このところ訪ねた7つの幼稚園と保育園のうち、4園に男性保育者が保育をしていた。今や男性保育者は、数は少ないものの稀有な存在でなく点と点がつながるぐらいになった。
思うに60年代から男性保育者が見られるようになったが、職業としての継続性は怪しいものだった。つまり男性保育者は入れ代わりが多かった。70年代頃から、資格を取れないながらも継続して働く男性がひとかたまりの力になり、資格取得可能にする運動をおこなった。
名称が保母ながらも男性の資格取得が可能になったのは、77年からだった。そして99年からは、男女雇用機会均等法の改定を反映して、男女とも保育士という名称の資格になった。応募資格が市町村の方針で性別を決めることなく、男女平等に与えられるようになった。
それから10年の経過を経て、男性保育士が徐々に増えていった。保育士養成大学には男性が増加し、男性の職業としても社会的認知されるようになりつつある。
男女雇用機会均等による関連の法整備により、子育てが出産する女性だけにゆだねることなくジェンダー平等でおこなわれる家庭が、少ないながらも見られるようになった。法的に整備された男性の育児休業を取るケースが、わずかではあるがある。
このように子育て、保育が男女の役割の垣根が低くなり、男性の保育者が職業としてイメージできるようになった。初期のころの男性保育者が、定年まで保育して終えるというケースは、男性が保育者としての職業イメージを描くことができる説得力ある事例でもあるのだ。
さて、この間見た男性保育者の印象を記すことによって、男性保育者の現状と課題を考えることにする。しかし男性保育の実態をテーマに取材したわけではなく、わずかな時間の保育を見て、わたしの読み取り想像したことである。
H幼稚園の男性保育者は、子どもとのコミュニケーションがやわらかく雰囲気としては女性とは変わらないと感じた。リトミックを子どもとやっていたが、うまかった。男性保育者であることを職場として特別視しているようでなく、溶け込んでいるように見えた。
O幼稚園では、他の女性保育者との違いが際立って見えた。ある男性保育者は、大人の男性が身内同士で交わすような言い回しで、子どもと会話をしていた。これは、一見子どもと距離を縮める親しい気持ちに思えるが、子どもの立場を配慮しているとはいいがたい。子どもに対しては、大人社会のような緊張感を必要としないので、大人である自分の世界に取り込むコミュニケーション手法になってしまう可能性がある。結果として、自己顕示を満足することになるのではないだろうか。それに職場としても男性性を意識しており、それを提示しているように読み取れた。
M保育園では、子どもに対してクールできびきびとしたしぐさで、しかも丁寧なコミュニケーションをしているのが印象的だった。女性との違いは一目瞭然だが、当人はそのことを特別意識しているように見えなかった。職場の女性の経験者にアドバイスを求めていたのも印象的だった。N保育園の男性保育者も同じ市であるからか、同じような印象を持った。男性保育者の受け入れ姿勢とその教育について、特別な教育をしていないとのことだが、わたしから見ればよい伝統が作られつつあるようである。
現在も一部には男性保育者に対して、力仕事や女性だけより心強いと、いった期待をしている向きもあると聞く。力仕事が可能な人はそれを発揮することは、協同での仕事には必要なことである。しかし女性だけの職場だったため、男性保育者を特別扱いする、自らのジェンダーバイアスに気づかない場合がある。逆に男性保育者に対して、女性と同じような行動様式や文化的嗜好性を求めるのは、それに適応するのが苦痛で萎縮しかねないだろう。
ジェンダー平等を前提としながら、男性的あるいは女性的と思われる文化性を大いに出して認め合い多様さとなり、協同で仕事をしていくことだろう。その上に立って保育という仕事の専門性の深いところは、性差を超えた人間としての営みなのである。
思うに60年代から男性保育者が見られるようになったが、職業としての継続性は怪しいものだった。つまり男性保育者は入れ代わりが多かった。70年代頃から、資格を取れないながらも継続して働く男性がひとかたまりの力になり、資格取得可能にする運動をおこなった。
名称が保母ながらも男性の資格取得が可能になったのは、77年からだった。そして99年からは、男女雇用機会均等法の改定を反映して、男女とも保育士という名称の資格になった。応募資格が市町村の方針で性別を決めることなく、男女平等に与えられるようになった。
それから10年の経過を経て、男性保育士が徐々に増えていった。保育士養成大学には男性が増加し、男性の職業としても社会的認知されるようになりつつある。
男女雇用機会均等による関連の法整備により、子育てが出産する女性だけにゆだねることなくジェンダー平等でおこなわれる家庭が、少ないながらも見られるようになった。法的に整備された男性の育児休業を取るケースが、わずかではあるがある。
このように子育て、保育が男女の役割の垣根が低くなり、男性の保育者が職業としてイメージできるようになった。初期のころの男性保育者が、定年まで保育して終えるというケースは、男性が保育者としての職業イメージを描くことができる説得力ある事例でもあるのだ。
さて、この間見た男性保育者の印象を記すことによって、男性保育者の現状と課題を考えることにする。しかし男性保育の実態をテーマに取材したわけではなく、わずかな時間の保育を見て、わたしの読み取り想像したことである。
H幼稚園の男性保育者は、子どもとのコミュニケーションがやわらかく雰囲気としては女性とは変わらないと感じた。リトミックを子どもとやっていたが、うまかった。男性保育者であることを職場として特別視しているようでなく、溶け込んでいるように見えた。
O幼稚園では、他の女性保育者との違いが際立って見えた。ある男性保育者は、大人の男性が身内同士で交わすような言い回しで、子どもと会話をしていた。これは、一見子どもと距離を縮める親しい気持ちに思えるが、子どもの立場を配慮しているとはいいがたい。子どもに対しては、大人社会のような緊張感を必要としないので、大人である自分の世界に取り込むコミュニケーション手法になってしまう可能性がある。結果として、自己顕示を満足することになるのではないだろうか。それに職場としても男性性を意識しており、それを提示しているように読み取れた。
M保育園では、子どもに対してクールできびきびとしたしぐさで、しかも丁寧なコミュニケーションをしているのが印象的だった。女性との違いは一目瞭然だが、当人はそのことを特別意識しているように見えなかった。職場の女性の経験者にアドバイスを求めていたのも印象的だった。N保育園の男性保育者も同じ市であるからか、同じような印象を持った。男性保育者の受け入れ姿勢とその教育について、特別な教育をしていないとのことだが、わたしから見ればよい伝統が作られつつあるようである。
現在も一部には男性保育者に対して、力仕事や女性だけより心強いと、いった期待をしている向きもあると聞く。力仕事が可能な人はそれを発揮することは、協同での仕事には必要なことである。しかし女性だけの職場だったため、男性保育者を特別扱いする、自らのジェンダーバイアスに気づかない場合がある。逆に男性保育者に対して、女性と同じような行動様式や文化的嗜好性を求めるのは、それに適応するのが苦痛で萎縮しかねないだろう。
ジェンダー平等を前提としながら、男性的あるいは女性的と思われる文化性を大いに出して認め合い多様さとなり、協同で仕事をしていくことだろう。その上に立って保育という仕事の専門性の深いところは、性差を超えた人間としての営みなのである。