海(6歳4カ月)は、あるときからポケモンに関する絵本を見ては、キャラクターの名前を唱えるようになった。グッズもいくつか集めている。「ポケットモンスター」(東京テレビ系、木曜日19時)は、欠かさず見るテレビ番組に加わった。
いつごろからポケモンを知ったか聞いたら、
「クリスマスのちょっとまえから」
と答えが返ってきた。
これはわたしの観察からしても正確である。6歳でこのぐらい時間(期間)感覚を理解できるとは、これまでのわたしの認識よりは早いようだ。
ところでポケモンの絵本を没頭して見る時と他の図鑑などの時は、雰囲気が違う感じがする。ポケモンのときは、他を寄せ付けないよう熱中あるいは高揚ぶりとなる。国旗、動物や昆虫などの知識の本のときは、穏やかで楽しげである。
ポケモンは、キャラクターを覚えることに際限なく、グッズの収集欲望をかき立てられる。欲望は強くなるが、達成感や満足感は得られない。得られないような仕組みにすることは商的には、市場を活性化させるために必要なことであるのだ。
というわけでポケモン指向が高じれば、ゲーム、バーチャルリアリティーの世界、さてはキャラクターグッズなどにのめり込む傾向になるとわたしは考えている。この種の嗜好を否定するつもりはないが、こう断じれば、裏づけ(調査、実験等の)がないではないといわれる。
かなり前の話だが、心理学の友人がフランスに留学したとき、かの国では日本のアニメはバイオレンス(暴力など)が多いと批判があり、放送中止になるケースがあると聞いた。心理学大国といってよいフランスでは、裏づけがどうのこうのということがないらしい。そういえば、タマゴッチはイタリア、イギリスなどのヨーロッパでは、発売と同時に大人気だったが、デジタル機器といえども生命を操作することはよくないとして、発売禁止になった。この辺は宗教という文化の違いもあるのだが。
わたしは最近の凶悪事件の稚拙さと残酷さは、幼いときからの映像メディア(ゲーム等)の負の部分が反映されているのではないかと考えている。負の影響を受けやすい人がいるのではないかと。この考えも学問的には根拠がないと、簡単に葬られるだろう。それでは人間の意識に影響を及ぼす、そしてある社会現象を作るのではないか、くらいにしておこう。
さて、国旗、動物や昆虫の図鑑は、知識が増えることが楽しげなので好感を持つ。さりとて大人の価値観でありがちな、勉強につながるよい知識と娯楽の悪い知識、という単純なよりわけをするつもりはない。
どうも知識が体系的なものかそうでないかが、覚えることの満足感とさらなる知識欲につながるかどうかの、分かれ道のようである。知識の体系に欠かせないカテゴリーが重要な意味を持っている。
哺乳類に人間があったとき、海はそうとう驚いた。哺乳類がさらにラクダなどを偶諦目といい、それにも馬やラクダといったいくつ種類(科)があることがおおよそ意識されている。海の利用している図鑑は、どうぶつ、こんちゅうといった分野(綱、類)に分かれて、次にグループ(目)、なかま(科)とカテゴリー化している。それぞれの生き物の大きさ、生息地域と場所の特徴などが記述されている。
そのため馬のなかまというカテゴリーでも、大きさや生息しているところなど知りたがる。海(うみ)に魚類と、哺乳類である海獣がいることが分かったときも喜んだ。ペンギンが鳥であることも。そのことによって飛ばない鳥が他にいないか調べた。卵の大きさ比べにダチョウの卵があったことを思い出して、飛ばない鳥というカテゴリーでくくってみた。
海を通して、知識の蓄積と総合化をしながら、知る喜びと知の発見をしていることを、目の当たりにしている。そんな子どもを見ることが、この上なくおもしろいのである。
いつごろからポケモンを知ったか聞いたら、
「クリスマスのちょっとまえから」
と答えが返ってきた。
これはわたしの観察からしても正確である。6歳でこのぐらい時間(期間)感覚を理解できるとは、これまでのわたしの認識よりは早いようだ。
ところでポケモンの絵本を没頭して見る時と他の図鑑などの時は、雰囲気が違う感じがする。ポケモンのときは、他を寄せ付けないよう熱中あるいは高揚ぶりとなる。国旗、動物や昆虫などの知識の本のときは、穏やかで楽しげである。
ポケモンは、キャラクターを覚えることに際限なく、グッズの収集欲望をかき立てられる。欲望は強くなるが、達成感や満足感は得られない。得られないような仕組みにすることは商的には、市場を活性化させるために必要なことであるのだ。
というわけでポケモン指向が高じれば、ゲーム、バーチャルリアリティーの世界、さてはキャラクターグッズなどにのめり込む傾向になるとわたしは考えている。この種の嗜好を否定するつもりはないが、こう断じれば、裏づけ(調査、実験等の)がないではないといわれる。
かなり前の話だが、心理学の友人がフランスに留学したとき、かの国では日本のアニメはバイオレンス(暴力など)が多いと批判があり、放送中止になるケースがあると聞いた。心理学大国といってよいフランスでは、裏づけがどうのこうのということがないらしい。そういえば、タマゴッチはイタリア、イギリスなどのヨーロッパでは、発売と同時に大人気だったが、デジタル機器といえども生命を操作することはよくないとして、発売禁止になった。この辺は宗教という文化の違いもあるのだが。
わたしは最近の凶悪事件の稚拙さと残酷さは、幼いときからの映像メディア(ゲーム等)の負の部分が反映されているのではないかと考えている。負の影響を受けやすい人がいるのではないかと。この考えも学問的には根拠がないと、簡単に葬られるだろう。それでは人間の意識に影響を及ぼす、そしてある社会現象を作るのではないか、くらいにしておこう。
さて、国旗、動物や昆虫の図鑑は、知識が増えることが楽しげなので好感を持つ。さりとて大人の価値観でありがちな、勉強につながるよい知識と娯楽の悪い知識、という単純なよりわけをするつもりはない。
どうも知識が体系的なものかそうでないかが、覚えることの満足感とさらなる知識欲につながるかどうかの、分かれ道のようである。知識の体系に欠かせないカテゴリーが重要な意味を持っている。
哺乳類に人間があったとき、海はそうとう驚いた。哺乳類がさらにラクダなどを偶諦目といい、それにも馬やラクダといったいくつ種類(科)があることがおおよそ意識されている。海の利用している図鑑は、どうぶつ、こんちゅうといった分野(綱、類)に分かれて、次にグループ(目)、なかま(科)とカテゴリー化している。それぞれの生き物の大きさ、生息地域と場所の特徴などが記述されている。
そのため馬のなかまというカテゴリーでも、大きさや生息しているところなど知りたがる。海(うみ)に魚類と、哺乳類である海獣がいることが分かったときも喜んだ。ペンギンが鳥であることも。そのことによって飛ばない鳥が他にいないか調べた。卵の大きさ比べにダチョウの卵があったことを思い出して、飛ばない鳥というカテゴリーでくくってみた。
海を通して、知識の蓄積と総合化をしながら、知る喜びと知の発見をしていることを、目の当たりにしている。そんな子どもを見ることが、この上なくおもしろいのである。