絵本と児童文学

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ペン回しを認知させよう、という動き

2008-03-31 14:00:59 | 生活・教育・文化・社会
 今朝のNHKテレビの「おはよう日本」で、昨日あったペン回し大会決勝の模様を紹介していた。勉強や授業中に生徒・学生が、所在無げにやる行為のペン回しが、競技にしたことに驚いた。
 早速ネットで調べたら、日本ペン回し協会(会長23歳、07年7月発足総会、会員800人)というのを作っていることがわかった。実際はともかくとして、2月下旬から予選をして決勝大会をしたとのこと。競技となると、技の基本から難易度の高いものまでの客観性あることやルールも必要であるので、それをつくったのだろう。試合なのか審査で競うのか、分からない。
 テレビでは、優勝した15歳の高1の人などの技を披露していた。HPによると70年代からから学校でやり始め、80年代にテレビや雑誌に取り上げられ、90年代になってウェブサイトで交流が始まり、今日のように競技をやるに至ったという。
 競技大会となるとスポンサー等による社会的認知が必要であるが、メインはおもちゃ会社大手のタカラトミーである。この会社が、協議用専門ペン(ペンズギア、2月発売、525円)を販売している。推測するに、おもちゃ会社が協会や競技大会を仕掛けた可能性がある。

 ペン回しについて、わたしの見方を述べることにする。事の起こりは2点考えられる。
 ひとつはシャープペンシルの普及にある。鉛筆と違い長さが一定で上下で重さが違うため使用者に刺激を与える。それが回す等の、シャーペンの扱いに変化を生じさせた。鉛筆でも回しはできるが、軽くて単調になるし短くなるので向いていない。ボールペンも長さが一定なのでよいが、シャーペンより軽く上下の重さが一定なので刺激が少ない。
 付随したことでは、70年代の出始めのシャーペンは、ペンと類似したデザインで安くはなかった。それが鉛筆型のボールペン普及とともに、シャーペンも低額になって小学生でも持てるようになった。実際は小学生では、鉛筆と違って筆圧の強弱ができないため、筆圧の必要な書き文字の習得に支障をきたす等から使用禁止が多い。高校生がシャーペン使用を標準化すると、筆圧が平均化する等の関係から、とくに女子生徒を中心に「まるもじ」を書く人が増えた。
 ふたつめは、授業中に聞く状態を維持するための「適応動作」として行う。適応動作とはある場面で自分の気持ちを維持するために行う動作で、よく言われることでは「貧乏ゆすり」がある。
 かつてラジオを聞きながら作業をするのを、「ながら族」(○○をしながらの意味)と言われたものだ。ところがテレビ等のメディアへの接触が小さいときから多くなり、じっとあることに集中するより、並行的に行動することが特別なことでなくなった。そんなことから授業を聞いて、その緊張を紛らわすためにペン回をした。授業に参加しながら秩序を乱さずやれるぎりぎりの行為として、広がったと思われる。

 ペン回しがどのぐらい持続していくか予想は難しいが、継続させるためにいくつかの試みをするだろう。そのひとつに、技を発掘し難易度を付けて検定制度を設けることが考えられる。それは協会の財政としても必要なことだ。
 しかし地味で細かい動作のため、やっている人の関心にくらべ見栄えがしない。それに関係グッズの品数と利益(市場)がどの程度かによって、おもちゃメーカの関わり方がきまる。これは今のところ市場としては大きくないとおもわれる。
 かつて「浪人回し」とも一部でいわれたとのことがあるように、勉強と授業中に適応動作として地味なものが日の目を見たこともあり、やる人は増えると思われる。それがあそびや競技として普及するかは、未知数である。ケンダマやヨーヨーやルービックキューブぐらいに市民権得られるかも分からない。ビジネスとしての商品開発にもかかっているかもしれない。

バーレーンに負ける

2008-03-28 18:05:29 | サッカー
 W杯3次予選の2試合目であるバーレーン戦は、アウェーの26日(水)23時30分(日本時間)キックオフで行われた。
 後半バーレーンのキーパーのロングキックを受けて左に出したのを、ペナルティエリアのゴールライン近くで受けて(ハンドであったが)センタリングしたボールを、川口がキャッチミス(状況はパンチングだろう)したのでつめていた選手に決められて(32分)、1-0で敗れた。
 バーレーンの攻撃は、中央からのミドルシュートがほとんどで、ディフェンスが崩されたという場面はほとんどなかった。玉際の鋭さはあるが、後半は足がつっている選手が何人かいたし、ホームの後押しでプレーをしていたようにも見られた。
 日本は1週間前から隣国UAEのドバイでキャンプをしてコンデションを整えたが、相手のペースに巻き込まれたような試合展開であった。単調に前線へボールを送り、しかもそのボールがつながらなくて奪い合いに消耗していたようだった。中盤でスピードに乗ったパスをつないでビルドアップして、サイドから決定機を作るいつもの展開は見られなかった。先発でなかった遠藤の投入ぐらいから少しそのプレーが見られたが、どうしたことだろう。
 まだ6月の4試合を残しているので、岡田監督の選手選考も含めたこれからのチームづくりがどのようになっていくか期待することにしよう。

 きのうはオリンピック代表がアンゴラ代表とテストマッチをして、1-1で引き分けた。アングラは強豪であるが、1日前に来日してコンデションは万全でなかった。アンゴラとしては引き分けで十分であろう。
 日本は自分たちのペースで試合を進めていたし、よいチームになっていると感じた。得点した豊田(J2山形)は、長身で強くスピードがあり有望なFWである。おそらくオリンピック選手の中から、今後ナショナルチームに加わる選手もいるだろう。
 前日の深夜までバーレーンで試合をしていた岡田監督が、試合を見ていた。さすが岡田監督である。


春、歳月の流れを実感するとき

2008-03-26 16:44:45 | 生活・教育・文化・社会
 住まいから駅の商店街へ行く道には、学校がいくつかある。そこにソメイヨシノの巨木があり、花が咲き始めた。後2週間ぐらいは桜をめでることができる。
 わが家の小さな庭は、ザゼンソウ、オドリコソウ、シュンランなどが花をつけている。池の魚はときおり水面に姿が見えるようになった。
 このような生命の躍動を感じさせる春は、歳月の流れを実感させられるときでもある。仕事をともにしよく語り合った人との別れ、社会を歩こうとする人を見送る、といった体験をするからである。

 また、暮らしではメディアとの接触が多いせいか、その人事異動には感慨を覚える。とくにラジオはその思いが募る。先週ぐらいから「これで皆さんとお別れです」などという語りを聞くたびに「こうして歳月が流れているのだ」「もうこの人の声は聞けないのか」と自分に言い聞かせる始末である。
 ラジオというメディアは、映像がないだけに声、語り口調、言葉などから人柄を想像する。そして教養番組など内容に耳をすまして聞くと、鮮明に覚えていることが多い。ラジオというメディアは、マスでありながらコミュニケーションが生まれるメディアである。

 来年度から朝日新聞は、活字が大きくなる(読売も)。
昨年から紙面構成とレイアウトを大幅に変えた。内容は丁寧な解説と論壇が多くなった。時代の動きに即したテーマを設けそれを多面的に取り上げる読み物、また連載も面白くなっている。
 今度はいっそう紙面構成とレイアウトが変わる。一段を12字とし、段ごとの横線を取る。文字がたくさん詰まった感じがなくなる。段ごとの横線をなくすということは、囲み記事が多くなるし、「腹切り」(新聞業界用語)というレイアウトも増えるだろう。
 この傾向は昨年からの改革から多くなりつつある。「腹きり」は、かつて新聞は右上から左下に向けて見出しをつけるレイアウトを基本していたときは、いわば禁じ手だった。
 しかし90年代に紙面構成とレイアウトを大幅に変えた、毎日新聞が多用するようになった。これは横書きの印刷物が増えたので、視覚的に違和感なくかえって読みやすいと思う人が増えているのではなかろうか。それに下段に記事が続く場合、どこにつながるかという迷いが少なくなっている。

 メディアはテレビだけでなく、パソコンとケータイが出て大きく変わりつつある。わたしは新聞の持っている一覧性と文章・言葉の力を大事にしたいので、時代の変化に即して装いは幾分変わっても、メディアの王としての地位を保ち続けてほしいと願っているのである。

学生のオペラを聴く

2008-03-24 22:20:22 | 音楽
 時計を見たら開演10分前だ。(そういえばオペラがあるんだ)と気づいて、急いで自転車で駆けつけた。間に合った。呼吸が収まらないうちに幕が開いた。ピアノに簡単なセットの舞台で、始まった。
 モーツアルトの「コジ・ファン・トゥッテ(女は皆こうしたもの)」である。音楽大学の学生サークルであるオペラ研究会による演奏である。ある役を複数の人でやり、しかもハイライトである。場の設定を大道具で簡単にし、役にふさわしいコスチュームを着ているが、演奏会形式に近いものである。
 モーツアルトのオペラは、メロディーがやさしく音域やテクニックなどが極端に難しくないため、オペラを歌う入門として使われる。「コジ・ファン・トゥッテ」も「魔笛」「フィガロの結婚」とならんで知られている演目である。質の高い演奏をしようとすれば奥深いが、ポピュラーなオペラでもある。
 学生たちは声を作っていく過程にあるので、アリアをたくさん歌いこなすのは簡単ではないはずである。演じる余裕がないようであったが、昔から見たら(どのぐらい昔?)歌える学生が多くなったと感じた。舞台で歌うことが始めての学生もいるだろうなどと想像して、拍手を送った。
 学生の演奏を見て改めて感じたのは、声楽は体が楽器である、ということだった。その点女性でボリュームのない人は、声もそれに対応していた。大きな声を出すには、一般的には体もそれ相当なボリュームが必要なのだ。
 学生の一所懸命さに共感し、正味90分の楽しい持間をありがたく思って、会場を後にしたのだった。


カープの辛酸と矜持-プロスポーツの王道を求めて(中)

2008-03-20 16:39:10 | テニス・他のスポーツ
■市民球団としてのカープ

 カープは終戦後の疲弊した日本で、とりわけ原爆被害を乗り越え再建しつつある街のシンボル的ものとして、50年(49年設立)に市民球団として2リーグ制発足時にセリーグに加盟した。もじどおり地元企業と市民の浄財によるため、財政的脆弱さは否めなかった。
 しかし広島は、野球が盛んであった。高校野球では「広商野球」と言われるぐらい、バントなど多用して確実に勝利をつかむ独自なスタイルの野球を持っていた。
 しかし財政力の脆弱さはいかんともしがたく、51年には解散の危機があったが、市民の募金によって継続させた。財政状況を反映し20年以上下位に甘んじていたが、75年セリーグ優勝し、79年、80年、84年は日本リーグを制覇した。その後も86年、86年、91年とセリーグの覇者となった。
 カープの独自な野球スタイルや日本リーグ制覇の際、いくつものドラマを生んだこともあり、ローカル球団でありながら全国的にその独自性に共感したファンもいる。
 財政力のないカープにも、黄金期があったのはいくつかの要因があった。選手育成に力を入れることを重視した。無名選手でも素質を見て育てるためにスカウトを充実させ、その力は他球団の追従を許さないほどであった。広島のフランチャイズ範囲や西日本の選手を中心に選手を集めた。ローカル色が強かった時代だけに、金銭だけではない要因で入団する選手もいた。
 また「カープ野球」と言われたように、いくつかの独自性をもっていた。たとえば打者によって守備位置を変えると「シフト」を取り入れる、スイッチヒッターを作ることに象徴されるようにマルチな選手を求めた。
 また、今では当たり前になっている室内練習場を、当時ジャイアンツが多摩川の川原の寒風で自主トレをやっている時代に、はじめて作った球団でもある。それにドミニカカープアカデミーをつくって選手育成をしている。大リーグ志向のドミニカにあって、あまり成功していないようだ。このようなことは、前社長の松田氏の構想力によるところが大きい。氏は元東洋工業(現マツダ)のサッカーに関わっていたので、ヨーロッパのプロスポーツ事情に精通していることと無関係ではないだろう。

■弱い財政力ゆえの辛酸

 現在のドラフトはウェーバー制でなくなり、入団の上限はあるもののその後の収入の圧倒的違いから、カープは実績のある選手を集めにくい。かつては郷土愛という要素もあったが、そのような要因が弱くなった。高校野球が特待生が一般化して全国化したことの影響もある。スカウトとて、選手情報が自由に入り各球団力を入れているので、素質の質のある隠れた異才を見つけることはできなくなっている。
 また、大リーグから補強する場合でも、どの球団も大リーガーとして実績のある選手を取るが、カープは3Aクラスの選手である。おそらく年俸を1億超えないようしているためだろう。そして日本で活躍すると、ラロッカ(バッファローズ)、シーツ(タイガースを昨年で退団)のように移籍してしまうのである。それに年俸の上限を1億円に抑えているため、FAをしても引き留めないのである。
 プロ野球のおもしろさは、リーグとのチーム同士が年間140試合(交流戦も含む)ほどを、ドラマティクに展開されていくことである。そのためには、リーグのチームの力が拮抗しているのが望ましい条件である。
 そのような観点からすると、財政力の弱いチームが上位を占めるおもしろさもある。セリーグの場合は、巨大な財政力のジャイアンツがどの位置にいるかに興味を引くことになる。このところAクラスとBクラスが3球団ずつ固定化している。財政力が弱い球団が、上位に位置づくことができなくなっている。ジャイアンツ単なる財政があるだけではなく、リーグの他球団の主力選手を獲得し、つまり他球団の力をそいでしまうことに、リーグというプロ野球の試合そのものが存在している興味を弱める。
 ジャイアンツは過去には大量補強をして3位だったし、今年は最多投手のグラシンガー(スワローズ)と押さえのクルーン(ベェイスター)を、打者ではラミレス(ヤクルト)獲得し、同じリーグの力をそいでいる。リーグとしては、そのジャイアンツが独走せずに他球団と拮抗することに、関心を持つようになる。
 ジャイアンツの盟主主義は、プロ野球の発展そのものを危うくするものである。選手の構成、育成、さてはプロスポーツの経営のあり方など、幅広い内容に関心がいくのがいいのではないか。
 チーム力の均等のためのドラフト制が、ウエーバー制でなくなったし、93年からFAなど、財政力のない球団がなすすべがなくなっている。この場合の財政力といっても、プロスポーツビジネスとしての球団の総合力ではなく、親会社がどのぐらい財政補強できるかということである。
 大リーグの場合は、プロスポーツとしてのリーグを維持するために、財政力の弱い球団に豊かな球団が財政援助をするが、それとは大違いである。

福井総裁「続投」だと?

2008-03-18 05:46:58 | 生活・教育・文化・社会
 政府は、日銀総裁の空白は国際金融の信頼を失墜させることと声高にいっている。19日の期限切れなのに、昨日のニュースによると福井総裁継続、総裁不同意になった武藤副総裁継続案を民社党に打診したという。
 これは衆参逆転国会であることの重みを考えていない、議会軽視の発想である。どうも福田首相は、日銀総裁ポストをこれまでやっていた財務省と日銀と交互に出すという、「たすきがけ人事」の「官僚汚染」から抜けきれないようだ。本当は総裁が決まらなくとも、副総裁代行で日銀は当面の運営は困らないと言うことだ。
 だいたい首相不在を2週間ぐらい続けたとんでもないことからすると、国際社会にとってどうって言うことないはずだ。偶然だろうが円高が続いている。

 さて、ここで言葉の使用について考えてみよう。福井総裁を大方は「続投」と表現している。大臣等の継続も同じ表現を使う。これは野球の投手が、交代しないで投げ続けることからの比喩表現である。
 どうしてこの表現が一般化したか分からないが、本当は「継続」という言葉のほうが正確のはずだ。ちなみに野球記事では、投手以外の選手が続けることを「継続」と表現している。


チベットの抗議行動

2008-03-17 17:27:20 | 生活・教育・文化・社会
 16日(日)からチベット(中国自治区)の政府に対する抗議行動を報じた。チベットのこれまでの歴史からして、情報がコントロールされているので、政府情報は一面的な可能性が強い。死者においてもチベット亡命政府(インド)の発表と大いに異なっている。映像では僧侶と住民らによる破壊活動が報道されている。
 この状況をNHK、毎日、読売は「暴動」と伝えている。中国政府の発表に基づいたものである。朝日は「騒乱」とし、「共産党・政府に対する僧侶や市民の抗議行動」と内容を伝えている。そして抗議行動と治安部隊が衝突し射殺された、と報じている。
 チベットは中国の自治区となっているが、その歴史と民族や文化からして、国家として成立しうる固有なものを持っているが、1951年中国によって武力で支配された。その際120万のチベット人が虐殺されたという。その後ダライ・ラマ14世をリーダーとしたチベット亡命政府をつくっている。
 1900年の反政府抗議行動でも20万人が虐殺された。そのときのチベットの自治区の共産党第1書記長が、現国家主席の胡錦檮で、武力弾圧の陣頭指揮を執ったのだった。そして現在はチベットをいわば中国が同化政策を取っているが、今回のような反政府行動がいつ起きてもおかしくない状況にある。やがて中国政府情報だけでないものも明らかになり、全貌を知れれることを願いたい。
 国際社会が、中国政府の武力弾圧の自制を求めているし、中国が近代的国家として認知されうるかが問われる問題でもある。
 
*虐殺の人数は、藤原新也のHPから引用したものである。

10年後のマンホールチルドレン-モンゴル

2008-03-15 21:48:34 | Weblog
 昨晩は雨音が聞こえるぐらい降った。花粉の空気をきれいにし、土を潤した。気温も上がったので、一晩でノハギ、カンゾウ、シランなどが芽を出した。アジサイの冬芽がはじけて葉が出てきた。
 池の水もゆるんで、メダカがたくさん水面を泳ぎ始めたし、フナ、ドジョウなども時々水草から出て泳ぎだした。

 13日(木)のBSハイビジョンで、HV特集として20時から「10年後のマンホールチルドレン」があった。
 これは98年に放送したドキュメンタリーの続々編だった。98年のものは見たので鮮明に覚えていた。今回の作品の途中に04年の映像もでてきたので、その作品もあったようである。
 98年のものは、地方から大都市のウランバートルは出てきた子どもたちが、-30℃ぐらいの寒さをしのぐため暖房をめぐらす地下のマンホールに住み着いて、子どもたちが群れでストリートチルドレンとして暮らしていく様を描いていた。
自給自足を基本として社会主義体制での暮らしが、市場主義経済に移行する過程で社会が混乱した。カネが絶対的ウエイトを占める社会体制の変貌に翻弄され、その波に乗れない人々は家族にも激震が走り崩壊も起きる。
 10年後の彼らは、20歳を越えた大人になっていた。友人だったボルトとダシャ、それを引き裂く立場になった女性のオユナは、短い期間に人生の大きな体験をしていた。それは小説で語られるようなドラマでもあった。
 彼らは市場経済が定着したことにより、持てる者が捨てるペットボトルなどのごみ収集して空腹をしのぐという、最下層で家を持たない生活に落ち着いていた。
 家族と離れ家族を求め、友人としての絆を求め断ち切られていく、そしてカネによって得られる酒を求める、という市場経済の負の部分を抱えた暮らしを強いられていた。
 政治や社会のセフティーネットの光も当たらず、懸命に生きるがそこから抜け出せないどうにもならない暮らしを100分見るのはつらくもあった。

 このドキュメンタリーは、「やらせ」ではないが、製作者がドラマ仕立てにするために彼らにいくつモノ条件を提供して製作されていた。たとえば車による移動、ボルトの親探しなど製作者の提案なくて生じ得なかっただろう。それに撮影期間は一月ぐらいだろう、と推測してみた。

カープの辛酸と矜持-プロスポーツの王道を求めて(上)

2008-03-14 21:20:18 | テニス・他のスポーツ
 カープは今シーズンから、投手黒田と打の新井(4番)の中核選手を失った。両選手ともFA制度を利用しての、移籍である。カープを出た2選手にとっては苦渋の選択だっただろうし、ファンにとっては財政基盤の脆弱ゆえの度々の辛酸を、またなめることとなったのである。
 カープは、FA選手を報酬による引止めをしない球団の方針である。そのためこれまで金本(タイガース)、江藤(ジャイアンツ→ライオンズ)、川口などチームの中核選手を放出してきた。
 FA選手を引き止めないのは、親会社による財政の損失補填をしない経営しているため、財政規模を低く抑えていることに起因する。メインスポンサーはマツダなので、広島東洋とマツダの旧社名を冠しているものの横浜とともに、他の10球団のように親会社の広告媒体の性格はなく、プロ野球のスポーツビジネスとしての独立性を維持した経営をしているのである。

■プロスポーツとしていびつな日本のプロ野球
 日本のプロ野球は、世界のプロスポーツとして珍しくビジネスとして独立していない。プロスポーツが盛んなアメリカは、大リーグを始めバスケット、アメフット、アイスホッケーなどすべてがファンに支えられ、つまり入場料収入を基本として成り立っている。ヨーロッパのプロスポーツでも、同じである。イタリアなどいくつかの国のサッカークラブは、オーナーのものであっても、地域をホームとしてその人たちによって支えられているので企業名を冠しない。
 日本のプロ野球は、親会社の宣伝媒体等の考えのため、ジャイアンツ、タイガースなどの球団以外は、採算が合わないため親会社からの損失補填で維持されている。プロスポーツビジネスとしての独立性が弱い、ということである。
 企業利益の手段としての性格は、かつては鉄道会社が球場に観衆を乗車させるもくろみでやっていた場合もある。また宣伝媒体として参入もあった。そのような性格上、企業が全国展開あるいは社会的認知度を高めるための手段としてプロ野球に参入する歴史を繰り返してきた。
 プロ野球の歴史をみる時、球団名に企業を冠するために、時代の経済や文化を反映してきた。映画産業がよかったときは、松竹、大映、東映と言った球団があった。ある時期は南海、近鉄、阪急、阪神、西鉄、国鉄といった鉄道会社多くを占めたときもあった。
 ファイターズ、マリナーズ、バッフアローズなどは球団を持ってから企業としても成功をしたと思える。最近ではイーグルスがインターネットを利用する少数の人しか知らなかった会社が、一気に社会的認知を得たのではなかろうか。
 また、セリーグは、ジャイアンツが全国的人気球団のため、それとの試合のテレビ放映料の1億円を他の5球団の主催の際に得る高額収入として期待されていた。それが05年ぐらいから視聴率の低下で、昨年から地上波で放映されない試合がある。リーグ戦で成り立っているので、本来構成球団が拮抗しているほどドラマティクに展開するはずなのに、際立って力のあるジャイアンツ頼みが破綻したのである。
 新しい動きとしてファイターズが北海道と冠して採算性を追及し、成功しつつある。マリナーズの千葉、イーグルスの東北、スワローズの東京、ライオンズが今年から埼玉と冠してフランチャイズ密着を追求している。

ACLでのガンバ大阪

2008-03-13 18:18:46 | サッカー
 朝は5時半には東の空が明るくなって、桜前線が話題になるようになった。夕方も6時近くまで屋外活動が可能になった。
近所の庭には梅が咲いているし、レンギョウが黄色い花、ハクモクレンが白い花をつけ始めた。わが家の庭は、ジンチョウゲが白い花と香りを漂わせ、エビネが芽を出しつつある。
 おとといからは気温も15度ぐらいになって、急に暖かくなった。

 昨日の19時からのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)、ガ大阪-チョンブリFC(タイ)を見た。BS朝日での放送である。
 ACLはチャンピオンが、12月に日本でやるクラブW杯に出場する。昨年はレッズがクラブW杯に出場した。日本からはガ大阪と鹿島アントラーズと浦和レッズが出場する。レッズは昨年のチャンピオンのためグループステージは免除され、9月からの準々決勝からの試合である。
 1グループ4チームで7グループなので、28チーム参加である。ホームとアウェーを戦うのでグループステージは6試合であり、グループトップが決勝トーナメントに進出することになる。
 ガンバのGグループは、タイ、オーストラリア、韓国のクラブ。アントラーズはベトナム、タイ、中国のチームである。Jリーグと並行して水曜日に試合が入るが、中東のチームがないので移動の負担が少ないだけ助かる。

 ガンバはチョンブリFCには格上であり、ディフェンシヴに来るだろうことを受けて攻撃的に挑んだが、シュートが決まらなかった。ガンバの連携のちぐはぐさも目立った。後半チョンブリFCの個人の突破を許し先制された。それからも攻撃し続けたが、ゴールは遠かった。
 終了直前のロスタイムに1点を返して引き分けに終わった。 チョンブリFCは玉際がしぶとく、ガンバのよさを消す対策も立てて臨んでおり、簡単ではなかった。
 ホームでもあり勝たなければならない試合であったが、不調とチームとしての戦い方がはっきりしなかったのではないか。圧倒的攻撃しながらもシュートが決まらなかったのと、ディフェンスに終始したチョンブリを敗れなかった。
 タイのサッカーの水準がそうとう上がっていることがわかった

 なお、アントラーズはクルン・タイバンク(タイ)にアウェーで9-1で勝った。