絵本と児童文学

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モノがだぶつく

2020-06-19 17:27:43 | 歌、声楽
【みるふぃーゆコラム・福島発】

 シャープのマスク抽選は、第8回にして当選! でも、新コロナの第2波はくると予想し、あるいは次シーズンのインフルに備えて1箱60枚入りのマスクを1500円で購入しました。
 さらに、手作りマスクも、素敵な材料が次々と出てきて、入手しては作っています。それとは別に、マスクは暑いので、冷感マスクも買ってみました。ユニクロのもつけてみたいし・・・。

 また、わが家でだぶつきつつあるのは「エコバッグ」です。7月1日からのレジ袋有料化にむけ、今まで持っているもので充分なのに、ポイントの賞品になっていたりします。そこで間に合ってるのに、欲しくてがんばってポイント集めちゃったりしてるんです・・・。「鬼滅の刃 禰豆子のあづま袋」とか「カップラーメン3つのバーコードで必ずもらえるキティとブタさんのエコバック」とかです。
 マスクもエコバックも収集が癖になりそうです。


デュオコンサート

2020-01-28 20:07:05 | 歌、声楽
 天気予報では雪が降る可能性ありだったのですが、1日中雨が降りました。気温が5℃以下でしたから、この時期の気候らしく寒い日でした。ほぼ欠かさないウォ―キングをしませんでした。

 きのうはテノールとソプラノのデュオコンサートを聴きました。テノールは惜しみなく声を出すというか、ドラマチックな声でした。人によっては輝かしい声と感じるでしょうが、ぼくには喉に負担のかかった声に思えました。ピアニッシモの表現、高音の伸びやかさがほしいと思いながら聴きました。バリトンからテノールに転向したとのことなので、その声に納得したのでした。オペラではその声がふさわしい役がいくつもあるのでしょう。
 コンサートに行く時間を取れる条件が難しいぼくにとっては、ぜいたくな時間でもありました。

 70年代だったでしょうか、宮原卓也という人がバリトンからテノールへ転向したということを思い出しました。当時は声域は決まっているものと思っていたので、とても驚いたものでした。しかし自分の体験からして、ありうることと思っています。
 現在趣味で声楽をしているので、ぼくのことにふれてみます。声域はバリトンであり、高音がミフラットまででした。ところが2年前から「頭声発声」の指導を受けてから、現在はソまで出るようになりました。歌ではファまでしか使っていませんが。
 声域はバリトンと変わりませんが、高音を使えるようになって、以前より曲の選択幅が増えたのと高音の表現が楽になりました。合理的な発声法にたどり着けば、楽器としての声も性能がよくなることのようです。
 

オペラ「椿姫」また

2017-02-06 20:34:32 | 歌、声楽
 電車を3回乗り換えて2時間近くかけてオペラを見に行きました。特別なオペラではない、いや視点を変えると特別でした。アマチュアのキャストによる上演でした。そこにぼくは関心を持ち、遠くまで出かけたのでした。

 とはいっても「椿姫」ですから、わずかばかりのアリアを歌う経験ではできません。主役であるヴィオレッタ(ソプラノ)は二期会会員ですからプロであり、相当な歌唱力でした。力がなければこの役はできません。
 ヴィオレッタの恋人役であるアルフレード(テノール)は、職業がキャリア官僚の人でした。相当量のアリアを歌うので、アマチュアがこの役をできる人は珍しいです。高音も含めて音色が同じで歌唱も見事なものでした。とくに言葉がしっかりしていた印象です。これだけを歌いこなす音楽経験は、キャリア官僚コースに近いといわれている大学でオペラをはじめたようです。個人レッスンを重ねて、すでにいくつものオペラに出演しているとのことです。30歳代と思われるも、驚くべきことです。十分楽しめるぐらいよいと思いました。
 しかしアマチュアであることは、合唱がともなうところのアリアの歌唱が混じってしまっう、演技が普段の暮らしが感じられるなど、気づきました。
 とするとプロというのは、声が特別であり演技もそれとわかる花があります。いや、プロと比較して優劣というのではなく、プロは長くトレーニングを積んで作り上げる特別なものだ、ということを改めて気づきました。
 
 「椿姫」はおそらく10回以上見ており、ストリーが分かり、役といくつかのアリアが知っています。そのため字幕を見ずに舞台に専念して見られます。この条件だとオペラを楽しめます。
 アルフレードの父親であるジェルモンド(バリトン)の有名なアリア「プロヴァンスの海と陸」を注目しました。声がアマチュアにあまりいないような立派な声でしたが、高音の「ソ」の音がかすかに出している感じでした。しかし息であってもメロディーがしっかりしていれば、声がわずかでもそれらしく聴こえるということが分かりました。ぼくはこのアリアが好きなので、時々口ずさんでいます。
 また主役であるヴィオレッタは悲劇のヒロインなのですが、舞台の当初は華やかな夜の社交場からですから、妖艶で華やいだ部分が必要なのですが、堅実で質素で物語の中盤以降から終了の頃の姿と歌唱でした。この辺もオペラというのは歌唱力だけではなく、適役あるいは役作り、また演出の重要さも発見しました。
 優劣ではなく、相対化しながらオペラを総合的に味わう体験として、初めての遠くの地に行っただけの値打ちがある体験でした。
 
*アリア「プロヴァンスの海と陸」の最高音に誤りがあったので訂正します。(2月9日)

80歳のテノールの声

2016-12-20 17:30:29 | 歌、声楽
 100人収容のホールは、まるで教会のように天井は高い。椅子は木製で上等なつくりだ。ホールの少ない昭和の時代の力の入った薫り高い空間である。司会者が開始を告げて、そのままステージに上がって歌い始めた。
 また司会者に促されて、次はピアノ独奏が始まった。その次は独唱、という具合に進行した。みなカジュアルな服装という珍しいコンサートだ。
 ぼくはこれまで2回聴いている80歳のテノールの歌が聴きたくて、60分余りかけて出かけた。普通の発表会と思っていたが、どうも勝手が違う。ドレスではなくカジュアルな服装であること、高齢者が多い、楽譜を見て歌う人もいるなど、とても関心を持った。

 コンサートの性格等全く知らずに出かけたが、演奏を目的としたサークルであるとのこと。ぼくはそのようなサークルの在り方がすっかり気に入った。年3回コンサートをやっていて、次回の3月にぼくも参加しようと考えたのだった。

 ところで80歳のテノールは、曲はプッチーニの「マノンレスコー」から「なんと素晴らしい美人」、プッチーニ「ボエーム」から「冷たき手」の2曲を、見事なハイHという高音を使って歌いこなしていた。これまでどのぐらいやったのか定かではないが、今はレッスンを受けていないとのこと。ベルカント発声をそうとうやって声をつくったようだが、高齢のアマチュアなのにすごい水準と感心するのみだ。
 この世代の人は、NHKがイタリア歌劇団を連続よんで数十回公演して、日本にオペラを普及させた時代の洗礼を受けたのではないかと想像してみた。高音が出る才能恵まれたこともあるだろうが、日本に普及していないオペラへの関心とそれを受け止める教養も必要だろうしなど、様々な想像をめぐらした。
 今後機会があったらそのような話を聞きたいと思った。帰路の電車では加齢による歩行等の衰えなど嘆いていた。「新しいとしなんて来るな」という言葉が耳に残った。
 ぼくは、80歳でなおステージで15分ぐらいを歌いきることへの感嘆と敬意の念を深くする。とにかく今後も逃さず彼の歌を聴くことにしよう。それに声楽への取り組み歴も関心がわいた。

死んだ男の残したものは

2016-12-11 13:55:31 | 歌、声楽
 今レッスンで歌っている歌は「死んだ男の残したものは」です。これまで歌ったものからいくつかの曲を、先生に「記録」に残してもらっています。
 この歌は60年代から70年代のベトナム戦争があったときに歌われていました。
 フォークソングが、社会へのメッセージとして力があった時、多くのフォーク歌手によって歌われました。アメリカのバエズ、ディランなどの曲もラジオなどでよく流れていました。

 詞は谷川俊太郎で、作曲は武満徹です。谷川俊太郎は難解なものは少なく、平易な言葉で深い意味を持つ詞をたくさん書いています。読み手側に思索の素材を提供するような詩が多いです。
 作曲は武満徹です。黒沢明作品の作曲を随分手掛けていますが、歌曲(歌)もあります。メロディーが平易で一見歌謡曲とも思えるようなものが多いです。大衆に親しまれるという点では中田喜直もいます。中田はメロディーがきれいですが、武満は深みがあります。武満の作品は声楽家が格闘するに値するものでもあり、高名な歌手がCDにしています。
 
 ぼくは今、過去にフォーク歌手の歌を聴いていた時より深い意味を感じながら、取り組んでいます。これを歌いこなすために、詞とメロディーをどのように声で表現すればよいかを考えて、自分のものにしようとしています。
 6番まで歌うと5分ぐらいかかります。ベルカント発声なので、息の使い方と体に響かせるようとするとけっこう消耗します。この歌を3回歌うことは、体とともに集中力も含めて簡単なことではありません。しかし発声、練習曲、日本歌曲など40~50分声を出すことは「お勤め」のようにしています。
 この歌の深さ少しでも表現したい思いが募ってくる曲ゆえに、励みになっています。

 1.死んだ男の残したものは
   ひとりの妻とひとりの子ども
   他には何も残さなかった
   墓石ひとつ残さなかった

 2.死んだ女の残したものは
   しおれた花とひとりの子ども
   他には何も残さなかった
   着物一枚残さなかった

 3.死んだ子どもの残したものは
   ねじれた脚と乾いた涙
   他には何も残さなかった
   思い出ひとつ残さなかった

 4.死んだ兵士の残したものは
   こわれた銃とゆがんだ地球
   他には何も残せなかった
   平和ひとつ残せなかった

 5.死んだかれらの残したものは
   生きてるわたしいきてるあなた
   他には誰も残っていない
   他には誰も残っていない
   
 6.死んだ歴史の残したものは
   輝く今日とまた来る明日
   他には何も残っていない
   他には何も残っていない

 ぼくには6番の記憶はありません。ぼくがなじんでいた高石ともや小室等は、6番を省略していたためでした。平和な未来への新しい歴史への期待が託されている詞で終わることが、人間の良心を信じることになっています。
 *最後の部分があいまいな記述だったので、加筆と修正をしました。(12-12)
  


声楽の発表会を聴く

2016-11-27 17:16:12 | 歌、声楽
 声楽の発表会に、久しぶりに行ってきた。1年半ぶりだろうか。それ以前の4年間ぐらいは1時間ぐらいの範囲は出かけていたので、年間15回ぐらい足を運んでいた。初期の頃は、周辺で頻繁にやっていることを知らなかったので、1時間半ぐらいかけて上野まで行ったこともあった。聴いて自分の歌の向上の参考にしたいためだが、今思えば「熱中症」の性格であることに自嘲している。

 さて、今日の発表会の教室は、1昨年も聴いていたことを思い出した。女性ばかりで60代から70歳代と思われる人たちである。
 教室によって特徴があるのだが、無理なく声を出しているのに好感をもった。「無理なく」というのが重要である。力任せではなく声を出していたが、喉に負担をかけずに歌う人が多かった。
 とくに注目をしたのは息の使い方で、息に声をのせて出す、という感じである。大きく声を出すのはある程度できるものだが、大きくから小さくする、あるいは小さい声で表現をするというのはなかなかできない。小さく出しながら届く声にすることは難しい。自分の今の課題にてらして、その辺に注意をして聞いた。

 アリアを高音を大きく歌うため「キャー」という叫び声のようになっているのを聴くことは少なくない。ベルカントの発声で声をつくるのだが、その段階の課題に即した選曲でない場合に起きるのではないか。
 選曲を指導者がしているのか、当人の希望を踏まえられているのか、といったこと。この発表会では、歌曲とアリア1曲ずつ歌っていた。
 歌曲は日本歌曲とイタリア歌曲のどちらかを選んでいた。印象としては日本歌曲は親しんでいるせいか、歌いこなしているようだった。
 アリアも無理なく歌っていた。比較的知られているアリアで音域の広くないものを選んでいたようだ。こういったことは、歌うことに確信と達成感もてるために重要なこと、と考えさせられた。これらは当たり前のようでいて、往々にして挑戦的に高音を出さなければ歌えないような曲を歌っていることはめずらしくない。

 とても珍しい体験をした。主宰者の母親と娘がアリアの2重唱を歌ったが、音色、音質がほぼ同じのため、交互に歌うところの区別がつきにくかった。一人で歌っている感じといってもよいのだった。親子というのが似るものだと感心した。普通は同じソプラノでも音質が違うのでそれに即してキャラクターを区別して聞いているという平凡なことを改めて気づいたのだった。ちなみにその2重唱はそうとうな水準のものだった。


 

声楽のレッスンが面白い

2016-08-17 20:37:22 | 歌、声楽
 台風は、昨日の予報より早く進み東にそれたので、夜は強風とときどき強い雨でしたが、朝から晴れました。今は北海道中央から東部あたりを進行しているようです。
 水曜日は、隔週埼玉県西部に2時間かけて声楽のレッスンを受けに行っています。台風が過ぎ去った後なので、暑くて熱風のような風が吹いていました。
 電車はいつもより空いていました。学生が夏休みで利用していないだけではないように考えました。電車は4回乗り換えるコースと2回乗り換えるコースがありますが、その選択は座れるか可能性があるほうを選びます。帰りは2回乗り換えコースが多いです。仕事をしなくなってからは、これが外出であり、生活の変化という点では旅行のようなようなものでもあります。

 声楽はベルカント発声にもとづいたものなので、体が楽器のようになるために声を体に共鳴させて大きな声にしていきます。マイクを使わずにホールで聞き手に届くような声を出せるようにするのです。ヨーロッパのオペラ歌手のような歌い方で、音楽大学の声楽専攻の学生が学ぶものです。
 6年ぐらい続いていますが、こんなに続けられるとは予想外でした。目標を設定して励むという性格のせいで、これまでも当面の目標を設定して続けてきました。それにかかりつけ医が「歌は体にとても良い」といってくれたことも続けられている理由です。

 今はもっぱら日本歌曲を歌っています。イタリア古典歌曲をやり、モールアルトのオペラアリアも少しやりましたが、言葉の意味が分かって歌える日本の歌がいいです。今は昔の子どもの歌である唱歌、童謡を歌っています。
 ついでですが唱歌は尋常小学校の音楽の教科書の歌です。作詞作曲者名のが伏せられている歌です。たとえば「夏は来ぬ」「朧月夜」あるいはよく知られているのは「故郷」「紅葉」があります。「故郷」「紅葉」は高野辰之詞岡野貞一曲です。
 童謡は大正期から市井で歌われたもので、雑誌やレコードを通して広まりました。「赤い靴」「花嫁人形」といったものです。唱歌の歌詞が雅文調に対して、童謡は話し言葉口語調です。
 今日歌った歌は「冬の夜」「夏は来ぬ」「赤とんぼ」「荒城の月」で、どれも小品です。これらの曲を息に声を載せて表現する、歌唱力を向上させることに力を注いでいます。その歌の表現をするために声を使う、つまり歌唱力を高めるということが分かりつつあって、面白いのです。小品を歌うからこそ自分の歌唱の変化が分かりやすいのが良いようです。