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電力会社のあり方と原発

2011-03-30 21:38:54 | 生活・教育・文化・社会
 いつ大地震と津波が来てもおかしくない日本列島に、15カ所で54基もの原発が設置されている。原発反対の研究者や市民の力があなどれないせいか、電力会社は政府の後押しの下に安全性を強調し、雇用や税収そして社会施設作る等の利益誘導で賛成しかねる地元をねじ伏せて、原発を作り続けてきた。
 しかし地元自治体にはなんら権限がなく、実際は内閣府・原子力安全委員会そして経産省・原子力安全・保安院その政府と一体化している電力会社が推進してきた。

 日本の電力はエリアごとに10の会社が独占している。しかも発電と通電を分離していない。そのために個人や小規模会社が太陽光など自然による発電して、通電システムを持っている電力会社に売るという、ドイツのようなシステムが育たない。
 日本のように通電と発電が一体的でエリアごとに独占していては、電力会社が原発へシフトしやすいためのものになっている、といっても過言でない。原発は低価格で多くの電力を供給できるという理屈をつけている。さらにCO2の排出がないとクリーンエネルギーが加わる。
 はたして原発は安いのだろうか。今回の事故や廃炉にするのに20年ぐらい数百人の職員が必要など計算に入れているのだろうか。使用済み核燃料の廃棄(あるいはリサイクル)の巨額の費用は含まれていないのではないか。クリーンエネルギーというが、製作過程でどのぐらいのCO2が使われているのだろうか。

 福島原発は40年前の設置というから71年だろうか。その間の前知事佐藤氏は、就任翌年の89年から原子力政策に疑問をもった。東電が部品の脱落といった事故など隠し続けていたからだ。02年は、東電が原発の故障をかくすため点検記録をごまかしていたとが、原子力安全・保安院の内部告発を重視して抗議したため、東電の社長以下幹部5人が責任を取って辞任した。佐藤前知事は原発関係の内閣府、経産省、東電と対峙していたのだった。このような経緯から福井県のような原発誘致自治体とは異なる。

 今日の夜のテレビで「福島の原発は東京の電力なのを分かって欲しい」といった発言を耳にした。長期間疎開が必要で、不安定な生活を強いられ、しかも風評被害とその不条理さにやりきれない気持ちは理解できる。
 しかしこれを機に、エンルギー政策としての電力を原発への依存を高めてきて、世界3位の原発大国の現実、これからエネルギーをどうするか、原発を停止するにしても30年ぐらいかかること、代替エンルギーをどうするか国民的に考えることにつなげていかなければならないだろう。 

 ほぼ50年前から、アメリカ主導の下に日本のエネルギー政策に原発を使ったこと、反原発と原発容認派が研究者で対立をしてきて歴史がある。
 反原発派は「そんなに安全なら東京に作ったらどうか」と発言し、反原発デモで「東京に原発をつくろう」とプラカードが見られたほどだ。容認派はもっぱら安全を強調してきた。
 石○都知事が00年に「東京湾に原発をつくってもかまわない」と発言している。知事選中の現在もテレビ討論で、原発推進論を説いている。東京につくるということが現実味ないから発言しているのか、それとも原発の危険性について無知なのか。
 また原発立地条件では、海岸となる。高温の格納容器を水で冷やため、その水が高温になるのでそれをさらに冷やすために、大量の水が必要である。その水に海水を使うのである。
 参考までに青森県東通村の原発も東電のものだ。企業間競争のない独占である電力会社、つまり消費者が選択できないあり方、発電と通電が一体化しているなど今後のあり方を考えなければ、地域バリアでくくっては本質が見えなくなる。

*東通村の稼動している1基は東北電力のもので、1月から東京電力が着工している。上記の文章の東電のものとするのは誤りで、使用した資料をもとに記述したので訂正する。原発はその性格上地域ごとの発電とはなっていない、という趣旨である。その例として、関西電力は北陸電力エリアの福井県に14基を設置している。
 


厳しい避難生活に思いをはせる

2011-03-24 22:45:38 | 生活・教育・文化・社会
 アメリカのメディアは、911に次ぐらいの大きな報道をしているとのことである。初期の報道では、水の配給に並んでもらえなくなった人が、わめいたり暴れたりしないでたんたんとしている礼節を失わない姿に驚異をもった、と絶賛しているとのこと。新聞によると、中国メディアも事例は異なるものの同様な報道をしているとのことである。
 厳しい避難生活を強いられている人を美化しすぎるのはよくないし、東北の県民性という視点を述べる人もいるが、単純化しすぎではないだろうか。
 この間の報道を通して考えたことを記してみることにする。

 ひとつは国民的学力と教養の高さが考えられる。識字率の高さは世界でもめずらしいぐらいである日本だが、それがベースとしてある。避難所で新聞を読んでいるところが映し出されるが、世界中ではまれなことではないかと思われる。
 また、学校教育を通して培われた秩序意識を垣間見る思いをする。学校文化で評価の分かれるところだが、例えば運動会に象徴されるような隊列行動、あるいは日常の授業や食事前の所作など、礼節重んじる態度の醸成がある。

 次に、津波に対して、日頃の学校での防災教育、地域上げての津波に備えた学習と訓練が考えられる。津波についての知識とイメージを持ち、かつ多くの人が共有できていた。このことが訓練時より大津波であっても、予定の避難場所よりさらに高いところへ避難して助かった事例の報道がある。
 それに津波へのイメージがるがゆえに、被災後も苦しいながらも受容せざるをえないという思いがあるのではないだろうか。

 さらに地域コミュニテーがある、ということが考えられる。無縁社会といわれているが、そこには地縁と血縁が崩壊せずにあることが、ソフトな力となっていると思われる。
家族を非難させた後、役割推敲のために水門を閉めるため戻って帰らぬ人になる。あるいは中国人研習生を非難させてから犠牲になったに人など、たくさんの事例に接するのである。これは絆の精神の発露に思えるのだ。
 「一人はみんなのため、みんなは一人のために」ということが、東北の地に生まれたと聞いたのを思い出している。

 被災者の苦痛と悲しみに思いはせ、いつまでも礼節を失わないことを讃えられるだけでなく、早期に生活の質の改善を願うるのである。そして残念ながら道路事情等回復されるにしたがって、犯罪が増えている現実がある。

報道と雑誌記事

2011-03-19 15:38:06 | 生活・教育・文化・社会
  地震津波の衝撃の大きさが歴史上で最大なものであり、被災規模(エリア)の大きさも含めて世界的に見てもまれな自然災害であろう。
 世界中最大級のニュースとして報道されているようだ。わたしが読んでいるメールマガジンに、アメリカ在住のれいぜい氏がアメリカメディアの様子を連続レポートしている。
 それによると、911事件の次ぐらいに大きな扱いとのことだ。被災数日後には現地に入って、インタビューも含めて詳細にわたって報道しているとのこと。
 水の配給に並んでもらえなくなった人が、わめいたり暴れたりしないでたんたんとしている礼節を失わない姿に驚異をもった、と絶賛しているとのこと。またETA(アメリガ人の英語教師)の被災についても報道されているとのことである。

 さて、新聞の広告が16日(水)頃から少しずつ通常のように復活してきている。今日の新聞には出版社系週刊誌の広告が掲載された。いつものような興味を誘導するような刺激的なタイトルが踊っている。
 わたしの大地震、津波、原発の災害と事故の被害の渦中にある人に思いをはせているせいか、今日の週刊誌のタイトルを読んで好奇心で想像をめぐらすことはできない。むしろ嫌悪の情がもたげてくるのだ。
 震災とからめて政権を揶揄する記事はが多いのは、まだ日がたっていないため、態勢が整わないので取材しての災害の内容の記事をかけないためかな、とも想像している。

 大災害だから自粛や自主規制をするとかいうことではなく、常套の手でもある表現が刺激的にするために乱暴であり、噂話や些細なことをデフォルメした記事にする、あるいはテレビや新聞の公共的メディアでは扱わない切り口のバイアスの記事である。いずれも独自性を出して売り上げ競争に重きを置かれている。
 言論は自由でそこに興味のある人がいて成り立っているが、それは一過性の消費される情報が多い。しかしそれで世論に影響を与えるし、野党議員の国会質問やヤジがこういった週刊誌レベルのときが多い。そういった意味で、わたしは広告を丹念に読んで世間の一部の気分を知る手段にしているのだが。自らのメディア・リテラシー力が問われることでもある。


インテルベスト8へ

2011-03-16 21:35:27 | サッカー
 UEFAチャンピオンズリーグは、準々決勝進出をかけた試合がおこなわれた。早朝ながら重要な試合なので、起きて見た。長友が所属するインテルは、ホームで敗れているだけにアウェーで負けられない試合だった。バイエルン(ドイツ)も強敵だけに、注目の試合となった。

 選手は日本の大震災の死者を弔う喪章をつけ、「私たちは日本の皆さまと共にいます」という日本語の横断幕が掲げられているなか、開始前スタジアム全体で黙祷をおこなった。
 インテルのエトオが3分に得点をしたが、20分と30分にバイエルンが得点をし、前半を終えた。後半63分にインテルが得点し同点に持ち込んだ。ヨーロッパの強豪チームどうしだけに、技術、戦術ともレベルが高くエキサイティングな試合となった。
 どうしても勝ちたいインテルは、攻撃しなければならないので86分に長友を投入した。すぐに長友はスピードでオーバーラップをしたら、それに誘われるように逆サイドの右から長友の方にロングボールを出した。ゴールエリアでルーズボールはインテルが奪い、長友も絡みながら最後はパンデフが決めた。逆転したのは、87分であった。残り時間わずかになりながらも、激しい攻防で終了の笛が鳴り、インテルの勝利となった。

 インテルの選手の喜びは格別なものとなるなか、長友が日の丸に「どんなに離れていても心は一つ・・・」というメッセージをピッチで掲げて呼びかけた。
 長友はチャンピオンズリーグに始めて出場し、ディフェンスながら攻撃を期待されての起用に応えたのだった。
 レオナルド監督の信頼を、また厚くしたのではないだろうか。


この機に及んでも

2011-03-16 20:40:10 | 生活・教育・文化・社会
 16日の朝日新聞の「発言録」というべた記事に、大震災に関する各党の談話があった。自民党の小○百合○総務会長の定例記者会見として、
「最高指揮官である菅首相はあまり動いてはいけない。デーンとすることがみんなに安心感を与える。東京電力に出向くことが全体の士気にどんな好影響があるのか。だいぶ、いらだっておられるとおもう」
とあった。
 この機に及んでも、首相の立場を軽んじ内容をぬきに行動に対していちゃもんをつけつけている。野党であれば、その立場から提案をするのが政治ではないのか。自○党は、政権党でない不本意さからか、ことごとく主客転倒を繰り返して政治を劣化させている。
 政権党と首相等政府の要職の者が評論や批判されることは言論のあり方や政治が力を高めるために必要であることは、言うまでもない。
 しかし、政策論ではなく萎縮させて追い込んで倒閣をする、という自○党が参院選後とっている戦略を披露しただけなのだ。かくて首相無能であるという貶めるプロパガンダを繰り返しているうち、その方向に流れているメディアと世論を見極める必要があろう。


我欲と相互扶助

2011-03-15 21:50:59 | 当世世間事情
 15日の朝日新聞によると、東京都の石○知事が大震災に関して、国民の対応についての感想を問われ、
  日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を一回洗い落
  とす必要がある。やっぱり天罰だと思う。
と答えたという。
 記事では、石○知事は最近日本人の我欲が横行しているとの批判を繰り返し述べている、としている。政府を批判しているとも推察できないこともないが、こともあろうに大震災で当事者の苦難はいくばくか、そして多くの国民と海外の関心が高くお見舞いや支援が寄せられている状況下での発言である。
 我欲とは「他人にかまわず、自己の利益のみを欲する欲望」である。被災当事者は、かつて経験したことのない大災害で、生命の危険と向き合わなければならない困難な状況に耐え忍びながら、相互扶助で避難生活を送っている。
 知事の発言は、我欲とは対極の心情でかろうじて生活を維持している人々への想像力の欠如である。この発言は、大震災に乗じて、知事自らの我欲を表現したのではなかろうか。

 石○知事の発言は、これまでも外国人(とくに中国など)に対する排外主義や人権感覚の欠如など、公的立場にある者として許しがたい発言をたびたび繰り返している。小泉元首相もそうだったが、こういった不見識な発言がキャラクターとしてまかり通るのは許してはいけないのではないか。
 おりしも知事選目前だが、この間の都政は新銀行東京、オリンピック招致運動に巨大な財政支出をし、福祉を弱体化させてきた。それを象徴するのは、出生率の低さ、老人施設の圧倒的不足などである。
 東京都は、10兆円を越えるヨーロッパの中堅国並みの財政規模である。首都であるゆえの豊かな収入を、都民の暮らし向上の政策をとらなければならないのではないか。選挙民でないわたしだが、知的事業の集中している東京都民が、12年間もどうして石原知事にゆだねているのか、疑問は解けないのである。我欲の強い知事に天罰が下りそうもない情勢になってきているのが、わたしのなかの不思議のひとつである。

恐れていたことが・・・

2011-03-15 20:23:26 | 生活・教育・文化・社会
 311の大地震・津波で被災し、肉親の死と行方不明に遭遇している方や支援物資の届いていない避難所の生活あるいはかろうじて命をつないでいる避難所生活の方に思いをはせると、沈痛な思いになります。
 テレビに映し出される津波の映像の巨大な破壊力は、直視をためらうほどのものです。当日のライブでの名取市を呑み込むような映像、そして昨日から放送されだした貴重な当事者による映像は恐怖を覚えます。

 さらに原発事故です。もっとも危惧されていた、放射性物質の流出にいたりました。技術水準が高く安全基準も厳しいといわれていた日本の原発が、世界の原発事故でも最大級の危険なものになるか予断を許さない状況のようです。
 避難を余儀なくされている住民の方は、不安と複雑な思いのことと想像します。先ほどのニュースでは、松戸市が避難を受け入れたとのことです。この避難は、長期間に及ぶ可能性もあるので、周辺の自治体にとどまらず松戸市のような広域の自治体での受け入れが必要ではないでしょうか。
 そして事故へ直接対応作業をしている従業員と自衛隊は、被爆の許容量を超えないようにしながらの、危険作業に懸命なのだと想像します。

Jリーグ始まる  

2011-03-05 21:25:04 | サッカー
 Jリーグが開幕した。わたしは、いくつか関心を持っているクラブはあるが、とくに応援しているクラブはない。

 今年の関心は、名古屋が連続優勝をできるか、Jリーグ世代の若い監督相馬の川崎がどの程度のチームにするか、昇格した甲府がJ1キープできるか、財政的に厳しい山形がどのぐらい戦えるか、財政力のある浦和が上位に組み込めるか、といったところである。

 J2は、降格した京都が祖母井(うばがい)GMと大木監督を迎え財政力もあるので数年後にはJ1上位になれるのではないか、F東京がどのような戦いをして昇格するか、といったところである。マニアックなことでは、服部のいる昇格した鳥取の試合を見たい、東大から初めてプロ選手になった人のいる岡山の試合を見たい、財政が厳しい湘南が反町監督でどこまで戦えるか、といったことも注目している。
 それに10年余りスタジアムに足を運んでないので、今年こそ何試合か見ようと思う。

 さて、開幕試合は名古屋vs横浜をみた。前半両チーム得点ならなかったが、63分横浜(兵藤)が得点した。優位に試合を進めていたと思われた名古屋だが、横浜の堅い守りに阻まれ得点できなかった。
 66分永井を投入した名古屋が、いっそう攻撃的になりチャンスをつくった。永井のスピードはデェフエンスに隙間ができるぐらい効果的で、それはロスタイムにPKをもらうこととなった。それをケネディが決めて同点とした。(トヨタスタジアム 27153人)

日本人はなぜ戦争へと向かったか

2011-03-01 18:05:51 | 生活・教育・文化・社会
 NHKは、太平洋戦争開始70年特別企画として、NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったか」を4回ものとして放送している。
 27日(日)はその3回目で「熱狂はこうしてつくられた」として、ラジオ放送と新聞のメディアについてであった。

 戦争状況を報じる号外が売れ、通常新聞の発行部数がうなぎのぼりになった。そのため従軍したりして競って報道した。その情報で作られた「世論」を背景に、やがて政府や軍部の政策と離れた戦意高揚をリードするようになっていった。軍とメディアと民衆のトライアングル状態ができるには、メディアの役割が大きかった。
 軍部が独裁的に民衆を戦争にかき立てたと思っていたが、満州事変など初期の段階では、メディアが軍部の謀略さえも覆い隠し、戦争に煽り立てていったとのことだ。やがて政府が軍部によってにぎられ、太平洋戦争へと突き進んでいった。戦争へと民衆が熱狂していくその道筋をつけたのは、メディアであった。
 わたしは今の時代に似ている感じがした。戦争への道を歩むということではなく、メディアと政治の関係についてである。
 頻繁にやる世論調査が結果として世論誘導の役割を果たしているし、野党議員が出版社系週刊誌の内容を使ってでも解散・総選挙を繰り返しているし、あるいは新聞報道の内容をネタに国会で論戦するといった、メディアに政治が従属しているのではないかと、危惧を感じているのだ。

 NHKは戦争に関しての報道は、これまでも8月を中心にテレビというメディアならでの放送を丹念にしている。そのネットワークを使っての貴重な人へのインタビューや機動力を活かした取材、あるいは映像資料を使うなど、テレビというメディアの特長を活かした良質の番組づくりをしている。

 また、昨年の高齢者の孤独死などから「無縁社会」へ取り組んでおり、ショートのものでは「ミドルエイジクライシス」「ジャパンシンドローム」といった、現代社会に切り込み問題提起をしている。
 日常の番組では「クローズアップ現代」「AtoZ」「世界ネットワーク」などもあり、テレビジャーナリズムの姿勢が感じられるのである。