絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

梅雨明け

2006-07-31 11:33:21 | 身辺のこと・自然
 今年の梅雨は、豪雨による相当な被害を出した地域がありました。関東では例年にない日照不足で、野菜など畑や果物の育ちにも影響を及ぼしているとのことです。その梅雨が明けたとのことだが、夏の日照りはまだです。8月は例年並みの暑さとのことです。
 暑い夏はこれからですが、朝太陽の明るさを感じるのは4時半過ぎと遅くなりました。

 わが家は都市の住宅地なので、キリギリスが鳴いたりトンボが舞うといったことは期待できませんが、時々チョウやトンボが立ち寄ります。スズメは毎日来ているが、今年は夏もヒヨドリが朝来ています。
 これまでになく増えたホオズキが赤くなっています。フウチソウ(風知草)も仲間入りしました。

 ゆうパックでスズムシを扱っているので、取り寄せました。スズムシは愛好家もいるように、その鳴き声に夏の風情を感じています。昔音楽が生活になかったころ、スズムシの鳴き声など味わい深いものがあったことだろうと、想像をめぐらして耳を傾けると、時間ががゆっくり刻むような感じになります。

 8月は、かつてのアジア太平洋戦争に向き合い、平和について考えるときでもあります。メディアの今年の新しいさまざまな企画を期待することにします。


わたしとネット

2006-07-23 16:29:17 | 身辺のこと・自然
 きょうは土用の丑の日。暦法で立秋の前の18日をいうとの事だが、例年は梅雨が明けて強い夏の日差しが照りつけている風景なのだ。わたしはこの種の慣わしには無頓着のほうだが、家族が敏感なので混み合うのを避けて昨日うなぎを食べたのだ。昨日の夜は、近くの小学校でどこかの町内会の盆踊りをやっていた。涼しかっただろう。
 今年は梅雨明けどころか、梅雨前線にともなう豪雨で大変な被害を九州、山陰、北陸、長野などにもたらしている。今日は鹿児島が大変な被害が出ているとの事である。
 わが家の地域は曇り空が低く垂れ込めているが、かろうじて雨が落ちてこないといった天候である。

 庭の金柑が、先週数日白い花が咲かせたので、今年もまた実がなりそうだ。ヤマユリの花が咲いた。ムラサキシキブも小さな花をいっぱいつけている。

 早起きのわたしが、前は新聞を読むことから1日が始まったが、最近は自宅にいるときはパソコンに向かう。自分の生活リズムを維持するために、夜は基本的にはパソコンに向かわないことにしている。夜やると頭が活性化してしまうのである。
 朝メールを確認し、連絡などはすぐに送信する。ある程度内容が必要だと思われるメールは、しばらく期間をおいてからまとまった時間を取って書いてから、返事を送信することにしている。

 それからHPを開く。コラムをブログにしてからは、HPの3倍から7倍ぐらいのアクセス数があるようになった。とはいっても、多いときで3桁を超える程度である。
 わたしはその仕組みが分からないが、急に多くなる時、どんな人がアクセスしているのだろう、と考えてることがある。時事問題で話題性の高いテーマあるいはサッカーの時多い。時事問題はあまり扱わないようにしているのだが。
 アクセス数が多くなることを重視している人がいるが、わたしは多いときはむしろ戸惑ってしまう。「書いたのだから読んで欲しいが、読まれすぎるのも恥ずかしい」といったアンビバレンスな心が行ったりきたりするのである。
 コラムを書き続けることは、自分自身の考えたことと生活の一側面を残すためのようである。それに継続的に読んでいる人がいるようなので、期待に応えるため、最近では月10回から15回ぐらいの更新を目標にしている。ひとつ書くのにかける時間は、内容にもよるが一般的には30分から90分ぐらいである。

 他の人のグブログやHPで、毎日アクセスしているのが数件ある。平日は30分ぐらい費やす。土、日はメールマガジンも含めて、1時間余りを費やすこともある。ネットは依存性の強い面がるので、ほどほどの時間にしなければと考えている。

 毎日アクセスして見る人は政治家、作家、研究者、自分が関心を持ったブログである。4月には、思わぬ情報に接した。9・11選挙の自民党をプロジュースしたといわれている自民党参院議員のブログを見たら、わたしの昔の職場の同僚で現在ある雑誌の編集長している人がNYから帰ってきてすぐに会ったと記されていた。意外なつながりにびっくりしたのだった。
 ブロぐはそれぞれ個性があるので、その日の気分によっては余りすすまないものもある。もっとも役立つのは、政府機関や市町村や会社などの公的機関や事業所の情報が得られることである。

児童養護施設へ入所するケースではなかったか

2006-07-22 23:11:56 | 当世世間事情
■小児科医では

 小児科へ行く機会があった。早速わたしは観察を始めた。待合室は長いすひとつぐらいの個室のようにしているところがあったり、狭い空間を四角の部屋にしないで、たくさんの人が入り、なおか心理的衝突をしないように工夫されていた。
 診察する際、医師が待合室まで出てきて子どもの名前を呼んでいた。「○○ちゃん」といった具合に、である。なるほど、変わったものだ。
 それに棚におもちゃが20余りおいてあった。それはすべてプラスチックで電子音の出るものであった。じっくりその場にいるのではなく、すぐ立ち上がる気持ちで待つのだからこんなおもちゃがよいのかと思った。それをひとつひとつ見て、先端機器をいかにつかつかというコンセプトでおもちゃが作られている、というように思えた。
 もうひとつ。小児学会会員であるのを額に入れているのがわかるとしても、1年間ある大学の非常勤講師をした際の辞令も額に入れられていた。医療の世界のある部分を垣間見た思いをしたのだった。

■児童養護施設に入所するケースだったのではないか

 秋田の自分の娘の殺害を供述したが、事件を知ってからすぐ考えたことを記しておく。
 あの小4(9歳)の少女は虐待のネグレクト(育児放棄)であったのだ。地域の民生委員などが児童相談所へ通報して、児童養護施設へ入所するケースと考えられる。
 地域のそのように人だけではなく、もっとも詳しく状況を知っているはずの、学校のクラス担任・校長がそうすべきであった。しかし小学校の教師は、そのような児童福祉の初歩的な知識がないのかもしれない。児童虐待防止法など教師に行き渡っていないのだろうな。

(^_^) 保育士、歯医者に学ぶ

2006-07-21 16:50:55 | みるふぃーゆのコラム


 月曜日から臨月にはいった私ですが、まだまだ用事が…。

今日は、幼稚園の歯科検診で「虫歯が1本あります」という結果だった息子を連れて、歯医者通院。来月で4歳になる息子にとっては初めての歯医者です。もっとも前もってネットでどの歯医者がいいか調べて予約していったんですけどね。
「子どもが泣かない」「子どもが治療が終わると残念がる」なんて評判、信じられますか?
でも、それはそれなりにテクニックがあるのだと、実際行ってみて感心しました。

「は~い、**くん、ピンクのお椅子ね」
名前を呼ぶのは、最近の評判の良い医者なら小児科でも歯医者でも鉄則です。
まず、歯を乾かす「シュッシュッ」と風のでる機械。歯医者に行ったことがある大人でもその音を聞くだけでも不快感です。「これ、知ってる?」と、まず風を髪の毛に何度かふきかけます。息子はニコニコして喜んでいます。そのあと「これで、歯を乾かすんだよ」と、歯にふきかけます。
その次、歯を診る鏡を(丸い小さな鏡に棒のついたやつ)息子に手渡し、「これで、歯を見てごらん?見えるかなあ?」→「う~んとよく見えるように電気つけてあげるね」→「どれ、先生がよ~く見てあげるから貸して」
ここからやっと歯の診断。息子はおとなしく大きく口をあけて、むしろニコニコしています。
そして、「**くんはテレビに映ったことある?」と息子に問いかけ、ペンのすごく太いような機械をだしました。その先には口の中を写して、前のモニターに映し出すカメラがついています。(モニターは通常はテレビになっています)そのカメラで、まずは息子の顔を写しモニターにだします。自分の顔がテレビ画面に映り、息子は「あっ!**だっ!!」そのあと「**くんの歯、見せるね。はい、あ~ん」とその太いペンのような先を、大きく開いた口の中へ。見事、モニターに息子の歯がうつります。

結局、虫歯はなかったのですが、(集団検診だと灯りも充分でないなかでやるので、ちょっとした影でも虫歯と見立ててしまうのではないかとの話)、そのあと「いちごとみかんとぶどうと、何味がいいかな?」と歯磨きの指導をしてくれ、「実費になるけど」とフッ素を塗布しました。

こうして、息子の初歯医者は「涙なし」「暴れなし」なんの苦痛もなく、良いイメージのまま終了しました。
なるほど、なんの説明もなしに無言で口を開けられ、いろんな機械を口に入れられるのとは大違い。歯医者も昔とは違うのねと感心。子ども相手のテクニックは、学ばさせてもらわなきゃと思いながら帰ってきたのでした。

迷える保育士みるふぃーゆ

ジダンへの配慮処分、今度どうするFIFA

2006-07-21 13:49:29 | サッカー
 W杯ファイナルでのジダンの暴力レッドカード問題の、FIFAの規律委員会での処分が決定された。内容は、暴力をおかしたジダンが罰金約70万円と出場停止3試合(引退なので社会奉仕活動3日間)、その行為の原因となった挑発をおかしたとしてマテラッツィが罰金約47万円と出場停止2試合、であった。

 この決定は、ジダンに配慮した処分と思われる。マテラッツィの処分は挑発をしたと証言したといえども、FIFAは今後難題を抱えたことになるだろう。なぜならば、この種のレッドカードに対して、選手が侮辱発言が原因だと訴える可能性がある。また暴力を正当化するのに使う選手が、現れないとは限らない。それらにFIFAは、今後どう対応しようというのだろう。
 プレー中にばかばかしいぐらいの口げんかは、常にあるのである。ヨーロッパサッカーではさまざまな人種、宗教、政治的立場が異なる人が常に熾烈な戦いをしているので、少しばかりの挑発行為はプレーの幅のひとつとして見る向きもあるほどである。またある選手が普通と思ってやったことが、ほかの選手にとって文化の違いから激高を呼ぶこともありえる。
 口げんかのやり取りがあり、その直後でなくとも敵意が募って足で蹴ったり肘を使ったりすることは、よくあることである。ラフプレーの原因追及は実証できないので、それに及ぶことはないだろうが、今回の決定はそれに近い考えである。

 W杯は国を背負っている最大の大会だから、FIFAが挑発側の処分をしたのだろう。しかもフランスという誇り高い国の英雄であるジダンだから、とも受け止められる。両選手を同時に呼んで処分するということから、ジダンの先制のフランスのテレビでのインタビューあったからであろう。ジダンとしてはフランスの力を借りて、自分を正当化するのに成功したのである。
 今回の決定は示談ではなく、喧嘩両成敗でおさめたのだ。MPV剥奪に触れなかったのもジダンのプレーをめぐる両選手ことだけにして、フランスの移民の国内事情を考えて、ジダンに対する評価に触れない配慮をしたのだろう。また差別廃止に取り組んだいるFIFAとしても、ジダンのMPVに触れないほうが証になる判断したと思われる。

 今回のことで思い出してことを、ひとつ付言することにする。海外へ行ったときべテランの方から、人種と宗教と政治の話はしないことがよい関係を作るために必要だと、アドバイスを受けたことがあった。無意識のうちに避けていたようだったが、国と人種が一致するという視野の狭さがあったことを思い知らされた。
 台湾に行ったとき、通訳の学生と政治の話になってしまったことがあった。外省人と内省人と原住民などと中国との関係など予備知識を持っていたはずだったが、「独立したほうがよいのでは」と言ってしまった。その人は内省人のようで、当時の政府に不満と思えるような話になったためだった。学生通訳は、困ったような顔になったので、すぐ話題を変えた。
 わたしは、今は海外だけでなく日本でもこの種の話題は意識してさけるようにしている。

ジダンが先制口撃で有利な展開に

2006-07-19 19:14:25 | サッカー
 ジダンの試合中の暴力レッドカード問題は、FIFAが20日に結論出すという。朝日新聞の18日の社説は、「差別にもレッドカードを」というタイトルで、ジダンの証言にそった差別発言を戒める論調である。読売新聞の報道は「挑発行為を処罰されないのはアンフェアーだ」というジダンの主張を掲載している。これではサッカーの試合で起きたことが、ピッチ外にだして一般論としての差別をなくすことになってしまったではないか。
 ヨーロッパ社会にある階層格差の底辺に多い移民と、その人たちに対する摩擦や差別は好ましくないことはいうまでもない。ジダンは暴力でレッドカードを受けたのできびしい目が注がれるはずなのが、テレビでの侮辱発言があったから行為に及んだという先制口撃が効いて有利な展開になっている。さすがFWで、攻撃はうまい。ジダンのライフヒストリーが、あたかもマテラッツィが発言をした裏づけにもなっているようだ。マテラッツィは、もっぱらDFに終始せざるを得ない状況である。サッカーのプレーとしては、マテラッツィは暴力を受けたものの、被害者でも加害者でもない。ジダンのプレーだけが、問題されるべきことなのだ。
 20日のFIFAの事情聴取にはフランスのサッカー協会の人も同席するとのことだから、フランスの英雄であるジダンの厚遇ぶりはすごいものだ。

 一般的には欧米社会は責任結果主義で、理由のいかんを問わず処罰する社会といわれている。それに対して日本は、理由によっては情状酌量による減罰する。その意味で日本の新聞論調は、サッカーから離れた一般的差別論で展開して、ジダンの行為そのものより行為に至った同情で情状酌量を求めているのかもしれない。
 わたしはサッカーのピッチで起きたことの、実証のしようのない言葉のことで暴力行為を正当化するのは、汚点を残すと思っている。どんなことがあっても暴力はサッカーのプレーにあってはならないのだ、という毅然とした見解を示すのが必要なことである。審判が判定を下さなかった選手の発言に対して処罰することが、度々おこなわれるようになったら、現在のサッカーそのものが危うくなるというものだ。 


みんな生協の白石さんをめざすのか

2006-07-18 18:06:43 | 当世世間事情
■名札をさげる
 わたしの職場の職員は、数年前から名札を首からさげるようになった。先日テレビで見るには、学校の教師もさげていた。わたしも名札をさげなければならなくなったらどうしよう。
 これはいつ頃からどのような理由で普及してきているのだろう。ISOからきているのだろうか。

■やっぱり母親が・・・
 秋田県藤里町の子ども殺害事件のこと。小1の子どもの殺害事件が明らかになってからまもなくの頃、家族学を専攻している人と話す機会があった。雑談の際事件の話になって、わたしは自分の娘の殺害も間違いなし、と言い切ったのだった。彼はびっくりして、その根拠は、といった話しになった。わたしは事件の状況など詳しく知っていたわけではないが、母親の生活ぶりや心理状況から間違いなしと思ったのだった。
 そうだとしたら、小1の殺害をしたとしたら娘の殺害もばれるのに、どうしてそんなことするのか、といった話にもなった。わたしはばれないようにするといったことは考えないのではないか、今日の事件のかなりが消費者金融がらみ(この場合は自己破産の後生活保護)である、といったやり取りをしたのだった。わたしが驚いたのは、実家が近いといっても、ガスのない生活を何年も続けていることだった。
 その後この事件報道はさしたる関心事でもなかったが、17日の新聞報道では娘の殺害を供述したとのことだ。やっぱりといった感じである。

■またどうぞ
 1年ぐらい前から気づいたことだが、コンビニ、本屋などで「またどうぞ」というところが増えている。これもどのような理由で普及してきているのだろう。
 電話に出ると名前を名乗ることも数年前から普及した。理由は分かりそうだが、用件に入るタイミングがうまくいかない感じをしているのだが・・・。
 このような商的作法を作り出すのは、どこでだれがやるのだろう。

■知らない人に話しかけるとき
 初めての人と話しかけるときどうするか、ということが話題にしたら、学生は知らない人に話かけたことがないとのこと。実習では知らない人に声をかける必要があるから、自分流の言葉を見つけることにした。
 関西は「すんまへん」がいいとのこと。わたしはこちらの用件と相手と状況によっていくつかある。「おそれいりますが」「もしもし」「すみませんが」それに「お宅さんは」など言っていることが気づいた。

■みんな生協の白石さんをめざすのか
 生協(東京農工大)の白石さんのブログアクセス数はすごいというし、本も売れている。丸投げ質問に、距離を置きながら粘り強くしかも軽く答える。
 ある会合で、その事業所の広報担当のため白石さんの本を参考にして助かっているとのことだった。
 わたしもあのような「商的サービスコミュニケーション」を身につけなければならないのだろうかと、ふと考えるときがある。人間同士のつながり方が変化している感じである。

■ついに除菌クリーナー
 わが職場のトイレにも、ついに除菌クリーナーが設置された。数年前自分で持ち歩いて拭いてから使うという人がいて驚いたものだ。わたしもやがてそういう世界に入っていくのかな・・・。

ジダンが地団駄を踏む

2006-07-16 19:00:49 | サッカー
 W杯決勝でのジダンの暴力による退場問題が、尾を引いている。これをめぐってのフランスとイタリアのメディアの報道が激しいのとMPVに選出されたこともあり、FIFAとしては放置できないため11日にジダンの行為に対して調査をすると声明を出した。
 さっそくジダンはことを優位に展開するために、フランスのテレビでマテラッツィの侮辱発言があったからだとした。自分が非難されるなら侮辱発言したマテタッツィも処罰を、と攻撃に転じたのだ。
 今回の大会は、試合開始前に人種差別をなくそうというキャンペーンをしていたので、FIFAとしてもその種のことが絡んでいたとしたら調査ということをするだろう。またFIFAの規約では侮辱や差別発言には、試合停止を課すことになっていることからも放置は出来ないことである。
 しかしこの規約は、試合時に審判により発覚して判定を受けたものを規律委員会としての処罰を科すかどうか、ではないだろうか。試合中に選手どうしのこの種の発言のやり取りは、とくにヨーロッパでは珍しいことではないのだ。審判の耳に入らないで試合継続に差し障りがなければ、問題にしない。試合中の発言を問題にしたら、試合の継続が出来なくなる。

 FIFAが人種差別をなくすキャンペーンをしたということは、とくにヨーロッパでは観衆も含めてその種のことがそうとう蔓延しているということが容易に考えられる。
 それに試合中は侮辱も含めて選手を挑発する言葉のやり取りは、試合展開の中で自分の感情の表現として、あるいはプレーに付随した行為としてある。わたしは、ジダンをきびしくマークしていたマテラッツィとの間で、お互いに長い時間そうとう激しい挑発する言葉のやり取りをしていたと考えている。これは必ずしも相手の暴力も含んだラフプレーを誘発するというよりは、自分をふるいたたせ相手を萎えさせるという、いわば心理戦として珍しいことではないのである。
 マテラッツィはジダンのユニホームを度々引っ張るだろうし、それに対してもジダンはいわゆる気持ちで負けないという意味で口汚い言葉を返すだろう。そういったことを繰り返しているうちに、過去3回にわたって頭突きをしているジダンが得意技を披露したのだ。わたしがファイナル終了すぐに書いたコラムにあるように、ジダンはきびしいマークとともに強い疲労もあいまって、思ったようにプレーを出来ない自分にいらだっていたと思われる。

 ジダンは自分の暴力を差し置いて、マテラッツィへの非難を激しくしている。FIFAが両者に聞き取りなどの調査をするだろうが、それでマテラッツィを処罰するのもおかしなことだ。言葉のやり取りは終了しては証明が難しい。基本は試合中で審判が判定を下すのがサッカーというスポーツである。FIFAが処罰に関与するのは、試合中の反則の判定が試合にとどまらない重大な処罰を必要とするケースである。その意味ではジダンに制裁金貸す、あるいはMPV剥奪ということはありうるだろう。
 ジダンは、フランスでは英雄的賞賛を受けたとしても、FIFAは特別なスター扱いをしてはならないのである。

 宗教、政治、人種差別など絡んだ侮辱挑発はなくしていかなければならないだろうが、あくまでもサッカーのプレー中に暴力に及んだジダンは、サッカールールの非紳士的行為の最も重たい罰則が科せられることである。それがなかったら、言葉での挑発のし合いですんでいたことなのである。

 ジダンの暴力は、世界中の子どもも含めてみていたためその影響を懸念するが、わたしはプレー中にあのような行為をすると退場になったのだから、悪い影響を与えるとは思わない。むしろサッカーを職業にする人が、一瞬にしてプレーを続けられなくなるということを教える機会になるのではないだろうか。プレーを続行できなくなるということは、サッカー選手にとって重たい処罰なのだ、ということである。
 ジダンのようなプレーヤーでもきびしく判定されるという、暴力を戒める事例として子どもに伝えてはどうだろうか。

パートが社長になった会社の女性の働き方

2006-07-11 17:18:53 | 当世世間事情
■パートだった人を社長にした会社の女性の働き方

 女性社長が話題になって、全国展開しているリサイクル店のことである。古書を、本の廉価販売イメージをコンセプトにして1号店を出したのが96年というから、今年で創業11年である。今や東証1部上場会社となり、スポーツ用品など様々なリサイクル店として、全国はおろかハワイにも店を出しているという。
 ある会合に出たら、その会社に創業時から部外者としてかかわっている人と同席した。従業員800人中30%が女性で、店長の20%が女性とのことだった。店舗数は失念してしまったが、とにかく女性の発想と活動力を軸に事業展開していて、まだ伸びるだろうとのことだった。
 女性を重視する企業の、これからの会社のあり方として大いに共感したので、話が弾んだのだった。

■高齢者の自慢、傲慢、ナルシズム(?)のかたち

 デパートのめがね店でのこと。高齢の女性がめがねについて相談していた。そのうちに視力が大事な仕事をしていることに話がうつった。繊細な刺繍をしている作品を出して話し出したのだった。
 その女性は、どうもめがねは話の動機であって、刺繍のことをいかに自分はすごいことをしているかを披露したかったように見えた。めがね店の人は、ていねいに話しにうなずき応じていたので、商的サービスのコミュニケーションは大変だと思ったのだった。

 10年ぐらい前の話だが、保育園の運動会を見る機会があった。終了時の高齢男性の理事長の話のほとんどを、自分の子どもが医師だとか研究所勤務ということに費やした。場にふさわしいとは思えない息子の自慢話なので、わたしはもっぱら保護者がどのような思いで聞いているかを見渡していた。やっぱり下を向いたり、苦い顔をしている人が見られた。
 去年偶然にある会合で、その人と同席することとなった。話しの流れからそれてアメリカの大学の断片を「知ったかふり」で発言した。わたしは聞いているのが恥ずかしくなり終わるのを待ったのだった。その人は、どうもあっちこっちで傲慢な発言をしているらしい。

 世の中には、持って生まれた気質やいろいろな事情をかかえている様々な人がいる。いて当たり前なのだが・・・。
 わたしは改めて内なる自分に向き合い、自己表現の仕方をまっとうにできるようにして、穏やかに年輪を重ねたいと思ったのだった。

イタリアの優勝でW杯終わる

2006-07-10 14:29:00 | サッカー
 ファイナルは、ベルリンのオリンピックスタジアムでおこなわれた。
 開始7分の、PKをジダンが決めてフランスが先制した。イタリアは、19分に右のコーナーをマテラッツィがヘッドで決めて同点とした。
 ディフェンスの固いチームどうしだが、シュートが3本ずつでファイナルにふさわしい濃密な展開で前半が終わった。アルゼンチンのレフリーが、よく試合をコントロールしていた。
 後半のシュートはイタリア2本に対して、7本のフランス優位のようにも思えるが、イタリアはカウンターねらいに徹していたからだ。あるいは延長戦も意識して、抑え気味だったかもしれない。
 ジダンはこれまでの試合と中3日のせいか、運動量と鋭さに欠けていたように見えた。もっともイタリアのマークが、これまでのチームより厳しかったこともある。35分にジダンが痛んだ。わたしは、疲労で限界の域にあるではないかと見ていた。
 1-1で延長戦となり、イタリアはますますカウンターねらいに徹した。ジダンのヘッドによる惜しいシュートもあったが、結果としてフランスが走らされ続け、動けない選手が多くなった。
 ことは延長後半5分に起きた。ジダンが、イタリアの選手の胸に頭突きをくらわしたのだ。当然のこととして、レッドで退場となった。ジダンとしては許しがたい会話があったのだろうが、そのようなことは長い選手生活で経験済みだろうから、思うに任せないプレーと疲労の極致だったのではないかと推測する。イタリアはひたすらディフェンスに徹し、負けないサッカーをした。シュートがフランスの2本に対してイタリアが0本である。決着がつかず、PK戦となる。
 イタリアはPK戦に持ち込むプランがあったかのように、どの選手もキーパがキャッチできないところのネットに突き刺さった。フランスが1人外してあっけなくイタリアの優勝である。
 イタリアは、あたかもアメリカとフランス大会のファイナルのPK失敗で優勝を逃したことを教訓にしているようでもあった。フランスにとっては、ジダンの退場といい過酷な幕引きとなった。

 優勝が決まった後のイタリア選手とスタッフは、それとなく円陣となり跳び上がりながら歌い喜びを表現した。わたしはその喜び方に、好感を持ったのだった。
 フランス選手の平均年齢が30歳であり、ジダンは34歳である。ジダンはスピードと鋭さは衰えたもののボールテクニックと安定したプレーは、今後あまり出ない選手といってもよいだろう。フランスはジダンのチームといってよいぐらいなので、よくぞファイナルまで勝ち残ってきたものだ。
 イタリア選手の平均年齢が29歳であるが、自国のセリアA所属の選手で固めて、しかもGKをのぞいて全選手が出場した。イタリアのセイアAがいかにレベルの高いリーグ化を示したようなものである。全試合を通して2失点で、それもオウンゴールとPKである。監督が、いかに負けないサッカーに徹したかが分かるというもの。
 イタリアは、リーグでの不正試合が発覚し、名門ユベントスがBに降格した。4度目の優勝であるが、このたびはイタリアサッカーの建て直しの意味でこの上ない明るいことであろう。

 1カ月間のW杯が終わった。忙しい日常生活の維持のために、今回はあまり見られないと思っていたら、これまで最高の16試合を見たのだった。このコラムに書いていないものもあるが、そのうち時間ができたら書くことにする。中田英寿のことも。
 テニスの全仏、ウインブルドンは、何試合かを1時間ほど見ただけだったのはやむなしというところである。