくい詩と思われるものを歌曲にしたので解釈と表現は難しいです。多くの日本歌曲のCDを持っていますが、この曲を入れている人は極めて少ないです。
 

 寒さのゆるみは2日間だけで、また明日から寒くなるとのことです。日中でも5℃以下が数日間連続したのを経験しましたが、もう勘弁してくださいとの思いはしきりです。

寒い、寒い・・・

2018-01-29 19:28:00 | 身辺のこと・自然
 先週月曜日の10:30から降り出した雪は20~30センチ積もり、日陰の手入れのしないところでは氷ついてまだ残っています。
 わが家では3日間水道が断水しました。木曜日は16時30分に開通、金曜日終始断水、土曜日15時開通といった具合でした。トイレは止まらなかったし、2階の水が使えたので、それを融通してしのぎました。
 この間の早朝の気温は、―4℃、-5℃、-4℃でした。どうやら―3℃まででしたら水道が止まらないようです。それにしても寒いのは閉口します。昨日は曇っていて3℃までしか上がらず、顔の皮膚に寒さが感じるぐらいでした。
 
 今のところ木、金曜日に降雪予報が出ており、あと1~2週間の寒さをしのいでいかなければならないようです。

ぼくの減量への取り組み

2018-01-21 19:59:39 | 身辺のこと・自然
 11時頃いつものウォーキングコースである林へ歩いた。高い明るい青空に周辺はうすい白い雲がかかっている。西の丹沢の稜線がうすく、幾分遠くに見えた。
 林のそばのベンチは、高齢男性の語らいがある。自転車で来ている人、犬を連れている人、やわらかいゆったりした時間が流れているように見えた。
 また、日曜日なのでランニングの人が多く行き交う。40代50代と思われる人で、みんなスリムでフォームもよく、運動習慣を持っているようにみえる。
 平日は必死で歩いている高齢者も多く見かける。歩くことは健康寿命をつくることが、浸透している風景でもある。

 ぼくはウオーキングは30分連続歩くのがベストで、それが週3~4日。後は用事で2~3回出かけるのを合わせて3~40分というところ。1時間ぐらいは歩きたいがとてもできない。かつて歩数計で歩いたことがあるが、5000歩に至らないことが多く、負担感が強いのでそれをやめたのだった。

 70歳代半ばになったぼくだが、体重を減量しなければ、と思い続けていた。食事量が多く、とくにビールを飲むとさらに食べるのだった。減量して健康にと思い痩せられたのは、3キロどまりだった。その体重が何年も続いていたが、あと5キロ痩せたらテニスが向上するだろうと考えた。とにかくその体重でテニスをやってみたいと思うようになった。
 それから3カ月位で5キロ痩せた。つまり最高体重より8キロ痩せたのだ。からだの動きがよくなったのを実感できたのだった。そのため苦労したというより達成感をもてたのだった。減量のための実践は、つぎのようなこと。
 ①減量状況把握のため、ふろ上がりに体重を測り手帖に記している。自分の体重を監視するためである。
 ②食事量を減らす。とくにご飯を。そのため茶碗を小さくした。最初は1杯では収まらず少し足したが、間もなく慣れた。この量は50歳代までの3分の1ぐらいだと思われる。
 ②ずっと飲み続けているビール(350ミリリットル)を、週1回を基本とした。飲むとつまみ等食べる量が多くなるのを避けるため。
 ビールは冷やさないで常温のものとした。常温のビールはロンドンで飲んだ時は冷えていなかったのを思い出してのこと。冷えたビールに慣れると冷たいことが快感で飲みたくなるように考えたから。アイスを食べたくなるように。
 ビールを常温にしてからは牛乳も温めて飲みうようにしている。運動の際の飲料も常温にしている。そのためか、アイスは食べたいと思わなくなった。さらに少量でも飲む満足感を得るために、コップについで飲むようにした。ストローで飲むようにするのではなく、口の中にまんべんなく含むように飲んでいる。口で味わうために、エビスの黒ビールに決めている。飲酒は嫌いではないが、若い時からビールだけとしている。飲むのが速くて口に多くを含む癖があるので、酒量が多くなる。酔って自分の意と異なるようになる自分が嫌だからでもある。
 ③外食と外飲みは基本的にしない。外食は年に1~2回で、外飲みは2年ぐらいしていない。ラーメンは数年食べていない。外食は味が濃いため、とかく量を多く食べるようになる。

 かくて体重は最高時の10キロから8キロ減量したのを維持している。もう1年以上続いているので、加齢以外に体重増でからだの動きが悪くなるのはご免だ、と思い続けることにしている。それに健康年齢の維持のためでもある。
 ダイエットという概念でなく減量としたし、ぼくの取り組みは自分の性格を反映してのことである。

年が改まって

2018-01-03 16:55:24 | 身辺のこと・自然
 新しい年が巡ってきた。元日、2日とも快晴で穏やかな日和だった。今日も快晴だが北風が冷たい。
 年が改まるって、あと何回この時を迎えられるだろうか、と思いを巡らすようになった。とくに今年はその感を強くしている。自らの老いと家族の変化のため、心穏やかとは言えない状況なのである。

 暮れから正月にかけては、会合や親せき友人との交わりもないので、テレビを見るのに時間を費やす。

 28日のNHkの「解説スタジアム」は23:55分から4時までだが、1:30でやめた。NHKのニュース報道は公共放送と思えないほど政権の広報的報道と思っているので、解説委員が何を考えているか気になっている。
 詳細は検討できないが、メディア人として初動の発言は良いがそれだけで展開をしない。展開するかと思いきや、今回はせきぐち解説委員が軌道修正のため、突然流れと異なる発言をしていた。それが暗黙の了解らしくて話はしぼんでいった。
 原発担当のみずたにもわずかの解説で展開はしなかった。いったい解説委員ってどんな役割なのだろう。記者、プロジューサーなどとどのように異なるのだろう。

 スポーツ分野では、聞き流すことができないとがある。貴乃花理事んの理事会での解任の決定を受けて、4日の評議員会で解任を決定したら、2月の理事選で当選してもその承認が難しいだろうと言っていた。1度解任した理事を承認できないだろうという理由だ。かりや解説委員はこの見解を、ニュース等ですでに発言している。
 しかし理事会の選挙で新しく選ばれたものを、評議員会が認めないということは、選挙という民主的手続きを無視するということではないか。組織の上位の判断が絶対という誤った組織論である。
 そもそも評議員会というのは、一般的には理事会のチック機能をする組織なので、理事の承認解任を決定することは確かである。理事会に対して上位組織なので、絶対的権限を持つと思われがちだが、貴乃花が選挙で選ばれた場合、それを評議員会が否決するということは、一般的にはあり得ない。評議員会は手続き機関として理事会をチェクするが、異を唱えることは、理事会に不正等がある場合のみではないだろうか。評議員会には協会の方針や運営をする役割はなく、理事会との関係性だけの組織なのである。
 長年相撲アナをやってきたかりや氏だが、多面的総合的とらえ方を期待したい。NHKは影響力が強いだけに、あたかも正解かのように見解を述べるのは気になる。

 年明けの深夜恒例のテレビ朝日の「朝まで生テレビ」は、田原総一郎が仕切るもの。氏の右側に座る人がゆとりをもっていて、左に座る人たちが物足い感じた。政治を中心にした討論なのに、政党関係者2人だけ。ますます田原氏の個人番組のようになってきている。
 とくに三浦〇〇という女性がこの番組の常連になってからは、この人が全体を覆う感じでになってしまう。論争番組としてはおもしろくない。今回は前半1時間ぐらいをビデオで見て、最後1時間ぐらいを生で見たが、だんだんぼくにとっては距離をおきたい番組になっていく。
 30年続いているが、ぼくには結果としてタカ派の人たち(日〇会〇、かつてつくる会など)にスポットライトが当たり社会への発言力を持てるようにしたのでは、という印象が残っている。

 元日18時からBS朝日の「いま、日本を考える2018」として、これも田原総一郎の司会によるもの。
 論戦を盛り上げようという趣旨だろうが、これも田原総一郎「御用達」の三浦〇〇が討論を支配していく。この人は穏やかで淡々と話し、時には微笑むが、自己顕示と支配的性格が強い人とぼくはみている。表情を観察していると、時には視線は「見下し」、ほほ笑みは「嘲笑」の時が多い。まるでわが子に話すうな話し方するときがある。それは説得(支配的になる)をするときである。俯瞰するように述べるが、相手の論点趣旨踏まえて、つまり敬意を持ちながら論戦をしているとは思えない、とぼくはとらえている。
 1昨年ぐらいだったかこの人は、同年齢ぐらいと思われる男性研究者に対して「〇〇さんは一体あなたは何を言いたいのかしら」とわが子を諭すような言い方をしたのを見て驚いたことがあった。言われた男性はやり過ごしたが、知っている中なのかな・・・。
 左側に室〇佑〇が座っていたが、政権のとくにアベ首相に対する批判をするどくするが、残念ながら論争に向いていないのではないか。氏の『週刊朝日』の連載を読んでいるが国会動向などウオッチしているが、部分的であり自分の主張だけにこだわり、構造的接近が弱いように思える。論争は相手の趣旨を受け止め視点を変えて素材(事例)を展開することを求められるのではないだろうか。
 文化放送の金曜日13時からの大竹氏のパートナーをしているが、くつろいでいるせいか本音があらわになる発言を続けている。しかしこのようなタイプの人も、論争をおもしろくするには必要なのだろう。それにしても左側に座る人に、三浦〇〇とシャープに渡り合える人が必要ではないか。



 


スズムシを楽しむ

2017-08-20 15:57:56 | 身辺のこと・自然
 雨続きで30度ぐらいの日々ですが、蒸し暑さには閉口です。久しく太陽を実感できないのが残念です。

 わが家のスズムシの鳴き声が日ごとに盛んになっています。ここ10年あまり毎夏スズムシを楽しんでいますが、今年は事情が違い大量のスズムシです。初めて自分で卵から育てたものです。
 
 公民館で愛好者から譲り受けたものを、その時の説明を思い出しては飼育を試みました。手探りだったため、白い卵に霧状の水を与え続けました。5月に大量にかえりました。黒い点のような小さなものが成長していくのが分かりました。

 ところが大きくなり素早く動くようになり、量の多さに驚きながら飼育ケースを増やしていき、10ケースになりました。これはもう片手間作業で鳴き声を楽しむ、という域を超えたと実感している日々です。
 1日おきに、エサであるナスを10個用意し、市販のエサも与えます。作業時間も2時間ですからそれ内の覚悟が必要です。

 おそらく今月中は泣き続けるでしょうから、飼育作業に取り組みつつ鳴き声を楽しんでいきます。

 *久しぶりに更新しました。パソコンに向かうのも途絶える暮らしをしておりますが、可能な範囲で綴っていこうと思っております。