愛情と食べるということ (2004年01月23日 (金) 14時45分)
うちの若殿は1歳5ヶ月をむかえました。
ちょうど、1年ほどまえ、おかゆをすり鉢ですって液状にしておそるおそる離乳食を開始したことを思い返すと、現在では、離乳も完了し、大人の物をとりわけてちょっと加工してやると食べられるようになったし、食べる方も食べさせる方もだいぶ食事に慣れてらくになりました。
私自身、若殿が、多く食べる方ではないと思っています。しかし、身内や親戚と食事をすると「よく食べるね~」って言われるのです。
私の食べる食べないの基準は、やはり乳児院の子どもたちにあると思うのです。
以前、教護院に勤務していたとき、何杯もおかわりして食べ終わったばかりなのに「あ~、おなかすいた」と言う入所したばかりの子どもがいました。「えっ?!」と思う私に、ベテランの職員は「心が満たされていない子のなかには、いくら食べても満腹にならない子がいる。なにかの代わりの食欲だから、気持ちが落ち着けば食欲も落ち着くから今は制限しないで食べさせてやって。」と教えてくれたのです。そのとおり、その子の食欲は徐々に落ち着いていったのです。
そこまでいかなくても、それと同じことが乳児院の子どもにもいえるのかしらと、ふと思っているのです。どんなに職員が愛情をそそいでも、それは自分だけにむけられているものではない…それが、食欲になにかむすびついているのかと。(誤解をまねくといけないので、お断りしておきますが、満たされている子は食欲が少なく、満たされない子はそのかわりに食欲があるということではけっしてありません。なにか満たされない気持ちが食欲となって表れるケースもあるのかなぐらいでとらえてくださいね。)
それはともかくとして、人間とは「人が喜んでおいしそうに食べるのを見る」ことが、好きなのですかね?
若殿が、形ある物を食べられるようになるのを待ちかねたように、じい&ばあ達の「食べ物攻撃」がはじまりました。ビスケットが食べられるようになればビスケット、せんべいを食べられるようになればせんべい、みかんをぺろりと食べたとなればかかさずみかんを準備し、チーズが好きだときけば買って準備しておいて、若殿が来たとなるとすぐ出して食べさせて喜んでいるのです。じい&ばあだけでなく、うちの夫も。「なんか、おとうさんの側でおとなしくしているなあ」と思うと、親子2人でお菓子食べ。いちおう、みんな「これ、食べさせてだいじょうぶかなあ?」って私にきくけど、「のざえたり、おなかこわすまでは大丈夫よ」とあんがいおおざっぱな私の返答に、食べ物攻撃はとどまるところを知りません。あれはダメ、これはダメ、今はごはん前だからダメとか、わたしもそういうことはあんまり気にしないほうなので。(甘いのかもしれないとも思いますが)そして、うれしそうに食べ物を与える人々の姿を見るとダメって言えないのもあるかな。
幸い、若殿は食物アレルギーも今のところないし、胃腸も強いらしくおなかをこわしたこともないし、しっかりとじい&ばあ&とうの期待に応えてパクパクと与えられる物を食べております。孝行孫、孝行息子といったところですかね。
そして、ここでも、愛情が食べることに(食べさせること)に代替されているのかなあと、わたしはひそかに思っているのでありました。
うちの若殿は1歳5ヶ月をむかえました。
ちょうど、1年ほどまえ、おかゆをすり鉢ですって液状にしておそるおそる離乳食を開始したことを思い返すと、現在では、離乳も完了し、大人の物をとりわけてちょっと加工してやると食べられるようになったし、食べる方も食べさせる方もだいぶ食事に慣れてらくになりました。
私自身、若殿が、多く食べる方ではないと思っています。しかし、身内や親戚と食事をすると「よく食べるね~」って言われるのです。
私の食べる食べないの基準は、やはり乳児院の子どもたちにあると思うのです。
以前、教護院に勤務していたとき、何杯もおかわりして食べ終わったばかりなのに「あ~、おなかすいた」と言う入所したばかりの子どもがいました。「えっ?!」と思う私に、ベテランの職員は「心が満たされていない子のなかには、いくら食べても満腹にならない子がいる。なにかの代わりの食欲だから、気持ちが落ち着けば食欲も落ち着くから今は制限しないで食べさせてやって。」と教えてくれたのです。そのとおり、その子の食欲は徐々に落ち着いていったのです。
そこまでいかなくても、それと同じことが乳児院の子どもにもいえるのかしらと、ふと思っているのです。どんなに職員が愛情をそそいでも、それは自分だけにむけられているものではない…それが、食欲になにかむすびついているのかと。(誤解をまねくといけないので、お断りしておきますが、満たされている子は食欲が少なく、満たされない子はそのかわりに食欲があるということではけっしてありません。なにか満たされない気持ちが食欲となって表れるケースもあるのかなぐらいでとらえてくださいね。)
それはともかくとして、人間とは「人が喜んでおいしそうに食べるのを見る」ことが、好きなのですかね?
若殿が、形ある物を食べられるようになるのを待ちかねたように、じい&ばあ達の「食べ物攻撃」がはじまりました。ビスケットが食べられるようになればビスケット、せんべいを食べられるようになればせんべい、みかんをぺろりと食べたとなればかかさずみかんを準備し、チーズが好きだときけば買って準備しておいて、若殿が来たとなるとすぐ出して食べさせて喜んでいるのです。じい&ばあだけでなく、うちの夫も。「なんか、おとうさんの側でおとなしくしているなあ」と思うと、親子2人でお菓子食べ。いちおう、みんな「これ、食べさせてだいじょうぶかなあ?」って私にきくけど、「のざえたり、おなかこわすまでは大丈夫よ」とあんがいおおざっぱな私の返答に、食べ物攻撃はとどまるところを知りません。あれはダメ、これはダメ、今はごはん前だからダメとか、わたしもそういうことはあんまり気にしないほうなので。(甘いのかもしれないとも思いますが)そして、うれしそうに食べ物を与える人々の姿を見るとダメって言えないのもあるかな。
幸い、若殿は食物アレルギーも今のところないし、胃腸も強いらしくおなかをこわしたこともないし、しっかりとじい&ばあ&とうの期待に応えてパクパクと与えられる物を食べております。孝行孫、孝行息子といったところですかね。
そして、ここでも、愛情が食べることに(食べさせること)に代替されているのかなあと、わたしはひそかに思っているのでありました。