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絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

テニスとコーチのこと

2007-03-31 16:38:11 | テニス・他のスポーツ
 テニススクールの土曜日のコーチが、今日終わりでした。コーチを受けたのは数回でしたが、ハイテンションでおもしろく、細かいことを強制しないで、メニューが豊富で楽しい時間でした。走る量が多いため他の日より疲労をしたが、満足感がありました。
 わたしのプレーは、ある時期の長期間バックスイングをわずかにしてフォロースルー大きくするよう指摘をされ続けました。たしかに腕だけの力で打つ傾向があったので、フォームが改善されたようでした。ところがそれが定着したと思ったら、打点が遅れるという指摘をされるようになりました。そこで密かにとがめられていたバックスイングを元通りにしたら、打点が改善され、しかもネットのミスがほとんどなくなりました。
 そんなわけで表面化している欠点を繰り返し指摘するだけではなく、診断をしてその人にあった課題を見つけて提案するコーチに出会えることで、たのしく上達できます。コーチングのあり方を、他人事ではないと考えさせられているところです。

ペルー戦に見るナショナルチーム

2007-03-26 16:53:31 | サッカー
 21日(水)のACLは、川崎-バンコクユニバーシティーは、1-1の引き分けに終わった。川崎は、格下のチームに対してホームでもどかしい試合をしていた。
 プレースタイルが違うチームといっても、ホームのサポーターを前に勝利をつかみとろうとする工夫を感じさせない戦いぶりに、テレビを見ていておもしろくなかった。フレンドリーマッチではないので、シュート数が多いことや優位に試合を展開ということは意味がない。1次リーグでは、ホームで勝利しなければならない。
 浦和-シドニーFCは、アウェーで2-2の引き分けだった。1次リーグなので引き分けもありだろう。シドニーに千人ぐらい行った、浦和のサポーターはすごい。
 この2試合は、BS朝日で放送された。

 24日(土)の日本-ペルーは、2-0であった。ペルーはベストメンバーでなかったこともあり、勝利が日本チームの力を診断するのは早計である。ペルーのランキングは70台(日本は40台)だが、おそらく国際試合が少ない等のためであり、南米のチームであり、力はある。
 日本はチームとしての練習不足などから、スピードに乗った裏をとるような攻撃ができないなど物足りなさを感じた。得点の2点は、いずれも中村俊輔からのフリーキックからのもので、ディフェンスを崩してのものではなかった。
 しかし中村俊輔、高原、中沢などを交えて、進歩したチームになってきている。集中を維持してプレスをかけるなど、よくやっていた。もっともオシム監督はさらにレベルの高いチーム作りをしようと思っているだろう。
 高原のシュートは、左足でトラップして反転して得点するという見事なものだった。好調なときの、ゴール前での強さと正確さを見せてくれた。
 高原がブンデスリーグでもまれているひとつの例を、ボディコンタクトのうまさに見ることができる。高原がドリブルで上がるのを後ろからユニホームをつかまれたとき、一瞬速度を落として相手に体をぶつけて転んだ。審判は、当然ユニホームをつかんだ選手のファルをとった。ヨーロッパ的ボディコンタクトプレーであると、わたしは感心したのだった。
 オシムイズムの奥深さによるチーム作りは、楽しみである。横浜で観衆が、60400人というのもいいね。


ネコかぶり戦略、とのこと

2007-03-25 18:34:44 | 生活・教育・文化・社会
 いつものように早朝目覚めて新聞をとりにいったら、わずかなポストまでの距離でも傘が必要なぐらい雨と強風だった。家に風雨が吹きつける音がする、春の嵐である。昼ごろまで続いて夕方ようやく雨がやんだ。こんな雨が土を潤し、草木の生命力をうながす。春を加速させる恵みの雨なのである。

 家にいる時は、朝食前1時間ぐらいかけて新聞を読む。日曜日の朝は『アエラ』も配達されるが、それを読むのは移動のときにしている。ところが都知事選の記事があったので、開いてみた。
 タイトルが「オレさま妙に低姿勢-慎太郎のネコかぶり戦略」であった。リードが「強気が売り物の石原語録が消えた。聞けば、我慢の日々だという。反省。笑顔。握手。豹変74歳に、対立候補たちはどう攻め込むか」とある。
 ネコかぶり戦略とは、さすがうまい表現であるが、これはやはりブレーンが取っている戦略とのこと。横暴といっていいほどプライドが高い石原が、選挙で敗れることを人生の晩節を汚すととらえるだろうし、それは到底受け入れられないことだ。そのため都政の私物化、情報公開失格、卒業式などの日の丸君が代裁判の地裁敗訴など逆風もあることから、この際勝利に結ぶつくことは何でもやろうということだ。
 目下石原が、浅野に対して10ポイントぐらいリードという報道もあるが、これまで声高にいっていた「五輪招致」「築地市場移転」など次々とトーンダウンさせている。これらは国家財政を呼び込んでの、石原流都市改造のはずだが。
 あと2週間、どのような展開になっていくのだろう、都民でないが気になるところである。

城山三郎さんとのひととき

2007-03-23 14:39:42 | 生活・教育・文化・社会
 城山三郎(79歳)さんが逝った。戦争体験をくぐりぬけた人で、国のあり方にいついて発言する人をまた失った。時はとまらなく刻んでいくのだから、だんだん少なくなるのはわかるが、今の政府とてらしてみるにつけ、その世代の人を失うことの残念さを感じ入るのだ。

 駆け出しの頃のわたしだったが、今思えば恐れ多くも城山三郎さんと雑誌で対談したことがある。城山さんの『素直な戦士たち』(新潮文庫)が話題になっていたとき、雑誌『婦人生活』(婦人生活社)がわたしと対談を企画したのだった。その記事は、『婦人生活』79年4月号に「早すぎる子どもの受験戦争-幼児の英才教育は必要ない!」として掲載された。当時は育児・保育・幼児教育は、いくつかあった婦人雑誌で取り上げられるのが普通であった。

 『素直な戦士たち』は、受験戦争の勝利をもくろんで結婚し子どもにそれへとかきたてて成功したかに見えたが、挫折して終わるというものである。受験戦争に対して、パロディとアイロニーを交えて痛烈な批判をこめたストリーである。また作品は、地方新聞に連載したが、反響が大きいため連載を引き伸ばしたとのことであった。
 受験学力批判の相手として城山さんと話す機会を与えられたのは、わたしは駆け出しながら、当時の婦人雑誌や新聞などにインタビューや記事を書いていたからだろう。
 城山さんは小柄ながら、その時間は圧倒される強靭さを感じさせられたのだった。いまだに印象に残っているのは、日本のようには受験学力偏重では、経済の国際化を迎える時代に国際的に通用する人間が育たないと、教育を憂えていた。財界人との対話を例に出しながら、創造力や問題解決能力、そして異質な人ともプロジェクトチームをつくれるコミュニケーション能力の必要などを強調していた。いわゆる受験エリートには、厳しく批判をしていた。
 そういった考え方が、その後文部省でも取り入れられたかもしれない、とわたしは思っている。ネーミングで誤解された「ゆとり教育」であるが、本来は知識の量だけではなく、創造力や問題解決力を重視する教育思想であるのだ。

 当時城山さんは経済小説を書く人なので、むしろ財界などに近いところにいる人、ぐらいしか知識がなかった。若かったといえ、当時の教養のなさを今でも赤面のするように思い出すのだ。城山さんが経済小説という分野を開拓し、人格的にも高潔な方であると、その後徐々に知ることとなった。
 経済小説の開拓者であり、その後は高杉良らに引き継がれ、ひとつのジャンルを形成するにいたっている。それにわたしが最も城山さんらしさを思ったのは、個人情報保護法に敢然と反対に立ち上がったことであった。
 城山さんは、おそらく財界人や自民党の大物政治家ともつながりがあったであろうが、もはやそのようなハト派といわれる人も少なくなっているのではないだろうか。
 城山さんの死去により、わたしは今という時代の立ち位置を確かめるとともに、若い時のいっときの体験が無教養振りを自覚させてくれたことの感謝の意味をこめて、これからは努めて城山文学に浸る時間をつくろうと思っているのである。


週刊朝日とわたし

2007-03-22 17:45:28 | 身辺のこと・自然
 週刊朝日が3.16日号まで、3号にわたって85周年特集をしていた。わたしは、このところ楽しみに読んでいた松谷みよ子の自伝「じょうちゃん」が、その号で終わったので、今は楽しみが少なくなった。
 松谷みよ子が、戦争をはさんでその時代を反映した生活、結核との闘病、瀬川康男との暮らしぶりと離婚で終わった。その後は本格的な児童文学者として、たくさんの作品を世に送り出して世間にも知られることになったので、今のところその自伝は必要がないのかもしれない。筆は抑制的で行間に様々なことが読み取れるものだが、内容はドラマティックなものであった。
 松谷みよ子は、戦後の児童文学に活気を作って健在な松岡享子、石井桃子、神沢利子らとともに、女性作家の草分けなのである。

 3・16号に特別企画として、朝日ジャーナルを感慨し、その切り口で対談と7人のエッセーを24ページつくっていた。とにかく懐かしかった。
 島田雅彦(作家、法政大教員)の「わかりやすさの追求が招いた思考力の低下」は共感とともに、分かりやすさを求められそれに答えることに力を注いでいる自分に、自問せざるを得なかった。分からないことに奥深さを感じ、調べたり別なことを考えているときに答えが出てくるといったことが、若いとき多かったことを思い出した。
 対談で筑紫哲也が「知的虚栄心」というキーワードを使っていたが、わたしは本をよく買ったものだ、と振り返った。今は、虚栄あるいは自己愛は「知的」と結びつかなくて、溢れかえるほど充満しているので、どこへいってもそれとぶつかってしまう時代である。

 さて、週刊朝日は娯楽性と教養のバランスをとりながら、ある時期100万部であったものが、発行部数では低迷しているようである。編集長によってその時代にそった雑誌作りの工夫を施していることがわかる。
 わたしは家でとっていたので、なにしろ小学校6年生ぐらいから読みだしたので、ン十年も読み続けている。中、高時代はとくに丁寧に読んだ記憶がある。大学時代は読まなかったが、その後数年空白はあったが、時代の風を感じ取る意味で読み続けている。
 最近の週刊朝日は、「あるある・・・」の火付け役をしたように、スクープが多くておもしろい。

無党派層の「千の風」はどこに吹く

2007-03-21 19:33:33 | 生活・教育・文化・社会
 わたしは都民ではないが、都知事選に関心を持っている。現職知事の、横暴で侮蔑する人柄と教育の教員に対する抑圧、福祉・保育等の軽視、そしてオリンピック招致など、日本全体に影響力があるがゆえに、気になる。延べ20年ほど都民だったが、どうして2期にわたって圧倒的支持を得ているのか、不思議に思っている。
 
 さて、先週の木曜日(15日)4候補者による討論が、「報道ステーション」「ニュース23」でやった。石原は「あかずきん」戦術をとっている。つまりオオカミなのにおばあさん声を出して、あかずきん(都民)をおびき寄せようとするのと似ているということだ。これまでの日常とがらりと変えて、低姿勢でソフトな言い回し、ときには笑顔お振りまく。この笑顔が、子どものような表情になる。これは、浅野が立候補するという選挙情勢を見てから取っている戦術である。演出家がいることは間違いなしである。わたしは本当の姿をいつまで隠し続けられるかな、と興味深く思っている。
 浅野は独自性を出そうとして、とくに黒川の石原批判との違いの表現に戸惑ったせいか下向き加減で大学教員になってしまって、首長として期待される活気を出せないでいたように見た。選挙戦になって、石原との対決色を鮮明にしたら変わるだろうが。
 吉田は、ゆうゆうとしていた落ち着いた気持ちで安定感があり、政治家向きの風貌に思えた。

 番組比較では、報道ステーションは古館の司会で進行させたが、後半時間不足になった。ニュース23は、テーマごとに時間を区切ってパネルを示したりして、長話をさせないように番組作りをしていた。司会である筑紫にゆだねたというより、他の2人も交えてうまく進行していた。

 20日(火)の、ケーブルテレビの朝日ニュースターの「ニュースの深層」では、上杉隆が浅野史郎に1時間番組でインタビューをしていた。浅野は、石原都政批判を鮮明にして、段々政策が明快になってきている印象を持った。

 ところでこのところの選挙は、無党派層といわれる多くの人の動向が、結果を左右するようになってきている。これは小選挙区制になって、二元論的思考にならざるをえなくなったことが影響していると見ている。自分の考えをある政党に託すことが、当選という果実に結びつかないので、政治に距離を置くようになっているのではなりだろうか。
 わたしは以前のように中選挙区にして、多様な考えをくみ上げる仕組みに戻したほうがよい、と考えている。ヨーロッパのようにいくつかの組み合わせの連立政権が誕生したほうが、健全な民主主義社会になると思っているのだ。

ポケモンやゲームのこと

2007-03-20 11:46:07 | 子どもからの発見
 海のポケモンへの興味は、生活に根づいて、頭の一部を常時占めるようになったようだ。ポケモンのキャラクターは膨大な数(100を超える)だが、それを一覧に描かれているポスターのようなもの(本人は新聞のようなものという。紙の大きさをさしているようだ)を、広げてはよく見入っている。持っているキャラクターグッズはまだ一桁だが、宝物のような扱いである。
 わたしが聞いてみたらポケモンのテレビは、バトルがよいという。木曜日の番組(わたしはこれをまだ見ていない)だけでなく、最近日曜日の「ポケモンサンデー」も見るようになった。その番組は幼稚園で友だちから聞いてきて、自分で12チャンネル(テレビ東京系)を選び7時半から1時間を見るようになった。
 そのためこれまで見ていた、「マジレンジャー」「ボウケンジャー」「「ゲキレンジャー」と続いてきた、テレビ朝日系のものは見なくなったようだ。

 この種の番組は、日本の子どもは通過しなければならないのが現実のようだ。
ある時期にフランス人の女性ジャーナリストと、何回も話す機会があった。その人は日本でも3冊ほど本を出版していた。その本をめぐって話すぐらいに、日本とフランス事情についても語り合っていた。
 ある場所で、その人の3歳ぐらいになった子どもに話しかけたことがある。日本の子どもにはすぐ通じる、テレビネタで接近した。するとフランス人の女性に、きっぱりと「やめてください」といわれた。コミュニケーションが不快に思ったのではなく、テレビネタのことであった。「日本の子ども向けのテレビ番組はひどいから見せていない」とのことであった。それから日本のテレビと子ども文化についての、話になったのだった。
 海を観察していたら、4歳児で入園して6月ごろから当時「マジレンジャー」を見るようになったが、3カ月ぐらいまでは番組を見てすぐわが家に来ると、その感情を引きずってか、荒っぽい言動になっていた。その後は頭を切り替えてかられるようになったようであった。
 この辺はのことは、テレビだけでなく幼稚園生活の険しさの洗礼を受けていることとも関係している要因もあるだろう。
 それに3歳過ぎで消えかかったと思った全能感といったものが、「マジレンジャー」によって復活したかのようにとらえている。ここでいう全能感というのは、何でも自分の思い通りに周りが動いてくれる、という感覚である。見方を変えれば自己中心性ともいえる。
 この感覚は、大人のいうことを受け入れなくなるので、一見元気な自己主張のようにも見える。ところがこの感覚ではその年齢の力を育てるために必要な知識と行動の仕方を受け入れなくなるため、自立的力が育ちにくくなるなるのである。

 わたしはこの種のものは苦痛でありながら時には見て、子どもにとっての文化のあり方を考えるようにしている。子どもを社会的文化的視点から見るようにしているので、避けて通れないことだ。
 ちなみにわたしは、テレビのこの種の番組やバラエティー、あるいはマンガを読むのは苦痛なので見ない。ここ20年ぐらいは、テレビのドラマもめったに見ない。マンガは幼いときからほとんど読んだ体験がないので、今読もうとしても時間がかかってだめだ。この嗜好性がよいというわけではなく、そのような人間もいるということである。

 さて「ポケモンサンデー」を、リサーチの意味で見た。わたしの立場からすると、ばかばかしいバラエティー番組への入門のよう見えた。わたしは、バラエティー番組をひとくくりに否定するつもりはないのだよ。
 番組は、大人がジョークをよそおってふざけたりからかったり、あるいは失敗して笑いを取る。いじめにもつながりそうなことをして笑う。見ているものが笑うのではなく、出演者どうしがそうしているのだ。そんなわけでストリー性はないようである。大人のバラエティー番組と同じつくりであるため、子どもにとってはそれへと視聴がつながっていくだろう。内容を練ってカネをかけて作っているとは思えないものだ。
 それに内容が商品のコマーシャルと渾然一体となっている。タカラトミー、あるいは小学館がスポンサーになっていた。
 こういった分析評価は、30分ぐらい見ただけなので表層的かもしれないが、記しておくことにする。

 ところで海は、長男であり家族がこの種の文化に誘導していないので、自分で開拓している。兄のいる友達から仕入れてきているのだ。6歳を過ぎた年齢では、テレビゲームをしていて携帯ゲームで遊んでいる子どももいる。そのような子どもは友だちのなかで兄から仕入れた文化を披露しては、その分野では他の子どもより先んじるうらやましい存在であるのだ。
 海がこの手の文化を仕入れてくる子どもが家に遊びに来たときは、携帯のゲームを持ってきていた。友だちに披瀝するためではなく、家で30分と制限されているので親の目のないときにゲームをやるためであった。6歳でそのような工面の仕方を、覚えているのである。

 海は小学校に入ったらテレビゲームなどは避けて通れないから、どのように接近し生活に位置づいていくのか、今から興味深いのである。
 ゲームについては、ゲーム脳という概念でその弊害を主張した本が出版されて、それは根拠がないということになっている。ゲーム脳論を否定した反動のためか、現在はゲームに対して寛容な論調になっている。
 わたしはゲームが一過性のものでなく、依存性が強く子どもの生活への位置づき方によっては問題が小さくないと思っている。大人になっても長時間ゲームに依存した生活の人もいる。もっともこの種のことでは、ゲームだけの問題ではなく、パチンコ、ギャンブルなどの依存の問題もあるが。

 なおポケモンについて調べてみたら、そのキャラクターを扱っている会社で、急成長していることが分かった。ポケモンのキャラクターは、ゲーム、カード、アニメ・TV・映画、グッズ(フィギュア、ぬいぐるみ、フード)、雑誌・文具、本、CD・DVD・ビデオなどになっている。したがってこれらの分野は、メーカーが限定されていない。フィギュアが出てくるガチャガチャポンはバンダイであり、本は小学館といった具合である。
 アメリカでそうとう人気があるとニュースで聞くことがあるが、これも日本の外貨獲得の21世紀型の文化戦略に位置づくということになるのだろうか。


幼稚園を卒園する

2007-03-19 15:12:44 | 子どもからの発見
 今朝は5℃だったが、昼は日差しが暖かい。そのためか庭にモンシロチョウが初めて飛んできた。ヒヨドリが、キンカンを下に落としてはついばんでいる。とげのあるキンカンの木に対して、ヒヨドリは心得ているものだ、と自然界のことをまた知ることができた。

 海は17日に卒園をした。その週はインフルエンザにかかり休んだ日もあったが、当日は出席できた。終了証と精勤賞を披露したが、アルバムは見せるのを拒んだ。それは卒園を自分だけで抱え込みたいことのようにも思えた。
 卒園したので、
「もう幼稚園いけなくて寂しいね」
などと声をかけたら、
「ようちえんいくんだもん」
といった言葉が返ってきたので、卒園というのをどうとらえているのだろうと思った。
 その理由は、希望者は私服で幼稚園に遊びに行ってよいということで、今日は出かけた。卒園をさしたる感慨もなくとらえている意味が分かった。これは希望者だけのようで、預かり保育と関係があるのかな、と推測してみた。

 遊びをベースにした幼稚園から、勉強をする小学校へ入学するということは、大変なことなんだなと考えさせられている。

恐竜から『せいめいのれきし』へ

2007-03-16 15:20:29 | 子どもからの発見
 3月上旬のことである。かねてから時々『グリコえほん31』に載っている13の恐竜を見ては、名前を覚えようとしていた。大きな恐竜の図鑑があるが、『グリコ』の方があつかいやすく、種類も自分で把握できる範囲なのでよいようだ。恐竜の大きさにとくに関心があるようで、よく聞いてくる。
「頭からしっぽまでが道路幅ぐらい」とか「生垣ぐらい」といったように答える。
 まれにだが恐竜ごっこをする時があり、そのときはちょっと勘弁して欲しいような声を出す。
 ある時、
「きょうりゅってえどじだいまえなの」
と、なにやら昔というくくりの知識で聞いてきた。これをチャンスと思って、『せいめいのれき』(バートン文・絵 いしいももこ訳 64年 岩波書店)を読んだ。長くて難しい絵本なので、どのぐらい理解したか分からないが、じっと聞いていた。
 4幕2場の1万年前の、人類が文明を作る時代から5幕8場までのことが分量が多い(P52~P79)こともあり、そこが印象に残ったように読み取れた。何か未知のふしぎな世界があるということだけは、理解したようであった。今後も機会をつくって、読んでやったほうがよい絵本であることはたしかである。

 なお、この絵本を訳した石井桃子は、100歳で健在である。


なつかしい日本の遊び201

2007-03-15 21:56:35 | 子ども・子育て・保育
 隣の市に昔ながらの古書店がある。それはビルの3階までフロアーを持つ、巨大なものだ。いつも行こうと思っていながら実現できていないので、意を決していった。本当はそんな大げさな表現をするような行動ではないのに、とにかく約束などの用事がなければ外へ出ない生活をしているためである。
 2時間ぐらいで、あれも欲しいこれも欲しいとなる。しかしそんな誘惑に負けず絵本にしぼって出かけたので、重たくて持つのが大変なぐらい買ってしまった。

 そのなかで私が貴重と思った本を紹介すと、『なつかしい日本の遊び201』(角川書店発行 1700円)である。
 この本は05年11月発行なので、古書店でなく新本として購入できる。わたしはこの種の本は、ほとんどチェックしているつもりであったが、知らなかった。著者である佐藤加代(44年生まれ)の絵によるもので、およそ50年代までの雪の降らないまちで遊んだであろう遊びが、紹介されている。
 この種の本では、かつて遠藤ケイ(こども遊び大全・懐かし昭和児童遊戯集 新宿書房)によるものがある。同じ時代の遊びであるが、氏の本は、男性が新潟での暮らしであることを盛り込んだ内容にしているのが特長である。この本は女性であることと、絵が線と顔の表情や動きなどが、その時代の空気と子どもの声が聞こえるような感じがするほどよくできている。遊びの紹介にとどまらない、子どもの暮らしと文化の歴史を知ることができる。
 出版動機は、著者の絵が編集者の目にとまって本にまとめ上げたという。著者は市井の人のように推測している。古書店めぐりは、このような知らない貴重な本に出合える喜びがある。

 それに20年以上前に出版した私の著書が、定価の半額以上の700円の値で展示されていた。学術的価値はないはずなのに、古書店にあることに驚きと恥ずかしい気持ちで、手にとって確かめたのだった。