絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

お菓子とケーキをもらって

2006-10-31 19:23:05 | 身辺のこと・自然
 かぼちゃをくりぬいたものに、毎日夕方ろうそくをともしている。ゴードンさんからもらったアメリカのかぼちゃなので、オレンジ色が鮮やかでもあり、それを見ていると気持ちが楽になるような趣がある。

 ハロウィンの日なので夕方、海とフキがゴードンさんの家に、仮想を準備できないので作ったお面をして訪ねた。そうしたら袋いっぱいのお菓子と、これまたたくさんのケーキをもらった。
 このお菓子とケーキのデザインが、アメリカのものなのでハロウィンの本格的ものである。わたしにとっては、珍しく興味深いものばかりである。食べるのはもったいないような形につくられたケーキは、アメリカやカナダで食べた香りと味を思い出した。

 庭の虫の音も絶えてなくなった晩秋の夕方の、子どもたちにとってワクワクする楽しい出来事であった。

ハロウィンがやって来た

2006-10-28 19:14:54 | 身辺のこと・自然
 NHKのおはよう日本の7時台で、世田谷区梅が丘商店街がハロウィンに取り組んでいる様子が紹介された。かつて世田谷区に住んでいたことがあるので、商店街上げて新しい行事というか、文化を取り入れるという感じが分かる。そんなわけで興味深くみた。それにしても31日と理解していたが、どうも今日がハロウィンらしい。

 海とフキが道路で遊んで、ゴードンさんを見かけて英語で挨拶の声をかけた。子どもたちの挨拶言葉は、最初からネーティブなものが入っているので、それだけはわたしが聞いていても見事な発音である。
 そのうちゴードンさん(女性)が、ハロウィンのパンプキンを3個持ってわが家へやってきた。中を繰りぬくためのナイフなどの道具も持参した。そして作業が始まり1時間ほどで3個を仕上げた。
 ゴードンさんは、おとなしいく気遣いをする人であまりしゃべらない。「パンプキンはアメリカから取り寄せたのか」と英語で聞くと、日本語で「ハイ」と答えるぐらいになっている。
 完成したたら、説明をしてくれた。私どもからしたら早口に聞こえるので言葉ですべて理解できかねたが、とにかく分かった。ハロウィンは今晩で、パンプキンの種はフライパンで焼いて食べるとのことだった。
 種は塩を加えて焼いたら結構な味で、すぐなくなるぐらいみんなで食べきった。夕方から、もらったパンプキンをくりぬいたものにろうそくをともして、ハロウィン気分を味わった。ハロウィンが何なのか分からないが、ろうそくの明かりは素敵なもの。こうしてわが家にハロウィンが少しやってきたのだった。

 子どもは大人どうしのコミュニケーションの、仲介者を果たしてくれる。1軒おいた隣といっても大人同士だと関係を持つ必然性がないので、挨拶も交わさないだろうに。
 わたしは福音館書店が日本の絵本を英文化したものを何冊か持っているので、それを子どもたちに読んでもらおうと、ゴードンさんとの次なるコミュニケーションを思いついて、期待がふくらんでいるのだ。


保育士が強制わいせつ罪

2006-10-24 21:09:14 | 子ども・子育て・保育
毎日新聞 06-10-18(横浜版)記事からの要約

 横浜市中央児童相談所の一時保護にアルバイトとして勤務していた男性保育士(26歳)は、05年12月寝ていた小学2年の女児に強制わいせつ行為をした事件で起訴されていた。横浜地裁で17日この事件の初公判が行われ、被告は起訴事実を認めた。
 検察側は、被告の部屋からの物証によりロリコン(幼児性愛)の癖を持ち、常習性を指摘して他に4件の追起訴を予定している。

 なお、この記事は3段見出しで紙面のなかほどであり、地域版としては大きく扱われている印象です。

教わること教えること

2006-10-23 22:26:45 | 生活・教育・文化・社会
 月曜日が空いているとき、たまにテニスをすることがある。今日はいくぶん寒さを感じる小雨のなかやってきた。関東は気候がいっきに変わり、秋の深まりを感じる。

 現在のテニススクールに通うようになってからは、フォームの矯正を言われ続けている。それに基礎技術の繰り返しが多く、試合的要素を持った実践的メニューや試合が少ないので、モチベーションが高くならない。
 月曜日は一人なので、60分の個人レッスンとなる。個人レッスンで、メニューは基礎練習だが、この日はたのしい。それは指摘を受けることが、納得できることが多いからである。
 わたしは教えた経験が多いし今もその立場になるので、他のコーチのレッスンよりなぜ受け入れられるのか敏感に感じるのだ。

 最近はボールの打点が近すぎる、という指摘を受けることが多い。たしかに打点が近すぎると、いわゆる差し込まれて腕に負担がかかり打つボールが軽くなる。わずかでも打点を遠くにするためにどうすればよいか分からないので、なかなか改善できない。問題点だけを言われ続けては、足踏みするだけだ。
 わたしは視力の問題か、あるいは小さいときからキャッチボールの経験がないので、ボールの空間認知ができないのだろうか、などと自分なりに理由を探していた。
 視力については、自動車の大型免許を取った時と免許更新のたびに深視力というのが引っかかるのだ。前後の奥行きを判断する視力が弱いのである。これはテニスにも影響していると思う。奥行き判断の視力が弱いのに、スピードが加わるボールの打点を判断するわけだから。
 ところが個人レッスンになるコーチは、診断をして問題点はわたしのまねをするので分かりやすい。何よりも改善するにはどうすればよいかに重点をおいたメニューを提示してくれるのだ。打点が近いということもそのことの指摘ではなく、ボールを向かいいれるときのステップの仕方やフォロースルーなどの側面から改善の意図口がつかめてきた。
 それから前からうすうす気づいていたことで、最近確認できたことがある。元来の緊張タイプということもあってか、ボールを打つとき息をとめているのである。そのためラリーが続くと呼吸が激しくなり、その後のペースを乱してしまうのである。このところボレーのときの打つときは、息を吐くようにいわれている。これが定着しつつあり、かなり楽になってきたのだ。
 コーチングで大事なことは、診断し、どんな課題があるかみつけ、向上するためのメニューを提示する、ということのようである。
 学習する内容が、系統的技術があり段階を経て向上するものであっても、個人差を加味した学習メニューを用意することが必要なのである。
 わたしは教わりながら、教えることの難しさを考えさせられるよい機会になっている。

秋だというのに

2006-10-22 18:59:02 | 身辺のこと・自然
 先週は東海地域は残暑のような気温だった。上着は夏の服装と同じ半袖シャツで過ごした。しかし明け方は、布団の暖かさが心地よいぐらい冷え込んだ。1日の気温差が、おそらく15℃ぐらいだったのではないだろうか。
 きのうの午後は木曽川沿いのホテルで、研究会準備のため長時間の会議であった。都市を離れて気温も低いだろうに、紅葉はまだだった。

 『○○通信』というタイトルの学生向けの冊子を作っているが、延べ18時間かけた編集作業をきのうの午前中で終わって発行の運びとなった。3週間ぐらいの間の時間をつくってはやったので、作業から開放されて、やれやれといった思いである。A4の16ページものである。
 原稿はほとんど学生によるものだが、編集上の都合で若干手を入れたりタイトルを変えたりする。原稿はメールで送られてくるので、タイピングするのは不具合が生じた10%ぐらいである。それでも18時間もかかるのは割付や文字の指定によるデザインや校正などである。
 それにしても以前だったらこの手のものは印刷所に持ち込む仕事だろうが、パソコンでわたしがやってしまうのだから、この分野をする小規模印刷所は成り立たなくなっているのではないだろうか、と想像してみた。今回の通信は、印刷と中綴じの作業はわたしの手から離れて機械によっておこなう。
 ちなみにこの通信は年2回発行しているが、アンケートをとったら50%ぐらいの人が読んでいない。大方読んでいる人はわずかである。通信の編集コンセプトは、専攻している分野の周辺を知る情報としている。学びを考える情報と思っているのだが・・・。

 今朝NHKのラジオを聴いていたら、ラジオ体操の後に「音に会いたい」という短い番組をしていた。昔の事柄の体験を綴ったものを読み、それにまつわる音を再現するものである。言葉と音によって、その時代にさかのぼってイメージを作るのである。
 3テーマがあったが、そのひとつに昭和18年の学徒出陣が始まった神宮外苑での出陣式に17歳の女学校のときに参加したことが、取り上げられていた。この映像をわたしはたびたび見ているので、それが浮かんできた。そして戦局が厳しくなった状況も同時に連想した。
 学徒出陣を放送した志村堅信アナは、93歳で健在とのことであった。戦後のオリンピックも含めたラジオ時代のスポーツ放送の記憶に残るアナであった。

カタツムリは昆虫図鑑に出ていない

2006-10-21 22:25:33 | 子どもからの発見
 カタツムリを飼ったとき、図鑑で種類を調べようとした。迷わず昆虫だろうと思って図鑑に当たったら出ていない。動物にも出ていない。わたしは困って放り出した。
 ある期間を経てから、海が「りくにすむ貝」というページを開いてみているではないか。何の図鑑かと思いきや、『ナチュラ6 さかなとみずのいきもの』であった。
 この図鑑では、魚のカテゴリーにカタツムリ、かえる・さんしょううおなど、と位置づけているのだ。わたしとしては大いなる発見であった。


人間も動物なんだ

2006-10-20 20:48:37 | 子どもからの発見
 年長組になると、空想や想像力だけではなく知識を必要とするようになる。暮らしにリアルに参加するためにも、知識がほしくなる。取り込んだ知識を元に、ごっこあそびなどで新しい想像の世界を作り出そうとする。
 それに見方によっては小学低学年より、ものの道理にそって行動しようと理性的年齢でもあるのだ。それも知識や納得できる道理を獲得しながらである。

 さて、図鑑について話すことにしよう。幼児期から小学生時代に多くの子どもが通過する動物、魚、虫、鳥などの図鑑である。
 昔から使われているのは、小学館と学研のものである。ところがフレーベル館のナチュラというシリーズが幼児期から小学中学年ぐらいにはとてもよくできている。
 この図鑑の特徴として、
 ・体や暮らしが分かる図解
 ・種類が分かる図鑑
 ・詳しくなる特集 
としている。
 コラムが「やってみよう」「見てみよう」「しぜんを知ろう」「しぜんは大切」として、関心のあることに分け入っていくようにつくられている。
 子どもの興味を膨らませる、あるいは問題解決が可能なようにつくられている。それに割付というか、デザインが親しみやすく分かりやすいように工夫されている。

 『ナチュラ3 どうぶつ ほにゅうるい/はちゅうるい』(04年9月発行)は、冒頭は哺乳類と爬虫類カテゴリーに分けて、理解できるようにしている。
 次におっぱいで育つのページには、野生動物とともに人間が載っている。当たり前のことなのだが、海は「にんげんもどうぶつなんだ」としみじみとした口調で確かめるように言った。幼いときから人間も動物という、自然界にともに生きているという知識と感性が必要なのである。
 さらに世界地図とともに「どうぶつは世界中にすんでいる」と展開していく。

 海はある時期は動物、またある期間は魚、そして昆虫といった具合に興味を移しながらもこの図鑑のシリーズで汲めども尽きない不思議と知識に格闘しているのである。その際身につけている、索引引きが大いに役立っている。
 

索引で知る喜び

2006-10-17 14:51:30 | 子どもからの発見
 海は庭に来る野鳥を、4歳過ぎから『みぢかなとりのずかん』(福音館書店 かがくのとも02年2月発行)という絵本で確認していたせいか、物事を図鑑で調べることがすっかり身についている。それに索引で調べることを教えたことも影響している。
 索引は『こっきえほん』(ひさかたチャイルド社)に夢中になったとき、国名を耳にしてはどこに出ているか聞くので、索引から調べることを教えた。5歳半ぐらいのときである。
 索引が分かるには、2つの要素が必要である。ページの数字が分かることと、文字が読めることである。

 ページ読みは5歳過ぎたころに、数字に列車の絵を描いたものがあるのをつなぐことに興味を持ってやった。その前提には、父親が風呂の湯船に入りながら数詞を唱えたようで、わけが分からずとも数詞を発していた。それが数字の列車をつなぐ活動で、順序数と理解していった。
 文字はひらがなをカルタなどで、5歳5カ月で覚えた。ところが国名はカタカナである。索引を引くときは、最初はひらがなとカタカナを表記した50音板をみて確かめてからページにたどり着いていた。ところが1週間もしないうちに、おそらく数回経験して50音表を眺めているうちにカタカナを覚えてしまった。この覚えた経過に何があったか分からないぐらい、簡単に身につけてしまったので驚いた。
 索引を調べるとき言葉とページの数字の間があるので、そこに物差しをあてがうことを教えた。この行為が心地よいようで、得意になってやった。そしてページをめくってたどり着いたときは、達成感というか満足したようであった。

 それ以来その時々に関心の持つ、どうぶつ、とり、むし、さかななどの分野の図鑑を見ては調べて満足している。最近では機嫌のいいときは『こどもことば絵じてん』(三省堂)を引いて言葉を確かめるときもある。この年齢の知識を獲得する要求と力には目を見張るものがある。


現代美術展に触発されて

2006-10-16 16:48:14 | 子どもからの発見
■ 現代美術を見て

 海は時々図書館にいって、絵本と紙芝居を借りる。こころなしか家にある絵本より読んでほしい旨訴えるようだ。きのう図書館に行ってその帰りに、現代美術の立体作品を通り過ぎるように見た。
 家に帰ってから、がぜん空き箱を接着させたりしてなにやら作り出した。しばらく空き箱で作ることはしていなかったのに。そのうちアルミホイルを求め、それでなにやらいくつかの形を作り、新聞紙に並べた。そして「カメレオン 2006 かい」と書いた。
 美術展を立ち止まって見るほどではなかったのに、海は触発されて制作に取り組んだのである。気がつかないようでありながら、結構見ているものだと感心したのだった。

■ 足の下をもぐってバスを降りた

 図書館からはバスに乗って帰った。始発ですいていたので、海は窓側に座った。その隣の通路側に、中1ぐらいの男の子が座った。降りる段になって、海は通路側の人に言葉をかけられず、どうするかと思ったら、男の子の足の下をもぐったのだった。障害物から脱出するかのように。
 男の子は気を気かせて立つこともなく、もぐる子どもをそのままにした。5歳の海にしては、言葉をかけられず必死の思いだったのだろうが、それに対して男の子はモノのようであったのだ。
 現代の子どもの人間との関係性の一端を見た思いがして、いったいどうなっているのだとうと、考えさせられているのだ。



地球儀との出合い

2006-10-15 13:53:38 | 子どもからの発見
 海(5歳11カ月)は、『こっきえほん』から世界の国に関心が広がっている。
 国旗比べでは、パラオ(青に黄色い丸)とバングラデシュ(緑に赤の丸)が、日の丸と似ている。ハンガリー(横の上から赤、白、緑)とブルガリア(横の上から白、緑、赤)が間違いやすい。ポーランド(横2色で上が白、下が赤)とモナコ(横2色で上が赤、下が白)が似ている、といったことを発見している。
 国旗から国の位置を確認しているうち、ワールドカップで飛躍的に国を覚えて、ヨーロッパ、アジアなど地域が分かるようになった。これはあるカテゴリーに分類する思考に通じるようなところがあるようだ。
 夏ごろから動物の生息地域にも関心を持ち、気候や砂漠や高い山が多いなど自然環境とのかかわりも気が向くようになった。
 そのうちNHKのおはようにっぽんの「アジア&ワールド」で人々や若干の文化にも関心を持ってきている。1軒となりのアメリカ人のゴードンさんと声を交わすようになり、外国が身近になった。ゴードンさんは、4月、5月は英語で挨拶をしたので勇気を出して英語で答えた。いくつかの単語を発して、コミュニケーションをとった。ゴードンさんの庭にカタツムリがいたので、それをもらおうとしてスネイル(snail)といって通じたときはうれしそうだった。
 最近はゴードンさんが日本語で挨拶するようになったので、親しみは増したが知的好奇心のようなものが薄らいだようだ。ちなみにゴードンさんは、雑草をカメラで撮ったり、道路掃除をしたり、夫妻で散歩をしたり、これまでの住人と違いバリアをやわらかくした暮らしを楽しんでいるようにも見える。

 さて、地球儀を与えた。ベージュを基調とした大きい本格的なものだ。箱から出したときは喜んだ。
「ろしあがにっぽんにちかい」(ヨーロッパからアジアにつながっているとは思っていなかったようだ)
「よーろっぱはちいさいけどくにがいっぱい」
「あめりかはとおい」
といった発見があった。国の大きさと距離感を感じているようだ。妹のふき(4歳5カ月)は、地球儀をまわすことに興味を持ったのは年齢相当の関心の持ち方である。
 しかし地球儀で国を探すといったことは、難しいようだ。これまでの平面の地図が使い慣れているのだ。
 わたしはかねてから幼いときから地球儀を与えることが大事だと思っているので、心に何かが残るだろう。