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絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

朝日新聞 夕刊 【素粒子】から

2020-08-09 15:16:39 | 生活・教育・文化・社会
朝日新聞 夕刊 【素粒子】から

▮ 8月8日(土)
 心弾まぬ盆休み。行政は情報提供を。帰省か旅行か自粛か。国民の自律的な判断に。
          ◎
 ワクチン確保は急いでも焦らず。安全確保こそ最優先。
          ◎
 沖縄で感染確認100人の衝撃。GoToの、在日米軍の影響は。検証待たれる。
          ◎
 〈原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫をあゆむ〉金子兜太。75年前のあす、長崎が焦土に。

▮ 8月7日(金)
 宙に浮いたままの問い。広島市長は核禁条約推進を求め、首相は今年も言及せず。
          ◎
 官邸報道室員も公務員。首相に仕える前に、国民の知る権利への奉仕をお忘れなく。
          ◎
 お金を使うなら、コロナ渦で経営悪化の病院支援に。アベノマスクやGoToより。
          ◎
 猛暑の立秋。〈秋来ぬと目にさや豆のふとりかな〉近江丸

▮ 8月6日(木)
 勇み足は猛暑を。けれど会見を逃げ回るよりエエ。あんじょう気張りや、吉村知事。
          ◎
 GoToの旗をふる手前、帰省は自粛をと言えぬ政府。心配だ、お盆後の感染増が。
          ◎
 埼玉県東松山市に「原爆の図丸木美術館」を訪ねた。等身大の人物群から悲鳴が、慟哭が聞こえる。遠出しづらいコロナ渦。戦争の痛みを感じられる場
 所はきっと身近に。


朝日新聞 夕刊 【素粒子】から

2020-08-06 22:02:37 | 生活・教育・文化・社会
朝日新聞 夕刊 【素粒子】から

8月3日(月)
 世は矛盾のつきものだが。
 その1 GoToの観光へ、帰省は「慎重に」。相反するメッセージに国民は戸惑う。
 その2 日本が矛も盾も。ならば地位協定や「思いやり予算」の矛盾も正さなきゃ。
 その3 武装部隊の派遣でデモ再拡大を招いたトランプ氏。事態悪化こそ真の目的?
 継続は力なり。照ノ富士、けがをはね返して復活優勝。

8月4日(火)
 感染拡大ニ目ヲツブリ/ソレデモ「GoTo」ナノカノ疑問ハ素通リ/閉会中審査ヘノ首相ノ出席要求ハ素通リ/閉会中審査ヘノ出席要求ハ無視シ/憲法53条ニ基ヅク臨時国会召集要求ハ聞カヌフリ/河井被告陣営ヘノ1億5千万円ニツイテノ説明ハオ茶ヲ濁シ/「モリ・カケ・桜」ノ説明責任ハ口先ダケ/ソウイウ政権ヲ/アナタハ支持シマスカ?
 政権各位、夏休み返上の子どもたちにはずかしくない?

8月5日(水)
 75年前の8月6日朝、広島に原爆投下。<あすをだれが予見できるか原爆忌>江國滋
 日本が「敵基地攻撃能力」を持てば何が予見されるかは明らかだ。地域の不安定化と軍拡競争である。政権末期、民意が離れた首相が手を着けるべきテーマとは思えない。
 いや政権末期だからこそ、戦後日本の背骨である専守防衛に傷を残したいのか。改めて改憲に代わるレガシーとして。

朝日新聞夕刊 【素粒子】 から

2020-08-04 16:46:51 | 生活・教育・文化・社会
朝日新聞夕刊 【素粒子】 から

7月31日(金)
 コロナに夏休みはない。だから早く国会を開いて。東京都医師会の要請にうなずく。
 失職者4万人を超えた。休業・時短の要請を相次ぐ。で、首相はどこで何している?
 「戦後最長の回復」は、アベノミクスの成果の偽装か。景気の山は18年10月だった。
 中華5千年で初めて民主制度を実現した李登輝氏死す。

7月30日(木)
 いつまで、展望なき核燃サイクルにしがみつくのか。再燃処理施設「適合」の空疎さ。
 75年前の「黒い霧」。国の線引き不合理だった。援護行政を断罪した判決は重い。
 ついに岩手県でも感染者。今一度、危機感の共有を。
 けさ、青く、かれんな露草が道端にあり。〈そこしれぬ長雨となり蛍草〉川上利屋

7月29日(水)
 いやはや、よくまあ、ご冗談を。さらなる布マスク配布を「有意義」と官房長官。
 きのうの感染者の7割強は「東京以外」。あの「東京外し」の意味を問うかのよう。
 避難「指示」に1本化へ。「勧告」廃止でシンプルに。
 世に言う「日本3急流」の球磨川、最上川氾濫した。残る富士川は大丈夫ですか。

7月28日(火)
 筋が違う。風営法や食品衛生法でコロナ封じなんて。早く国会で、対処法の協議を。
 えっ、さらに8千万枚の布マスクを配る?誰がどう見ても血税のムダ遣いでしょ。
 「緊急事態宣言を市区町村単位で」。知事会の妙案だ。
 生前診断がビジネス化。「お金で安心を」との本音は「命の選別」と背中合わせ。

7月27日(月)
 いまも復興増税が続く国民への背信だ。土建国家型の震災事業でせっせっと裏金作り。
 非正規だけじゃない。コロナ渦で、正社員切も続々。
 「命の危険がある暑さ」をマスク姿で迎える夏だ。そろそろ、熱中症対策を万全に。
 やまゆり園事件から4年。自問する。生産性や効率性で人間の価値を比べてないか。

都道府県人口

2020-07-27 15:07:48 | 生活・教育・文化・社会
500万人以上の都道府県 (日本・世界地図帳 朝日新聞出版 1018年3月出版)
        
               新型ウイルス感染者(26日21時半現在)
1. 東京都 1355,3万人          11214人
2. 神奈川  915,5万人          2239人
3 .大阪腑  886,1万人          3218人
4. 愛知   753,2万人          1099人
5. 埼玉   734,4万人          2080人
6. 千葉   626,4万人          1478人
7. 兵庫   560,7万人          1021人
8. 北海道  537,万1人          1391人
9. 福岡   512,6万人          1432人

*上記以外の新型ウィルス感染者200人以上の感染者数
 京都府 659人  石川 313人  茨城 242人  富山 235人  岐阜 231人  鹿児島 216人 

 人口と新型ウィルスの感染者数は、全く関係はありません。ところがぼくはかねてから人口と感染者には関心を持ってみています。大雑把ですが、人口の少ないところは医療環境が相対的には脆弱ではないかととらえています。そのことはより危険性が高いとおもわれます。このところの与論町(島)でのクラスター(集団感染)が発生は危険度が高いと象徴的なことです。
 参考までに鹿児島166,8人 富山107,5万人 石川115,4万人 です。 感染者の出ていない岩手の人口は127人です。人口と感染者数は無関係ということです。無関係といいながら感染者数と人口に関心を持っているのは不思議です。   

朝日新聞夕刊 素粒子

2020-07-26 15:01:42 | 生活・教育・文化・社会
朝日新聞 夕刊 【素粒子】から

7月25日(土)
 死にたいという絶望と、生きたいという希望と。後者支えることが医師の使命である。どんなに難しい道でも。
 白血病からの復帰をめざす池江選手が語る。「希望が遠くに輝いているからこそ、どんなにつらくても、頑張れる」
難病の人も、障害をもつ人も。すべての人が「希望」を語れる社会でありたい。政治は、私たちは何をすべきか。
 ○嘱託殺人事件。

7月22日(水)
 非日常こそ旅の楽しみなのに、日常が追いかけてくる。感染リスクと「GoTo」のゴタゴタ。あすから4連休。
 女性活躍を掲げる安倍政権なのに、「202030」あっさり先送り。やる気も国際感覚も欠く男性支配政治。
 語るべきことは多いのに、会見も国会答弁もせぬ首相の1カ月余。ひいきの月刊誌のインタビューには応じたが。
 ○2020年までに、社会のあらゆる分野の指導的立場に女性が30%占めるとした目標。決めたのは2003年。

7月21日(火)
 「夜の街」に警察と官房長官。異議あり。統制より自律こそ「日本モデル」では。稚拙すぎる朝令暮改。10万円給付も、「GoTo」も。
 「GoTo」と言われても家族旅行は。夏休み短いし。
 想像する。街を駆ける鰻。自転車宅配のリュックで。土用の丑、せめておうちで。
 ○
7月20日(月)
 まさかこのまま「Go To」ですか? 感染拡大の渦中、国民と都民を分断して。
 まさかと思いたい。何かとぶつかる小池知事への意趣返しってことはないですよね。
 まさか東京除外のツケが国民に?当然の疑問だろう。キャンセル料、国が補償へ。
 まさか責任は赤羽国土交通省に?首相の姿はどこへ。
 ○感染拡大のなか前倒し東京除外で「GoToトラベル」の稚拙な政策・行政。首相は6月18日以来国会出席、記者会見なし。

 ■ 朝日新聞夕刊の「素粒子」の掲載することにしました。相当量のニュース内容を、鋭い視点で読み取り方を提示しています。最大発行数の週刊誌のコラムで、素粒子は意味不明としていました。意味不明とはもったいないと思い、掲載し保存することとします。
 なお、○は、ぼくがニュース内容を記述することにしました。


久米さんの声が聴けなくなる

2020-06-27 10:14:46 | 生活・教育・文化・社会
 毎週土曜日TBSラジオ13時からの「久米宏ラジオなんですけど」がきょうで終了となる。10年ぐらい前から聞くようになり、とくにここ数年は用事をつくらないで優先的に聞く暮らしになっている。
 オリンピック招致反対を掲げており、たびたびそのことに触れるようになってからは、ぼくはこの番組を親しみを超えてよりどころにしていたようだ。リオオリンピックの時期間中はそのニュースばかりでへきへきしたし、いやその前に東京招致の時「復興五輪」とか「アンダーコントロール」などウソを並べたことに醜いかけひきを感じてもいた。それに票集めに2億(?)使ったなど、商業主義のオリンピックが、競技者の励む姿と乖離が激しさもある。ある人は「絵はいいんだが額縁が悪い」といい、その的を得た表現もこの「ラジなん」で聴くことができた。

 久米さんのテレ朝の「ニュースステーション」を見るようになってかは、ニュースを面白さをともなってみるようになった。この番組のいくつかのコンセプトの中の一つに実況放送(様々な場所でのピアノ生演奏など)を取り入れたり、広い空間のスタジオにしたりといった演出も新鮮だった。また全国の人知れない地域からの自然と暮らしのレポート、桜前線に沿った照明を使った放送など記憶に残っている。そうそう多くの人が知らない「業界新聞」の紹介も記憶に残っている。これらの内容は番組スタッフによるのが基本であろうが、ぼくは久米さんの企画・アイディアも含まれていると推測している。
 それにカープファンであることにも大いに共感したのであった。

 60歳(?)でやめてから「ラジなん」を始めた。それにBS日テレの書評番組もやっていた。
 久米さんの優れている点あるいは特徴は、早い語りで歯切れがよいこと。早い語りというのは、いわゆる早口ということではなく、よどみない語りであること、それと間のとり方にも特長がある。話題を変えるときはむしろ間をとらないで次の話に走りだすのである。これが久米さんとしては自分のペースで進められることであるかもしれない。視聴者にとっては少しばかりの高揚感を感じることでもある。
 久米さんは声を高くして使っている。テノールの高さではなく本来明るいバリトンの声である。それを好意的に伝えようとして高くして出している。この声の使い方は、気持ちを穏やかで明るさを維持しなけらばならない。この声の出し方は疲れるし、加齢とともにエネルギーを使うことになる。

 インタビューは相手のリサーチを十分し、それをこなして相手の言いたいことを引き出す。これはインタビューを受ける側にとっても安心して話せることである。多くの人は「よく知ってますね・・・」といった言葉をつぶやき心地よくしゃべっており、喜びの体験になっているようにも思える。それに専門性や社会的立場等で人と向き合わずだれとでもフラットである。いわゆる手ごわい政治家でも商店街の店主でもしゅべりたいことを引き出せる、名人芸のようなものだ。

 「ラジなん」の久米さんの相手をするTBSアナ堀井美香は、柔らかく穏やかに低音を使っている。これは久米さんの声と走りがちとも思う人がいるかもしれないリスナーを穏やかにし、久米さんを引き立てる役割をしている。
 また番組最後に「彦いちネタ卸落語」がおもしろい。番組で取り上げた話題を織り込みながらの創作落語である。いたるところに話題のことをちりばめておりそれを探そうという思いにさせられ聞き逃すまいという思いで聴く。そして最後はほっとしてくすくすと笑える落語なのだ。

 さて、75歳の久米さんは、どうやらTBSラジオの経営陣に加わるようであ。そして最終回のゲストが伊集院光なので、氏に番組を引き継ぐと思われる。
 久米さんは人生の節目を自分で決めて実行する人のようである。オリンピック反対を掲げていたので、その直前の6月に放送をやめる。1月からはネットで放送を始めている。ぼくは同世代だけにラジオで久米さんの声を聴けなくなるのは淋しい限りであり、自分自身の加齢を意識する機会にもなった。久米さんありがとう。間もなく始まる最終回をじっくり聞くことにしよう。

*久米さんが経営陣に加わると記したのは、事実を確認したわけではなく、ぼくの推測です。推測の根拠は20日の放送で、TBSから手紙が届いた。会社の経営陣に女性が一人もいないと話題にした後、社長他2人を読み上げ、次に名前だけ読んてその中に「ひろし」もありました。このトークには暗に宏がその中に加わったと推測しました。この種の機知に富んだ話し方は、久米さんのトークの手法として時々使うのとぼくはみています。

*伊集院光がこの時間帯の番組に代わる、と推測したのは誤りのようです。20田中真紀子、13日玉城沖縄県知事がゲストだったのでこの並びだと最終回のゲストは、バトンタッチだろうと推測したのでした。番組が湯なるかの予告は確認できていません。

 

朝ドラ「エール」を見る

2020-05-19 16:20:30 | 生活・教育・文化・社会
 朝ドラはあまり見たことがないのですが、今は見ています。古関裕而がモデルということなので、その音楽への関心と生涯をどう歩んだか知りたい思いからです。
 あわせてその生涯は、ぼくの父と母と同世代であり、歩んだ時代を映像で知りたい思いもあります。父と母とは地域も環境も仕事も違うのですが、どのような社会的状況で生涯を送ったのかを想像する手掛かりになるかもしれない、という思いがあります。

 子ども時代を経て大正期はわずかだけで、昭和3年になってしまいました。大正初期に蓄音機でクラッシック音楽を聴ける家は、ごく限られていたはずです。それから大正13年からラジオ放送が始まり、音楽の普及という意味での環境が変わったでしょうが、それには触れられませんでした。それに大正期の「浅草オペラ」にも触れられていません。
 そして昭和8年になりました。作曲を独学とされていますが、その過程には全く触れられていません。レコード会社の専属となったものの、同期の古賀政男の「影を慕いて」が売れながらも、鳴かず飛ばずといったところです。山田耕筰が音楽界の重鎮としてふるまっているのは、分かります。その後軍隊の少将となり音楽家を束ねて戦争協力をしましたから。

 どうやらこのドラマは、古関裕而をモデルにしながらも社会背景に触れずに無風の中での身辺の人間関係と音楽で展開していくようです。モデルがありながらもフィクションとことわっていることからしても、ぼくの期待した時代背景にはほとんど触れずに展開していくようです。
 ドラマの作りとしても映像がアップが多く、ときに周辺の人の現実味のない映像が挿入されます。紙芝居的、お笑い的要素とも思われる手法を取り入れているのかも、とぼくには思われます。それに当時全くなかっただろうハグをするし、衣装や部屋のどの装置も新しくて生活感のないものにしています。これがリアリティーを遠ざけフィクションの世界に誘っているようでもあります。
 古関裕而は多くの人に親しまれた作曲家、とくにNHKやスポーツにかかわる曲も多いので、ドラマのモデルにふさわしい人でしょう。実在した人をノンフィクション風に描くことは難しいもので、負の評価を思われることを捨象し、場合によっては美化もするでしょう。

 ぼくは小学生低学区年の時から、ラジオを通して古関裕而の名前と音楽を知っていて、親しんでいました。「長崎の鐘」は作詞者とともに作曲者も耳に残っていました。
 印象深いのは「君の名は」の歌と音楽です。歌は本格的に歌唱の織井茂子が歌い、ラジオ番組でのハモンドオルガンが奏でる音楽は、いまだに耳元に残っているように鮮明に記憶があります。
 当時はNHKの「今週の明星」という歌番組はオーケストラでしたし、「のど自慢」「3つの歌」はピアノでした。ハモンドオルガンはめずらしい不思議な音でした。ぼくは小学3年生でした。同時期に「雪の降る街を」もぼくは口ずさんでいたと記憶しています。

 ところで古関裕而は、「異国の丘」「同期の桜」「若鷲の歌」「暁に祈る」「ああ神風特攻隊」という戦時歌謡も作曲しています。これらの歌の作曲者名は知りませんでしたが、ぼくはこれらの歌をすべて知って歌っていました。小学中学年頃です。父は兵士体験がないし、決して歌いませんでした。母はぼくが歌うのを禁止はしませんでしたが、目を背けるような姿が記憶に残っています。母は炊事をしながら時々「あかいくつ・・・」といった童謡を口ずさんでした。
 ぼくがなぜ覚えたかというと、古い雑誌の付録のような戦時歌謡集を探し当ててそれを見て覚えたのでした。メロディーは10歳上の兄(昭和16年からの国民学校入学で終戦時5年生、旧制中学最後の学年)がふと部分を口ずさむときがあったので、その時問いただすように聞いて覚えたのです。それに夕方近所の若者と子どもがなにげなく集まるときにも問いただした記憶があります。ぼくにとっては歌の内容ではなく、歌いやすいし多くを覚えたいという要求を満たすためだったからでしょう。

 ドラマは、古関裕而が戦時歌謡の作曲を手掛ける時代になるでしょうが、おそらく多くは省略されるでしょう。しかしどうやらレコード会社の商品として作り出されたのではないか、と予想されます。もしそうだとしたら、時代の要請と生活の糧としてつくっていたということです。長年戦時歌謡の作詩作曲者は戦争とどう向き合って作ったのか、というように考えていましたので、ぼくの考えすぎだということになります。
 このドラマの企画は、今年はオリンピックイヤーだったので、64年の東京オリンピックのオリンピックマーチの作曲者としての古関裕而をたたえることがテーマとして考えられたのかもしれません。
 なお、そのオリンピックの開会式、閉会式にぼくはバックスタンドにいたのでした。森正が警視庁音楽隊と合唱の指揮を執りました。

 3月まで放送されたテレビ朝日の倉本聰の「やすらぎの刻~道」は、フィクションでありながら、フィクションだからこそ戦時下の農村の描き方がリアルで、ぼくの父と母の暮らしぶりや地域の暮らしぶりにも想像力が及びました。
 朝ドラは趣旨は違うし、そのような期待をすべきではないと言い聞かせながら、今後も見ることになるでしょう。



ドイツ・メルケル首相の国民へのメッセージ

2020-04-13 19:54:26 | 生活・教育・文化・社会
【全訳】メルケル首相、自宅隔離から復活のスピーチ「“その後”は必ず訪れます」

 “ドイツのおっかさん”アンゲラ・メルケル首相だ。3月22日、首相に予防接種をした医師の新型コロナウイルス感染が判明したため、自宅隔離に入ったが、検査で陰性となり戻ってきた。そして、テレビを通してイースター休暇を前にした国民に語りかけた。その全文をお届けする。
 
 国民のみなさん、こんにちは。

 今日、こうしてまた首相府からみなさんにお話しすることができるのを嬉しく思います。自宅隔離を終え、体調も万全です。私はいま、14日間一人で家にいること、そして14日間電話やインターネットでしか世界と繋がることができないのは、簡単ではないと確信しています。

 新型コロナウイルスにより自宅に一人でとどまらなければならない高齢者や持病のある人にとって、そして私のように隔離を求められている人にとって、この時期はとくにそうでしょう。そうした状況にいる方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 このウイルスとの戦いにおいて、私と連邦政府にとって何が意思決定の指針となるのか、いま一度みなさんにお伝えします。まもなくイースターが始まります。ふだん教会に通う何百万人ものキリスト教徒にとって、復活祭(日曜日)とは、家族みんなで散歩をしたり、焚き火をしたり、あたたかい南部の湖で過ごしたりするものでしょう。でもそれは、これまでの話です。今年は違います。

 私が今日申し上げたいのは、私たちはこれまでとはまったく異なるイースターを過ごすことになる、というものです。もちろん、キリスト教徒は受難日(金曜日)と復活祭を祝うことでしょう。でもほかの信者と共に教会に集まることはできません。この数週間、各教会がテレビやラジオ、インターネットを通して素晴らしい礼拝を多くの人々に届けてくれていることを嬉しく思います。イースター期間中はさらに増えることでしょう。

 そして私は、国内の宗教施設で集まることができないユダヤ人やイスラム教徒、そのほかの宗教を信じるみなさんのことも想っています。緊急事態宣言は、社会に大きく影響するものであり、緊急時に最低限の期間しか受け入れるべきでないものの一つです。

 この2週間の自粛ルールを守りながらも、イースター中に散歩をすることはできるでしょう。ただ、それは同居する家族とのみ、あるいは家族以外の1人とのみ可能です。短くても1.5m、できれば2m間隔をつねに空けなければいけません。頻繁な手洗いも忘れないようにしましょう。

 マスクを着けていたとしても、ソーシャルディスタンスを保つことをつねに心がけてください。ウイルスに対するワクチンや治療薬がない限り、ソーシャルディスタンスを保つことは最も効果的な予防法なのです。
 もう一つ、肝に銘じてください。たとえ小旅行であっても、イースター休暇中にドイツ国内の湖や山、親戚を訪ねてはいけません。

 とても辛いですね。わかります。私たちは好きなときに好きなだけ移動し、旅をし、したいことをするのに慣れています。私たちの自由な人生の基本です。ですが突然、こうしていくつものルールや規制ができました。でもこれらは命に関わる重大なものです。ですから私は、このイースター直前のいま、もう一度みなさんに思い出してほしいのです。

 みなさんのなかには、「もう2週間も規制に従っている。あとどれだけ続くんだ?」と思う人もいるでしょう。わかります。ですが、私がいま解除日を端的に申し上げ、今後の感染率を鑑みてもし約束を果たすことができなかったら、とても無責任なことになってしまいます。

 もし私が約束を台なしにしてしまうことがあれば、医療も、経済も、社会もどんどん悪い状況になるでしょう。



関連記事: 【全訳】メルケルがハーバード大で「壁を壊そう」 

 私がみなさんにお約束できるのは、連邦政府を頼ってくださいということです。私も昼夜問わず、どうすればみなさんの健康を守りながら、元の生活を取り戻すことができるかを考えています。
 もし私たちが自分の責任について考えなければ、それに応えることすらできません。同じように、現実にそぐわない規制解除日を決めたり、間違った希望を膨らませたりしては、責任を果たすこともできません。
 あらゆる視点から全体像を捉えるのは、とても骨の折れる仕事です。ですが、親愛なる国民のみなさん、連邦政府と私個人がこの仕事を担うことに期待していてください。それがまさに私たちが取り掛かっていることです。お約束します。
 このことで成功し続けるため、私は今後もみなさんの協力を必要としています。率直に申し上げます。この数週間、国民のみなさんは大きな力を貸してくださっています。我が国の最も良いところが表面化しています。このことに私は感謝しきれません。
 コロナウイルスの感染は、ドイツでもいまだに急拡大しています。この病により命を落とした方々、そのご家族とご友人に心からお悔やみを申し上げます。
 毎日数千人が新たに感染しています。つまり、新たな患者も毎日増え続けているということであり、一部の方々は病院での集中治療を必要としています。
 重症の方々を含め、まだみなさんに必要な治療をできる状態にあります。私たちは人間社会に生きています。数字ではなく、一人ひとりの尊厳が守られるべきです。
 ロバート・コッホ研究所による最新情報では、新たな感染者の増加ペースは数日前よりもわずかながら落ちてきています。ですが、これを「傾向」として結論づけるにはまだ早すぎます。いまの時点で規制を緩めることもまた、早すぎるのです。
 専門家は、要請にみなさんが従うことで、感染カーブを緩やかにすることができると言っています。私たちは、医療システムがコロナ禍という大きな負荷にきちんと対応できる状態にしておかなければなりません。
 4月1日の州首相との会議では、自粛要請ガイドラインはいったんこれまで通り、イースター休暇最終日の4月19日までとすることで一致しました。それ以降の指示は、ウイルスの拡大状況と病院への影響に大きく左右されます。
 いまは不安が募るときであることを、私もよく理解しています。みなさんの家庭、職場、そして国全体が要請によってどう変わるか、という問題ですから。政治家が簡単にみなさんの心配を取り除くことができるわけではありません。
 ですが、政府としてできることはすべてやる心づもりでいます。この数日間、ドイツでは過去最大級の財政支援策と社会保障をしています。助成金やローン、短期の休業補償に対する数え切れないほどの手続きが、なるべく官僚的ではない形で迅速にされています。


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 みなさん、覚えていてください。連邦政府はみなさんとともにあります。私たちの社会的市場経済が価値あるものだということを示すために、できることすべてに取り組んでいます。
 私たち国民全員が、このパンデミックからほぼ毎日学んでいます。科学者も、政治家も同じです。みなさんの忍耐に感謝します。
 ルールを守り、人との接触を控えてできるだけ家にいるみなさんは、それだけで能動的にいいことをしているのです。この状況下で、どうしたらほかの人の力になれるかと考えを巡らせている人も同じです。
 確かにソーシャルディスタンスは守らなければなりません。ですが、それが親しみや愛情、連帯感を示すのに妨げになることはありません。手紙を書き、電話をかけ、スカイプで話し、ほかの人の買い物を手伝い、自宅でのコンサートをネット配信することもできます。これらのすべてが、いまの時期を一緒に乗り越えていく力になります。
 “その後”は必ず訪れます。心から祝うことのできるイースター休暇はまたやってきます。「結果論」としての素晴らしい生活がいつ戻るかは、いまの私たちの手にかかっているのです。



買い占め 買い溜め 買い置き

2020-04-12 15:56:26 | 生活・教育・文化・社会
 アメリカで新ウイルスの流行が始まった初期に、ピストルの購入者が増えたという報道がありました。アメリカらしいというか、そういう国なのだと思いを巡らしました。日本ではトイレットペーパー等が棚から消えた、ということでした。
 今の「緊急事態宣言」を発出するという報道の時に「食料や生活用品などは平常通りですから、買いだめをしないように」というアナウンスをしている番組がありました。
 毎日、速報といって感染情報や感染者数の増加の放送が続くと、特別な心理状態になる人が出るのも無理からぬことでしょう。その心理が普段と違った行動に走らせることもあります。

 ところで巷で言われている「買占め」「買い溜め」とはどのよう行動の意味合いを持つのでしょうか。いずれも必要以上に買うということです。つまり余分に買うということですが、その余分がどのような意味かによって、意味合いが違ってきます。
 「買占め」は買いたい人が多くいるのに、品不足などを予測して独占的に必要以上に買い込むというでしょう。
 「買い溜め」は、余分に買うという意味でしょうが、買い物が不便なところではこのような購入行動をとらざるを得ない人もいます。
 もう一つ「買い置き」という言葉があります。特別な事態とは無関係に余分に買うことです。典型的には災害に備えての用品や保存食等の購入、備蓄といわれていることもその一つです。

 わが家はいつもこの「買い置き」をする購入行動をしています。トイレットペーパーなどの生活用品は、おそらく3~4カ月分買い置きしています。
 主な理由は、カタログを見て注文して配達してもらう、というシステムを利用しているからです。店への買い物は週1回ぐらいでしょうか。
 ただしこの購入行動は、食料に関しては冷凍が多いことと冷蔵食品が賞味期限を切れてしまうものもあります。生鮮食品はなるべく味の落ちない賞味期限に食べるようにしています。そのため冷蔵庫の食材を見ては「何をつくろうか」あるいは「何から片づけるか」といった心理状態といってもよいでしょう。
 ぼくの購入行動の利点は、カタログに一覧性(食品と用品等全体像)があるため、大きな視野から選択できます。それに全国的産地の中から選択できるため、珍しいものを食べる楽しみもあります。
 こういった「買い置き」の購入行動は、ぼくの性格も反映していると思っております。備えていると安心なのかもしれません。それを日常的にやっているのでしょう。
 ただし、日用品を買い溜めや買い置きをし、生鮮食品をつねに新鮮なものを、というのがよいのでしょう。

 「緊急事態宣言」の中で、世間と自分の購入行動のことを考えてみました。



社会的距離、ソーシャル・ディスタンス

2020-04-10 16:59:58 | 生活・教育・文化・社会
 ウィルスを拡散させないために「出かけないで家にこもっていてください。ステイホームです」と呼びかけられていますが、人間にとって人との関係を断つとはつらいことです。
 もし人と関係を持つ場合、あるいは人混みは社会的距離をとってくださいとのこと。英語でソーシャル・ディスタンスといいます。にわかに社会的距離が、ウイルス対策のため対人距離のキーワードとして、多くの人に行き渡るようになりました。しかし突然言われだした社会的距離という概念は分かりづらいです。
 人によってはフィディカル・ディスタンスとした方がよいという見解を持っている人がいます。対人距離なのでそのような表現がよいということです。医師の鎌田實氏は「離れてつながる」ということが大事ということです。対人関係を断ち切ることではなく、からだの距離をとるがつながらなければならない、とのことです。なるほど納得です。

 ところでにわかに世のキーワードになった社会距離という概念の出どころは、アメリカのE・T・ホールによる近接空間学からです。そこから一部を取り出したものなので、内容の全容を紹介します。次のように区別されています。

密接距離(0~46センチ)親密距離とも言い、ボディコンタクトが可能な距離。
私的距離(~1.22センチ)親しい関係、あるいは親しくしたい距離。
社会距離(~3.33センチ)公的空間をかろうじて保てる距離。
公共距離(~7.62センチ)お互いに直接関係を持たない距離。演劇、選挙演説会など。
 
 このように対人距離、あるいは空間の距離全体のなかでの社会距離の位置づけが分かれば、理解しやすいのではないでしょうか。
 この空間と対人距離のとり方を自分のものにすると、対人関係あるいは空間環境状況の見方や使い方など役立ちます。
 もともと家族など親しい人以外は、社会距離ぐらいの方がよいのですが、日本では公の場電車等では親密距離、私的距離が多いです。日本の生活様式からして平気ですが、人によってはそれ自体がストレスなっている場合があるでしょう。
 欧米の場合は出会い・挨拶で密接距離によって相互確認をします。そのような関係でない場合は社会距離ぐらいをとります。無関係なのに私的距離までになるとトラブルを発生させる場合があります。

 佐藤綾子著『自分をどう表現するか―パフォーマンス学入門』(講談社現代新書 95年10月初版発行)から引用しましたが、説明文はぼくが書いたものです。距離の数は、インチをセンチにしたものなのでおおよそと理解した方がよいでしょう。