絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

言葉は感情的で、残酷で、・・・

2006-03-30 05:06:05 | 当世世間事情
 幼稚園児から1歳過ぎぐらいの子ども連れの母親4人が、駅のホームにいた。休みを利用してビーチランド・おもちゃ王国に来たのだろう、帰りの電車をホームで待っていた。母親の身なりと立ち振る舞いから、みんな子ども思いのよさそうに人たちばかりのように見えた。
 母親たちは、幼い子どもとは手をつないだり抱っこしながら話が弾んでいて、楽しげだった。ホームで待っている間、幼稚園と思しき子どもと母親の関係が保たれていないので、じっとしているはずがない。子どもが列車の到着に関心をもち、点字盤ぐらいまで近づいて電車が来るかをうかがう。
 その都度母親の言葉が子どもにとぶ。
「ひかれるよ」
「しんじゃうよ」
「そんなことしたらおいてくよ」
といった言葉がとびかう。言葉ほど真剣な言い回しではなく、何気なく言っているようである。受ける子どももダメージを受けた様子もなく、点字盤付近から親の近くへもどる。

 この親子の風景を見て、言葉のインフレ状態なのかな、とふと思った。わたしは決して使わない言葉がとびかうし、本当の危険な時や驚いた時にどんな言葉が出てくるのだろうか。これでは子どもたちも、死ぬとか置いていかれる(放置される)ということの深刻さをイメージできないだろう。
 もっとも母親は、すべて自分から子どもが離れないようにするために発しているのである。母親が不動で子どもとの心理的関係を維持していないので、このようになってしまうのだろう。

 別な電車に乗り換えたら広告が目に入った。
言葉は
感情的で、
残酷で、
ときには無力だ。
それでも
私たちは信じている
言葉のチカラを。
ジャーナリスト宣言-朝日新聞
 最近の朝日新聞の広告である。前半の4行で、駅のホームでの母親たちの言葉がよみがえり、えらく堪えたのだった。現代の社会現象であることとして。

 ついでに上記の朝日新聞のテレビのCMは、朗々と歌うイタリア古典歌曲(題名が思い出せない)にのせながら2、3秒の数々の映像を交えて60秒間にまとめ、なかなかよく出来ています。

『幼児と保育』が廃刊に

2006-03-29 06:50:02 | 子ども・子育て・保育
 本屋ウオッチをしていたら、4月創刊の『Latta・ラッタ』を見つけた。保育関係の市場が縮小傾向にあるのに創刊とは、という思いで手に取った。奥付の発行社が小学館なので、すぐ氷解した。やっぱり『幼児と保育』もか、という思いで表紙裏の「創刊のごあいさつ」を読んで複雑な気持ちでカウンターに向かって代金を払った。

 『ラッタ』は、50年の歴史を誇る『幼児と保育』をリニュアールして創刊した、保育者向けの月刊誌なのである。
 「新任保育者から3~4年目のフレッシュな保育者のかた向けに、よりビジュアルを充実させ、見やすく、わかりやすく、きめ細やかな紙面を・・・」と雑誌の性格を規定している。なるほど、園内表示、お誕生日表といった室内表示などのアイディアをビジアルにした記事がほとんどで、文章はわずかに「言葉かけ&語りかけ入門」8ページである。
 もっとも別冊付録を『Atta・アッタ』として指導計画だけのものがセットになっている。これには9ページの文章記事があり、最初はマナーレッスンとして第一印象UP術の記事である。

 『幼児と保育』は、小学校の学年別の「教育技術」という教員向けの雑誌と同じシリーズで、ある時期は小学館の看板商品であった。もっとも歴史があり、保育者向けの雑誌であるから、当然のことながら文章が中心であった。
 保育雑誌の中で『保育とカリキュラム』などと並んで老舗として文字を主とした雑誌として奮闘していた。文章といってもとくに難しい論文などではなく、むしろハウ-ツーものが中心であった。ここ数年前からビジュアル化路線にきりかえたが立ち行かなくなったのだろう。
 かなり前になるが学研の『幼児の指導』がやはりリニュアールして、文章記事の少ない、空き箱などを使った制作などのアイディアを中心にしたものになった。
 皮肉なことに、早くからハウ‐ツーの内容をビジュアルに盛り込んで、理論とバランスを取って編集している『保育の友』が、今や最も文章の多い雑誌になってしまった。

 保育者が文字を読まなくなった、あるいは文字を必要としないような保育が一般化しているのだろう。子どもの発達を軸にした実践がという発想の基盤そのものがなくなっているかもしれない。
 大雑把に実感的に言えることは、80年代まで保育のキーワードだった発達という言葉の影が薄くなった。これは90年の『幼稚園教育要領』と『保育所保育指針』の改訂とかかわっている。キーワードは環境による保育であり、それと連動して保育雑誌もリニュアールして、内容も変えたのは確かである。
 このような保育雑誌の状況は、保育そのものの変貌を意味しているので、歴史的に多面的に考察を加える必要がある。

 わたしは就職して2年目に『幼児と保育』に保育のキーワードを事例で2ページ書くのを、2年間連載する機会を得たことがあった。4人のグループで討論し分担執筆した。その経験が、その後の仕事に影響をしたぐらい貴重な体験だった。編集者がすごい人だった。
 その数年後に『幼児の指導』(学研)には、月ごとのに保育でポイントになる親との関係を中心にした記事を事例中心に、2ページ書いた。この2年間は、執筆が苦しかったが、楽しい仕事であった。
 そんな体験に対する郷愁で雑誌の変化を見ているわけではない。今日ほど保育者の総合的な教養と理論的専門性の必要とされている時に、現場が文字を必要としない雑誌を求めていることに不思議さを感じるのである。


郵便が夕方5時半頃の配達に

2006-03-28 05:51:40 | 当世世間事情
 新聞の朝刊は、わが家には3時半ごろ配達されます。早起きタイプのわたしにとっては、早朝1時間ぐらい新聞読むことは心地よい時間です。テレビやラジオで耳に入っている情報を、文字で確認して整理する作業をします。時代と社会との関係で生きていることを、確認する行動でもあると考えています。
 夕刊は、15時ごろに配達されます。夕刊は風呂で読むことが多いのです。夕食前にぬるめのお湯にゆっくり入るので、湯船に20分ぐらいつかるのに、新聞をお供にしているわけです。
 ぬるめのお湯にゆっくり入るのは、テニスをした日の疲労回復と体の手入れによい効果が得られます。それを怠った日は、スポーツ後独特の体の疲労感が次の日も引きずることになります。

 郵便配達は以前昼過ぎだったのが、1月頃から夕方の17時過ぎになりました。夕刊を取った後で暗くなってからのため、時々次の日まで取り忘れることがあります。夕方配達されるようになったのは、配達ルートの変更だけかもしれません。それとも民営化を視野に入れて、職員減の労働加重の反映か、理由はわかりません。
 昔から郵便は午前中配達地域ばかりに住んでいたので、変化になれるようにしています。
 手紙は少なくなっていますが、郵便物は減ってはいません。わたしは電子メールの利用が多くなり、FAXも利用するので手紙を書くのがおっくうになってしまいました。
 少年期に文通をして切手も収集していたので、郵便への思い入れはあるのですが、わたしも通信手段の変化の中に生きています。また郵便局以外の配達が日曜日もあり、何かとポストを開ける回数が増えました。これも郵便事情の変化です。

もののあわれの時間

2006-03-27 06:10:37 | 身辺のこと・自然
 花冷えと暖かさが繰り返しながら、活気のある春へと確実に季節は移ろっている。
 朝、車で西に200キロの地を目指して出発した。高速道路走行のため、季節が進んでいるのを追いかけているようでもあった。富士山は雪で覆われていたが、山々は芽吹きの前兆である、ぼんやりしたうすアズキ色になっていた。芽吹きの早いヤナギが川沿いにたくさん緑を蓄えるほどになっていた。

 目的の地は、思い出のいっぱい詰まっているところだが歳月が流れ、見納めになるのだった。幼い子どもが「もりだ!」といって走り出した。そして夏みかんを嬉々として取った。数年間生活していないのだが、池の大きな鯉も健在だった。ツクシ、タンポポ、スミレ、オドリコソウなども群生していた。
 静寂な空間は、いくつかの鳥の声も聞くことができた。その場所で恒例になっているうなぎを食べながら、もののあわれを呼び寄せる時間となったのだった。
 子どもたちの「またこようね」という言葉、その返答に戸惑いの気持ちががからだじゅうをかけ巡った。

 場所を移して訪ねたところは、サクラ、レンギョウ、ユキヤナギ、ミツバツツジなどが満開で、春たけなわであった。

ジュビロ敗れる

2006-03-26 07:05:55 | サッカー
 Jリーグは第5節で、始まったばかりだがレッズが昨日の全勝どうしのマリノス戦にも勝ち、今のところ予想通り強い。やはり小野の加入によって、チームとしての戦いができるようになったのが大きいようだ。

 昨日は、1時からJ2のコンサドーレ-横浜FC、3時からジュビロ-フロンターレ、6時からヴァンフォーレ-アビスパを見た。見たといってもすべてを見たら6時間になるので、今のわたしはそんなにテレビ視聴に時間を割けない。そのためコンサドーレは前半だけ、ジュビロはすべて、ヴァンフォーレは後半だけということにした。
 ジュビロはわたしが少し肩入れしているチームだが、よくなる気配は感じたが、まだ上位には組み込めるに至っていないと思った。
 ヴァンフォーレの試合は面白かった。わたしの注目チームだが、序盤で言いすぎだがJ1残留できそうなチームではないかと感じたほどだった。

 パリーグが開幕し、WBCの盛り上がりの影響で潜在的ファンが球場に足を運ぶようになったようだ。
 Jリーグの観客数も気になるところだ。今朝の新聞によると、J16試合中1万人を下回ったのは、セレッソ、アルディージャ、ヴァンフォーレのホームにした半数だった。ちなみにマリノスがホームのレッズ戦は、注目カードだけに50572人だった。財政を安定させるために必要なのは、最低1万を割らないこと。常時3万を越えられると財政が安定するが、今のところ浦和と新潟ぐらいである。

永田氏と民主党の恣意的行動に、国会はいつまで付き合うつもりか

2006-03-25 06:51:30 | 生活・教育・文化・社会
 永田氏と民主党の偽メール問題が始まって、もう1カ月以上たっている。この間の通常国会は、重要問題をかかえていながら、メール問題をひきずっていて緊迫した論戦もなく過ぎている。
 民社党が偽メールへの謝罪をして永田氏の発言を撤回して辞任と、早期の対応と処理をすれば、とっくに済んでいることなのに、国会が緩慢になっているのにいささかあきれている。

 そればかりではなく24日の2回目の懲罰委員会では、偽メール提供者を公表してしまった。メディアは取材源を基本的に秘匿することからすれば、これは小さくない問題なのだ。偽メール問題を、一見深めているようだが国会の場で内容がそれていっている。このようなことをしていては、国会が言論の場として萎縮しかねないのである。
 そして提供者を証人喚問とすることは、まったく意味がない。国会が言論の場でなく公開裁判のようになってしまうではないか。証人喚問をしたとしても、ヒューザーの小嶋氏のように証言拒否できりぬけることになる。国会がこの程度のことを延々とやってよいのか。
 永田氏は、メール提供者から被害を受けたとして告訴するという手もあるはずだ。国会を離れて、そのように問題化したほうが、提供者という人物のためにもよいのではないか。
 もっとも与党はこれをずっと引きずっていたほうが、小泉内閣がしぼまないで最後を飾れるし、次期自民党総裁候補問題にうまく移行できるのだ。すでに永田・民社党は謝罪広告を出したのに、この問題をおそらく永田氏が辞職するまで続けるつもりだろう。民社党はこの件に関しては、政党の体裁をなしていないといってもいいのではないだろうか。前原代表に責任が及ぶからだ。

 永田氏が偽メール提供者を信頼できる人として国会で取り上げたのは、あまりにも稚拙で政治家としての基本的な資質が問われることだ。10月に知り合って、雑誌を創刊するように装ったものに取り上げられて、それを400冊42万円で買い取った。そのような人を信用するということ自体、普通では考えられない。ましてや永田氏は政治家なのだ。
 提供者にはまっていく経過を知るに付け、あきれ返るばかりだ。政治家への接近のしかたとして、振り込め詐欺の手口より仕掛けは手が込んでいない。政治家や芸能人あるいは企業は、そのような接近が少なからずあるものである。

 わたしごとき者が、過去にそのよう話を持ちかけられたことがある。
 雑誌編集者が訪ねてきて、当時わたしがいわゆる婦人雑誌などに載っていたこともあってか、ある雑誌のバックナンバーを見せられ、次に特集に取り上げたいとして話が進んだ。
 断りなしに写真を撮って取材を始めたかのように行動を始めた。変だなと思って問いただすと、500部買い取って欲しいということを、わたしは引き出すことができた。その編集者は、わたしに500部買い取る条件があると見ていたようだ。
 もし事前にそこまで話を煮詰めないで、取材行動の既成事実化に乗ってしまったら、とんでもないことになっていた。即刻断ったことはいうまでもない。

 ところでこのところ「偽装設計」「粉飾決算」「偽メール」と嘘ばかりが続いている。イラクの戦争の大儀であった大量破壊兵器もなしとされていたのに、あると虚偽の情報を下に開戦した。日本もその情報にそって自衛隊を派遣している。アメリカとイギリスでは虚偽であったことを認めているのに、日本では虚偽の情報だったということは未だに表明されていない。小泉首相が懲罰委員会にかかることは、もちろんない。

「ぐりこえほん」第3シリーズに

2006-03-24 15:45:10 | 当世世間事情
■早朝の電車利用者増える

 わたしは週1回、早朝である6時前の首都圏の私鉄またはJRを利用する。私鉄は新宿に45分ぐらいの地点である。下りのその電車には、一昨年までは12月から2月過ぎまでの冬期間は、いつも乗車する車両には10人あまりであった。
 昨年ぐらいから増えて、今年は座席に空きがないぐらいの乗車である。乗車する駅でたくさん降りるので座れるが、変化がおきている。冬の早朝の暗くて寒いときに、行動をひかえなくなってきた。人間の行動が、季節の自然を反映した動時間の特徴がなくなってきているのだ。
 これは一時的なことではなく、今後も続くと考えられる。世の中の変化だが、なぜ暗くて寒い早朝から行動する人が増えているのだろう。

■「ぐりこえほん」第3シリーズに

 グリコのおまけ付きキャラメルのおまけが、現在は絵本である。121円で、飴が5粒で6×6センチの絵本がおまけだ。キャラメルではあるが料金の内訳は、おまけである絵本にかなりを費やしていることは一目瞭然である。
 この絵本が今年からだろうか、第3シリーズになっている。これを蒐集しているのだが、ひとシリーズ18冊をわたしがそろえられないうちに、次のシリーズになっている状況である。
 5粒であってもキャラメルを頻繁に食べるわけではないし、なかに何が入っているかわからないから重複も出るし、そろえるのは難しい。それが購買意欲をかきたてることになっているのだろうが。

WBCでの日本チーム

2006-03-20 11:55:33 | テニス・他のスポーツ
 WBCの決勝トーナメントに駒を進めた日本は、昨日韓国に6-0で勝って明日のキューバとの決勝に臨むことになった。
 昨日の韓国戦は、日本中が注目したのではないだろうか。もっとも人気のある野球の国際大会であり、大方は勝てると思っていただろう韓国に2敗後の3試合目である。しかもあきらめていた決勝トーナメントの、決勝進出をかけての試合である。そんな試合が、日曜日の昼からの放送でのため、相当の人がテレビを見たのではないだろうか。視聴率が50%を超えたかもしれないと推測している。

 日本は2次リーグでメキシコに1勝しかしなかったので、決勝トーナメントは絶望的と思われていた。ところがアメリカとメキシコも1勝で並び、日本が韓国とともに決勝トーナメントに進出した。アメリカはシーズン前の調整段階であり、コンディションが整っていないための、まさかの敗退となった。

 日本が今大会1次と2次リーグと2敗した韓国に勝ったので、喜びもひとしおだった人が多かっただろう。日本の関心は、日本に完勝といってよい2勝をして、国家的祝賀になっている韓国にあおられているむきもあるようだ。
 今朝の民放の報道番組のも、相当なはしゃぎようのようである。どのように報道するだろうと見ていた番組では、「愛国魂」などといったテロップもとび出し、思わぬ方向に物語をつくっている感もしたのだった。スポーツ新聞も、たぶんそうだろう。
 
 とくにイチローの発言と行動が注目されている。
 1次リーグ前は「向こう30年は日本に手が出せないという感じで勝ちたい」と、インタビューに答えた。
 2次リーグの韓国戦でライト右にそれたファルを追って取れそうだったのが、観客に手を出されて逃した時の悔しさの叫び。敗戦が決まった後のベンチでの叫び。インタビューでは「ぼくの野球人生でもっとも屈辱的な日」と発言した。
 決勝トーナメントを前にして「日本が3回同じ相手に負けるわけに行かない」と、試合への闘争心を表現した。

 これまでイチローは、サービス旺盛な松井のようにインタビューに応じることなく、孤独に自らの野球に打ち込むことで、メジャーリーグでトップクラスの実績を残している。ところが今回の大会へは、参加が決まる前から思い入れの強い発言が続いていた。
 少年野球から高校までに培われただろう、潜在していた日本の野球精神が頭をもたげたのだろうか。マリナーズが下位に低迷するなかで、孤高に野球を追い求めているのが、チームとして野球をする喜びへ向かわせているためだろうか。アメリカでプレーするなかで自国への思いが特別強くなっているのだろうか。まさか国債のCMをしているからってこととは、関係ないだろうに。わたしには硬直した心理状態にあるのでは、と思える。韓国戦の3安打で、しかもタイムリーも決めているので「さすがイチローだ」となったのだが。
 なにはともあれイチローの発言は、自らを鼓舞していることであり、チームのメンバーに向けてのメッセージでもあるだろう。縦の人間関係で成り立っているだろう野球チームにあって、実績は超一流であっても先輩がいるなかでの精一杯のメンバーへの影響力の行使と思われる。

 イチローの発言に、韓国選手と国民は過剰に反応して闘争心をかきたてたようでもある。韓国は決勝トーナメントに進出した時点で兵役免除したぐらい、国家事業並みの扱いである。とくに日本に2勝したことが、国民的祝賀ともなったようだ。
2次リーグでの日本戦での勝利の後は、あたかも優勝したかのようにビクトリーランをし、さらにグランドに国旗を立てるということまでした。国際的なスポーツ大会のマナーを超えた、国威と愛国心を顕示したのだった。
 決勝トーナメントの日本戦では、韓国内ではソウルの市庁舎前や球場に何万人も集まって応援をしていると報道されている。
 韓国の国内政治事情や国際的地位などから、スポーツをナショナリズムと結びつけるのは分からないわけではない。日本は、あくまでもスポーツそのものの競技水準の内容を中核にした、スポーツナショナリズムにとどめてほしい。それがアスリートとしてのスポーツシップの発露であり、スポーツの発展につながるものである。

 初めての野球単独の国際大会である、WBCに考えてみることにしよう。この大会は国際大会でありながら、アメリカの大リーグ機構(MLB)が主催である。野球には国際機関(連盟)がなく、アメリカと中米と東アジアの、ローカルスポーツなのである。
 そのことは、いみじくも今WBCで、審判問題としても明らかになった。参加国から対等に出すのではなく、アメリカの審判が多くを占めている。しかもMLB審判との交渉不成立で、マイナー所属の人となっている。恣意的な判定はスポーツのレベルを低下させ、野球以外のドラマをつくってしまう。こんなことからしても、野球がオリンピック種目から除外される道理が、あらためて分かるというもの。

 今回の大会を正確に見れば、MLBの興行なのである。試合方式とリーグの組み分けを非公開でMLBに都合のいいように作った。そのため日本と韓国戦のように、2次リーグで戦ったチームどうしが、決勝トーナメントで対戦するという矛盾が露呈してしまったのだ。
 2次リーグのグループ分けは、アメリカがドミニカやキューバのような強いチームのグループをさけた。アメリカはリーグを勝って、ドミニカなどの大リーガー選手で構成されているチームと優勝を争って、大リーグの国際化を確かめるイベントであり、あわせてシーズンを盛り上げる前哨戦にすると言うシナリオだった。
 アメリカが敗れることによって、こういったもくろみが外れた。しかも参加を除外する話もあった政治的敵対関係にあるキューバ(経済制裁をしており、国交がないため入国を認めていない)が決勝まで進んだのだ。決勝にはMLB選手が、イチローと大塚の2選手という皮肉な結果となった。しかしこれが幸いして、東アジアと北中米と豪州の野球ネットワークをつくることになるだろう。
 かつて柔道が圧倒的強かった日本が、国際化する初期の段階でオランダのヘーシンクが優勝したことによってヨーロッパに、より浸透した。これが国際化を加速させたのである。日本選手ばかり勝っては、今日のような国際化は進まなかっただろう。

 今後も続くだろうWBCがアメリカの大国主義的発想をやわらげ、審判や大会方式の決定など、スポーツの国際大会運営水準に持っていかなければなるまい。それにキューバも含めた野球を通して国際友好になっていくことを願っている。

 日本がかりにキューバに勝って優勝したとしても、ビクトリーラン程度の喜びの表現にとどめて欲しい。胴上げは日本だけの文化だし、グランドに日の丸を掲げるといったことは国際的ひんしゅくをかうことであり、野球の勝利の喜び表現にとどめて欲しいものだ。

*20日(月)の朝日新聞の夕刊によると、瞬開最高視聴率が50.3%。関東地区視聴率36.2%。

女子高校生の埴輪型服装増える

2006-03-20 05:33:03 | 当世世間事情
 女子高校生がミニスカートになってから久しい。ルーズソックスが今年ぐらいから際立って少なくなったようだ。
 わたしが勤務している地域でのことだが、スカートにスポーツ用の紺色のズボンをスカートの下にはく生徒が増えた。この冬は特別寒いせいか、それをしのぐために理にかなっている。ジーパンの上に薄手のオーバースカートをはくファッションがあるので、視覚的に驚かなくなったが、やっぱりおかしい。
 寒いときスカートで素足(世間ではナマ足という)というのは体が冷える。防寒用のはずのストッキングをはかなくなっている。このような状況を見るにつけ、学校はズボン(スラックス、パンタロン、パンツ)の着用をどうして認めないのか不思議である。女性が圧倒的にズボン着用場多くなっている時代なのに。
 ズボン着用は防寒だけではなく、女性をスカートという服装文化に限定しない、社会的な意味として小さくない問題である。

オランダでの平山相太

2006-03-19 06:27:43 | サッカー
 エールデビジョン(オランダリーグ)の平山相太の所属する、ヘラクレスの試合を未明の3時半からライブで見て、今(5:30)終了した。29節の試合は、対ウィレムⅡ(17位)であった。ヘラクレスは一時期より順位を落として16位であり、降格ゾーンチーム同士の試合であった。1-0でヘラクレスが勝った。
 平山は背番号9から11となり、センターフォワードとしてすっかりチームに定着しているように見えた。エールデビジョン下位チームレベルということもあってか、平山はボールキープ力が確かで、しかもシュートもしていた。72分で交代してベンチに下がった。
 昨日Jリーグを見たばかりなので、改めてオランダサッカーで平山は鍛えられている感を強くした。ボディコンタクトが厳しく危険と思われるプレーがしばしばである。とくに下位チームだからそれが目立つ。日本ではないボディコンタクトプレー体験をしている。
 オランダはアヤックス、PSV、フェイノールトが3強で、他のチームの力は落ちる。今シーズンは、最強チームであるアヤックスが不調で、一時期より順位を上げたものの4位である。終盤にさしかかって、トップはPSVである。
 観衆は防寒儀を着ており、アップになる監督の吐く息は白く、まだそうとう寒いようであった。