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絵本と児童文学

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保育の現在③ 男性保育者

2008-11-27 15:43:38 | 子ども・子育て・保育
 このところ訪ねた7つの幼稚園と保育園のうち、4園に男性保育者が保育をしていた。今や男性保育者は、数は少ないものの稀有な存在でなく点と点がつながるぐらいになった。
 思うに60年代から男性保育者が見られるようになったが、職業としての継続性は怪しいものだった。つまり男性保育者は入れ代わりが多かった。70年代頃から、資格を取れないながらも継続して働く男性がひとかたまりの力になり、資格取得可能にする運動をおこなった。
 名称が保母ながらも男性の資格取得が可能になったのは、77年からだった。そして99年からは、男女雇用機会均等法の改定を反映して、男女とも保育士という名称の資格になった。応募資格が市町村の方針で性別を決めることなく、男女平等に与えられるようになった。
 それから10年の経過を経て、男性保育士が徐々に増えていった。保育士養成大学には男性が増加し、男性の職業としても社会的認知されるようになりつつある。
 男女雇用機会均等による関連の法整備により、子育てが出産する女性だけにゆだねることなくジェンダー平等でおこなわれる家庭が、少ないながらも見られるようになった。法的に整備された男性の育児休業を取るケースが、わずかではあるがある。
 このように子育て、保育が男女の役割の垣根が低くなり、男性の保育者が職業としてイメージできるようになった。初期のころの男性保育者が、定年まで保育して終えるというケースは、男性が保育者としての職業イメージを描くことができる説得力ある事例でもあるのだ。

 さて、この間見た男性保育者の印象を記すことによって、男性保育者の現状と課題を考えることにする。しかし男性保育の実態をテーマに取材したわけではなく、わずかな時間の保育を見て、わたしの読み取り想像したことである。
 H幼稚園の男性保育者は、子どもとのコミュニケーションがやわらかく雰囲気としては女性とは変わらないと感じた。リトミックを子どもとやっていたが、うまかった。男性保育者であることを職場として特別視しているようでなく、溶け込んでいるように見えた。
 O幼稚園では、他の女性保育者との違いが際立って見えた。ある男性保育者は、大人の男性が身内同士で交わすような言い回しで、子どもと会話をしていた。これは、一見子どもと距離を縮める親しい気持ちに思えるが、子どもの立場を配慮しているとはいいがたい。子どもに対しては、大人社会のような緊張感を必要としないので、大人である自分の世界に取り込むコミュニケーション手法になってしまう可能性がある。結果として、自己顕示を満足することになるのではないだろうか。それに職場としても男性性を意識しており、それを提示しているように読み取れた。
 M保育園では、子どもに対してクールできびきびとしたしぐさで、しかも丁寧なコミュニケーションをしているのが印象的だった。女性との違いは一目瞭然だが、当人はそのことを特別意識しているように見えなかった。職場の女性の経験者にアドバイスを求めていたのも印象的だった。N保育園の男性保育者も同じ市であるからか、同じような印象を持った。男性保育者の受け入れ姿勢とその教育について、特別な教育をしていないとのことだが、わたしから見ればよい伝統が作られつつあるようである。

 現在も一部には男性保育者に対して、力仕事や女性だけより心強いと、いった期待をしている向きもあると聞く。力仕事が可能な人はそれを発揮することは、協同での仕事には必要なことである。しかし女性だけの職場だったため、男性保育者を特別扱いする、自らのジェンダーバイアスに気づかない場合がある。逆に男性保育者に対して、女性と同じような行動様式や文化的嗜好性を求めるのは、それに適応するのが苦痛で萎縮しかねないだろう。
 ジェンダー平等を前提としながら、男性的あるいは女性的と思われる文化性を大いに出して認め合い多様さとなり、協同で仕事をしていくことだろう。その上に立って保育という仕事の専門性の深いところは、性差を超えた人間としての営みなのである。

犬好き

2008-11-25 18:21:35 | 子どもからの発見
■ 犬好き

 ふき(年長組)は昆虫、犬、猫が好きなことは知っていた。アゲハの幼虫を飼ってかえす、幼いカタツムリ飼って大きくする、といったことをこれまでもやっている。
 公園によく来る猫にあうことを目的に出かけていくことがある。あっちこっちで犬の散歩に出会うと、近づいてなでさせてもらったりしているので、犬の種類と名前も覚えているようだ。
 先日公園に中型犬2匹を連れている人がいたら、近づいて「ほっかいどうけんだ」と言った。飼い主が種類を当てたことに驚きかつ喜んだ。それからというものは、犬に近づき自分の目線ぐらいの大きな犬をなでる、そして顔をなめさせるのだった。わたしははらはらしてやめさせようとしたほどだった。
 シバ犬より大きく、日本犬なので指示に従うとは限らない。もともと狩猟犬であるし、わたしは怖かったが、本人は満足で飼い主も喜んだ。
 わたしは北海道犬とすぐわかったことに驚いたが、図鑑で知っていたとのことだった。図鑑で知っても本物と結びつけるのも難しいだろうに、ふきの犬好きははんぱじゃないことを実感した。ことあるごとに犬を飼ってほしいと言うし、最近は獣医ということを覚え、それになりたいとも言い出した。
 ところであるケータイのCMの父親になっている犬が、北海道犬とのことであった。

早朝の海

2008-11-21 18:11:04 | 身辺のこと・自然
 先週は、車で3日間保育園を訪問した。温暖で常緑樹の多い丘陵地帯だが、紅葉している樹木が緑の中にあるゆえの、山間の紅葉とは異なる色の味わいもいいものがある。
 火曜日の夜からこの地域特有の冷たい強風が吹いたら、次の日から今日までは晩秋であるとともに初冬でもある寒さで、季節の境界を感じさせる微妙な気候である。この気候が作る自然は深い味わい。
 海辺の宿の早朝のカーテンを開けると、真っ暗である。西側に見える海の向こうに、6時10頃から遠く山脈の稜線が空との区別の輪郭をかもし出す。暗い水面が黒ずんでいるため稜線は淡いグレーである。すぐに稜線がくっきりしてくるが、水面が黒ずんでいるため鮮やかにさえ見える。やがて山脈の地平線近くがわずかに明るくなり、それとわかるように変わり、海が白みかけてきて船が見えるようになる。
 それからは稜線の空が、薄いくれない色に変わり輪郭が鮮明になる。日の出までの20分あまりの海は、空気の冷たさがつくる自然の美であり、それを凝視するわずかな至福の時間が流れる。

カタールに圧勝

2008-11-20 14:39:20 | サッカー
 カタール戦は、未明の1時30分キックオフだった。立ち上がり主導権をにぎろうとするカタールの攻撃が続いた。日本側にボールが落ち着くことはなく、押し込まれる場面もあった。
 しかし、日本選手はよく動いた。前線からの厳しいプレスで攻撃力を押さえたり、一人が寄せてプレーを遅らせながら2、3で囲むというディフェシブなプレーを怠らなかった。19分、内田のロングボールを受け、右サイドからディフェンスの裏に飛び出して田中が得点をした。
 カタールはゲームプラン通りでなくなったこともあり、いっそう激しくボディコンタクトプレーをするようになった。日本はパスでつなぐことが多くなって、ペースをつかんで行った。カタールの得点をたたき出す、FWセバスチャンには決定的な仕事をさせないで、前半を終えた。
 後半2分、2点目を玉田が入れた。長谷部が中央から出したボールを左サイドから蹴り込んだ。この得点は、試合を優位に展開していくための重要なものであった。
 さらに23分、右側からの遠藤のショートコーナーを中村俊受け、ななめ左前方にあげたボールを闘莉王がヘッドで決めて勝利をほぼ掌中にした。

 カタールはスピードがあり集中力も高いチームだが、どちらかというと個人の強さで打開しようとするため、日本のスピードに乗った組織的展開には、対応できなかったと見てよりだろう。それに日本のミスが少なかったことと、ドリブルを随所に使って攻撃に変化をつけたし、コンデションづくりの成功も大きいだろう。
 中東チームの特徴である玉際の強さはさほどではなく、後半では手で顔を押さえるなどのラフプレーがめだった。
 さらにこれまでの弱点を修正し、最後までメンタルの部分での強さと持続力を維持して、自分たちのペースを失わなかったことが、終わってみれば危なげない圧勝をもたらしたのであろう。10月15日のウズベクとの引き分けをプラスに転じたとも思える。
 これでまだ3試合終わったばかりで、あと5試合がある。2月ホームでのオーストラリア戦が強敵であり中間地点であることなどから、ひとつの山場になるだろう。日本選手はシーズン始めのキャンプシーズンなので準備はできるが、ヨーロッパ選手はシーズンの佳境のときであり、所属チームの離脱して準備に参加するのは難しさをともなう。

 W杯最終予選はライブで見ようと思っているが、日常生活に支障をきたさないで1時30分キックオフの試合をみるためには工夫が必要になる。わたしは21時に床についたら、目覚まし時計がないのに起きられた。われながら不思議だが、試合が終わってすぐにまた眠りについたのだった。
 昨日と今日は12月中旬並みの寒さとかで、とにかく寒い。

外国人介護職

2008-11-15 18:23:44 | 福祉
 このところNHKで取り上げた、外国人介護職の件を紹介します。

 10月25日(土)の「おはよう日本」(11分間)で、東京都墨田区の特養でのことでした。フイリピン出身の女性で、日本人と結婚し日本国籍を取得している人が、パート職員として働いています。
 この女性の場合は、すでに日本人であり、本来は外国人というくくりで考えるべきではないが、ここではことの理解がしやすいよう慣行的なカテゴリーにそって書きます。
 日本人と生活し子どもが日本の学校に行っている親であり(現在は離婚)、来日してから10年以上をへているので、テレビで見た限りでは日本の生活文化になじんでいるようでした。
 ところが読み書きの日本語ができないため、介護記録の処理ができません。そのため夜勤に入れないのです。その施設では、38人の職員のうち9人の外国出身者を採用しています。仕事と利用者とのコミュニケーション等に職員が補助体制を取っているようでした。
 介護場面の紹介としては、「花嫁人形」を利用者と歌っていました。この歌はある時期まで結婚セレモニーのバックグランドミュージックだったが、今は使われないこともあり、30代ぐらいから多くの人は知りません。
 その人は気持ちが通じ合うようにコミュニケーションをとるようにしている、と強調していました。映像でもそれは読み取れそうでした。介護は生活の協同化でもあるので、生活文化のバックグラウンドが異なる場合の大変さを、想像したのでした。

*「花嫁人形」(きんらんどんすの 帯しめながら・・・)
 蕗谷虹児作詞 杉山はせを作曲(大正12年)
 なお蕗谷虹児は、大正期に雑誌などに叙情的な絵を描き人気のあった画家です。


 11月14日(金)の「おはよう日本」(5分)では、8月に来日して目下研修中であるインドネシア人の介護職の紹介でした。その人は日本に2年間留学していたことがあり日本語力があるので、すでに横浜市の施設で働いていました。
 日本語力があるのだが、当然ながら生活文化の違いがあります。インドネシアとの違いは、

食内容を別々に盛りつける→ひとつに盛り、各自とって食べる
名前を呼ぶ→名前は呼ばない
挨拶をする→挨拶はしない
風呂に入る→湯船はなくシャワーを浴びる

 短時間なのでこういった事項の紹介であったが、わたしたちが何気なくやっている日常生活に相当な違いがあるはずです。上記の事項は、わたしたちの生活行動が問われているようで、興味深いものがあります。それと同時にインドネシアの人たちが異質の生活文化でコミュニケーションをとる仕事をするということは、想像以上に大変なことではないかと、改めて考えさせられたのでした。

 NHKは外国人の介護職については、どこのメディアよりこまめに取り上げます。ニュースの時間帯に、5分や11分の時間配分をするということは、そうとう重視しているということでもあるのです。

秋の遠足

2008-11-07 15:13:49 | 子どもからの発見
■ 秋の遠足
 海は昨日遠足から帰ったら、普段思いも寄らない庭の狭いスペースへ座り込んで、お茶の残りを飲んだりして、しばし遠足の話をした。
 「電車の切符を買うときは自分の番になるころはどきどきした」「改札口は2つ2年生専用にして通った」と言っていた。家庭での移動は車が多いし、電車利用は大人主導なので、初めて自分の力で電車を利用したような思いなのだろう。
 前の遠足は時計係で張り切っていたが、今度はじゃんけんで負けて美化係で幾分がっかりしたようだったが、終わってみれば何か大きな仕事をやり遂げてきたかのように、余韻に慕っていた。

■ 新しい自転車
 海は、自転車のサイズが小さくなったので新しい自転車を買ってもらった。アルミのもの、ギアチェンジ、ライトが気に入ったとのことで、高学年まで使えそうな立派なものである。
 次の日の朝乗りたくて散歩に出かけた。大人の歩く早さにあわせてゆっくり乗って「ゆっくり乗れるほどうまいんでしょ」と言っていた。
 5歳児で補助輪を取るとき、スピードを楽しむ傾向にあったので、ヨーロッパで盛んなサイクルサッカーの話をして、とまっていられるのがすごい技だ、といった説明したのが記憶に残っているのだ。自動車、自転車、人が狭い道を使っているので、危険の可能性がある。自転車は速く乗るだけでなく、スピードコントロールを出来ることが大事なのである。
 学校では3年生から指導すると言うが、実際は早くから子どもは自転車を乗り回している。友達が点と点で遠いし、最近道路で遊ぶことを禁止と指導されているので公園まで出かける必要があるからだろう。公園は歩いて5分ぐらいに3つあるが、生活動線と違う場所なので、気分的には歩いては行きにくいのだろう。
 公園に行くとたまに上級生がサッカーをしていて、「○○入れよ」と言われて加わり、汗を流している。都市の住宅街で日ごろ子どもをほとんど見かけないが、学校でのつながりが公園で再現されているようである。

■ もうすぐ8歳
 近くの大学の大学祭に行ったら、表示を見て行動するようになっていた。文字が目にとまりそれを捉えて、自分の要求にそって行動を選択する。読めないあるいは意味が分からない時は聞く。食べたいものや見たいもの読み上げ、同行のものとの兼ね合いも考えている。
 もうすぐ8歳になる。食ベる量が多くなり、子ども用では間に合わなくなっている。児童期の成長の早さにも驚くばかりである。行為の変化から成長を見るだけではなく、知的な力あるいは心理的な側面がともなう見方が必要なのが、幼児期の見方と違う点のようだ。それに学校で学んだことの影響が強くなるので、それを推測し想像をめぐらすことが重要になる。

G大阪ACL優勝に近づく

2008-11-06 18:29:57 | サッカー
 昨日ACL(アジアクラブ選手権退会)決勝のG大阪-アデレード(オーストラリア)の後半を見ることが出来た。
 オーストラリア代表が強いので、手ごわい相手かと思っていたら、スピードでつないで攻撃をする、ガンバ大阪のペースで終始進んだ。高さにはかなわないが、プレスをかけられないし、ゲームメイクをする遠藤に対するマーキングもなかった。ガンバは前線からプレスをかけ攻撃につなげ、自分たちのサッカーを思う存分にやった感じだ。
 終わってみれば3-0の圧勝であった。12日(火)のアウェーの試合4点以上の差で負けなければ、G大阪の優勝となる。優勝すると、12月のクラブW杯に出場することになる。
 オーストラリア代表は、ヨーロッパのクラブに所属している選手で構成されているので強いが、アデレードはオーストラリアのリーグのクラブである。オーストラリアのリーグは歴史がないし、代表とリーグの力の差があるということなのだろう。

 2日(日)は天皇杯の鹿島-国士舘大学をみた。国士舘大はJ1のトップのチームになんら臆することなく思う存分に自分たちのサッカーをやった。国士舘大はディフェンシブになるわけではなく、スピードで常に2,3人でプレスをかけ鹿島のペースにさせないばかりか、たびたびボールを奪って攻撃へと展開した。
 2-2で延長戦になりそれでも決着がつかずPK戦になった。PK戦は、曽ケ端が3本止めて、さすがに格の違いを見せ付けた。
 国士舘大は関東リーグ2位をキープして、チームとしてまとまっていて力がある。選手個々には傑出している人がいるわけではないせいか、Jリーグ入りの選手はいないという。学生としてはJリーグチームと対等に試合をすることと同時に、モチベーションとしては自己アピールの場でもあったであろう。面白くすがすがしく感じる試合であった。

*ACL決勝のG大阪のアウェー戦は、12日(水)にアデレード・Uとおこない、2-0で勝って優勝した。

ナビスコ杯大分優勝

2008-11-03 17:58:40 | サッカー
 Jリーグのカップ戦であるナビスコ杯(1日)は、清水と大分の決勝だった。大分が2-0で清水を制し初めてのタイトルを獲得した。ヘッドで得点をした高松は、しばらく見たことがなかったし、ヘアースタイルが違ったので戸惑ったぐらいだった。

 大分は02年にJ1に昇格し、降格を免れながらも下位に甘んじていた。05年から就任したシャムスカ(ブラジル)監督のチームづくりの成果が上がって、今年はリーグでは上位をキープし、ついにカップ戦のタイトルを取るチームになった。
 チームコンセプトは、ディフェンスを固めての速攻である。大分という地域チームのため広告収入が限られる等財政力が弱いため、チーム編成が厳しいのである。その条件で勝利できるチームにするためには、賢明な方針である。それが成果を上げ、J1最小失点の23点である。

 07年の経営状況は(朝日新聞08.9.17)、収入が22億61円で13位(1位は浦和79億64円)、人件費が14位で12億83円(1位は浦和28億41円)である。
 今回の大分の勝利は、九州のクラブが初めてタイトルを獲得したことの意味はきわめて大きい。当日は1万人を越えるサポーターが、国立競技場をブルーの色で埋め尽くした。これはJリーグの設立理念である、地域に根ざしたクラブが順調に作られていることが証明されているといってよいだろう。

 リーグは目下のところ鹿島がトップにあり、ACLの決勝に残っているのがG大阪であり、力の拮抗したクラブが多くなってきているということでもある。これも日本のサッカーが確実に前進していると見てよいだろう。