寒い日が続いている。月曜日(9日)のテニスの時には風の冷たさも加わり、どうやら2℃ぐらいでとくに寒かった。
今日は朝0℃だったが、昼は日差しの恩恵を感じるぐらいで10℃を少し越えた。庭でカナヘビを発見した。まだ寒いはずなのに寒暖差が激しいので、暖かく感じてうかれて出てきたのだろうか。
庭のフキノトウは10個あまり食べごろぐらい成長したが、そのままにしておく。久しぶりにキンカンがたくさんなり、だんだん濃くなってきた。
日曜日には市内の遠くにあるホールに電車で出かけ、歌の発表会を聞いた。30人あまりがアリアを中心に歌った。
一昨年ぐらいまで数年間は、このようなベルカントの発声で歌う、いわゆる声楽の発表会を1時間以内ぐらいで行ける会場にはまめに出かけた。
声楽をやっている立場からして学ぶことが多い。曲目を知ることができる。指導者の方針をおおよそ読み取ろうとする。発声のトレーニングの方針がうかがい知ることができる。どこの教室も熟年というか高齢者といわれる年齢が多い。時にはその人となりを想像することもある。
今回の教室は、難しいアリアを歌う人が多かった。中には10分ぐらい長いアリアを歌う人も。個人レッスンではなく、グループレッスンとのことだが、どうやって指導をし、学ぶ者が習熟していくのだろうか。みんな無理なく声を出していた。中には低、中声域が豊かな声のアルトと思われる人が、ソプラノのアリアを歌っていた。どうしてなのだろう。
指導者はイタリアの音楽大でも学び演奏活動もしていたようだが、教える側の歌劇等の知識とレパートリーの広さは大変なもの、と感心した。200人ぐらいを指導しているようだ。
1月上旬には「○の会」というコンサートを聴いた。歌唱力、演奏マナー、イタリア語等の発音がアマチュアと違うと思った。40代から60代ぐらいの人が20人余り。
どうやらある音楽大学のある先生の「門下生」のようだった。声楽を大学で専攻した人たちは、アマチュアの発表会になじんでいるぼくは、声と歌唱力の違いにさすが専門家だ、と思ったのだった。ただし声がよく出る人とそうでない人があり、それは普段歌っている人とそうでない人の違いではないかと推測した。
アリアは歌い上げている人が多いが、歌曲に関してはアリアのような歌い方をする人がいた。たとえばテンポが遅く声そのものを聞かせようとするような歌い方、といったように。
ソプラノとテノールの人ばかりで、ほとんどが無理のない伸びやかに声を出していた。先生の指導がよいのではないかと考えた。
何はともあれ満足で心豊かになった2時間余りだった。
なお、声楽の世界では個人指導をするのを「門下生」といっている。ぼくは「門下生」という言葉は、伝統芸能・技能等の師匠と弟子という意味合いの濃い言葉なので疑問を持っている。
西洋音楽は個人指導をするが、楽譜という合理的なものがある。学ぶ側は「技能」でなく「技術」を能動的に獲得する行為と考えるからだ。大学で言えばゼミ(演習)であり、レッスンという言葉も一般的に使われている。
「門下生」という言葉を使わなくとも不具合はないと思われるし、どうしても使いたい場合は「教室」という言葉でもよいのではないだろうか。
今日は朝0℃だったが、昼は日差しの恩恵を感じるぐらいで10℃を少し越えた。庭でカナヘビを発見した。まだ寒いはずなのに寒暖差が激しいので、暖かく感じてうかれて出てきたのだろうか。
庭のフキノトウは10個あまり食べごろぐらい成長したが、そのままにしておく。久しぶりにキンカンがたくさんなり、だんだん濃くなってきた。
日曜日には市内の遠くにあるホールに電車で出かけ、歌の発表会を聞いた。30人あまりがアリアを中心に歌った。
一昨年ぐらいまで数年間は、このようなベルカントの発声で歌う、いわゆる声楽の発表会を1時間以内ぐらいで行ける会場にはまめに出かけた。
声楽をやっている立場からして学ぶことが多い。曲目を知ることができる。指導者の方針をおおよそ読み取ろうとする。発声のトレーニングの方針がうかがい知ることができる。どこの教室も熟年というか高齢者といわれる年齢が多い。時にはその人となりを想像することもある。
今回の教室は、難しいアリアを歌う人が多かった。中には10分ぐらい長いアリアを歌う人も。個人レッスンではなく、グループレッスンとのことだが、どうやって指導をし、学ぶ者が習熟していくのだろうか。みんな無理なく声を出していた。中には低、中声域が豊かな声のアルトと思われる人が、ソプラノのアリアを歌っていた。どうしてなのだろう。
指導者はイタリアの音楽大でも学び演奏活動もしていたようだが、教える側の歌劇等の知識とレパートリーの広さは大変なもの、と感心した。200人ぐらいを指導しているようだ。
1月上旬には「○の会」というコンサートを聴いた。歌唱力、演奏マナー、イタリア語等の発音がアマチュアと違うと思った。40代から60代ぐらいの人が20人余り。
どうやらある音楽大学のある先生の「門下生」のようだった。声楽を大学で専攻した人たちは、アマチュアの発表会になじんでいるぼくは、声と歌唱力の違いにさすが専門家だ、と思ったのだった。ただし声がよく出る人とそうでない人があり、それは普段歌っている人とそうでない人の違いではないかと推測した。
アリアは歌い上げている人が多いが、歌曲に関してはアリアのような歌い方をする人がいた。たとえばテンポが遅く声そのものを聞かせようとするような歌い方、といったように。
ソプラノとテノールの人ばかりで、ほとんどが無理のない伸びやかに声を出していた。先生の指導がよいのではないかと考えた。
何はともあれ満足で心豊かになった2時間余りだった。
なお、声楽の世界では個人指導をするのを「門下生」といっている。ぼくは「門下生」という言葉は、伝統芸能・技能等の師匠と弟子という意味合いの濃い言葉なので疑問を持っている。
西洋音楽は個人指導をするが、楽譜という合理的なものがある。学ぶ側は「技能」でなく「技術」を能動的に獲得する行為と考えるからだ。大学で言えばゼミ(演習)であり、レッスンという言葉も一般的に使われている。
「門下生」という言葉を使わなくとも不具合はないと思われるし、どうしても使いたい場合は「教室」という言葉でもよいのではないだろうか。