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電車での会話から

2014-11-07 11:48:29 | シニアの暮らし-過去と今と
 穏やかな日が差し込む西武線で埼玉西部から都心に向かう電車。昼頃なので空いていたため向かいに座った人の会話が耳に入ってきた。
 元気な女性が真ん中(A)で左に男性(B)で右に女性(C)の3人だ。3人とも一人暮らしのようだ。

 おおよそ再現してみることにしよう。
A「わたしなんか話すことがいないんで、テレビに向かってしゃべってる」 
B「人でないからむなしい・・・」
C「わたしなんかあまり話すことないね」
 話題が変わって、
A「後10年ぐらい生きたいね」
B「そういうこと考えないようにしてる」
C「わたし、そんなに生きると思っていない。だって78だから、先のことはあまり・・・。誰にも迷惑かけたくない。それだけだね」
A「迷惑はかけたくないないよね」
B「迷惑か・・・かけたくないよな」

 3人が一致したのは、人に迷惑かけずに暮らし、最期を迎えたいということだった。これは多くのシニアの心境と考えてよいだろう。この場合の迷惑とは、世話になる、あるいはケアをされることだ。高齢になると自分で身辺のことさえできなくなる。誰かの世話・ケアをされなければならない人が大多数だ。
 農漁村や商店等の家業を3世代ぐらいでやっている場合家族の世話を受ける。以外の圧倒的に多い都市暮らしやサラリーマン家族では、子どもと生活を共にすることは少ない。最後は一人暮らしになるのは核家族の行き着く姿なのだろう。
 一人暮らしで迷惑かけたくない、となると孤独死もさもありなん。孤独死はその人が人に看取られることと死者への尊厳ということでは望ましくないことはいうまでもない。しかしそんなに騒ぎ立てることではないのかもしれない、と最近考えている。これからの死期を迎える高齢者が多くなるのが確実であことから孤独死は増えるのではないかと考えている。
 別なテーマになるが看取りを病院でなく、家庭でという流れになっている。特養では職員が看取り、その後家族や親族に連絡が難しい場合があるという。
 高齢者が多くなったので「エンディングノート」「終活」といったことが、かまびすしい。最近は生活史を書くレッスンがあるし専用ノートと資料などがでているが、ぼくはどちらかというとこの方にまだ関心がある。

 



1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (みるふぃーゆ)
2014-11-07 16:38:40
父と姑を亡くして、私は「エンディングノート」を購入しました。

ただ、それは、自分のルーツや生きてきた道筋を、残そうというものではなく、年金の記録、加入している保険、貯金、それらのありかを記すためです。

父や姑が亡くなったとき、だいたいは物のありかはわかりましたが、やっぱりいろいろ探しました…。
生命保険はどういうものに加入しているかわからなかったり、預金もどこにどれだけあるのかわからないし…。



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