絵本と児童文学

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発表会、コンサート

2015-02-11 21:27:01 | 音楽
 寒い日が続いている。月曜日(9日)のテニスの時には風の冷たさも加わり、どうやら2℃ぐらいでとくに寒かった。
 今日は朝0℃だったが、昼は日差しの恩恵を感じるぐらいで10℃を少し越えた。庭でカナヘビを発見した。まだ寒いはずなのに寒暖差が激しいので、暖かく感じてうかれて出てきたのだろうか。
 庭のフキノトウは10個あまり食べごろぐらい成長したが、そのままにしておく。久しぶりにキンカンがたくさんなり、だんだん濃くなってきた。
 
 日曜日には市内の遠くにあるホールに電車で出かけ、歌の発表会を聞いた。30人あまりがアリアを中心に歌った。
 一昨年ぐらいまで数年間は、このようなベルカントの発声で歌う、いわゆる声楽の発表会を1時間以内ぐらいで行ける会場にはまめに出かけた。
 声楽をやっている立場からして学ぶことが多い。曲目を知ることができる。指導者の方針をおおよそ読み取ろうとする。発声のトレーニングの方針がうかがい知ることができる。どこの教室も熟年というか高齢者といわれる年齢が多い。時にはその人となりを想像することもある。
 今回の教室は、難しいアリアを歌う人が多かった。中には10分ぐらい長いアリアを歌う人も。個人レッスンではなく、グループレッスンとのことだが、どうやって指導をし、学ぶ者が習熟していくのだろうか。みんな無理なく声を出していた。中には低、中声域が豊かな声のアルトと思われる人が、ソプラノのアリアを歌っていた。どうしてなのだろう。
 指導者はイタリアの音楽大でも学び演奏活動もしていたようだが、教える側の歌劇等の知識とレパートリーの広さは大変なもの、と感心した。200人ぐらいを指導しているようだ。

 1月上旬には「○の会」というコンサートを聴いた。歌唱力、演奏マナー、イタリア語等の発音がアマチュアと違うと思った。40代から60代ぐらいの人が20人余り。
 どうやらある音楽大学のある先生の「門下生」のようだった。声楽を大学で専攻した人たちは、アマチュアの発表会になじんでいるぼくは、声と歌唱力の違いにさすが専門家だ、と思ったのだった。ただし声がよく出る人とそうでない人があり、それは普段歌っている人とそうでない人の違いではないかと推測した。
 アリアは歌い上げている人が多いが、歌曲に関してはアリアのような歌い方をする人がいた。たとえばテンポが遅く声そのものを聞かせようとするような歌い方、といったように。
ソプラノとテノールの人ばかりで、ほとんどが無理のない伸びやかに声を出していた。先生の指導がよいのではないかと考えた。
 何はともあれ満足で心豊かになった2時間余りだった。

 なお、声楽の世界では個人指導をするのを「門下生」といっている。ぼくは「門下生」という言葉は、伝統芸能・技能等の師匠と弟子という意味合いの濃い言葉なので疑問を持っている。
 西洋音楽は個人指導をするが、楽譜という合理的なものがある。学ぶ側は「技能」でなく「技術」を能動的に獲得する行為と考えるからだ。大学で言えばゼミ(演習)であり、レッスンという言葉も一般的に使われている。
 「門下生」という言葉を使わなくとも不具合はないと思われるし、どうしても使いたい場合は「教室」という言葉でもよいのではないだろうか。


サッカー協会が心配だ

2015-02-05 18:03:23 | サッカー
 代表監督アギーレ解任がビッグニュースになっている。協会は、わざわざ継続するという会見を開いてから、アギーレが休暇でスペインへ帰国してから解任を発表した。協会の予定にそった行動だと思うが、よくできたシナリオだと感心した。
 代表のテストマッチが3月27日と31日にあるので、それまで新監督決定とそのもとでの選手選考とチーム構想を公にできるぎりぎりのタイミングである。
 それに28日のJリーグカップ戦を皮切りに3月7日からJリーグが始まるし、なでしこの国際試合である「アルガルベカップ」が3月4日から始まる。ネガティブなニュースを消してからシーズンを迎えねばならない。W杯、アジア杯ともにさえなかったし、小さな危機にあるのではないかという状況から、サッカー人気を何とか回復軌道に乗せねばならない。

 さて、ぼくは長年サッカーに関心を持っていて、ある時期には当時の協会の機関紙である『サッカー』を定期購読していた。「プロリーグがあればよいのに」と仲間と語り合っていて、それが実現した時の驚きと喜びは大きかった。協会に対する絶大な信頼を持っている。
 協会幹部が教養と良識がある人が多いと思っている。それはサッカーというスポーツ文化の特質をも反映しているのではないか、と。かつての幹部人事では当時30代の若い田嶋氏(現副会長)が就いたときは、さすがサッカー協会と感心したものだ。当時は今のような注目度はなく、したがって特別な権力や名誉があるような業界ではなかった。

 サッカー協会について詳細を理解しているわけではないが、今の協会が少し心配になってきている。それは具体的には専務理事である原博実氏(57歳)という人についてである。この人は会長、副会長(3人)についでの地位の専務理事である。しかも実質的に協会を動かしている立場と見てもよいだろう。なにせ財務委員長、Jリーグ構想委員長、競技委員長をも兼務している。
 ザッケローニ、アギーレ代表監督招聘の責任者ないし深く関与している。現在の技術委員長である霜田正治氏(47歳)は、原がFC東京監督時代のコーチつながりで抜擢したと一般的にみられている。霜田は日本サッカーには、選手、コーチ、監督としての業績は乏しいと見られている。ブラジルに3年いたので、ポルトガル語スペイン語はできるのだろう。
 人事というのは「おともだち」関係でおこなわれることもないわけではないが、ぼくは協会も日本にある旧弊体質になったのかな、という見方に傾いてきている。もしそうだとしたら日本サッカーの将来は明るくない、と心配になっている。40代~50代の人材はJリーグ発足20年を経てたくさんいる。
 ぼくは原博実については解説、FC東京監督で通りすがり程度にしか関心はなかった。解説が多様な視点から分析するタイプでなく、よく言えば歯切れのよい評価をする人だという程度である。

 ところで最近原に疑問を持つことに出くわした。NHKの「サッタデースポーツ」は「日本代表の明日を考える」という20分ぐらいの特集を組んでいる。その3回目の時、山本氏(法政大教員)、福西氏(NHK解説者)の質問に対して「誤解している」と1回ならずと返した。
 誤解ならそれを解く答えをすると思いきや、全て内容がそれて持論を展開した。この場合の「誤解している」というのは、相手の話を封じる手段の言葉になった。
 ぼくは原が対話の機会を拒絶して自分の言いたいことをいう権力的態度に唖然として、協会は大丈夫かと思ったのだった。
 放送なので多くの視聴者に協会の見解を開陳するよい機会なのに、どうも自分の面子を保とうというと意識が強く働いたのではないかと思った。
 参考までに自ら「日本の最高責任者と発言する人」が、人の意見をまったく聞かない(聞けない)で、相手を封殺する4つぐらい持っている常套句の一つに、この「誤解している」というのがある。

 話を戻すと、「サッタデースポーツ」の特集の第4回(1月31日)は、原と技術委員長の霜田が出席した。質問者は、福西とザッケローニの通訳だった人だった。NHKはメールでの質問という形を取ったこともあってか、霜田が丁寧にというか無難に答えて、原は「好きに計らえ」という参加のように見えた。
 わずかなテレビ番組で評価をするのは適切でないかも知らないが、原さん、実務力と行動力だけでなく、総合的視点、対話力、民主的感覚も見せてほしい。
 もっとも協会幹部がテレビ番組に出て発言する自体が、風通しよく権力的体質に至っていないことの証なのかもしれないとも思うのだ。

永六輔は健在なのだ

2015-02-03 18:38:32 | 生活・教育・文化・社会
 永(82歳)さんは、パーキンソンとの闘病生活をおり、長年『週刊金曜日』に「無名人録」を連載していたが去年やめた。記事は見開きに、会話するような平易な言葉で日常や世の動きを10字か20字ぐらいで気づかせてくれるもの。通り過ぎるあるいは捨て去られそうな物を活写する、やさしく鋭いまなざしだった。ぼくはこの連載を楽しみにしていたので残念と思ったし、病気の進行具合との関係が気になっていた。
 ところが今日の「徹子の部屋」に出演した。永さんを師匠と仰ぐピーコと一緒だったが、しっかりしゃべっていた。ほっとするとともに拍手をし、ぼくはことのほかしっかり見て耳を傾け、記憶にとどめた。
 長年続けているTBSラジオの「土曜ワイド」も担当をしている。うかつにもそのチェックを怠っていた。永さんこそ活躍を続けて欲しい人なのだ。

 ところで「徹子の部屋」は40年目であり、永さんは39回目の出演とのこと。この両人はぼくが高校時代にはメディアで活躍していた。永さんは放送作家であり、作詞も多かった。黒柳(80歳)さんは土曜日の深夜(22時台だが、当時は深夜といっていた)の「夢であいましょう」(61年~66年)という上品な音楽バラエティーに出演していた。
 当時は作家が台本を書いたものをライブで放送していた。録画技術はあっただろうが、高額な費用なので使わなかった。その作家が永さんであり、ともに20代だった。テレビの草分け時代の人たちの才能はすごかったし、この世代の人は少数になってきた。

 この世代の人で放送、作家、演劇関係者を思い出すままに上げてみる。愛川欣也(81歳)は映画監督、舞台演出テレビ司会で活躍している。野坂昭如(84歳)は長年闘病生活ながら作家活動している。『週刊金曜日』1月16日号から「俺の舟歌」の連載を始めた。矢崎泰久企画・構成の見開きのページにである。
 さらに昨年11月に死去した高倉健は83歳、菅原文太は81歳だった。残念ながら両氏の映画はほとんど見たことがなかった。菅原文太は50代ぐらいから私学の理事として経営にかかわり、その後環境や政治の発言をし、思うところのメッセージを残した。
 この世代の人たちは、メディアを通してぼくは親しんでいた。兵士として戦地には行っていないが、「皇国民」としての教育を受けて戦争体験をしている最後の世代なのだ。81歳の人たちが旧制中学最後であり、義務教育になった新制中学初年度である。
 環境にもよるが、疎開体験、勤労動員(学徒動員ともいう)体験、空襲体験、戦争孤児、引き揚げ体験など戦争に翻ろうされ、そして戦後の貧困時代を生きてきて、若くして今日の社会・文化の礎になった人たちである。

 ところで『朝日新聞夕刊』に「人生の贈りもの」というインタビューの連載記事があるが、2日から「なかにし礼」が始まった。現在76歳であり、満州で生まれ小1で引き揚げという戦争体験をしている。
 氏はその体験がベースにあり、現在の政権の首相を憂えている。ぼくより5歳上だが、おそらく戦争とからめて語れる最後の世代である。9回の連載だが当分夕刊の配達を心待ちにしている。

豪が優勝-アジア杯

2015-02-01 16:57:07 | サッカー
 決勝のオーストラリアvs韓国は、見ごたえある熱戦だった。延長の末、2-1でオーストラリアが初優勝を飾った。06年からアジア連盟に移って3度目のアジア杯だった。韓国は55年(14大会)ぶりの優勝を逃した。
 両国はグループAで試合をして、0-1で韓国が勝ったが、決勝で再び対戦したのだった。韓国は決勝まで無失点できたことが示しているように、デェフェンスが優れている。コンタクトプレーに強くて激しく、集中力も高い。キーパーは今大会からベテランに代わり、C大阪のゴールを守っているキム・ジョンヒであり、好プレーが目立っている。グループリーグでのオーストラリア戦では、再三の危機をすくっていた。

 両チームとも優勝への執着が強く、立ち上がりから激しい攻防が続いた。日本のように中盤からゲームを組み立てるのではなく、前線へボールを送ってゴールを決めるという戦術なので、見ているものも息が抜けない攻防が続く。どちらかというとオーストラリアの攻撃が多かった。それは韓国が前半を0で押さえて後半に決着をつける戦術だったかもしれない。
 前半終了間際にオーストラリアが、センターサークルぐらいから長いグランダーのボールを出したのを受けた選手(MFオンゴ)がターンをしてシュートを決めた(45分)。終了間際の一瞬の隙が出たのをオーストラリアがのがさなかった。

 後半は得点をしたい韓国が攻撃的に展開した。ホームのオーストラリアは観衆の後押しもあり、対応して激しい試合だった。
 得点はインジェリータイムになってから、韓国がグランダーの長いボールをペナルテーエリア内の右側で受けたのを2人ぐらい渡って左に出たのをシュートを決めて、延長になった。

 延長は両チームともそうとうな疲労のはずだが、集中したプレーが続いた。延長前半終了間際に、オーストラリアが右サイドを突破してゴールエリアのゴールライン付近でボールの奪い合いになりながらも保持し、シュートをした。それキーパーがはじいたのをつめていた選手がシュートを決めた。この場面もキーパーがはじく前のボールの奪い合いは、ラインを割ってプレーが止まるのではないか、とも読み取れる状況だった。韓国選手にそういった思いが出たようにも見えた。
 延長後半は、疲労困ぱいながら試合が進み、そのまま終了の笛が鳴った。オーストラリアが観客と選手一体となって歓喜をしたのだった。韓国選手は長い時間ピッチにへたり込むふさぎ込む選手が多かったぐらい無念さが伝わって来た。

 この試合を見て印象的なのは、内容はともかくとして勝利して優勝をするというモチベーションが強く、魂のぶつかり合いのようだった。

 BSNHKの放送は、解説が山本、早野だった。山本がこの試合を素材にしながら、暗に日本の課題を提起するような発言をしていたのに対して、関心をもった。
 印象に残っていることは、両チームとも選手の世代交代をしつつあり新しい選手の活躍が目立った。日本はW杯のメンバーをベースにし、新しい選手の起用が少ない。敗れてもそういった成果があればまだすくわれる。
 決勝まで6試合を見越して23人で戦っていくということ。日本は準々決勝の4試合とも先発はほぼ同じだった。4試合目にはそういったコンデションの問題もあったのではないか。
 韓国はドイツの監督だがその関係者は一人で、他は全て韓国人である。日本は外国人監督でスタッフのおおよそがその関係者であり、代わればみんな引き上げるので日本協会にその蓄積が直接残らない。
 サッカーの内容も大事だが、結果も必要だ。U16、U20のカテゴリーも世界の舞台から遠のいている。

 またぼくの関心事としては、韓国選手の半数近くが元あるいは現在のJリーガーである。それにオーストラリアにも2~3人の元Jリーがおり、DFデービッドソン(23歳)は日本の高校に在籍していたことがあるとのことだ。

 大会スポンサーが15ぐらいだったようだが、ざっと数えて60~70%ぐらいが日本企業だった。アジア市場を意識しているとともに、日本が決勝まで進むことへの広告効果の期待があったのではないだろうか。