幼稚園児から1歳過ぎぐらいの子ども連れの母親4人が、駅のホームにいた。休みを利用してビーチランド・おもちゃ王国に来たのだろう、帰りの電車をホームで待っていた。母親の身なりと立ち振る舞いから、みんな子ども思いのよさそうに人たちばかりのように見えた。
母親たちは、幼い子どもとは手をつないだり抱っこしながら話が弾んでいて、楽しげだった。ホームで待っている間、幼稚園と思しき子どもと母親の関係が保たれていないので、じっとしているはずがない。子どもが列車の到着に関心をもち、点字盤ぐらいまで近づいて電車が来るかをうかがう。
その都度母親の言葉が子どもにとぶ。
「ひかれるよ」
「しんじゃうよ」
「そんなことしたらおいてくよ」
といった言葉がとびかう。言葉ほど真剣な言い回しではなく、何気なく言っているようである。受ける子どももダメージを受けた様子もなく、点字盤付近から親の近くへもどる。
この親子の風景を見て、言葉のインフレ状態なのかな、とふと思った。わたしは決して使わない言葉がとびかうし、本当の危険な時や驚いた時にどんな言葉が出てくるのだろうか。これでは子どもたちも、死ぬとか置いていかれる(放置される)ということの深刻さをイメージできないだろう。
もっとも母親は、すべて自分から子どもが離れないようにするために発しているのである。母親が不動で子どもとの心理的関係を維持していないので、このようになってしまうのだろう。
別な電車に乗り換えたら広告が目に入った。
言葉は
感情的で、
残酷で、
ときには無力だ。
それでも
私たちは信じている
言葉のチカラを。
ジャーナリスト宣言-朝日新聞
最近の朝日新聞の広告である。前半の4行で、駅のホームでの母親たちの言葉がよみがえり、えらく堪えたのだった。現代の社会現象であることとして。
ついでに上記の朝日新聞のテレビのCMは、朗々と歌うイタリア古典歌曲(題名が思い出せない)にのせながら2、3秒の数々の映像を交えて60秒間にまとめ、なかなかよく出来ています。
母親たちは、幼い子どもとは手をつないだり抱っこしながら話が弾んでいて、楽しげだった。ホームで待っている間、幼稚園と思しき子どもと母親の関係が保たれていないので、じっとしているはずがない。子どもが列車の到着に関心をもち、点字盤ぐらいまで近づいて電車が来るかをうかがう。
その都度母親の言葉が子どもにとぶ。
「ひかれるよ」
「しんじゃうよ」
「そんなことしたらおいてくよ」
といった言葉がとびかう。言葉ほど真剣な言い回しではなく、何気なく言っているようである。受ける子どももダメージを受けた様子もなく、点字盤付近から親の近くへもどる。
この親子の風景を見て、言葉のインフレ状態なのかな、とふと思った。わたしは決して使わない言葉がとびかうし、本当の危険な時や驚いた時にどんな言葉が出てくるのだろうか。これでは子どもたちも、死ぬとか置いていかれる(放置される)ということの深刻さをイメージできないだろう。
もっとも母親は、すべて自分から子どもが離れないようにするために発しているのである。母親が不動で子どもとの心理的関係を維持していないので、このようになってしまうのだろう。
別な電車に乗り換えたら広告が目に入った。
言葉は
感情的で、
残酷で、
ときには無力だ。
それでも
私たちは信じている
言葉のチカラを。
ジャーナリスト宣言-朝日新聞
最近の朝日新聞の広告である。前半の4行で、駅のホームでの母親たちの言葉がよみがえり、えらく堪えたのだった。現代の社会現象であることとして。
ついでに上記の朝日新聞のテレビのCMは、朗々と歌うイタリア古典歌曲(題名が思い出せない)にのせながら2、3秒の数々の映像を交えて60秒間にまとめ、なかなかよく出来ています。