首都圏には音楽の愛好者、演奏家、指導者、あるいは関係事業者や大学等が集中している。音楽を専攻できる大学をざっと数えても15を超えるほどある。そのような状況を反映して、首都圏には市や区名を冠するオペラ団体がたくさんある。
わが市にはシティオペラと冠している任意の団体があるが、今年は「マクベス」を上演した。1昨年は「カルメン」その前は「椿姫」であり、「マクベス」のような難解な大作を聴く機会は今後ともないだろうし、どのように取り組むか関心を持って出かけた。
作曲はオペラの作品の多いヴェルディであるが、原作はシェークスピアである。今年はシェークスピアの生誕450年なので、改めて注目されている。演劇は外国人劇作家で最も多く上演されている劇作家といわれているが、ぼくには親しみが薄く、オペラではいっそう理解しにくい。
さて、本格的な舞台にしたらオペラとしては相当大掛かりなものなのだろうが、今回は簡易なものにして部分的に幕と照明を使って表現した。
歌い手以外に踊りで表現する魔女、バレーもあり、合唱が何回か衣装を変えて演技も要求されるものだった。
主役のマクベスはバリトンでたくさんのアリアを歌い、演奏の成否を左右するといっても過言でない負担の重いものだった。それゆえにバリトンの歌い手としては、やりがいのある作品なのだろう。
ぼくはいつものオペラ鑑賞なら、ストリーを事前におおよそつかんで字幕をちらちら読みながら聴く。しかし今回は全体理解が難しいので、歌とオケを聴くことを中心にして、ストリーは可能なだけ想像するという聴き方をした。歌手、合唱団ともに長期間練習をしたのだろうと想像した。
オペラはいつも内容も理解しようとするのだが、今回は歌手の歌唱や声を中心に聴くこととなった。「マクベス」は、初回ではオペラを総合的に楽しむ余裕が持てなかったのだった。
来週は隣の市で「アイーダ」があり、8月下旬には別な隣の市で「ラ・ボエーム」がある。秋から年末にかけても近くの市でオペラが予定されているし、「第九」もあっちこっちである。
わが市にはシティオペラと冠している任意の団体があるが、今年は「マクベス」を上演した。1昨年は「カルメン」その前は「椿姫」であり、「マクベス」のような難解な大作を聴く機会は今後ともないだろうし、どのように取り組むか関心を持って出かけた。
作曲はオペラの作品の多いヴェルディであるが、原作はシェークスピアである。今年はシェークスピアの生誕450年なので、改めて注目されている。演劇は外国人劇作家で最も多く上演されている劇作家といわれているが、ぼくには親しみが薄く、オペラではいっそう理解しにくい。
さて、本格的な舞台にしたらオペラとしては相当大掛かりなものなのだろうが、今回は簡易なものにして部分的に幕と照明を使って表現した。
歌い手以外に踊りで表現する魔女、バレーもあり、合唱が何回か衣装を変えて演技も要求されるものだった。
主役のマクベスはバリトンでたくさんのアリアを歌い、演奏の成否を左右するといっても過言でない負担の重いものだった。それゆえにバリトンの歌い手としては、やりがいのある作品なのだろう。
ぼくはいつものオペラ鑑賞なら、ストリーを事前におおよそつかんで字幕をちらちら読みながら聴く。しかし今回は全体理解が難しいので、歌とオケを聴くことを中心にして、ストリーは可能なだけ想像するという聴き方をした。歌手、合唱団ともに長期間練習をしたのだろうと想像した。
オペラはいつも内容も理解しようとするのだが、今回は歌手の歌唱や声を中心に聴くこととなった。「マクベス」は、初回ではオペラを総合的に楽しむ余裕が持てなかったのだった。
来週は隣の市で「アイーダ」があり、8月下旬には別な隣の市で「ラ・ボエーム」がある。秋から年末にかけても近くの市でオペラが予定されているし、「第九」もあっちこっちである。