敬老の日のを迎えるにあたり、老人のことが話題になります。100歳以上の人口が連年増えて、6万8千人ほどです。老人関係の諸施設では、90歳以上は珍しくないとのことです。高齢社会というのはわが住宅街でも実感しているところです。
ぼくも高齢者の構成員です。70歳以上に町内会で配布される紅白まんじゅうを頂きました。長寿を祝すということですが、昔から変わらない味を確かめるように食べました。
ところで昨日公民館主催の文化講座の申し込み電話をしました。名前と住所等を伝えて最後に何歳かを聴かれました。「70歳台」と返事をすると、とたんに声の表情が変わり、言葉の語尾に「ね」という確かめるあるいは言いこめるニュアンスの語尾をつけ始めました。そして、一度触れたのに「水を必ず持参ください」と繰り返し、「2回目はフィールドワークです」「体に変調があったらの連絡先をお願いします」と続きました。その語気を強めての確かめる言い方に、「心配」や「配慮?」が必要と思われる年齢なのだ、という体験になりました。
数日前のこと。住宅街で電動車椅子の男性とすれ違いました。
「この辺に団地はありませんか」と問われました。その場所では団地といわれている建物がないので、年恰好から集合住宅を指しているのかなと思い、
「民間ですか、公団(あえてURといわない)、それとも〇〇ですか」と返事しました。反応が思わしくないので、車椅子なので単独行動ではないと推測して、
「どなたと一緒でしたか」
「カミさんと・・・」そこで自宅を探しているのだ、と事情が分かりました。
「〇〇ですか」と問うと、うなずきました。
そこを目指すて歩きました。電動なので早いし、停止しなければ危険と思われるところもとまりません。その間、
「〇〇から引っ越ししてきたばかり」「カミさんを待っているのがいやになって一人で来た」といったことを話していました。間もなく目的の〇〇にについたので、
「何号棟ですか」と問うと
「5号棟」という返事が返ってきました。しかし5号棟はありません。すると
「ここを行けばいい」といって、たどり着きました。そこは〇号棟でした。
その人は、しっかり話し方と声の張り、整った服装でした。一般的には、何か事情のある人とはとてもきづかないです。
しかしこの間、ぼくは言外にある事情と状況を推測して、比較的効率よく彼の目的である自宅へ戻ることの手助けをできました。
おかげさまで、このところ暑さで怠っていたウォーキングを40分できました。