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絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

後藤竜二さんを偲ぶ

2010-07-08 21:53:16 | 絵本と児童文学
 後藤竜二さんの訃報を新聞で知り、同世代の者としてその早さに驚いています。80年代以前までには、数回小規模な研究会で一緒し何回か親しく歓談する機会があっただけに、感慨がこみ上げてきます。
 最後にお会いしたのは、80年前後だったと思うが、下北沢の本多劇場(世田谷区)での後藤さん作の『地平線の5人兄弟』を舞台にしたものを見に行った時、休憩時間にロビーでのことでした。
 何回か作品を贈っていただきました。それは後藤さん原風景である、北海道の炭鉱の町の農家だったことを題材にした作品でした。わたしとの親和性がそこにあったためでした。  それから数年後、わたしが首都圏から離れたためお会いできませんでしたが、年賀状で近況を交換していたので、身近な存在でした。直接の会話が途絶えてから『九月の口伝』(91年7月 汐文社)を送っていただきましたが、後藤さんの自伝的児童文学であり、本当に書きたいことが凝縮されているように思いました。今改めて読んで、後藤さんを偲んだのでした。
 後藤さんは学生時代の作品『天使は大地にいっぱい』(講談社)でデビューし、多くの作品を残しました。後藤さんの多くの作品は、日常生活を素材に子どもの能動性、活動性に期待し、そこでの友情など、関係性を大事にしたものでした。しかも社会や文化の時代の課題も底流に流れていました。また、時代小説もあります。作品の対象は、幼児から思春期まで多様なものでした。

 最近の作品でわたしが注目したのは、『おかあさんげんきですか』(ポプラ社07年)という絵本でした。
 日本の絵本で描かれている多くの絵本の母親は、子どもに穏やかなまなざしを注ぎ受容的であり、そのためにある意味では子どもにとって絶対的存在として描かれています。
 後藤さんの作品はそのような母親ではなく、平凡で活発な人間として描き、それが子どもともコミュニケーションを生み出し、相互に親しみと信頼感を増していくといった視点で描かれています。ちなみにこの作品は、第12回日本絵本賞大賞と読者賞を得ています。

 後藤さんは日本文学者協会の仕事としてある時期には『日本児童文学』の編集長でもありました。それに児童文学の同人誌『季節風』のリーダーでした。この同人誌からは、今もっとも注目されている、あさのあつこ(『バッテリー』、最新作は時代小説『火群(こむら)のごとく』)が後藤さんに手引きを受けて参加し、今日に地歩を築く道につながったのでした。
 作品以外にも児童文学への誠実な取り組みをしていただけに、逝去は惜しいのです。しかし作品を読む子どもたちだけでなく、児童文学者の作家や関係者に後藤さんの児童文学世界は多くの人に受けるがれていくことでしょう。

絵本の読み聞かせ向上のために

2008-09-13 21:00:56 | 絵本と児童文学
 絵本の読み聞かせの個別レッスンをした体験を下に、子どもに絵本の世界を語って伝えられるようになっていく道筋の目安を作ってみました。
 読み聞かせを向上させていくことは、端的に言うと
 ①演じるような表現をするのではなく、聞き手に伝えよう、届けようという対話姿勢を持つこと。
 ②話を連続させながらドラマ性を伝えるために、間の取り方と話の展開が変わる時の気持ちの切り替え(結果として声の表情が変わる)の工夫をする。
 ③文字を読むことから語りにするためには、象徴的には擬態語(ちょっと、たんたん、ぶらぶら、といった言葉)と周辺言語(言葉のニュアンスにそった表現。たとえば長いが、なが~いというように)をそれらしい調子で表現できる。
 と要約されます。

 これらは多くの人が個性を持ちながらも、技術として獲得できることです。
 この段階別に示したことは、向上するための自己診断に役立たせるためのものです。知り合いや友人と語り合い聞き合いを、大いにすることが大事です。

【初級】
1 自分の声がどのような声であるか特徴を知る。自分の好きな絵本あるいは自分の声に合っている分野の絵本の読み聞かせ体験を積む。どのような分野が自分にあっているかを診断する。当面は自分の声にあっている分野のものに習熟していく。
  分野例 ぁ子どもの活気に満ちたもの 作品例『ぐりとぐら』
       ぃ物語性があり静的な感じのもの 作品例『しろいうさぎとくろい      うさぎ』 
       ぅ大人が子どもに読んでやることにウエイトが置かれているもの。 作品例 乳児向けや知識に関する絵本
       ぇドラマ性の強いもの 作品例『スーホーのしろいうま』 
2 登場人物のキャラクターを区別して声を出す。
  登場人物ごとに気持ちを切り替えると、声も少し変わる。演じるように声を変えなくてよい。
3 フレーズ読みをする。
  文章のフレーズごと、または内容のかたまりとして読む。語りで重要な間が生まれる。
4 ストリーが連続する場合と、場面が変化する場合の読み方。
  *ストリーが続く場合でも、淡々としたり高揚するなどがある。その場合次の
   ページへの続き方によって、最後の言葉の高さを「さげる」「そのまま」
   「上げる」を使い分ける。声をさげる場合は、そのストリーが一段落して次
   の展開になるとき。声をそのままの場合は連続しているとき。声を上げるの
   は次のページが高揚するとき。
  *めくり方の早さは、ストリー展開にそったものになる。
  *ストリーの途中で場面が変わる場合があるが、気持ちを切り替えてそれにと
   もなって声の調子が変わるとよい。
5 その場面にふさわしい言葉の使い方ができる。
  周辺言語といわれているもので、長いが「なが~い」と言う、あるいは擬態語
  をその状況にふさわしい声の表現をする。
6 声の高低の使い分けをする

【中級】
1 双方向的読み方ができる。
  自己表現が前面に出るのではなく、聞く人に対して伝えるという感覚で読める。
2 絵本のテーマにふさわしいムードをつくり、声の調子を変えられる。
  絵本の全体にながれているテーマ性にふさわしいムードで始まり、ストリー展  開や登場人物によって声調や声を変えたりできる。ただし語りであり、声を変
  えることにウエィトをおくような演じることは避ける。
3 絵本の読み手の解釈を子どもに伝える。
  読み聞かせをする人は、作品を子どもに伝える介在者であるので、絵本のテー
  マ性などを読み解き、それを内に秘めながら伝えようとする。
4 対象(年齢、人数)と状況(室内、外、クラスなど)によって、声の大きさを  変える。
5 自分の好きなものありいは声にあったものだけでなく、様々な分野の絵本を読
  むことができる。

【上級】
1 経験をたくさん積んで、対象と状況に対応できる。
  絵本の持っている感情に流されることなく、表現することができる。たとえば
  絵本の内容の悲しさで涙ぐまずに、その感情を表現できる。
2 絵本の解釈ができる。
  絵本のテーマ性、場面の展開の機微にわたる解釈し表現できる。
3 下読みをしなくても即興でも読めるようになる。
  文章のフレーズを一瞬で読み取り、聞き手の側を向いて語れる。


危うい大阪府立児童文学館の存続

2008-05-08 12:04:42 | 絵本と児童文学
 84年の開館以来、児童文化・文学の研究拠点としての役割を果たしている、大阪府立国際児童文学館(吹田市)が存続の危機にさらされている。
 橋下知事による府財政再建策として、いくつかの文化施設の見直しがおこなわれている(大阪府改革プロジェクト)なかに、児童文学館を事実上の廃止案(府立図書館に移設)が盛られている。
 鳥越信氏の蔵書12万点の寄贈を下に出発し、児童文化・文学の貴重な資料の所蔵と研究活動と子ども向け図書館としての活動などをおこなっている。とりわけ児童文化・文学を学問たらしめる条件としての功績は、多大なものがある。
 右肩上がりの経済状況の時には企業がメセナといって文化活動をしたが、それはおろか伝統のある企業スポーツさえ撤退が著しい。
 行政が美術館や図書館等の建築をおこなったのは、本来は文化の公共性(公益性)という思想に根ざしていたはずである。ところが自治体の財政負担とあわせた国の補助金を下にした政策誘導にのった事業であるが、税収等の増収がないあるいは甘い財政見通しのため、財政負担に耐えられなくなっている。
 今自治体の財政赤字の多くは、国の政策誘導に乗っておこなった事業の借金を抱えている場合が多い。そして赤字の臨界点におよび、まず文化施設等の廃止が俎上に上る。結果として箱物を作った業界の経済活動に加担しただけになる。文化の公益性などかなぐり捨てるのは、家計簿的あるいはビジネス発想に思えるのだ。
 ならば財政赤字をどうする、ということが声高に叫ばれるだろう。自治体の財政の帳尻あわせだけでなく、国の財政の予算配分や地方への配分等との関連で考えることになろう。

 大阪国際児童文学館は、かねてから財政削減のため事業の縮小をしていた。「大阪国際児童文学館を育てる会」をつくり、機関紙を提起発行している。わたしも会員として、機関紙を通して児童文学館の活動や研究企画等に関心を持っている。存続を訴える署名活動の第2弾を4月からしている。
 児童文学館は府立ではあるが、大阪にとどまらない児童文化・文学に今後とも光を放つ意味がある。東京の上野に国立子ども図書館がるが、先の機関紙で見る限り活動が異なるので存続が切に望まれる。文化が干からびるところに生活の潤いと教養の未来はしぼんでしまう。

 ところでテレビタレント出身の知事は、過去と現在のテレビの力に確信を持っているせいか、自治体行政総合的におこなっているのか疑問を持っている。たまたま一瞬通過してみた番組で宮崎産の特産品を出演者が食べていた。たわいもないゆるゆるなことと見過ごしてもよいのだろうが、わたしは公共の電波を使って特定の自治体の宣伝を番組に持ち込んでよいのか、といぶかしく思ったのだ。娯楽性とは性質が違うのではないかと。

*朝日新聞4月26日文化欄にこの件に関する記事がある。

石井桃子氏の死去を悼む

2008-04-07 15:10:39 | 絵本と児童文学
 2日石井桃子氏(101歳)が逝った。氏は、日本の児童文学が良質なものにする基盤づくりに、偉大な功績を残した。
 作家として、創作は多くの人に読み継がれた『ノンちゃん雲に乗る』がある。この執筆は、戦時中の小国民文学時代(国民学校)といわれており、出版は47年におこなわれて、今日まで読み継がれている(現在は福音館書店発行)。
 今日の児童文学に影響を及ぼし、子どもを本の心地良さにいざなった仕事は、翻訳であろう。ミルンの「クマのプーさん」(40年出版)、ピーターラビット、うさこちゃん(今はミフィー、ブルーナー作)と、さきがけて日本に紹介して今日の人気に先鞭をつけたことになった。戦時下にありながら、イギリスの児童文学に接触するという国際性が、他の児童文学関係者とは異なる多様な仕事と子どもへのまなざしのおおらかさユーモアをもたらしたのではないか。
 それに今日の良質な児童文学の指標となっている「岩波少年文庫」「岩波子どもの本」シリーズを岩波書店の編集者として、戦後まもなく本づくりをした。
 また今日では多くやられている文庫活動を、60年代から自宅を開放しおこなった。
 いずれもさきがけての仕事をやりきる実行力は、賞賛されよう。決して気取らず日本の子どものために地道に多様な活動をした。長きにわたるその仕事は、今日の日本の児童文学・文化の良質さを維持する流れへと影響を与えている。
 今後当分関係雑誌などで追悼あるいは評伝のような特集が組まれるので、氏の児童文学に果たした功績を読み解くことにしよう。

*なお石井桃子の業績に触れた直近発行のの本では、雑誌『飛ぶ教室』07年秋号-第11号(光村図書発行 定価1000円)がある。


あさのあつこ『バッテリー』がテレビドラマ

2008-04-04 20:05:23 | 絵本と児童文学
 昨日は博物館に、隣の子どもたちをつれていった。道を迷いながら車で行く途中で、サクラ、コブシ、シデコブシの花、ケヤキなどの高木の芽吹き、そして草花とたくさんの春を感じ取ることができた。
 博物館では、常設展示のこの街の歴史や生物などの自然の展示を見た。そこではかねてからの謎だった、ひとつが解けた。わが家の庭に来る野鳥で、羽がスズメに似ていて一回り大きい鳥が、ヒバリであることが分かった。ヒバリが小さな庭に来るとは思ってもいなかったので、ささやかなことだが身近な野鳥の名前が分かったことは、わたしにとって収穫だった。博物館は2回目だったが、そのときの関心によって読み取るものが違うものだと、改めて感じた。
 子どものめあては、『ダイナソー-パダゴニア・巨大恐竜の謎』の映画を見ることだった。これが「全天周映画」といって、プラネタリウムを映す天井が円形にできているところに映すものである。そのために恐竜が迫ってくるし、航空映像は飛行機に乗っている感覚になる。内容は古代生物の研究から割り出した、恐竜の紹介などでいわゆる教育映画である。

 さて、昨日からNHKテレビのドラマとして、あさのあつこの『バッテリー』が始まった。毎週木曜日20時から45分間、10回連続とのことだ。『バッテリー』は、作品が800万部のベストセラーであり、その人気からすでにコミック、ラジオドラマ、映画とすべてのメディアで表現されている。
 作品は、原田巧という類まれな才能に恵まれな中学生ピッチャーを主人公としている。思春期の子どもの特徴を押さえつつ家族や友人との関係、学校など子どもを取り巻く環境にぶつかりながら展開されていく。ずば抜けた才能を持った主人公にすることにより、問題を際立たせ分かりやすくし、しかもエンターテーメント性も表現しているのが、多くの人に受け入れられているのだろう。
 わたしは原作を脚本にし、テレビドラマにどのようにしているのかに関心を持っている。さいわい撮影がロケのようなので、テレビドラマとしては満足できる。関心を持ったひとつに、巧の母親をしているのが、斉藤由貴であった。デビューの映画「優駿」を見ただけに、中学生の母親役がにあうのに歳月を感じさせられたのであった。

松居直氏の話

2007-09-24 14:27:08 | 絵本と児童文学
 NHKラジオでは、23時30分から5時までを「ラジオ深夜便」として、24時間放送している。早朝4時のニュースの後は「心の時代」として40分間、2回にわたりその分野のベテランのトークがある。わたしは生活リズムが早寝早起きタイプなので、時々この番組を聴くことがある。
 時には他のメディアでは取り上げられない市井の人が、その分野の熟達を踏まえた薀蓄(うんちく)にとんだ話を聞ける時がある。ベテランディレクターのインタビュー形式であることが、話す人の人柄を引き出し興味深い展開になることが多い。

 昨日(23日)と今日は、「絵本を作って半世紀」というテーマで松居直氏の話であった。1日目は偶然聞いたが、続きを聞きたいので今日は意識して起きてラジオに耳を傾けた。
 松居直氏は、福音館書店の創業にかかわり絵本編集をし、その後社長もして現在は会長である。日本の絵本を出版事業という立場から世界的水準に、今日の絵本大国へと影響力を持った人である。
 そのかたわら作家として創作をし、また絵本論を多く出版し、絵本の理論家としても貴重な仕事をしている。日本の絵本については、将来にわたって氏の業績なくして語れないだろうと思われる存在である。現在81歳であるが、多方面で活躍している。
 さてラジオでのトークの内容は、これまでの絵本論に触れていることであったが、自分史と重ねての話だったことが、わたしの興味を引いた。このことは、本では一般化した内容にするが、トークのためインタビアーとのやりとりで自分を語っていたのだ。ラジオ番組のよさである。
 内容を少しだけ記すことにする。日本の童画家による絵本はパターン化されているので、美術制作者を絵本制作に参加をうながした。ブラウンの『3びきのやぎのがらがらどん』が、出版されたアメリカより日本での評価が高く売れていているのは、訳が日本語の語感を大事にしたからではないか。それに絵本は親が子どもに読んでやるもの、という氏の絵本館の基本を強調していた。

絵本作品の類似性と著作権のこと

2007-04-26 16:22:32 | 絵本と児童文学
 絵本を見ていると、似ているなと思うものに出合うことがある。
 『かいじゅうたちのいるところ』モーリス・センダック作 神宮輝夫訳(75年12月 冨山房)と『おふろだいすき』松岡享子作 林明子絵(82年4月 福音館書店発行)は、ストリーにそった絵の全体構成が類似しているようにも見える。
 ストリーは『かいじゅうたちのいるところ』がお仕置きされた子どもが空想でかいじゅうのいる島に出かけそこで遊んで、やがて帰るということで現実に戻ることで、お仕置きが解かれるのである。
 『おふろだいすき』は、一人で風呂へ入ったら様々な動物が出てきて遊んで、やがてお母さんに声をかけられ、現実に戻る。
 このストリーの展開にそった絵の構成の仕方が、かいじゅうと遊ぶ、動物と遊ぶ高揚にともなって絵が大きくなる、という技法を使っているのが類似している。
 推測するに『おふろだいすき』はストリーも絵の全体構成技法も、もしかしたら『かいじゅうたちのいるところ』に触発を受けたかも知れない。厳密にみるとストリーとそれにともなう絵の構成が、類似していると見えないわけではないが、活動とキャラクターも違うので、それぞれ独立している作品と見るのが妥当であろう。
 
 さて、わたしの手元に新美南吉の『ごんぎつね』の絵本が3点ある。
黒井健絵『ごんぎつね』   (1986年9月 偕成社発行) 06年133刷
箕田源二郎絵『ごんぎつね』 (1969年3月 ポフラ社   06年100刷余
いもとようこ絵『ごんぎつね』 (2005年5月 金の星社   06年6刷 
   *いもとようこの作品は、1985年に白泉社で出版されたものを再出版したのである。
 黒井健の作品は、ぼかしを効果的に使った独特の世界を作り出している。箕田源二郎は、基本的デッサンを崩さないリアリズムにとんだ画風である。いもとようこは、画風が典型的ないわゆる童画であり、絵本作家としては地歩を築いたと思われるぐらい人気がある。

 名作『ごんぎつね』を絵本にするのだから、絵を独自に描くというのは当たり前のことだが、既成のものを見てしまうと、それを払拭して作品にすることは大変なのかもしれない。発行年から見て、箕田源二郎は、『ごんぎつね』を絵本にする道をつけたのかもしれない。
 ところで画風としてはおよそ似ても似つかわないはずの、箕田源二郎といもとようこの作品が類似しているのである。
 このことについてわたしはポプラ社に問い合わせをしたところ、ていねいな返事をもらった。結論的には、類似性や著作権侵害は認められないとのことであった。
 箕田源二郎の後にいもとようこが出版されているので、ポプラ社に問い合わせをしたのだが、ポプラ社がいもとようこの作品をたくさん出版しているし、今後とも出版を期待できるから、結論は予想できた。
 ポプラ社の回答は、この種の問題を次の3点で見るということであった。
①絵本全体の構成を流用していないか。
②1枚の絵の構成に類似性がないか。
③絵そのものを盗作していないか。

 わたしはいもとようこの作品は箕田源二郎の作品との類似性があり、場合によっては著作権問題も内包しているのではないかと考えた。
 ポプラ社の指摘した3点にそってみると、①の全体構成はページ数が違う等から、作品は独自であると理解することにしよう。というのも、いもと作品が2枚絵を多く構成しているが、場面の切り取り方の類似性はあるのである。
 ②の1枚の絵の構成は、ポプラ社も「一見似たような構図の絵があることは確認した」とあった。わたしがページごとに見て、次のように分析した。
箕田作品    いもと作品
P9~10    P12~13 絵の構成の類似 左に家 右に釜戸 井戸の位置を変え
               ている
P11~12   P14~15 絵は異なるが、きつねが見ている葬式の視点が同じ
P15~16   P18~19 絵は異なるが、井戸、へいじゅうが米を研ぐ、きつね
               がおり、同じ場の構成である
P17~18   P20~21 にぐるまからきつねが魚を盗むが、ほぼ同じ構図だが左
               右を変えている
P23~24   P28~29 同じ構図
P31~32   P36~37 同じ構図
P33~34   P38~39 同じ構図
 他にも物語の場面の切り取り方、箕田源二郎のイメージと似通っている絵はいくつか見られる。同じ構図としているのは、酷似しており(あえて盗作とはいわない)一見いもとようこの絵とは思えないようでもある。
 さらに重要な点は、へいじゅうという主人公であるおじさんの顔と風貌が酷似している。これは絵本の、いわばキャラクターであり、重要な点である。

 ポプラ社は「もっとも重要な絵のきつね、人物、背景を見ていったときに、それぞれ、作者の表現手法が異なるため、一般の読者が見ても明らかに制作者が違うことが分かる作品になっており・・・」という見解である。
 出版社としては著作権問題になったら、狭い絵本の世界のこと、会社どうしの摩擦を起こしたくないだろうし、箕田源二郎側からの指摘がない限り、人気作家の作品を多く出版したいという事情から問題にしたくないだろう。そんなこともあってか、わたしの指摘を「杞憂」であるとのことであった。
 わたしがこの問題に気づいたのは、たまたまいもとようこの『ごんぎつね』を見て、いつもと違った絵を描くと思いながら進んだら、最後方になったらどこかで見たことある作品だと思って、何十年ぶりかにしまい込んでいた箕田源二郎を見たら、同じ絵であると驚いたのだった。それから見比べたら類似しているし、箕田作品なくしていもと作品なしではないか、と考えたのだった。
 しかし今回は、ポフラ社がわたしの質問にていねいな返事をもらうことができたし、その内容には学ぶ点が多かった。

 ついでに数年前の、絵本の著作権問題を紹介しておこう。童心社の『いないいないばあ』(松谷みよ子作 瀬川康男絵)を、学研が出版した『いないいないばあ』が絵はまったく違うが、全体構成が同じで著作権を侵したとして、童心社が提訴した。これは『毎日新聞』に大きく報道されたが、その後どのように裁判が展開されたか定かではない。

 また、きむらゆういちの「あかちゃんのあそびえほ」のシリーズで使っているしかけは、意匠登録(?)をして、他の人がその手法をつかえなくしていると聞いている。絵本業界は子どもの文化財をどう作り出すかということと同時に、熾烈な市場競争の環境になったていることの象徴的なことである。
 ちなみに熾烈なしかけ絵本のアイディア競争の観を呈しているなかで、福音館書店はその出版をしていない。絵本に対する出版哲学の崇高さをわたしには読み取ることができる。しかけ絵本がよくないとは、一概に言えないのだが。

 絵本は、昨年1500点ほど出版されるに至っている。作家はアイディアを出すために苦悩し、他の作品をヒントにしたりすることは誰もがやっていることであろう。その行為そのものがオリジナルなものをつくりだす場合もあるし、バリエーションぐらいの2次的作品なるのは時々見かけるものである。

*絵を問題にしつつもそれを紹介できないので、これを読んでもよく分からないであろう。絵を扱う場合は、出版社および作者の承諾が必要なので、今回は文章だけにとどめた。関心のある人は、図書館で見比べてほしい。

絵本のトップ売り上げは

2007-04-23 21:28:22 | 絵本と児童文学
 庭のエビネが花盛りである。ラン科であるが山地に自生しているもので、いわゆる山野草である。園芸種に改良されていないので、地味ではあるが紫褐色の可憐な花に、わたしは心を引かれる。
 昔里山のようなところにすんでいたときに、たくさん自生したところから一株だけ分けてもらって、引越しのたびに大事に持ち歩いていたのが、絶えないでいまや二桁ぐらいに増えた。狭い庭なので、群生していると見立てて味わっている。
 池のなかは、今年の葦が生えてきた。魚たちは警戒心が強くなったのか、以前のようにいつでも見られるわけではなく、じっと水面を見ていると時々姿を現すぐらいである。野鳥が来ているせいだろうか。都市の住宅地に、人工的にわずかばかりのビオトープの自然空間をつくっているのである。

 『朝日新聞』(4月18日夕刊)によると、絵本の売り上げランキングが掲載されていた。
第1位『いないいないばあ』松谷みよ子(童心社1967年)400万冊
弟2位『ぐりとぐら』中川李枝子(福音館書店1963年) 388万冊 
                         関連書全体1千万冊
弟3位『はたぺこあおむし』エリック・カール(偕成社)268万冊
 なお、出版科学研究所によると、児童書市場は1千億円(06年)とのことだ。この市場規模は絵本の堅調さからきている。

 わたしはかつて見た雑誌や、06年に椎名誠がレポートするかたちでのNHKテレビ放送などから、『ぐりとぐら』がトップである理解していた。椎名誠は『ぐりとぐら』が420万冊といっていた。
 『いないいないばあ』がトップということも理解できる。ブックスタート運動以降、赤ちゃん絵本の購買意欲が高まっていることからもきているのだろう。『いないいないばあ』は、トップに値する日本の絵本の傑作である。

読み聞かせの運営で心すること

2006-06-29 08:05:59 | 絵本と児童文学
 図書館では、大人と区別した子ども専用の絵本と児童書だけを置く空間を持つのが、一般化しつつあります。子ども向けの書架にして、親が幼い子ども連れで利用しやすい環境を工夫しています。
 先日訪ねた図書館では、大人の閲覧室を絵本中心にして親子で利用できるように、改装していました。限られたスペースと予算条件を、月並みに本をそろえた「小さな図書館」ではなく、子どもとその親向けに特化した特色ある図書館づくりをしているのです。親子連れの利用と貸し出しも多いとのことでした。
 その運営を活性化させるために、ボランティアによる絵本アドバイザーを配置し、読み聞かせ活動も恒常化させています。

 さて、読み聞かせについては、その意義や技術は重要ですが、ここでは運営を中心に考えてみることにします。図書館等で読み聞かせを定期的にしている場合、経験者から引き継がれてさまざまな工夫でおこなわれています。その経験を基にしているだろう運営上のことを、整理してみることにします。

1 対象にする子どもの条件

 最初に押さえたいことは、読み聞かせをする対象の子どもがどのような条件にあるかということです。
 学校や園のクラスで読み聞かせをやる場合は、クラスとしての秩序が作られているので、日頃の指導でおこなわれているような言葉かけで、子どもの集中をうながすことができます。子どもが集中してくれるので、読み聞かせをする側のペースで安心してやれます。ただし大勢の子どもに対して広い空間でやるのです。そのため子どもに訴えかけるような調子の読み聞かせになる傾向があります。

 ところで図書館に任意に集まった子どもたちに対しての場合は、読み聞かせを成立させる条件づくりに苦労します。
 人数や年齢といった構成条件によって、読み聞かせを可能にする条件づくりをしなければなりません。実践をしている人から耳にすることで、子どもを集中させるにはどうすればよいかということがあります。しかし子どもを集中させる特効薬はありません。
 慣れない人は子どもに引きずられ、まどわされ右往左往します。ベテランの人が経験から得た力で何とかしのいでいる場合が多いのではないでしょうか。
経験を蓄積した人は、子どもの状況を把握したうえで、子どもの関心に沿うことを提案しながら、自分のペースに子どもを引き込んでいるはずです。
 さまざまな子どもの表現を見届けながら、かつ読み聞かせの側に子どもたちをひきつけなければなりません。よくやることは、手遊びを一斉にやり、子どもたちが聞ける条件をつくるという方法です。手遊びは万能ではありませんが、学校や園のように子どもたちが一斉に集中する条件をつくることが容易になります。手遊びは本来関係づくりのコミュニケーションであり、子どものからだと歌の表現であり、気持ちの切り替えを可能にする活動です。単に静粛にさせる手段だけには、使いたくないものです。

 集まった子どもたちがてんでんな行為していてもあせらないで、ゆったりした気持ちでアイコンタクトをかわします。ざわざわしても待ちます。子どもたちの注意を喚起するには、子どもたちのおしゃべりが下火になる瞬間があるので、そのタイミングでしゃべりだします。「さあ、はじまるよ!」あるいは絵本をかざして「〇〇のおはなしです」といったワンフレーズを大きく鋭い声を発するのがいいかもしれません。そしてすぐに穏やかな声と言い方にかえます。子どもの声より大きい声をだして統率しようと思ったり、あせった気持ちになると、子どもの心はささくれ立ったままで絵本に向かえません。

2 読み聞かせする側の子どもへの姿勢

 紙芝居や大道芸の人たちは、学校や園のような一斉集中する条件をつくってからやりません。子どもたちが整然とした状態に整わなくとも、実行します。読み聞かせも、始まってから子どもの関心が向いて、集中することがあってよいことです。
むしろ読み聞かせをする側が、子どもが静かに一斉に集中する状態でなければ始められないといった秩序観持つと、開始前に時間とエネルギーを使い堅苦しいものになります。

 絵本に集中するのを、子どもにのみ求めるのではなく、むしろ読み聞かせをする側にかかっているのだととらえることです。それは絵本の内容に対する関心に、子どもを引き込むことが出来るかどうかどうかということです。そんな思いで読み聞かせの実践を蓄積していくと、子どもに鍛えられるものです。
 そのような体験の蓄積が、子どもとのコミュニケーション力を向上させ、絵本を子どもの心に届けられる、子どもからも好かれる絵本の語り手になれるのではないでしょうか。

3 どのような形態にするか

 読み聞かせの形態は、対象の子どもの人数、年齢、空間の物的条件などによって、どのようにするかを考えます。考えるポンインとは、読み手と子どもが相互応答的交流のできるようにすることです。
 学校や園のクラスでイスに座っている状態の時は、大勢を対称にするので子どもの方を向くようにして、全体にアイコンタクトを交わし声も届くぐらいの大きさで、一人ひとりに行き届いたように配慮する必要があります。
 3~5メートルぐらいしか絵が読み取れないことや、左右のサイドにいる子どもが見えにくい、といったことを考慮してその条件にある子どもにも伝わるように、子どもの方を向きながら声とアイコンタクトで補うように配慮しなければなりません。
 少人数の子どもが床に座った状態でする場合は、読み聞かせをする者を中心にし、人数と年齢によって縦になったり車座に床に座ることになります。10人以下ですと読み聞かせする人の息使いが子どもに伝わるし、子どもの反応も感じ取れるので読み聞かせの心地よさを体験できます。子どもを並ばせる、あるいは隊列が整わせるといったことにこだわらないで、自然な状態がよいでしょう。
 子どもに語り聞かせて物語を心に届けようという思いを持てば、訴えるときのような大声でなく、絵本の内容によっては穏やかにしっとりしたものにする工夫も必要です。
 2、3人の幼い子どもですと対面しないで、子どもが本を見せて後ろから読み聞かせるのもいいでしょう。絵本は本来自分で開いてみるプライベーなモノなので、人数が少ないほうが望ましいのです。
 なお、大勢を対称にする場合は、経験豊富の人が無難です。初期の頃は少人数で子どもの反応を感じて読み聞かせをする体験を積んだ方が、読み聞かせの心地が分かるものです。

4 プログラムビルディングをどうするか

 20分や40分という時間の読み聞かせの場合は、あらかじめ時間配分とどのように展開するということを準備するする必要あります。時間内のプログラムをどう組むか、プログラムビルディングのことです。

 保育や授業で一般的には、導入、展開、終結という定式があります。それに文章を書く、あるいはことを進める場合、起承転結ということもいわれています。これらの定式にそって、何冊かの絵本の順番に配置します。
 冒頭に位置づける絵本は、短めであっても新刊で珍しいものや興味をそそる絵本作りをしているといったものがよいのです。集中を高めることにつながるからです。その会全体をイメージできるような、しっかりした絵本にします。途中は親しみやすさ、あるいはおもしろいもので気持ちが楽になるものがよいでしょう。最後は長めのもので、その会でメインにしたい絵本を配置します。ただし子どもの出入りがあって全体に落ちつきを欠くようなときは、臨機応変に順番を変えざるを得ないこともあるので、柔軟さも必要です。
 たとえば5冊用意すると、順番を決めます。複数の人でやる場合は読み聞かせを担当する絵本も決めます。子どもとの対話に慣れている人は冒頭がよいでしょう。中ほどを担当する人は経験が少ない人でもよいのだが、その場合経験者が司会のようにつなぐ話をした方がよいでしょう。
 最後は、経験を問わず絵本の内容を掘り下げて完成度の高い読み聞かせが可能な人が、担当します。
 1冊の本の読み聞かせの時間は、長くとも10分ぐらいで終了できるものが無難です。たとえば『ちいさなおうち』(バートン作 いしいももこ訳 岩波書店)や『おしえれのぼうけん』(古田足日・田畑精一作 童心社)といった絵本は、20分ぐらいかかります。
 これらの絵本は、子どもが聞く条件をもっている状態で、経験の豊富な人でないと、語り伝えること難しいです。

 もし40分ぐらいを大勢の子どもを対象にする場合は、内容に変化をつける意味で、絵本以外のものを用意するのも一考してはいかがでしょうか。その場合、人形劇などでなく、平面表現で絵本と類似性のあるエプロンシアターやパネルシアターといったものがよいと思われます。
 とは言ってもパネルシアターなどは、絵本の語りと違って演じなければなりません。小規模で気分転換ぐらいの位置づけがよいのではないでしょうか。紙芝居も演じるのですが、子どもにとってはエホントの違いがはっきり分かりません。

5 子どもの反応を読み取れるようになる

 読み聞かせは代読でないので、する側と聞く子どもがともに楽しいものでなければなりません。読み聞かせをする側が高いところから聞かせようと構えるのでなく、大人に内在している子ども性を呼び覚まし発揮できるようにします。子どもと一緒に絵本を楽しむ、ということでもあります。
 子どもに対しての絵本の高さですが、子どもの頭よりわずかに高いぐらいがよいです。子どもが床に座って、読み聞かせをする側がいすに座って子どもが天を仰ぐぐらいになっているのをよく見かけますが、子どもと同じ目線がよいでしょう。
 読み聞かせをする者が喜びになるのは、子どもの反応を感じ取れるようになったときです。子どもの反応によって、その絵本が子どもにどう受け入れられているか分かります。また、どの部分で子どもたちの集中が高まったか、あるいはどんな感情になったか、といったことを感じとれるようになったら、読み聞かせをする者が同時に作品評論を出来る可能性も備えつつあるといってもいいでしょう。自分の作品評論を子どもによって確かめる、あるいは子どもの反応によって作品の見方を教えられるときがあります。
 子どもの反応を感じ取れるようになるには、そうとう経験を積まなければなりませんが、目標をそこに置くと意外と早くその域に達することが出来ます。
 下読みをして、子ども方を向いて読めるようにするのです。その場合絵本を暗記するわけではなく、読んでいるときに次の行を1、2行目で読み取ってしまう技を、身につけるとよいのです。合唱をしたり楽器を弾くときに、4小節ぐらい先まで読み取って演奏します。その手法を読み聞かせに取り入れるということです。

 日本の絵本でも、半世紀読み継がれるほどの作品もあります。親子3代にわたって読み継がれるほど生命力の長い、アナログな文化です。読み聞かせをする側と聞く側がお互いの息づかいを感じながら、絵本という文化を共有し、後々までリレーのように伝えられていくものなのです。

「こどものとも」の絵本展 を見る

2006-06-01 13:45:41 | 絵本と児童文学
 -5月25日のこと-

 かわらまち美術館(高浜市)でおこなわれている「こどものとも」の絵本展を、学生たちと見に行った。
 絵本を中心にした出版社といえども、50周年を記念して原画を中心にした展覧会をするというのは、なかなかできないことである。福音館書店ならではの、自らの仕事の公共性考え、絵本という子どもの文化をつくって来た足跡を記しながら、改めてその文化の価値を世に問おうとするメッセージが込められた企画である。
 福音館書店の仕事は、このような企画を可能にするように、戦後の日本の絵本界をリードしただけではなく、国際的評価をも高くした偉大な出版事業をしている、といっても過言ではない。

 絵本出版事業の50年の記録としては、『おじいさんがかぶをうえました-月刊絵本「こどものとも」50年の歩み-』を(05年12月10日発行 2625円)を発行している。この本を読んで、日本の絵本のことは、福音館書店の「こどものとも」を抜きにしては語れないという思いを改めてしたのだった。
 本のタイトルが、「こどものとも」にある『おおきなかぶ』の一節からとって「かぶをうえました」としたが、その植えたものが50年をへて順調に育っているということなのだろう。控えめながら、出版事業者の誇りのようにものを感じ取ることができる。
 しかもこの絵本の絵は、高名な彫刻家である佐藤忠良(90歳半ば制作活動もしている?)によるものである。当時は佐藤忠良が絵本を手がけるとは、想像しがたいものだった。彫刻家ならではの優れたデッサン力で、シムプルでリアルなたしかな絵である。佐藤はこの作品の農民を、静かで愚直さえ漂わせるものとし、周りの者が協力して収穫の喜びを得るとしている。短く清楚ともいえる文章に絵がマッチするだけではなく、絵が言葉にない部分を語っている。この作品は、福音館書店の事業と「こどものとも」を象徴する作品ではないか、と思うのだ。
 またこの本は、絵本の写真をたくさん見られるのが、楽しい。第1章は、「たくさんの絵本」として内容別の切り口で再現している。第2章は、「絵本、さまざまに軌跡」として作家から絵本の紹介である。第3章は、「絵本誕生のひみつ」として、作家が絵本制作したエピソードを過去の資料も含めて紹介をしている。最後に「こどものとも」50年の全作品の表紙603点があり、じっと見ながら自分史と重ねるのもおもしろい。

 さて絵本の原画を見て思ったのは、ちょっとオーバーな表現のようだが、絵本に敬畏をもたねば、ということだった。原画から伝わってきたのは、たとえばさとうさわこ(『せんたくかあちゃん』など)が描いている細い線(ロットリング?)の力の入り具合、描くテンポなど、絵を描いている空間や呼吸のようなものを感じ取ることが出来たのだった。
 他の作品でも、色の重なり具合や濃淡などデリケートな部分が読み取れたので、画材の扱い方による作者が表現しようとすることがよく伝わってきた。絵本を作者がどのように表現しようと思っているのか、その奥深さを感じ取ることが出来た。
 こういった原画を印刷すると色だけ原画に近くはするが、それ以外のものは平板なものになってしまう。今度は絵本から逆に、原画を想像してみようと思ったのだった。
 また、林明子の初期の作品である『はじめてのおつかい』の、ラフスケッチがあった。詳しくは検討できる条件ではなかったが、絵本よりは、たくさんの書き込みがあったようだった。おそらくリアルに描いたのを、絵本として子どもに何を伝えるかということから、シムプルにしたのではないか、という想像をめぐらしてみた。ついでに言えば林明子は、初期の画風と今日のそれとは別人と思われるぐらい変わったのである。

 日本の絵本は、おおかた童画家といわれる作家によっていた。大人によって作り上げられた子どもの好みと思われる絵本であった。そのこともあって、大人は絵本を与えるが、子どもの世界に閉じ込めていた。大人も味わえる普遍性が弱かったのである。
 ところが福音館書店の「こどものとも」が、絵本とは無縁だった彫刻家や画家に絵本の仕事に引き込んだ。これが福音館の功績であり、とりわけ松居直の偉大なる仕事である。
 そのことによって対象である子どもの向けということを大事にしつつ、芸術性の高い良質の作品を多く生み出した。子どもを対象としつつも大人の鑑賞にも耐えられる優れた作品を生み出した。そして今日のように、世界中から注目される作品を多く出版するようになったのである。それに果たした、福音館書店の功績は大きいものである。

 絵本の業界も、市場原理の波にさらされるようになっている。子どものための文化創造という良心的理念を今後とも堅持し続けて欲しいと、福音館書店の50年間の作品群を見て改めてその感を強くしたのだった。

 かわらまち美術館を見終えてから、刈谷市美術館でおこなわれている「赤ずきんと名作絵本の原画たち」も見た。ドイツの「トロースドルフ絵本美術館」によるものである。300年余りヨーロッパ各地でさまざまな形で好まれてきた「赤ずきん」の概観を知ることが出来た、発見の多い展示であった。

*この2つの展覧会は、5月28日でこの会場は終了しまいた。