【みるふぃーゆコラム・福島発】
先日、帰還困難地区と避難指示や居住制限が解除されて1~2年しか経っていない地区を、車で通ってきました。
帰還困難地区になっている中を通り抜ける幹線道路は、四輪車は許可なしで通行できるようになっいました。しかし二輪車は通行禁止、側道はバリケードで立ち入れないようになっており、長時間の駐車は避けるとも看板が設置してありました。
久しぶりに放射線値を気にしました。同じ福島県民なのに、なんとなく通るのに抵抗を感じます。しかしここで、日々生活している人々がいます。原発事故のあとは、自分たちも、このぐらいの放射線値の中で暮らしていたのに。
原発事故の直後は、他県の人々が同じように福島を通ったり来福したりすることに、抵抗を感じたり回避したいと思った気持ちは、こんなだったんだろうなと、今更ながら実感しました…。
先日、帰還困難地区と避難指示や居住制限が解除されて1~2年しか経っていない地区を、車で通ってきました。
帰還困難地区になっている中を通り抜ける幹線道路は、四輪車は許可なしで通行できるようになっいました。しかし二輪車は通行禁止、側道はバリケードで立ち入れないようになっており、長時間の駐車は避けるとも看板が設置してありました。
久しぶりに放射線値を気にしました。同じ福島県民なのに、なんとなく通るのに抵抗を感じます。しかしここで、日々生活している人々がいます。原発事故のあとは、自分たちも、このぐらいの放射線値の中で暮らしていたのに。
原発事故の直後は、他県の人々が同じように福島を通ったり来福したりすることに、抵抗を感じたり回避したいと思った気持ちは、こんなだったんだろうなと、今更ながら実感しました…。