朝7:30からの「ウルトラマンM(マックス)」-TBS系-をみた。子どもが見るだろう番組を、年に何回か見るようにしていからだ。この番組は3歳児ぐらいから見ているようだが、幼い子どもにはきびしすぎる、見せたくないものと、その感を強くした。
戦いと攻撃が繰り返すので、様々な暴力が使われる。アニメでなくしかも特撮が多いし、子どもに暴力行為が刷り込まれその原風景として浸透するのではないか、と心配になった。口調と音楽で興奮と高揚感をつくる。どのぐらいの年齢を対象にしているのか分からないが、語彙が難しすぎるし、指示と命令調がほとんどである。子どもが理解できない語彙のほうが、興奮を演出できるのかもしれない。
吸い込まれるように見る子どもが、興奮で特別な心理状態になるだろうが、現実のわれに返るには時間を要するだろう。この番組のグッズも含めて、子ども共通の文化になっていることを思うと、大人のリテラシー力が問われる。大きく妥協しても6歳すんでからだと子どもは、虚構として観賞をできるのではないか、と考えてみたのだ。
8:00からは、教育テレビの子ども番組を見た。とくに「ピタゴラスイッチ」はよくできている。数の認識で、1対1対応の内容であった。それから図形について、大小は相対的ものであることを錯覚を交えて取り上げていた。CGなど映像技術の進歩を使いおもしろさも加えた良質な番組であった。よいものは大人も楽しめるものだ。
今年は今日で終わり、大晦日である。大晦日に銀行が休みであることに象徴されるように、ずいぶん変わったものだ。紅白歌合戦だけが、変わらず続いている。
「まっすぐ、真剣。」のNHKが、恒例の紅白歌合戦の視聴率が40%をきったことに危機感を感じて大改革をしているようだ。もともと70%を超えるような視聴率あることが、異状であるとわたしは思っている。流行歌手(ミュージシャンというべきなのか)を男女に分けて、しかも男を白組、女を赤組として競って勝敗に関心を持たせる仕組みとは、よく考えたものだ。
歌うことが、コンクールとのど自慢という評価の対象にすることが行き渡っている日本の音楽文化がある。そのこともあってか、本来集いに楽しく歌うものだが、バツゲームの際のバツとして歌わせるということがある。カラオケを作って歌うようになったのも、そんな音楽文化環境があってのことかもしれない。カラオケは罰の反対として、誇らしげに自己陶酔する行為となる。ピアノにグレード制を設けたし、ヨーロッパからみたら不思議なこともつくった。
紅白歌合戦はそんな音楽文化環境と、かつて大晦日に特別な思いのあった日本の一大イベントなのだ。わたしはへそまがりのせいか、中学生ぐらいまで関心があったような記憶があるが、それ以降はほとんどみたことがない。今日は教育テレビの「第9」を見た後、静かに本でも読むことになるだろう。
時間は変わらず刻んでいくが、人間は長い年月をかけて様々な意味づけをして文化を作ってきた。正月は、時間に対してもっとも新しさと未来に思いをはせることとなる。そんな特別な思いになる明日から正月であるが、わたしは同居していた家族が死去したので、めでたさを禁忌する慣行に即したものになる。
とはいっても、もともと正月に人と交わって酒を酌み交わすといったことをしないので、あまり変わらない暮らしとなる。仕事柄忙しいわけではないので、静かに来るべき年の自分を展望する。それに新聞や総合雑誌などのメディアが、時代をどうとらえているかを、気持ちを切り替えるときにじっくり読んでみることにする。時代認識を確かにするために、アンテナを高くし感度を高めたいからである。
戦いと攻撃が繰り返すので、様々な暴力が使われる。アニメでなくしかも特撮が多いし、子どもに暴力行為が刷り込まれその原風景として浸透するのではないか、と心配になった。口調と音楽で興奮と高揚感をつくる。どのぐらいの年齢を対象にしているのか分からないが、語彙が難しすぎるし、指示と命令調がほとんどである。子どもが理解できない語彙のほうが、興奮を演出できるのかもしれない。
吸い込まれるように見る子どもが、興奮で特別な心理状態になるだろうが、現実のわれに返るには時間を要するだろう。この番組のグッズも含めて、子ども共通の文化になっていることを思うと、大人のリテラシー力が問われる。大きく妥協しても6歳すんでからだと子どもは、虚構として観賞をできるのではないか、と考えてみたのだ。
8:00からは、教育テレビの子ども番組を見た。とくに「ピタゴラスイッチ」はよくできている。数の認識で、1対1対応の内容であった。それから図形について、大小は相対的ものであることを錯覚を交えて取り上げていた。CGなど映像技術の進歩を使いおもしろさも加えた良質な番組であった。よいものは大人も楽しめるものだ。
今年は今日で終わり、大晦日である。大晦日に銀行が休みであることに象徴されるように、ずいぶん変わったものだ。紅白歌合戦だけが、変わらず続いている。
「まっすぐ、真剣。」のNHKが、恒例の紅白歌合戦の視聴率が40%をきったことに危機感を感じて大改革をしているようだ。もともと70%を超えるような視聴率あることが、異状であるとわたしは思っている。流行歌手(ミュージシャンというべきなのか)を男女に分けて、しかも男を白組、女を赤組として競って勝敗に関心を持たせる仕組みとは、よく考えたものだ。
歌うことが、コンクールとのど自慢という評価の対象にすることが行き渡っている日本の音楽文化がある。そのこともあってか、本来集いに楽しく歌うものだが、バツゲームの際のバツとして歌わせるということがある。カラオケを作って歌うようになったのも、そんな音楽文化環境があってのことかもしれない。カラオケは罰の反対として、誇らしげに自己陶酔する行為となる。ピアノにグレード制を設けたし、ヨーロッパからみたら不思議なこともつくった。
紅白歌合戦はそんな音楽文化環境と、かつて大晦日に特別な思いのあった日本の一大イベントなのだ。わたしはへそまがりのせいか、中学生ぐらいまで関心があったような記憶があるが、それ以降はほとんどみたことがない。今日は教育テレビの「第9」を見た後、静かに本でも読むことになるだろう。
時間は変わらず刻んでいくが、人間は長い年月をかけて様々な意味づけをして文化を作ってきた。正月は、時間に対してもっとも新しさと未来に思いをはせることとなる。そんな特別な思いになる明日から正月であるが、わたしは同居していた家族が死去したので、めでたさを禁忌する慣行に即したものになる。
とはいっても、もともと正月に人と交わって酒を酌み交わすといったことをしないので、あまり変わらない暮らしとなる。仕事柄忙しいわけではないので、静かに来るべき年の自分を展望する。それに新聞や総合雑誌などのメディアが、時代をどうとらえているかを、気持ちを切り替えるときにじっくり読んでみることにする。時代認識を確かにするために、アンテナを高くし感度を高めたいからである。