絵本と児童文学

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わたしの大晦日と正月

2005-12-31 14:31:23 | 身辺のこと・自然
 朝7:30からの「ウルトラマンM(マックス)」-TBS系-をみた。子どもが見るだろう番組を、年に何回か見るようにしていからだ。この番組は3歳児ぐらいから見ているようだが、幼い子どもにはきびしすぎる、見せたくないものと、その感を強くした。
 戦いと攻撃が繰り返すので、様々な暴力が使われる。アニメでなくしかも特撮が多いし、子どもに暴力行為が刷り込まれその原風景として浸透するのではないか、と心配になった。口調と音楽で興奮と高揚感をつくる。どのぐらいの年齢を対象にしているのか分からないが、語彙が難しすぎるし、指示と命令調がほとんどである。子どもが理解できない語彙のほうが、興奮を演出できるのかもしれない。
 吸い込まれるように見る子どもが、興奮で特別な心理状態になるだろうが、現実のわれに返るには時間を要するだろう。この番組のグッズも含めて、子ども共通の文化になっていることを思うと、大人のリテラシー力が問われる。大きく妥協しても6歳すんでからだと子どもは、虚構として観賞をできるのではないか、と考えてみたのだ。
 8:00からは、教育テレビの子ども番組を見た。とくに「ピタゴラスイッチ」はよくできている。数の認識で、1対1対応の内容であった。それから図形について、大小は相対的ものであることを錯覚を交えて取り上げていた。CGなど映像技術の進歩を使いおもしろさも加えた良質な番組であった。よいものは大人も楽しめるものだ。

 今年は今日で終わり、大晦日である。大晦日に銀行が休みであることに象徴されるように、ずいぶん変わったものだ。紅白歌合戦だけが、変わらず続いている。
 「まっすぐ、真剣。」のNHKが、恒例の紅白歌合戦の視聴率が40%をきったことに危機感を感じて大改革をしているようだ。もともと70%を超えるような視聴率あることが、異状であるとわたしは思っている。流行歌手(ミュージシャンというべきなのか)を男女に分けて、しかも男を白組、女を赤組として競って勝敗に関心を持たせる仕組みとは、よく考えたものだ。
 歌うことが、コンクールとのど自慢という評価の対象にすることが行き渡っている日本の音楽文化がある。そのこともあってか、本来集いに楽しく歌うものだが、バツゲームの際のバツとして歌わせるということがある。カラオケを作って歌うようになったのも、そんな音楽文化環境があってのことかもしれない。カラオケは罰の反対として、誇らしげに自己陶酔する行為となる。ピアノにグレード制を設けたし、ヨーロッパからみたら不思議なこともつくった。
 紅白歌合戦はそんな音楽文化環境と、かつて大晦日に特別な思いのあった日本の一大イベントなのだ。わたしはへそまがりのせいか、中学生ぐらいまで関心があったような記憶があるが、それ以降はほとんどみたことがない。今日は教育テレビの「第9」を見た後、静かに本でも読むことになるだろう。

 時間は変わらず刻んでいくが、人間は長い年月をかけて様々な意味づけをして文化を作ってきた。正月は、時間に対してもっとも新しさと未来に思いをはせることとなる。そんな特別な思いになる明日から正月であるが、わたしは同居していた家族が死去したので、めでたさを禁忌する慣行に即したものになる。
 とはいっても、もともと正月に人と交わって酒を酌み交わすといったことをしないので、あまり変わらない暮らしとなる。仕事柄忙しいわけではないので、静かに来るべき年の自分を展望する。それに新聞や総合雑誌などのメディアが、時代をどうとらえているかを、気持ちを切り替えるときにじっくり読んでみることにする。時代認識を確かにするために、アンテナを高くし感度を高めたいからである。

久しぶりの交わりで

2005-12-30 18:25:47 | その他
 穏やかな日差しが降り注ぐ1日であった。雨がかなりの間降っていないので、乾ききっている。
 かたづけと小掃除をやった。書類を片付けている途中で、つい捨てる前に読んでしまうため、はかどらない。しかし読んで確かめるのが心地よくもあるのだ。

 わたしは忘年会や新年会といった慣行に縁がないが、友人で久しく会っていない人と交わる機会ができる。友人というのは必要になったときに求め合えばよいので、ありがたいものである。
 そんな時1年に何回も出ない都心に出ては、その様変わり驚いては時代の動きを感じるのもいいものだ。それに同じ業界の人の話は、情報交換をしながら自分を確かめる機会になる。業界が違えば、友人を介して社会や経済の動きをリアルに感じ取ることができるものだ。
 日本が財政縮小過程にあり、かつグローバリズムの中にあるためだろう、社会のシステムが変わり競争、評価、自己責任といったキーワードに置き換えてもよいような、窮屈でストレスの多い社会にあるということを改めて実感する。ゆとりと志を掲げて仕事と生活をしにくい社会になっている、ということを実感した。


「全国あまねく」は偽装-郵政民営化の進行

2005-12-29 06:55:44 | 当世世間事情
 改革という魔法の言葉をつかって、郵政民営化をあたかも日本の針路を決するかのように戦われた衆院選挙であった。その郵政民営化が、消息筋からの情報によると実行に向けて進行し始めているとのことだ。

 大仁田厚をして「集落にある郵便局がなくなる」という母親の心配を考慮してと理由づけをして、参院での投票を棄権した。多くのそんな声に対して「全国あまねく・・・現在のネットワークは維持する」と政府は強調した。
 一方に「民営化するとコンビニをやってもいいし・・・」と大都市での変化のイメージを振りまいた。

 ところが山間地域の郵便局は、統廃合と職員削減の検討に入っているということだ。「全国あまねく・・・」は、やっぱり素朴な心配の想定内であり、偽装なのだった。
 また、わたしの近くのコンビニでは、手荷物扱いをヤマトから郵便局に限定しているところが増えている。
 ヤマトは政府の郵政事業に批判して手荷物扱いの商品開発をしてきたが、郵便事業の参入を期待されたが拒否し、しかも公社になってからの郵便局の手荷物扱いに抗議したことへの報復のようでもある。いや、報復ではなく市場原理にもとづいた競争ということだろう。政府の後押しのある郵便局に、一企業であるヤマトにとっては太刀打ちするのは困難な競争というものだ。
 市場万能、公のモラルを大事にしない社会が進行している一面を見る思いである。

05年キーワード-朝日・素粒子から

2005-12-28 17:53:45 | 当世世間事情
 きょうが世間は仕事納め。正月3が日というから、明日から6日間が世間のある部分が休みに入る。わたしは年に1回の、こういう慣習をすたれさせたくないと思っている。止めどもなく流れていく時間に、社会と暮らしに節目があった方がいいからだ。
 骨休め、日常の喧騒から逃れて振り返り明日を思う、普段と異なる人との出会い、掃除で生活の場と持ち物の見直し、などする機会になる。新聞は、普段40ページあるものが、28ページと量が減っている。これは広告記事が少なくなっているのも要因だが。
 この麗しい慣行が薄れて、繁忙期の人が多くなっているだろう。交通、流通、郵便、後は何があるだろう。そうだ、福祉施設のような日常を維持し続ける仕事の人もいる。
 わたしは大掃除とまでいかなくとも、小掃除ぐらいはするつもりだ。それに普段会わない友人と旧交をあたためる機会にする。

 朝日新聞の今日の夕刊の素粒子欄(題字の下にある短い言葉)が、今年を振り返っている。流行語よりどんな年だったか分かるというものだ。記録にとどめる意味で、再掲することにする。

<今年のことば>
①株式虚偽記載 ②想定内 ③記憶にない ④適切に ⑤静かな時限爆弾(石綿) ⑥システムダウン ⑦耐震強度偽装 ⑧細胞捏造
この8つのことばが、何をさしているか説明できるのは、みなさんはいくつあるだろう。
ヒントを書いてみるが、誤りがあったらコメントを。
①堤義明②ホリエモン③歯科医師連盟献金④小泉首相⑤アスベスト⑥東証⑦姉歯⑧韓国

<ひと>
朝青龍 ホイエモン 堤義明 ディープスロート 刺客 小泉チルドレン バレンタイン 姉歯元1級建築士 浅田真央 

<うごき>
*内部調査 *解任 *解散 *離党勧告 *参拝 *受信料不払い *誤発注 *人口減 *首相指示
 9つのキーワードの内、4つが小泉自民党がらみである。氏がいかに05を席巻したかがわかる。ところで郵政民営化がない。その程度のことがあたかも政治の最重要課題かのようにされて、日本中が揺さぶられた劇場型社会だった、とわたしは解釈してみた。

いっきに地球寒冷化なのか

2005-12-27 07:07:17 | 身辺のこと・自然
 冬至がすんだら、日ごとに朝の太陽の様子が変わる。先日までの6時ごろは、東の空がわずかにしらみかかりながら上空に半月と星が輝いていた。今日は東の空がうっすらと朝焼けで明るく、かつ月が東側に三日月になっていて星も天高く輝いていた。この時期の朝の空の変化がいちじるしく、趣があるものだ。

 きのう夕方街へでたら、クリスマス前の賑わいはなくなっていたが、普段よりは人も車も多かった。しかしかつてのような年末商戦ではなく、クリスマス商戦となっているようだ。
 新聞の折り込み広告は、10日(土)が最も多かった。新聞が300グラムに対して、折り込み広告が600グラムであった。広告で注目したのは、マンションなどの不動産広告がいくつかあったことだ。もともと12月は不動産取引の少ない時期と業界でいわれているが、それが変化しているのか。それとも耐震偽装問題で、マンションの買い控え状況があって、流通が鈍っているのかもしれない。
 その頃からクリスマスまでの2週間、商店街がにぎわうようである。大型書店の絵本コーナーを観察していたら、12月に大量に入荷したのがクリスマスの数日前にはすでにかなりさばけていた。今日はクリスマス本はなく、平積みはロングセラーの絵本がほとんどだった。
 21日(水)に手に入れた『あさのあつこ-完全読本』(河出書房新社、880円)は10冊余りあったのが、すでに読者の手に渡ったようだった。やはり好調なのだ。あさのあつこの文庫化した『バッテリーⅣ』が発売まもなくで平積みになっていたので、購入した。教育画劇の初版本に比べ、大人を読書対象にしているので、若干手を入れて漢字表現を多くしている。

 自転車に乗っていると、あまり体験しないぐらいほほを渡る風が冷たかった。途中で通過する大学の温度表示は、4度であった。
 寒波がたびたび来て、日本の多くの地域が12月としては記録的な低温と雪である。東北北海道は吹雪であることも伝えられている。気象庁は暖冬予報を変更して、寒冷な冬になるとのこと。これは地球の長期的におこる自然の変化の範囲なのか、地球温暖化の影響なのだろうか。でも昨今の寒さでは、地球温暖化とはとは言いにくく、この際地球寒冷化といっておくことにしよう。その方が寒さに対する覚悟が決まるというものだ。

軽薄ニッポンを象徴する言葉に、大賞が

2005-12-26 14:35:19 | 当世世間事情
 86年から出版社(自由国民社)が始めた流行語大賞は、言葉が世相を反映することとしていくぶん関心を持たれてきた。今年のものは1日に発表されたが、授賞式がテレビの絵になるような演出をしているため、テレビは大騒ぎの報道である。
 わたしは最近興味失っていたが、今年はいささかくだらないと思い、その意味で関心を持ってしまった。
 上がった言葉の、ほとんどがテレビから出た言葉であった。言葉なのだから、後に時代認識になるようなものであってよさそうだが、そうではなくなってきている。しかし世相を大いに反映した、日本社会の現実を言い当てている言葉だったのかもしれない。
 大賞になったのが「小泉劇場」と「想定内(外)」であった。選挙での自民党の圧勝が、テレビというメディアを巧みに使った演出によるところが大きかった。

 金儲けで頭いっぱいでお騒がせマンのホリエモンは、ニッポン放送買収問題で「想定内」を連発した。ホリエモンは全能感の固まりなので「想定外」は使わなかったはずだが。
 近鉄球団買収に始まり、お騒がせマンとして世の「大人に」いぶかしがられたものだが、選挙では自民と結びつき、その後自民党のアドバイザーのような位置付きにもなった。さらに経団連にも迎い入れられるとのことで、いっきに財界の仲間入りをした。「小泉劇場」型選挙の役者を勤めた、論功行賞の色彩が強い。

 「小泉劇場」は世相を言い当てている。劇場は、観客に対して演技と演出によって舞台で演じる。演じるとは事実ではなく、観客をバーチャルな世界へ引きずり込むのである。多くの人は、小泉構造改革の演技の世界に酔わされたのだった。
 観客が劇場から出たら、そこは現実の社会であった。構造改革は、小さな政府にしようとしているので、それが早くも構造偽装になって現れた。いや構造改革と構造偽装と、わたしが混同したのだった。混同であればよいのだが、似ているように夢想してしまったのだった。
 そうだ、劇場では郵政民営化で争ったかとおもいきや、劇場から出たら増税だ、憲法だといった寒風が吹き荒れてきた。

 05年は、正直や愚直さが嘲笑されるような、軽薄ニッポンの時代を実感できるに十分な流行語大賞の言葉であった。



やっぱり幼稚園は大変

2005-12-22 14:29:04 | みるふぃーゆのコラム
 そとは雪景色、また雪が降り出してきました。というより、吹雪いているという状況です。

私は3人目がおなかにはいって、もともと軽いながらもつわりがはじまっています。「さめきらない二日酔い」がずっと続くというかんじでしょうか。夫は「予定外だ!」と言っていますが、私は「予定どおり(^_^)」。
3人の子どもたちはちょうど2歳ずつ離れることになります。2歳しか離れていないと育児は大変なのですが、このペースでいかないと私の年齢が大変になる…。
 
 さてさて、昨日は家を留守にしていたのですが、帰宅してみると玄関の前に本と水性のペンと落書き帳がビニールの袋に包装されて置いてありました。カードとともに。
「今日はサンタクロースとともにおうかがいしましたがお留守のようですので、プレゼントを置いていきます。」
来春、入園することになっている幼稚園からでした。隣に住んでいる姑の話によると、ちゃんとサンタの格好をしてきたそうです。そうやって、来年入園する子どもの家を訪問して歩いているのですから、幼稚園の先生もほんとに大変ですね。ましてや、12月はただでさえ忙しいのに…。
 素直に単純に「幼稚園からのプレゼントだ!」と喜べばいいのでしょうが、似たような職業に就いているだけに余計なことまで思いをはせてしまって(^_^;)
 ここまでやるのかと…やはり幼稚園は園児確保に必死なのでしょうね。

耐震強度偽装建築問題の展開

2005-12-21 11:23:06 | 生活・教育・文化・社会
 欠陥住宅というのは、これまでもよくあることだった。手抜き工事とも言われていることで、もっぱら施工者がやることと思われていた。ところがこのたびの事件は、設計そのものが安上がりに仕上げるために、耐震強度を満たしていないものだった。
 生命と財産を脅かす、しかも社会不安に陥れる、きわめて悪質な犯罪である。刑事責任が問われ重罪になってもよいのだが、1級建築士がそのような犯罪をすると想定していないのと建築の許認可というチェック機能があるため、ごまかしは不可能と一般的には認識している。そのためもあってか、偽装設計だけでは行政処分として免許剥奪と50万円以下の罰金ということだ。

 この犯罪は、バブル崩壊後縮小した市場の建築業界にあって、なお中小企業が生き延びるためとデフレに対応するためのコスト競争にあるためと都市の住宅供給競争などといった社会背景がある。それにしても生命と財産にかかわる犯罪が、大規模なものを長期間発覚されずにいたことは日本社会を不安と恐怖に陥れる意味でも、ことは重大である。
 ところで、この事件が発覚してから1カ月ほどたって、ようやく刑事事件として扱うために、きのう強制捜査を開始した。これまでに類を見ない大掛かりでありながら、刑事責任を問うことが難しいことから、捜査方針と体制を組むのに時間がかかったのだろう。
 しかしこれまでの展開には大いなる疑問を持っていた。もっぱら設計、施工等の悪者探しをしている。最初は建築士、ついで設計会社と施工会社だ。施工会社は発覚後早々と破産申請した。この辺は予定通りかもしれない。
 続いて販売会社、コンサルタント会社と上がった。事件に関与した設計士がさらにいそうだということもいわれている。これだけ大規模の事件なので、組織的であることは間違いないだろう。しかもいくつかの業者が偶然に同じことをしたのではなく、おそらくコンサルタント会社が事件の核心部分ではないだろうかと推測している。それとも建築業界に往々にあることだとしたら、大問題なのである。

 ところでこれまでは、国会で当事者の証人喚問をおこなってきた。多くの人がこの間テレビメディアを興味津々と見たであろう。悪者探しの、ノンフイックションのドラマを見ている思いではないだろうか。
 しかし建築を検査会社による認可した行政のシステムとその責任問題が、今のところ隠されてしまっている。それを先行させると、事件の当事者である業者までがその責任を追及しかねないからだろうか。
 国会は本来、今回の事件に関して建築認可をする国交省の行政のあり方、民間会社がそれに当たっているなどのシステムを問わなければならないのだ。しかも検査の会社が、施工会社等の業界の関連会社(株式を保有している等)であることが、どのくらい独立して機能しうるか、疑問が残ることだ。許認可というチェック機能を設けるぐらい、建築は公共性の高いものなのである。とくに今回の一連の建物は、巨大ビルである。
 ところが国会が司法でおこなうような、犯罪を暴くようなことに多くの時間をさいた。国民とメディアは、2回にわたって国会で証人喚問をしたため、テレビを通して誰が悪者かに関心が高くなって、行政の公益性や責任問題は今のところ不問である。まさか行政の責任をそらすための証人喚問だったのではないだろうな。
 それとも政治家がらみのことがあるため、国会の証人喚問を早々にやって、事件は検察に移ったからとして、国交省大臣が行政の総括をして幕引きにする可能性もあるかもしれない。

 証券取引の機械の不具合で、個人が20億円の利益を得た人がいるという。機械不具合であっても正規の取引と同じく扱われるというのは、アンフェーアーなことであり、わたしは不思議に思うのである。
 官から民へというフレーズを叫んでいるうちに、日本社会に公というモラルや責任が衰弱してきているのかもしれないと思うのだが、いかがなものだろう。

サンパウロの優勝を喜ぶ

2005-12-19 09:47:40 | サッカー
 今朝は新聞を取りに外へ出たら、やはり風が寒かった。7時ごろには、わたしの部屋のいつもは届かないところまで、太陽の光が入っている。冬至が近いのを実感できたのと、今日も冬空が晴れわたる1日になりそうだということである。
全国的に寒波で西日本も含めて大雪とのことだ。なかでも名古屋は58年ぶりの23センチの大雪とのこと。市民生活への影響も甚大だろうな。
 
 さて、きのうでサッカー世界クラブ選手権が終わった。決勝は予想通りリバプール対サンパウロだったが、結果は意外にもサンパウロの優勝となった。ヨーロッパを勝ち抜いて来ただけに、リバプールの圧勝を誰もが思っていたはずである。
 ヨーロッパと南米は経済格差があるだけに、選手のレベルが違いすぎるのだ。南米の一流クラスの選手は、ヨーロッパのチームでプレーしている。南米の選手は、自国のチームに所属したら次ぎはそれを目指すのだ。サンパウロの選手は、若手はヨーロッパなどをめざしており、ベテランはヨーロッパプレーをして峠を越えた選手である。サンパウロは、ブラジル代表クラスが1人のチームである。
 そのような状況だからこそ、サンパウロは挑戦者であると同時にサッカー王国のブラジルのプライドをかけて、この大会への意気込みは、並々ならぬものがあった。リバプールは格上で優勝して当然であり、シーズン中のリーグ戦のためコンディションも維持しなければならない、という事情もあっただろう。
 予想通りリバプールは、試合を圧倒的に支配した。サンパウロは前半27分の得点を、なりふりかまわずひたすら守り抜く、勝利に執着する試合を展開したのだった。サンパウロの、再三のオフサイドトラップとキーパーのファインセーブが印象に残る試合であった。
 終了後、試合を支配しながら勝利から見放されたリバプールの選手の落胆と、涙を流して喜び合うサンパウロの選手のパフォーマンスが、この試合のドラマを象徴していたのだった。
 
 これまでヨーロッパと南米のチャンピオン同士の試合であったが、今年から世界クラブ選手権となった。経済格差を反映して、将来ともヨーロッパと南米のチームが覇権を争うことは変わらないだろうが、6大陸のチャンピオンが集う大会はよいと思った。
 アフリカはプロリーグを持っている国が少ないので、ナショナルチームとしては強くとも、クラブチームとしては力不足であり、エジプトのアルアハリが最下位となった。オーストラリアは今年からプロリーグ場発足し、シドニーFCはカズがFWでフル出場するレベルである。北中米代表であるコスタリカ(サブリサ)の健闘が光った。サウジアラビア(アルイテハド)はオイルマネーでアフリカ等外国の選手をよんでいるので、リーグの水準は低くない。
 日本のチームがこの大会に出場すると、3位決定戦にはいけるだろうが、予選がリーグ戦中にやることもあり、コンディション調整が難しくて突破が難しい。大会のスポンサーがトヨタということもあり、来年も日本で開催される。日本チームが出場すると盛り上がるだろうに。
 今年の大会は決勝が7万を超えていたし、詳細は分からないが他の試合もある程度観客が入ったようである。ただ放送が日本テレビ系なので、カズをやたらに持ち上げるし、アナウンスと解説のリップサービス過剰なのとゲストなどが多すぎる、といったサッカーの内容が薄いのを、わたしとしては耐えて見なければならないのだ。

寒気到来と街の年末気分と

2005-12-18 22:14:06 | 身辺のこと・自然
 きょうの朝は、テニススクールに行った。寒風がふき、この地域では経験しないほど寒く、後頭部やほほが冷たさを感じた。木の葉も舞っていた。
 帰りの車では、NHKFMでベートーベンの第9をやっていた。ちょうど第4楽章が始まるところだった。家についてもラジオを継続して聞いた。この曲は日本では年末に盛んに演奏され、放送もされる。
 わたしにはこの曲が、年末の到来と結びついている。聞くことによって気持ちが引き締まり、厳粛な世界にいざなわれるのだ。時には学生時代にうたってステージ体験をしたので、その頃のもろもろのことが甦ってくることもある。

 午後は近くのホールでおこなわれた、市民交響楽団と市民合唱団によるグローリア・ミサ(プッチーニ)を聞いた。合唱が130人ほどであわせて200人ぐらいの演奏である。アマチュアの場合、その曲に没入し指揮者の表現はどんなか、と聞くだけではなく、どうしても演奏レベルということにも関心がいってしまう。音楽愛好家が多くなり、演奏の活動をしている人が増えたことをしみじみと感じ入ったのだった。そして演奏レベルも向上している。
 管楽器の音がけっこうよい。ホルンやトランペットもいい音を出しているのは、ブラスが盛んな日本を反映しているということか。男声合唱は30人あまりだが、半数ほどがリタイヤした年齢のように見えた。
 このような大掛かりなアマチュアの演奏を実行することは、苦労はいかばかりかと思いをはせた。もう一方には普段聞きなれている良質の音と違うため、音楽が日常の行動や生活に降りてきている感じになり、自分の過去の合唱等の体験が頭を去来してしまった。
 なにはともあれミサを聞いた45分間、心地よい世界を味わい、心が満たされた思いになった。思うにわたしは音楽を通してだが、ヨーロッパ文化とキリスト教に対する親和性が大きいことを気づかされたのだった。
 
 コンサートのホールはわたしの日常の生活と行動圏だが、隣接するデパートから駅などめったに見られないほどの人混みだった。コンサートのミサと街の賑わいと寒さで、すっかりクリスマスが間近であることを感じさせられたのだった。
 テニスで寒風にさらされたため、左側のほほがその感じを夜になっても取れなかったのだった。