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絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

漢字は感じから

2009-04-08 14:19:18 | 子どもからの発見
■ 漢字は感じから 

 先日ふき(4月から1年生)が病院にいく時のこと、
「あそこの病院は、愛村(あいむら)ってあるんだよ」
といって出かけた。まったく意味がつかめないまま、不思議な感じだった。病院に着いたら、
「ほら、ここに」
といって指差したのは、「受付」のことだった。そういえば、「受」と「愛」、「付」と「村」は似た感じの漢字である。
 ふきはひらがなを言葉として読めて、最近は振り仮名のついた本も読んでいる。そのためもあってか、漢字にも興味を持ち、街の表示漢字を何と読むか聞くこともある。
 「受付」を「愛村」といったのは、大人からしたら面白い誤読である。この意味は、漢字を読み言葉としては興味を持ってきたことと、漢字を獲得するには細かい形の識別能力が必要であることである。ひらがなの獲得も形の弁別力が必要であるが、詳細なそれを要求するのはいつごろからが適切か、ということがある。
 今の子どもたちは幼いときから映像や文字に接触するので、文字への関心と読めるようになる年齢は早い。これらは文字と視覚の問題である。
 文字が日本語活動を豊かにさせるには、話し言葉との関係、それと読み言葉(文章を読む)という視点も、総合的にとらえなければならないだろう。

■ 部分の総合と識別力と漢字

 海は、たまたまJリーグの鹿島に興味を持った。まず地域名ととらえたようで、どこにあるかということになった。そこで地図の索引を引いて見た。「かしま」がいくつかあったので、とりあえず茨城県といった。そこで場所の探し方を教えた。A-4といったことで縦と横のエリアを特定することを覚えた。
 それから面白くなって、他の「かしま」を探して見た。そのうちに日本全体の地図から、県名を紙に書き始めた。かなり時間をかけて書いて出来上がった、として見せてくれた。
「よく書いたね、難しい漢字なのに」
「ところどころ知っている漢字があるからできた」
部首などのことである。そういえば「逗子」という表示があったら、
「まめ、があるし、こ、もある」
とのことだった。2年生で、おそらく130ぐらいの漢字を学習したであろうが、知っている部分を手がかりに、漢字を知識を獲得することにしようとしている。

 県名を書き上げたのを見て、
「丁寧に書いたね」
とわたが言ったら、満足そうだった。内心上手いと思ったが、それはほめる言葉なので、認める言葉として丁寧という言葉を使った。上手いより、今後も丁寧に書くだろうことも期待している。その結果上手くなっていけばよいのである。
 このところ漢字を丁寧に書くようになった。ひらがなも幼児期からのものとはがらりと変わって、「かきかた文字」で書くようになった。
 3年生を迎え、幼児期のなごりがなくなり、本格的な児童期にふみだしたようだ。



小遣いでの買い物

2009-01-22 11:29:19 | 子どもからの発見
■「キセキ」を歌う

 海は「キセキ」のCDを聞いています。妹のふきもCDに合わせて口ずさんでいます。高校野球センバツ大会の入場行進に使われる曲です。「キセキ」は軌跡、奇跡の意味を含んでいるとのことで、グリーンというグループが歌っています。
 わたしはかつて合唱をやっていて、音楽全般の基礎はあるつもりですが、この曲のような感じの最近のものはどうもなじめません。覚えるのも大変です。しかし子どもは心地よく聞いており、覚えているようです。

■子どもの化粧品

 ふきは、たっての希望であった子ども用の口紅とマニキュアを買ってもらいました。それ以来手鏡を前にして口紅を塗ります。休日にはマニキュアをつけて得意げです。
 年長の子どもだから、あそびとしてみられます。これは変身願望の満足なのか、それともその行為を通しての自己確認か、はてはナルシズムを満たす行為なのか、とわたしのクセでさまざまな解釈を試みています。
 それにしても女の子は、どうしてこのような嗜好をもつのでしょう。

■仕事

 海はまめに仕事をします。時々思いついたときですが。庭と道路の掃き掃除、池の落ち葉を拾うなどいつの間にかやるようになりました。
 先日はベランダの鉢植えをすべて持ち上げて移動して、そこを掃いていました。どうしてやるのか聞いたら「鉢の下にナメクジやアリやダンゴムシなどが寄り付かないように」という返事でした。冬なので実際はそのことはないのだが、夏のことを思い出してやったのでしょう。わたしは「なるほどね」と説明を聞いたのでした。

■お年玉の小遣で買う

 おもちゃ屋にいったとき、海は小さなロボットの形をしたおもちゃが欲しくなり、買って欲しいと言い出しました。お年玉の小遣で買うということになり、そのためいったん家に戻って、お年玉の小遣を持ってまた出かけて買ったのでした。
 家に戻るのが大変なので親が立て替えてもよさそうだが、自分の小遣で買うということを自覚し認識させるために、面倒でも子どものために親はそのぐらいはしたほうがよいでしょう。子どもにとっては、お金でものを買うということ、自分のお金をどう使うか、といったいくつものことを学んだはずです。

秘密基地

2008-12-31 16:21:13 | 子どもからの発見
■ 秘密基地

 冬休みになって海は、宿題を毎日やるようにしているようだ。
 狭い庭だが、大きなカシのそばに、背丈ほどのアジサイやヤマブキがある。子どもからしたら林なのだろう。2辺がマキに囲われているのだが、見える側に縄跳びのロープで枠を作って秘密基地としている。鉢植えを運んだりしてだんだんそれらしくなってきた。それにわざわざ池の周りの狭いところを通るので獣道のようになってきた。
 きょうだい2人で、なにやら共通のごっこの世界を作っているようだ。
 それに近くの林が落葉した場所に行っては、ごっこらしいことをしては走ったりして、落ち葉のふわふわした足の感触を楽しんでいる。そこの近くの住宅に、小学生がいるだろうに、姿が見えない。もっともそこでは遊んではいけない、と思っている人も多いだろう。都市の住宅地は窮屈なのだ。

■ 氷づくり

 いくつかの器に水を入れて氷作りをしている。わが家の玄関の温度計が、27日が-5℃、28日が-4℃で、うすい器の水は凍りになった。早朝に見に来ては大喜び。その氷を割って池に入れて浮いたので喜び、次第に解けていくのをじっと見ていた。

■ におい

 北海道から送られてきたホタテの身をとる作業を、一部やらせた。口が開いているが触ると一瞬にして閉じるので、危険でもある。片側の身を貝から離して開いた状態になったものを、貝から離す作業である。作業はおもしろがって意欲満々だったたが、においを最初は嫌がった。
 「よくかいでごらん海のにおいだから」といったら、「そうだ」と納得した。「このにおいを嫌がるようではだめだ。海から貝を取る仕事をしている人がいるんだよ」などといった。傍らのふき(年長)が「園長先生みたいだ」といっていた。言い方なのか内容なのか定かでないが。
 芳香材をおいているようなので、その影響かもしれない。芳香剤の匂いをよしとする基準では、ものごとのリアルな認識が出来なくなるのではないか、あるいは寛容なコミュニケーションも難しくなるではないか、と考えさせられた。
 世の中全体がそうなっているし、過剰な清潔とともに、リアルな人間より擬似人間などに、「萌え」などの感覚につながっているような気がしているが、考えすぎだろうか。

犬好き

2008-11-25 18:21:35 | 子どもからの発見
■ 犬好き

 ふき(年長組)は昆虫、犬、猫が好きなことは知っていた。アゲハの幼虫を飼ってかえす、幼いカタツムリ飼って大きくする、といったことをこれまでもやっている。
 公園によく来る猫にあうことを目的に出かけていくことがある。あっちこっちで犬の散歩に出会うと、近づいてなでさせてもらったりしているので、犬の種類と名前も覚えているようだ。
 先日公園に中型犬2匹を連れている人がいたら、近づいて「ほっかいどうけんだ」と言った。飼い主が種類を当てたことに驚きかつ喜んだ。それからというものは、犬に近づき自分の目線ぐらいの大きな犬をなでる、そして顔をなめさせるのだった。わたしははらはらしてやめさせようとしたほどだった。
 シバ犬より大きく、日本犬なので指示に従うとは限らない。もともと狩猟犬であるし、わたしは怖かったが、本人は満足で飼い主も喜んだ。
 わたしは北海道犬とすぐわかったことに驚いたが、図鑑で知っていたとのことだった。図鑑で知っても本物と結びつけるのも難しいだろうに、ふきの犬好きははんぱじゃないことを実感した。ことあるごとに犬を飼ってほしいと言うし、最近は獣医ということを覚え、それになりたいとも言い出した。
 ところであるケータイのCMの父親になっている犬が、北海道犬とのことであった。

秋の遠足

2008-11-07 15:13:49 | 子どもからの発見
■ 秋の遠足
 海は昨日遠足から帰ったら、普段思いも寄らない庭の狭いスペースへ座り込んで、お茶の残りを飲んだりして、しばし遠足の話をした。
 「電車の切符を買うときは自分の番になるころはどきどきした」「改札口は2つ2年生専用にして通った」と言っていた。家庭での移動は車が多いし、電車利用は大人主導なので、初めて自分の力で電車を利用したような思いなのだろう。
 前の遠足は時計係で張り切っていたが、今度はじゃんけんで負けて美化係で幾分がっかりしたようだったが、終わってみれば何か大きな仕事をやり遂げてきたかのように、余韻に慕っていた。

■ 新しい自転車
 海は、自転車のサイズが小さくなったので新しい自転車を買ってもらった。アルミのもの、ギアチェンジ、ライトが気に入ったとのことで、高学年まで使えそうな立派なものである。
 次の日の朝乗りたくて散歩に出かけた。大人の歩く早さにあわせてゆっくり乗って「ゆっくり乗れるほどうまいんでしょ」と言っていた。
 5歳児で補助輪を取るとき、スピードを楽しむ傾向にあったので、ヨーロッパで盛んなサイクルサッカーの話をして、とまっていられるのがすごい技だ、といった説明したのが記憶に残っているのだ。自動車、自転車、人が狭い道を使っているので、危険の可能性がある。自転車は速く乗るだけでなく、スピードコントロールを出来ることが大事なのである。
 学校では3年生から指導すると言うが、実際は早くから子どもは自転車を乗り回している。友達が点と点で遠いし、最近道路で遊ぶことを禁止と指導されているので公園まで出かける必要があるからだろう。公園は歩いて5分ぐらいに3つあるが、生活動線と違う場所なので、気分的には歩いては行きにくいのだろう。
 公園に行くとたまに上級生がサッカーをしていて、「○○入れよ」と言われて加わり、汗を流している。都市の住宅街で日ごろ子どもをほとんど見かけないが、学校でのつながりが公園で再現されているようである。

■ もうすぐ8歳
 近くの大学の大学祭に行ったら、表示を見て行動するようになっていた。文字が目にとまりそれを捉えて、自分の要求にそって行動を選択する。読めないあるいは意味が分からない時は聞く。食べたいものや見たいもの読み上げ、同行のものとの兼ね合いも考えている。
 もうすぐ8歳になる。食ベる量が多くなり、子ども用では間に合わなくなっている。児童期の成長の早さにも驚くばかりである。行為の変化から成長を見るだけではなく、知的な力あるいは心理的な側面がともなう見方が必要なのが、幼児期の見方と違う点のようだ。それに学校で学んだことの影響が強くなるので、それを推測し想像をめぐらすことが重要になる。

ネコふんじゃった

2008-09-27 20:23:58 | 子どもからの発見
■ ネコふんじゃった
 ふき(年長)はピアノ教室を続けているが、ピアノでの遊びの幅が広くなってきている。「ネコふんじゃった」は冒頭部分弾いてしばらく途絶えていたが、教えてほしいと言い、すぐに最後まで弾けるようになった。弾けるようになって2週目になったら、テンポを早くしたり、様々に楽しむようになった。
 今週から曲をつくり、楽譜にとどめておいてもらうようになった。曲をつくるといっても4小節だが、伴奏は身に着けているドミソ、シファソの和音がちゃんと合っている。メロデーは、学習している範囲のドからソまでの音域であるが、リズムは八分音符も入れて工夫が見られる。目下作った3曲は時々繰り返し弾いている。本人はどうやら曲を作ったと思っているようだ。

■ 音楽で涙する
 7月のことであるが、海(小2)が独り言のように、
「音楽の時間泣いちゃった」
という。なにごとがあったかと思って、
「泣いた?何があったの!」
と反応すると、ためらいながら静かに、
「涙、そうそうを聞いてだよ。涙が出てしまったんだ」
ということだ。音楽を聞いて感激の涙なのだ。CDで何回も聞きたい、というので買ってきた。外を見つめてじっと聞いていた。
 それからはあまり聞かないが、何かの折りかけてくれという。ピアノを習っていないのに、メロデーを探り弾きして2小節までたどり着いた。その続きをやるかどうか、見守っていくことにする。


夏休みの宿題など

2008-08-23 10:17:54 | 子どもからの発見
 海(2年生)は後1週間で夏やすみが終わる。旅行、合宿など体験したが、日常的には都市の住宅街がゆえに友だちと遊ぶことは少ない。親と行動する以外は妹と遊ぶ。友達どうしの関係が多くなるのは、3、4年生ぐらいからだろうか。これとて生活圏に遠い、5分ぐらい離れたところにしかいない。
 都市の住宅街の場合は、土地をぎりぎりに使い大人が生活することを中心に作られているので、本来必要な物的ゆとりがとれない。プライバシーに介入しないために、声を抑制的に話さざるを得ない、常時部屋はレースのカーテン等で覆う、といったことになる。それに挨拶はするが、それ以外はまったく交流しない関係である。
 その枠で子どもが生活するのだから、子どもとしてありがちなワイルドな行動が抑制される。車があまり通らない道路だが、遊びは公園まで出かけていく。5分前後のところに3つほどあるので、そこへ出かけることになる。

 夏休みに宿題は付き物だが、ドリル類は早々に済ませたようだ。制作も最近終えたみたいだ。本を読むまたは読んでもらうというテーマもあり、本には関心が向いている。
 図鑑をそろえてほしいという希望があったのでそろえたら、時間があれば様々な分野に興味を広げ知識を得ている。それにクレヨンで図鑑の写真を描く作業をして、ファイルに描きためている。これまでの動物と昆虫だけではなく、そうとうな広がりを見せている。図鑑は長年利用されている小学館、学研のものもあるが、子どもへの導入に工夫があるフレーベル館のものを、子どもは好んでいる。

 これまでの縄跳びをやることはあったが、気乗りしなかった。ところがこのところ急にやる気になって、数日やったらとべるようになった。
 2年生なので見て気づいて習得する部分が多くなる。それに技術的ポイントを言うと、やってマスターしようとする。海の場合は、縄のまわし、縄の回しと足と合わせることを先にわかり、一定の拍で跳ぶ感覚を身につけることが後になった。
 縄跳びは一定の拍で跳ぶことを腕から繰り出す縄と連動させる運動(供応性)である。精神的には、一定の法則(拍)にそって自分で自分を制御するということであろう。 

 春から自転車で10分あまりの遠くだが、親が畑を借りて野菜を作っている。7月下旬から様々なものを収穫している。ナスやキュウリは取れたてがおいしい。最近はトマトを収穫してきて、得意げに持ってくる。
 取れたてのナスを生で食べるとおいしいので、そのことを言ったら「買ったものでなく、作ったものだから」という言葉が返ってきた。なにやら価値観の萌芽を感じさせる。都市での暮らしという条件の中で、ささやかながら自然と人間の営みの貴重な体験である。


児童期へ成長

2008-07-14 13:30:31 | 子どもからの発見
 海は2年生です。だんだん幼児期の特徴が消え、児童期へと成長しています。
◇ 1年生までは妹のふきも含めて3人で、ごっこ遊びをよくやっていました。動物になっては想像の世界を共有するために「○○なのね」と申し合わせをして、それをベースにして話を作りリビング、階段、2階など空間を広く使って、ダンボールでコーナーを作ったりしてやっていました。そのようなごっこは、2年生からやらなくなりました。2年生になってからは、数回学校ごっこをやり、先生役になっていました。担任の先生の特徴と思われる真似をしていました。もうごっこ遊びはやらなくなりました。
◇ それまでよくやっていた空き箱を使って作る、絵を描く、折り紙、おもちゃでの遊びなどめっきりやらなくなりました。
◇ 想像の世界でモノを何かに見立てる、幼児期の大人社会の知識や規範にかかわらない行動はめっきりなくなりました。児童期へと転換したようです。

◆ 1年生の2学期から、徒歩3分ぐらいの別な並びの住宅に住む、学校のクラスの友達と時々遊ぶようになりました。事前に約束をし、リュックに遊び道具を入れて行ったり来たりします。野球、サッカー、あるいは共通の話題であるポケモンなどです。家にはお互いに上がらないようにしているようです。ちなみに町内の住人は、子どもはいなくおおよそ高齢者で、静かです。
 また最近では、公園に出かけて遊ぶことが増えました。大きな公園では登校班の上級生とサッカーをやることもあります。
 規範を意識して行動するのは、まず時間のようです。5時のチャイムがなったら、外遊びをやめてすぐに家に帰ってきます。また、状況によっては丁寧な言葉遣いをできるようになっています。
◆ 宿題が毎日あります。学校から帰ったら、まずそれをやるようにしています。算数の計算と国語の音読や漢字などです。わたしから見れば、毎日やって学校に通わせるのは、親が大変なので、誰もがやっているとすれば、大したものだと思うのです。海は必ずやるものだと思って、やっています。
 2週間ほど前、「黄っていう漢字どうだっけ」というので、もたもたしていたら「黄」と書きました。そこでついでにと思って「左に木を書くと横って言う字になるよ」というと「ぼくならそれをバナナって読むよ」という反応でした。「えっ?」というと「木に黄だから、バナナがなっているっていうこと」といってのけました。知的なお笑い(ユーモア)を考えられるようになったものです。
◆ 先日の七夕飾りには「頭がよくなりますよう」と書いていました。これは一般的大人が考えがちな特別なことではなく、勉強が生活の中に位置づいている、と解釈してみました。
◆ テレビ番組は「ポケモン」は欠かさず見ています。これは子どもたちの共通の人気のもののようです。最近は「ドラえもん」も見るようになっているようです。NHK教育の子ども番組はまだ集中してみています。
 またニュースで報じる断片を取り込んで、会話の際しゃべることがあります。学校の生活科でやるのだろうが、周囲の社会的なことにも関心を持つようになってきています。たとえば街のことを銀行、デパート、駅といった体験以外の概念でいうようになってきています。
◆ 生活圏と違うところに、親が畑で野菜を作るようになりました。海は親と一緒に自転車に乗って出かけます。
 自転車を単独で乗りたがって、一度「乗れるのにどうしてだめなんだ」と強く訴えました。3年生になったら学校で自転車の乗り方を体験してから、ということにしています。
◆ 上の子どもの場合、見よう見まねということが少なく自分で開拓していかなければなりません。この手探りの学習は大変ですが、長い人生ではよい体験になると思われます。 

文字の読みと書くこと

2008-07-04 15:23:30 | 子どもからの発見
 ふき(6歳、年長組)は年中の秋頃から、一気に文字を読めるようになりました。観察していても、どのような過程を経たか分からないぐらい、短期間で獲得しました。文字を読めるようになったら、歌の歌詞を見ては2番3番と歌いました。メロデーと合致しているので、これにはちょっと驚きました。
 文字を読み出したらいわゆる拾い読みではなく、すぐ言葉として読みました。ひらがなは言葉ではなく音を表記する表音文字なので、読み始めはひと文字ごとに読みがちになります。ところが言葉としてつなげて読みました。文字を目で追うだけではなく言葉のかたまりとして読んでいるわけです。しかも早く読み、内容も理解しているようです。
 兄が文字に接触し、さらに入学して勉強している環境にあるので、見よう見まねでそのような獲得の仕方をするのでしょう。年中組から小1の兄のしりとり遊びに付き合っているので、語頭と語尾の音を取りさす力、つまり話し言葉自覚化ができているのです。これができるということは、読むことが可能という証でもあるのです。
 手探りで少しずつ分け入った兄の学習と、文字に親しめる環境にあるふきは学び方が違います。ふきのほうが効率よく学んでいるが、それは環境の違いからくるものです。
 読めるのでひらがな書きをじっくりやります。それは2つ3つの文字を書いて、他は上から下へカーブをつけた記号のようなものを、時間をかけて丁寧に書いていました。文字を書いているつもりなのです。
 そのため年長になってからは、文房具屋に売っている書き方の入門のノートを買ってきて、ゆっくり進めて書くようにしました。そうしたら喜んで取り組みます。自分が書けるようになったことを自覚出来て、うれしいようです。筆順も正確に覚えています。

2年生になりました

2008-04-12 22:17:14 | 子どもからの発見
 雨が降り暖かくなって、わが家の小さな庭ながらも、生命が躍動しています。思わぬところにシャガが10本ほど根づき花を咲かせています。スミレがこれまた去年と違ったところに、何本か可憐な花を咲かせています。こんなことがビオトープガーデンの、面白さです。
 在来種の野草を基本にしているので、エビネがぐんと伸びてきてシュンランはまだ花の活気は失っていません。ミツバツツジが花をつけ、朝つぼみなのが昼すぎにはいくつか咲きました。ヤマブキが、例年になく花をたくさんつけています。淡い黄色い花は趣があります。

 隣の子どもたちは進級して、兄が2年生で妹が年長になりました。
 春休みに小学校の校庭に4人で遊びに出かけたら、集団登校方式で整列して歩きました。海が班長(5年生)で、「背の順になって」などさまざま注文をつけます。わたしは副班長(6年)となり後ろに並んで歩いたのでした。整列という学校文化がこのように受け継がれているのかと、確認できました。災害時でも暴徒化しないで秩序だって行動するのが基本になっている、日本人の原点はここにあり、といった感じです。
 学校では校長先生が、ウーパールーパーという両生類の生き物(メキシコ原産)を飼っている水槽の掃除をやっていて、それを見ることができました。ふき(5歳)が兄からその生き物の事を聞いていて、見るのを楽しみにしていたので、偶然に身近にじっくり見ることができて満足しました。
 校門からすぐの広場には池があって、鯉が泳いでいます。孔雀などの動物もいます。広い中庭には、ウサギやニワトリなどいくつかの動物が飼われていました。
 大都市の車通りの多い道に面したところにありますが、子どもたちや大人が自由に校庭で遊べる、いまどき珍しい学校です。
 そこで海とサッカーをやりました。ボールテクニックを教えたいのですが、なかなか受け入れないのでやったことありません。学校ではサッカーで遊んでいるらしく、このごろは様になってきています。
 1対1で得点争いをするのをやりました。海は自分が勝つと思っていたらしいが、真剣にやるとまだわたしが優勢です。秋ごろから比べたら上達していたので、早晩かなわなくなるでしょう。前歯が生え変わり、顔に幼さがだんだんなくなるぐらい成長してきました。
 黄色い帽子をかぶらなくてもよくなり、学校の仕組みが分かり、高学年の人ともコミュニケーションが多くなっているせいか、しゃべり方が変わってきています。少しばかりの余裕のようなものを感じられます。