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絵本と児童文学

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オペラ「マクベス」を聴く

2014-07-29 18:17:41 | 音楽
 首都圏には音楽の愛好者、演奏家、指導者、あるいは関係事業者や大学等が集中している。音楽を専攻できる大学をざっと数えても15を超えるほどある。そのような状況を反映して、首都圏には市や区名を冠するオペラ団体がたくさんある。

 わが市にはシティオペラと冠している任意の団体があるが、今年は「マクベス」を上演した。1昨年は「カルメン」その前は「椿姫」であり、「マクベス」のような難解な大作を聴く機会は今後ともないだろうし、どのように取り組むか関心を持って出かけた。
 作曲はオペラの作品の多いヴェルディであるが、原作はシェークスピアである。今年はシェークスピアの生誕450年なので、改めて注目されている。演劇は外国人劇作家で最も多く上演されている劇作家といわれているが、ぼくには親しみが薄く、オペラではいっそう理解しにくい。

 さて、本格的な舞台にしたらオペラとしては相当大掛かりなものなのだろうが、今回は簡易なものにして部分的に幕と照明を使って表現した。
 歌い手以外に踊りで表現する魔女、バレーもあり、合唱が何回か衣装を変えて演技も要求されるものだった。
 主役のマクベスはバリトンでたくさんのアリアを歌い、演奏の成否を左右するといっても過言でない負担の重いものだった。それゆえにバリトンの歌い手としては、やりがいのある作品なのだろう。
 ぼくはいつものオペラ鑑賞なら、ストリーを事前におおよそつかんで字幕をちらちら読みながら聴く。しかし今回は全体理解が難しいので、歌とオケを聴くことを中心にして、ストリーは可能なだけ想像するという聴き方をした。歌手、合唱団ともに長期間練習をしたのだろうと想像した。
 オペラはいつも内容も理解しようとするのだが、今回は歌手の歌唱や声を中心に聴くこととなった。「マクベス」は、初回ではオペラを総合的に楽しむ余裕が持てなかったのだった。
 
 来週は隣の市で「アイーダ」があり、8月下旬には別な隣の市で「ラ・ボエーム」がある。秋から年末にかけても近くの市でオペラが予定されているし、「第九」もあっちこっちである。

J1第17節・7月27日(日)

2014-07-28 16:41:18 | 14年J1観客数データー
■ 第17節の試合の結果と観客数 左がホーム(朝日新聞から)
 浦和-鹿島(1-1)   39205
 清水-柏(3-0)    11095
 東京-仙台(3-0) 15491
 大宮-徳島(1-3)    8123
 川崎-新潟(1-0)   19254
 名古屋-横浜FM(1-1)16261
 C大阪-鳥栖(0-1)  13431
 神戸-G大阪(1-5)  18012
 広島-甲府(1-1)   15101

★ ホームゲーム観客数上位ランキング   ★ 第17節までの成績(勝ち点)
 ①浦和   39205          ①浦和 36
 ②川崎   19254          ②鳥栖 34
 ③神戸   18012          ③川崎 33
 ④名古屋  16261          ④鹿島 27
 ⑤FC東京 15491          ⑤広島 27

★ ホームゲーム観客数下位ランキング
 ①大宮    8123
 ②清水   11095
 ③C大阪  13431
 ④広島   15101
★ 観客総数  155973人      ★ 1試合平均観客数 17330人


J1第16節・7月23日(水) 鳥栖が観客数トップ

2014-07-24 17:56:49 | 14年J1観客数データー
■ 第16節の試合の結果と観客数 左がホーム(朝日新聞から)
 仙台-名古屋(3-3) 13302
 鹿島-大宮(2-2)   8840
 甲府-C大阪(0-0) 12052
 新潟-FC東京(0-1)17348
 G大阪-清水(4-0) 10898
 広島-柏(5-2)   12673
 徳島-浦和(0-2)  10860
 鳥栖-川崎(0-1)  23277
 横浜FM-神戸(1-1)13445

★ ホームゲーム観客数上位ランキング   ★ 第16節までの成績(勝ち点)
 ①鳥栖   23277          ①浦和 35
 ②新潟   17348          ②鳥栖 31
 ③横浜FM 13445          ③川崎 30
 ④仙台   13302          ④鹿島 26
 ⑤広島   12673          ⑤広島 26

★ ホームゲーム観客数下位ランキング
 ①鹿島    8840
 ②徳島   10860
 ③G大阪  10898
 ④甲府   12052
★ 観客総数  122695人      ★ 1試合平均観客数 13633人

*水曜日なので平均観客数が13633人と少ない。鳥栖はホームで通常1万人余りのところ、今節は満員で2万人を超えてランキングトップだった。

J1第15節・7月19日-W杯後の再開

2014-07-20 14:42:20 | 14年J1観客数データー
 ■ 第15節の試合の結果と観客数 左がホーム(朝日新聞から)
 浦和-新潟(1-0)   30776
 清水-川崎(0-2)   15305
 FC東京-鹿島(1-1) 27387
 大宮-広島(3-3)    9272
 柏-仙台(0-0)     8982
 名古屋-徳島(1-1)  22635
 G大阪-甲府(2-0)  11373
 C大阪-横浜FM(2-2)30188
 神戸-鳥栖(0-1)   20616

★ホームゲーム観客数上位ランキング   ★ 第15節までの成績(勝ち点)
 ①浦和   30776          ①浦和 32
 ②C大阪  30616          ②鳥栖 31
 ③FC東京 27387          ③川崎 27
 ④名古屋  22635          ④鹿島 25
 ⑤神戸   20616          ⑤神戸 24

★ホームゲーム観客数下位ランキング
 ①柏     8982
 ②大宮    9272
 ③G大阪  11373
 ④清水   15305

★ 観客総数  176534人      ★ 1試合平均観客数 19615人


*14節までにACL出場のための未消化試合広島-横浜FM、C大阪-川崎は、15日(火)におこなわれた。
 広島-横浜FM(1-2)9515人 C大阪-川崎(1-2)15873人


ブラジルまたも完敗

2014-07-13 19:39:16 | サッカー
 早朝おこなわれた3位決定戦のブラジル-オランダ戦は、0-3でオランダが勝利した。勝敗はぼくの予想通りで、しかもまたもブラジルは完敗である。予想通りといっても、結果がでてからこのように書くのはフェアーでない。昨日書き込みをしたかったが、裏づけとなる根拠などを示さねばならないので、それには時間が割けなかった。

 ブラジルが準決勝でドイツに歴史的大敗をしたが、攻撃の中心であるネイマールと守りの要であり主将のチアゴ・シウバを欠いたからと解釈されがちだ。たしかにチームの勝利をもたらすのに重要な選手を欠くのは痛手である。しかし選手層の厚いブラジルの場合、2選手を欠くとの理由付けは単純といわざるを得ない。

 チームをめぐる環境としては、毎回優勝の期待をする国であり、今度こそは自国開催で優勝という念願を果たして欲しいという国民的願いは大変なものだ。その期待はうまくいっているときは力になるが、少しでも歯車が狂い掛けると余計なプレッシャーと変わるものだ。しかも開催期間中も大会に異を唱える運動があるので、スタジアム以外の雰囲気は微妙な点もあるだろう。
 優勝候補といわれながらも、チーム力がはたしてそうだったのだろうか。サッカー王国といわれているが、代表選手の23人中ブラジルのクラブは3人で、後はヨーロッパのさまざまなクラブ選手である。この条件で予選が開催国で免除されたため、チームとして公式戦がなく(昨年のコンフェ杯があった)W杯を迎えたのだ。
 個々の能力が高くとも現在の最先端のサッカーチームと戦術を持ったチームとの試合では、絶対的力になりえない。公式戦でチーム力を高めることができなかったことは、小さくない問題ではないだろう。
 予選で1位通過はしたものの、メキシコと引き分けている。決勝トーナメント初戦のチリ戦はPK戦で勝ちあがり、次のコロンビアには2-1で勝ったものの、DFの要であるシウバが2枚のイエローとなってのことだ。イエロー2枚のシウバがデェフェンスで活躍したのだが、かなりのリスクを犯した結果であった。
 主力2選手を欠いてのドイツ戦の1-7は、チームが崩壊したとしか言いようがないぐらい散々な試合だった。このチームで予選といった公式戦をしてチーム作りをしていたら、このような手の施しようもないぐらいの状況にはならなかったのではないだろうか。
 
 オランダ戦でのブラジルは、仮にポゼッションが高いとしても攻撃脅威を与えられなかっただろう。ブラジルは中盤からの攻撃の組み立てが余り見られない。ボール持つ選手がパスを出す選手を探すことが多く、ダイレクトに回ることが欠しい。最先端チーム戦術もつだろうオランダやドイツを相手に戦えないのは自明である。


 とにかく明日の決勝について予想しておこう。明日はドイツが勝つだろう。選手同士が常に連動しており20メートルを超える長いダイレクトパスが通る。攻守がコンパクトして、その切り替えが多くの選手が連動して早くできている。このスピードに乗ってチームとして展開するサッカーは、現在の最先端のサッカー戦術を持ったチームといってよいのではないか。
 ついでにGKノイアーは、戦況を読みフィルドまで出て行ってDFのようなプレーをしている。これはフィルドプレーの技術が高いこととクリアな頭脳と勇気が必要である。
 このようなドイツはこれからのサッカーの方向性を暗示しているのではないか、とぼくは見ている。
 明日の決勝は、メッシを中心としたアルゼンチンの攻撃の分析をして対策は立てた上で、それを脅威と感じない試合展開をするだろう。その辺を踏まえてドイツがどのような戦いをするかが、見どころである。
 またドイツは準決勝の負担が少ないし中4日なので、コンデションがよいことも付け加えておこう。

予想ついでに得点は2-1。先取点が重要だがアルゼンチンが先取点を取ってもドイツは逆転できる。ドイツが先取点取ったら、3-0ぐらいになるかもしれない。


東南アジアへの小さな旅(6)

2014-07-11 20:58:43 | 身辺のこと・自然
 6.楽しい夕食会

 ハノイ滞在の友人が用意してくれた夕食会は、近代的ビルのエレベーターで昇った2階だった。
 客が30人ぐらいは入るだろう広いレストランには、バイキング式で様々な食が用意されていた。ベトナム料理、様々な肉の加工品、ピザ、パスタ、さては寿司、生ガキもある。ベトナムのフルーツなどもあり、内容は豊富だた。
 久しぶりに飲むベトナムビール(333)の味が懐かしく、食も進んだ。ぼくは主としてベトナム料理と肉の燻製やハムやソーセージ類に多く箸がむいた。この分だと減量したまま維持している体重が、2キロぐらい増えそうだ、と内心つぶやくきながら。
 友人たち3人とベトナム女性2人での話が弾んだ。日本語のできる女性と会えるのは意外であった。ぼくは、長時間観察しながら歩いて緊張が続いた気持ちがやわらぎ、われわれを歓待する友人の心配りはありがたかった。

 ところで2人の女性は、日本に技能研修で3年滞在していた。その生活で得た日本語を使用する仕事をしているのである。研修では工場の生産ラインの仕事をしていたのとのこと。日本の地名などがでて、彼らの人生に影響を及ぼしていると感じた。
 一人は日本に技能研修を派遣するエィージェント(仲介業)に勤務しながら、自宅で日本語学校を経営している。学校といっても10人余りの学生であり、ハノイから少し離れたところの出身者が共同生活をしながら日本語を学んでいるとのことだ。
 もう一人の女性は、日本人旅行者のツアーガイドをしている。ツアーガイドの女性は、仕事柄話題が豊富で、会話がうまい。
 友人は本来の研究業務の合間をぬって、ボランティアで休日の土曜日に日本語学校の授業をしているのだ。あくまでも勤勉であり続ける彼の生き方は、ハノイの地ではさらに鮮明になりそれにじかに触れる思いがした。
 日本語学校を経営している人とツアーガイドの人は、大学の教員による夜間の日本語の授業を一緒に受けている知り合いとのことだ。2人とも小中学生の子どもがいて、仕事に意欲的な年代で次々と話が弾んで楽しい時間となった。
 技能研修制度について、ぼくは主として制度のあり方や受け入れ実態の問題(例えば労基法違反が20%とのこと)、いわば陰の部分の認識をしていたので、そのとらえ方だけでは一面的ということが分かった。
 技能研修から帰国した人が、日本で修得した技能ではなく日本語を使った仕事をしているという光の部分を見る思いがした。このようなベトナムの方の多様な営みによって、市民レベルで交流が続くことが友好を作り上げていくのだと実感したのだった。
 旅の初日の楽しい気持ちを惜しみながら、タクシーでホテルに帰った。


東南アジアへの小さな旅(5)

2014-07-08 15:07:33 | 生活・教育・文化・社会
5.喧騒とのんびり

 街の商店は、小物の土産店、時計店、コーヒー店、絵画店、洋品店など専門店が多く品揃え豊富である。すぐそばの道路の喧騒とは対照的に、客の動きもなく店の人はのんびり構えている。

 道すがらの店の傍らに、昔ながらの天秤を担いだ物売りの高齢女性が休んでいた。どのぐらい歩いたのだろうか、売れゆきはどうだったのか、など思いをめぐらした。またこぎれいにした高齢女性が、はだしでゆっくり道路を横断していたのがぼくの目を引いた。昔ながらの生活スタイルで暮らしている人もいるのだと。これらは90年代初頭と変わらぬ風景で、ぼくはノスタルジアと親しみを感じた。

 バイクや車を解体した部品を販売している店がある。再利用できるごみの積まれた店は、大量のペットボトルが積まれていた。ペットボトルの回収をして歩いている人を見かけたことと結びついた。
 2時間余りあっちこっち歩いて、夕暮れ時にホアンキム湖についた。歩道の平板が石畳といってもよいように整備され、ベンチがあり掃除もゆきとどいていた。巨木がしげり街灯に照らし出されるベンチには、人々が談笑していた。

 夕方の歩道は、おしゃれな格好をした若い人が椅子にかけてのんびりとたばこを吸っているを多く見かけた。たばこを吸うことがゆとりの証でもあるのかもしれない。それにスマホをしている人がめずらしくないぐらい、普及している。中には自転車に乗りながらやっている人がいて、はらはらしてしまった。

 車道は、歩道側が低く造られている。その構造はどのような意図なのだろうと、と考えてみた。ぼくが想像したのは、スコールの大量の雨を一時的にとどめておく機能かもしれないと。しかしごみが棄てられているので、その理由は揺らいだ。
 夕暮れ時になったらそこにごみを棄てる人がいた。それを観察しながら歩いていたら、生ごみは含まれていないようであり、そこに置くという感じでもあった。そのなぞはすぐ解けることとなった。リヤカーを引いた女性が道路のごみを回収していたのだった。ある時間になるとごみを回収するルールのようだ。どうやら歩道側の低い構造は、ごみを置くためでもなさそうだ。
 ハノイの街の商店は、大量消費が想定されていないので商品が多く整っているが、のんびりしているのだ。この歴史的風格のある街を歩くにはユニクロが似合う。決してダメージジーンズなどはかない方がよいだろう。
 歩き続けて足がだるくなった。くたびれたので、日頃テニスをやっているのと歩きは関係ないようだ。友人2人は余裕で歩いていたので、その強さに感心したのだった。
 日が沈んで明かりが街を照らすころに、やっとハノイ滞在の友人が予約していた夕食のレストランに着いた。ベトナム女性2人が「こんばんは」と迎えてくれた。

東南アジアへの小さな旅(4)

2014-07-06 21:01:37 | 生活・教育・文化・社会
4.街はバイクと車が主流に

 ハノイのノアバイ空港からタクシーでホテルに向かう。空港の隣接地の建設工事表示に大成建設というのがあった。新しい規模の大きい国際空港を建設中とのことだ。
 道路と車窓からの風景は、昔の面影がないぐらい変わっていた。かつての所々でほこりがまい車が揺られる道路、手入れのされていない住まいが点在して牛がゆっくり横断するということは見られない。
 整備された道路が片側2車線。ラインが引かれ両側に道路灯があり、ところどころに道路標示もあった。一定の速さで走れてしかも走行車のきれまがないぐらい多く、車社会になっている。それに遠くに水田が見ながらも、道路沿いに整った比較的新しい住宅が多い。
 同行の友人は、交通の専門家で途上国の交通インラ整備の仕事をしていたが、道路と住宅等の風景に驚いて、しきりに写真を撮る。

 タクシーに30分ぐらい乗っていただろうか、街の道路はバイクと自転車と車がいっぱいに入り乱れて走っているではないか。
、ホテルは、設備、サービス、システムは国際標準である。観光客も多いだとうから当然なのだが、ここでも近代化を歩んでいるベトナムを実感したのだった。
 5階の部屋からは、古くからの3階の住まいが見えて、ぼくに残っているベトナムイメージと一致してほっとした。1階が商店で2,3階が住宅で、ゆったりした暮らしを感じることができる。

 一息ついたらハノイ在住の友人が来たので、久しぶりの再会とお互いの健康を確認できた。そしてスーツケースいっぱいに詰め込んだ友人へのみやげを進呈した。少しの生活品と彼が関係するオフィス等に必要だろうお菓子だ。ベトナムもプレゼント文化だろうから用意したのだ。
 友人のリクエストのなかに中村屋の「月餅」があった。ぼくは、それはもともと中国のお菓子であり、70年代の東京土産という認識だったので、ベトナムの方がなじみそうなおしゃれなお菓子もいいのにと思ったが、それは必ずしも正しくはなかった。
 後に分かったことは「月餅」はベトナムでの最大の行事であるテト(2月上旬の旧正月)に誰もが食べるもの。ベトナムのそれは中国風で中に肉が入っているとのことだ。食べ比べてて食文化共通性は興味のふくらむことだろうか。
 そして滞在中のスケジュールを確認し、ハノイの四方山話をして、夕食まで街の散策のためホテルを出た。

 道路は自転車とバイクそれに車が、ひしめき洪水のように流れていた。バイクが主流で自転車が少数だ。かつてはバイクのことを「ホンダ」と呼ぶぐらい日本の中古のホンダ製ほとんどだった。今もホンダが主流だが、ヤマハも見かけたのは空港から市街への道沿いに工場があったことと結びついた。それからホンダと一見区別がつかないようなメーカーがあったが、中国のメーカーとのことだ。
 車は韓国メーカーであるHYUNDAIが圧倒的に多く、他のメーカーを探すのが難しいぐらい。バスやトラックもHYUNDAIである風景は、ぼくにとってめずらしく感じた。

 街はかつての宗主国であるフランスが、当時の人口の数倍である100万人規模(現在670万人)を想定して造ったとのことで、風格のあるものだ。3メートル幅ほどの歩道と8~15メートルぐらいの道路で、巨木の街路樹がある。
 道路には信号が設置され、一方通行にしているところが多く、車両の流れを工夫しているようだ。
 道路の横断は、歩行者優先ではないので、慣れていないぼくにとっては一大決心のともなう怖いことだ。どうやら止まらないでゆっくり歩き続けることがマナーで「安全」とのことだ。歩行者と車両の阿吽の呼吸といってもいいだろうか、人が横断しているところで車両は一瞬止まってさけてすぐ走るのだ。ぼくは車両が押し寄せてくる感じでひるんでしまう。
 平板を敷き詰めた歩道は、でこぼこがある。電柱はフランス統治の頃のものだろうか、太くはない4本の柱で四角のもので、そこに数え切れないぐらいの電線を支えている。
 大教会(セント・ジョゼフ教会)といわれている前のわずかな空間で、小学生が柔らかいボールでサッカーをやっていた。 ベトナムはサッカーへの関心が高く、プロリーグがある。おそらく日本人選手も2桁はいるのではないかと、想像してみた。

 ベトナムで有名なサッカー選手のレ・コン・ビンの記憶は、ぼくにとってはまだ新しい。昨年9月から12月までコンサドーレ札幌に在籍していて、テレビで何回か彼のプレーを見た。J2では力を発揮できるぐらいの力量だった。ベトナムのサッカーに関心ある人には、特別の存在ぐらい人気と力を備えている選手である。
 ところで数日前の「ワールドウェイブ・アジア」(BS1)でのベトナムのニュースによると、ベトナム代表監督に5月から就任した三浦俊也氏(Jリーグ大宮、札幌、神戸、甲府などの元監督)の最初の試合をミャンマーとおこない、6-0で勝利したと伝えていた。レ・コン・ビン選手が得点したとのことだ。
 三浦氏は日本サッカー協会(JFA)が介在して就任しU22代表監督も兼務し、2年契約とのことだ。当面は11、12月におこなわれるAFCスズキカップ(アセアン地域の国際大会)が代表の重要な試合となる。

 ベトナムのサッカー協会は、日本の協会とパートナーシップ協定を締結し、Jリーグをモデルに作っていこうとしている。V(ベトナム)リーグの組織委員長は田中孝司(元名古屋の監督)であり、審判も日本の国際審判を派遣しリーグ戦試合の笛を吹いている。試合の観客が1万人を超えるのがめずらしくないとのことだ。
 また、ベトナム代表は、この地域ではタイと並ぶハイレベルである。
 ちなみにタイのタイ・プレミアリーグには、日本人選手が40人ほど在籍している。元日本代表の岩政、カレン・ロバート、茂庭、黒部も活躍している。なかにはJ1の中堅ぐらいの年俸の選手もいるのとのことだ。またタイ代表のGKコーチは、元日本代表コーチの加藤好男氏である。


東南アジアへの小さな旅(3)

2014-07-05 21:52:53 | 生活・教育・文化・社会
3.ベトナムへの関心

 ぼくは90年代にベトナムへは7回ほど行っているので、親和性を抱いている国である。そのうちの1回は、ホーチミンに一人で1カ月滞在していた。90年代はちょうどドイモイ政策(自由経済)の導入検討し、実施に移した頃だった。
 ハノイへは1回だが、職場のグループによる生活調査研究をするための交渉と準備調査をした。社会科学院や政府の要人と面談、農村や児童福祉施設の視察をした。滞在したのは4日間で、後はホーチミンだった。
 当時はベトナム戦争の残像が消えていない状況にあった。とにかくモノがなく街の表示や商店の看板が長年書き換えられず、夜は明かりがわずかで暗かった。
 ハノイで履物をはかないはだしの人が、ざっと20~30%だったと思われた。それでもはだしの人はホーチミンより少なかった。
 乗り物は自転車が主流で、後はバイクである。車はほとんどなく、わずかな路線バスの車両は、日本で使用したもので「○○市交通局」といった表示がそのままで使用されていた。モノと複数の人の移動はシクロ(タクシーの機能)といって、自転車にリヤカーを接続したものが活躍していた。

 また、ハノイとホーチミンは別な国のような感じだった。北と南ベトナムの統一前は社会政治体制が異なっていたし、長い歴史でも異なる歩みをしてきたので当然なことでもあった。
 ぼくが行っていた7年ぐらいの間に、ドイモイ政策が実施されて、ホーチミンでは年毎に少しモノが店頭に出回り、外国企業が入り始めていった。90年代後半には観光客も訪れるようになり、ホーチミンでは外資による高層ホテルも建ち始めていた。
 20年あまりをへたハノイは、大変な変貌振りであった。

東南アジアへの小さな旅(2)

2014-07-04 14:30:06 | 生活・教育・文化・社会
2.海外へ行く決断

 ハノイへ行くと決断するのは容易ではなかった。海外へ行かないと思い込んでいたからだ。それを解きほぐしたのは、ハノイにいる友人を激励する、あるいは陣中見舞いのため、と考えた。
 友人がハノイの医科大学にボランティアで、疫学調査とある部門の研究の立ち上げをしている。数年前から短期間行っているが、昨年夏からは客員研究員として長期間滞在している。同行の友人がハノイ行きの計画をして、ぼくに呼びかけがあった。

 3人は中学の時からの友人である。年に1回は会うようにしており、以前は温泉旅行にも行っていた。最近会うは、昼食を食べながらの集まりと縮小気味だ。原因は、どうやらぼくは都心に出るのも億劫になっているためだ。
 2月にハノイへの旅の話があったが、すぐ同意できずにぼんやりしていたら「気が進まないならやめたほうがよい」と連絡があった。どうやら4月に行くには急いで飛行機のチケットやホテルの予約をせねば、ということだ。そこでようやく自分に問われていることと思うようになる。
 差し迫っていることなのだと自覚し、3人でハノイに集うのは今後ないだろうという思いがよぎり、とにかくパスポートを取った。パスポートを手にしたら、気持ちが前向きになったのが自覚ができた。
 友人の助言どおり、次にスーツケースを買った。それにVISAカードの携帯が必須とのことだ。日頃カードは使ったことがないので、保管場所も定かでない。預金通帳には会費をいくらかを払っている記載があるのだが、見あたらない。どうやら受け取ったカードを使わないと思いすぐ処分したのだ。期限切れの古いカードを見つけたので、再発行をしてもらった。

 最初に呼びかけてくれた友人に高田馬場で会って、助言をもらった。ぼくが記憶をしまい込んでいたのを少しずつ引き出してくれた。飛行機チケットとホテルの予約日程など全て旅なれている友人が手配をしてくれた。ぼくは『地球の歩き方』を買って読み出したら、すっかり意欲がわいてきた。
 旅立つ1週間前に友人のオフィスのある霞ヶ関で会って最終確認をいくつかした。全て任せたのだから、引率者と随行員という関係がぴったりだ、ということとしたのだった。