絵本と児童文学

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ソチからの17日間

2014-02-23 19:02:08 | テニス・他のスポーツ
 オリンピックが終了する。日本はオリンピック好きが多いが、積雪地域で育ったので冬期スポーツには関心があるが、ぼくは距離を置いて見ている。テレビが平常の番組に戻るのを待っているぐらいだ。

 ジャンプ女子の高梨は、金を期待されていただけに結果をともなわなく残念だった。スタート直前の顔が唇に力が入り、こわばっていたように見えた。同じ下川町出身のベテラン葛西のスタートは、唇の力がゆるみ確信に満ちていた表情と思えたのは対照的だった。
 17歳の高梨にとって相当重圧だったのだろう。W杯13戦中10回の優勝の実績は、金を期待させるに十分だった。高梨のインタビューでは、勝利してもいつもたんたんとまだ不足している点を上げる謙虚な答えだった。結果がだせなかったことに、ぼくは同情の念を持つのだ。
 ベテラン葛西がよい結果をともなったことは、多くに人に敬意をもたれよう。地方の中小の建設会社勤務という条件が選手歴を長くさせているのだろう。日本の企業スポーツア、マチュアスポーツの良さが健在だったのではないだろうか。もともと富を期待できる競技ではないし、葛西のアスリートとしての誇りが、競技を続けさせているのだろう。
 複合が復活したが、日本選手が弱いといわれていた距離でも海外選手と対等に戦えるようになっていることを喜び、讃えたい。
 ノルデックの距離は、競技人口が少なく自衛隊所属選手によることが多いので、結果がともなわない。競技者はそうとうな練習をこなさなければならないし、降雪地域でも子どものころから学校等で経験する人が少なくなっているのだろう。

 アルペンは
(未完)

サッカーシーズンが開けた

2014-02-22 19:55:40 | サッカー
 サッカーのクラブは1月下旬からキャンプに入り、プレシーズンマッチもおこなわれている。オリンピック報道が中心になっているとはいえ、テレビでの報道がほとんどないのは残念である。

 シーズン開始最初の公式試合は、昨シーズンJリーグ1位と天皇杯優勝チームの試合であるスーパーカップだ。
 天皇杯と同じ対戦である横浜FM-広島の試合だった。結果は0-2で広島の勝利。
 ベテランの多い横浜FMの活気がなく、広島の躍動する若手の活躍がくっきりとして勝敗を分けた。横浜FMはまだ仕上がっていないのかとも思えたが、若手の斎藤が果敢な動きがかみ合わなかったのが印象的だった。観客41273人。
 広島はJリーグ2連覇をしているが、若手の台頭からして今年も上位は期待できそうだ。

 ACLの1次リーグが25日から開始する。横浜FM、広島とも試合をひかえている。他に川崎、C大阪も戦うが、1次リーグ突破は去年は柏だけだったが、今年こそは極力4チームとも決勝トーナメントにコマを進めて欲しいものだ。
 Jリーグは、2シーズン制J3の新設に踏み出すし、W杯開催の年でもあり、来週の3月1日から開始するJリーグが盛り上がっていくことを願っている。

残念だが、日本コロンビア、NHKの失態でもある

2014-02-05 16:37:33 | 音楽
 佐村河内が作曲したとしている曲が、本人の作でないということが今朝からテレビをにぎわしている。多くの人が彼の身体的境遇をして生まれた曲として、感動して聞き入っていただろう。被曝二世で全聾であるという彼のライフヒストリーと音楽の評価は不可分のものであった。震災という逆境と苦悩にめげずに前に進むということこととダブらせての共感も大きかったに違いない。
 そんなこともあってか、交響曲「ヒロシマ」はクラッシックCDとしては異例の18万枚売り上げという。ところが本人の作でないということは、センセーショナルなニュースである。
 ぼくがこの時刻までに得たあるテレビ番組情報の範囲では、まったく別人の作曲といってよいだろう。彼がアイディアを出したとしても、メロデーと構成等作曲にかかわる関与がないのでは、共同作曲にもならないと思われる。

 NHKのドキュメンタリーでは、彼の音楽学習歴とそれへかかわった人(指導者、親)が登場しないこと、家族(主としてパートナー)が一瞬後姿を見たが登場しなかった。生活維持に精一杯の苦悩に日々が印象に残った。彼の身体条件から、アシスタントなしでは作れないはずだが、それにもまったく触れていなかった。
 クラッシック音楽好きのぼくだが、なぞが多く腑に落ちなかったので、感心がわかず引いてしまったのだった。多くの人が共感しただろう全聾者の過剰なまでの美化に、ぼくは嫌悪感さえ持ったのだった。
 しかし不明あるいはなぞの部分が、いっそう彼への美化になっていったのだろう。NHKの放送だけに一般的には本人作であることは疑わないないだろう。

 作曲家には音楽大学等で専門教育をへない人はいるのだが、個人に師事して音楽の学習はしているものだ。ちなみにイタリヤなどでは声楽家が音楽大学を卒業しているとは限らない。
 彼のことは、アメリカの雑誌『タイム』に「現代のベートベン」と取り上げられただけに、国際的な信頼の失墜は残念である。
 NHKが特集番組をつくり、彼の作曲のコンサートも放送した。多くの人の共感を得ていただけに、彼のなりすましにうらきられた感がある。本人はもとより信頼がとりえのはずのNHKの道義的責任はとくに小さくないだろう。ほどんどのメディアで取り上げているのだが。
 いや責任が重大なのは、CD発売をした日本コロンビアである。それに演奏にかかわった音楽家たち、公演をしていた東京交響楽団の人たちの驚きと落胆は想像に難くない。

 しかし音楽そのものに共感し感動したのであれば、それはそれで価値があり鑑賞するのはよしとするのはいうまでもないことである。

<追記>NHKの放送では、最も重要な聴力障害者のコミュニケーション手段である手話がなかった。一般的には中途失聴者でも手話を覚える。聾唖者どうしでなくとも普段手話を使っていれば、そうようなしぐさがでるのである。他に聴覚障害者にありがちな独特のしぐさが一切なかった。このようなことから作品がすごいと思いながらも、ぼくは接近しなかったのだった。
 また、手話によらない読唇法の場合は、幼いときから専門的学習をしなければ困難である。彼は中途失聴ということなので、読唇法を習得しているとは考えづらい。
(2月5日)