絵本と児童文学

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謙譲語・「させていただく」

2006-08-31 05:14:37 | 生活・教育・文化・社会
 「○○をさせていただきます」という表現は、いつのころからか頻繁に耳にするようになった。何かの会合で説明をする際の冒頭、国会での議員のやり取り、さてはNHKのアナも時には口にする人がいる。
 わたしはこの言葉に抵抗があって使わない。そのような言葉文化圏で育たなかったことと、人間の関係性に虚飾を廃しフラットな関係を望むからかもしれない。わたしの言語感覚からすると、「させていただきます」を多用されると慇懃(いんぎん)無礼な思いになることがある。本来の人々への敬いというより、話の開始宣言、あるいは異論を示すときの枕詞だったりすることもある。そして「させいただきます」という表現を使って自分を励ましている、あるいは気取っていると思う場面にも遭遇している。
 また日本語について造詣が深い、作家井上ひさしが90年代初めに出した本に「待遇表現の多用は問題」という記述があったので、わたしはそれに納得している。井上ひさしは「させていただく」という謙譲表現を、待遇表現という概念を使っている。
 
 ところで「させていただく」は、わたしの推測では東海、関西(とくに京都)中国地方などでは、謙譲の意味をさほど持たせなくて使う言語文化ではないか。地域によっては謙譲の意味をこめなくとも「○○をする」を「○○をさせていただく」というのである。たとえば「入所している」を「入っておられます」と表現をする。それに電車のアナウンスの場合でも「ご利用の皆様」を「ご利用されている」という具合になる。
 このように地域の言語文化が、全国的に普及してきたと思われる。それに商的サービスコミュニケーションという業界表現が、一般化して多用に拍車をかけたのではないか、とも思っている。

 さて普段気になっているこの表現について、朝日新聞8月30日(夕刊)の「窓-論説委員室から」(清水建宇)が取り上げていた。
 タイトルは「させていただく」であり、この表現が増加したことについて、「過剰な敬語では敬意は伝わらない。その場にふさわしい正しい敬語を使う習慣が広がってほしいものだ」として、多用を戒めている。
 それによると朝日新聞のデーターベースでは、「させていただく」表現は、87年まで年に十数件、97年100件を超え、01年に200件、05年300件と、うなぎ上りの増加である。
 文化審議会国語分科会は、今年1月の敬語小委員会で「させていただく」を取り上げたとのこと。
 「本来、それによって恩恵を受ける場合に発する謙譲表現である」この用法を、このように気持ちをこめて「させていただく」を使っているだろうか。そして「ただし、実際に許可や恩恵を受けていなくとも、受けているかのように見立てて相手を敬う発想が日本にある。だから、本来の用法より広く使われやすい」としている。そして「わたしは○○高校を卒業させていただきました」という不適切な事例を挙げている。



国旗からアジアアンドワルールドに関心が向く

2006-08-29 08:58:28 | 子どもからの発見
 NHKのおはよう日本の7時50分前後から「アジア&ワールド」という3分ぐらいのコーナーがある。昨日は、台湾で納豆が普及しつつあるという話題だった。
さっそく海は、いつもの『せかいのこっきえほん』を見る。さくいんを調べる。台湾は出ていなかった。
「でてない。でてない・・・どうして?」
「台湾はここの島なんだよ。国でないけど国旗もあるよ。今度国旗を見つけたら教えるよ」
 台湾のことの理解は難しいので、またの機会に説明ことにする。
 先日はネパールのとき「ナマステ体操」というのを紹介していた。滞在中の日本人が作ったものだが、普及し始めているとのことだ。
 そのしぐさがネパールの文化を反映させているため、あまり目にしないからだの動きに海は興味を持った。ゆっくり動かすので、中国の太極拳にも似ている。海はさっそく『せかいのこっきえほん』のネパールを開いて、「こんにちは」がネパールでは「ナマステ」ということを確認した。ナマステの語感と体操のしぐさを、そうとうおもしろがっていた。
 朝のテレビのニュースをつけている部屋にいると、その時間が近づくと「アジアアンドワールドは?」と聞くし、8月頃からその放送が始まるとじっと見るようになった。

 『せかいのこっきえほん』(ひさかたチャイルド社)を見ては、ずっと国旗を書いたりしてきた。
 それがワールドカップの6月には、参加国一覧の国旗を見てそれのいくつかを描いたりした。連日どこかの国旗を描いていたほどだった。それと同時に絵本に紹介されている国の特徴のイラストで少しばかりの知識を得て、国についての関心に広がっていった。それにアジア、アフリカ、などの世界の地域分類を覚えた。世界地図を貼ったら、それがいっそう分かりやすくなったようだ。
 この時期に索引を調べることを教えたので、国名とページとを物差しで合わせてページを確認して、それに沿って開いて国にたどりつく。しかもカタカナをこの時期に一気に覚えてしまった。ひらがなの五十音表の、B4ほどの大きな厚手のものを手に取れるところに置いていたら、それをじっと見ているときが続いていた。

 世界への関心が国旗にとどまらなくなってきたので、『世界がみえる地図の絵本』ブライアン・デルフ作(あすなろ書房031月発行)を与えた。この本は、実際は小学校中学年以上を対象とした内容と表現だが、地図にその国の自然、動物、象徴的な文明がイラストで描かれているので、イラストをじっと見て知識を増やしている。
 そうしたら先日はごっこ遊びの途中で、
「ちょっとべんきょうする」と言って、その本のオーストラリアをじっと見て野生のラクダのイラストを見つけて、
「オーストラリアにもラクダがいることをはっけん!」といって、再びごっこに加わって、
「オーストラリアにはカンガルーだけでなく、らくだもいます」と格調高くいっていた。

 動物図鑑から得る知識と世界への関心を結びつけて、たとえばオラウンターンはどこに住んでいるか、といったことを知りたがっている。
 そこで『アストラ動物世界図絵本』ダニエラ・デ・ルカ絵 アン・マクレー文(学研 06年3月発行 1300円)を与えた。地図上にどのような動物が住んでいるかイラストと説明文で構成されている。幼児から小学校中学年が対象と思われる。
 この本に対して海は「みにくいと」と言って、あまり活用しない。なぜか考えてみると、イラストが動物と地図と山などの自然の描き方が同じ線だからではないか。それに色までも同じようなためではないかということがわかった。そういえば開いた瞬間わかりにくい。大人はそれを地図は知っているので気にかけないで、動物に着目して見ているのだ。


青春舞台2006

2006-08-28 20:33:56 | 生活・教育・文化・社会
 くたびれているせいか仕事に身が入らない。そんな時昼食を食べて新聞のテレビ欄を見たら、NHK衛星第2で「青春舞台2006」という番組が目に留まった。
 かねてから興味のあった高校演劇である。そこで途中からだったが、見てしまった。4作品中3作品だから、3時間半余りの時間を費やしたのだ。いまはテレビに時間をさけるような状況ではないが、初めて見たので不思議と念願がかなったと言う思いになった。
 
 2500校の参加があり、全国大会で11校が公演をしたなかから、4校のものが放送された。
 放送された作品ごとその学校の演劇部の生徒と、審査員のなかからゲストとして高泉淳子と平田オリザがコメントをしていた。コメントによって高校演劇を見る視点を提示してくれたようでおもしろかった。高校演劇は高校生がゆえに演劇、とくに演じる、演出、脚本などの演劇の諸要素がよく読み取ることができる。

 最優秀賞は見られなかったが、審査員特別賞の「三月記」(鳥取・三刀屋高)と優秀賞の「ラスティング ミュージック」(北海道・釧路北陽高)と「全校ワックス」(山梨・甲府昭和高)を見た。
 「三月記」は顧問の書いた脚本だが、高校生の抱える負の部分に向き合いながら教師の見えない苦悩を通して学校のあり方をテーマにしていた。先生役をした生徒のキャラクターが生きていたが、間の取り方など演技に工夫が必要のように思えた。
 「ラスティング ミュージック」は、進路の問題を絡めながら人のつながりについてのテーマであった。高校生が書いた台本というからすごい出来だ。演技も演出の工夫もわたしは興味を持った。
 「全校ワックス」という、学校生活の日常のことでしかもひたすら掃除を繰り返す中で交わすありふれた言葉で展開した。掃除用具だけという舞台、学校生活そのものの服装など高校生しかできない演劇だった。たいしたことなさそうな演劇にも見えたが、間をおくなど普通は怖いのだが、よく演じていた。

 その昔わたしの高校演劇は、全国大会に出るぐらいだった。入りたかったが独特の壁を感じてか、ためらってしまった。その代わり部員不足でつぶれかかっていた合唱部をやった。夢中になり、いつの間にか大世帯になった。それがわたしの人生にも影響を及ぼしたのだった。
 高校演劇にたいして、わたしの心のどこかに未練があったのかもしれない。テレビを見て、すがすがしい気持ちになったのだから。

虫に親しむ

2006-08-27 17:27:53 | 子どもからの発見
 夕べ自宅にもどったら、住宅街が夜の虫の音がにぎやかで、すっかり秋を感じさせました。学校ではどこかの町内会の盆踊りが行われており、その音楽が風に乗って聞こえてきます。寝るときは涼しいぐらいなので、1月半ぐらいぶりに戸を閉めたのでした。

 海の夏休みもわずかになりましたが、この間虫に親しみ知識が増えました。
 近所の家からカタツムリをもらってきて、小さなものを3匹飼っています。アジサイの葉に水をつけたのを与えているだけなのに大きくなっています。
 父親と採ってきたアオガエルに、庭に飛んでくるシジミチョウを採って与えます。それをどのように食うかを聞くと、カエルのポーズで口をあけて飛んで食うまねをします。チョウが動くとそれに飛びつく、と説明をします。
 アゲハの大きな幼虫は、キャベツを食っては排泄するのがわかります。
 カブトが死んだので土に埋めて墓を作りました。父親とセミを採ってきては、図鑑を調べて小さなカードに名前を書いて、木の箱に虫ピンで止めて標本のようにしています。
 これまでもバッタやカマキリなども採ってきては、図鑑で名前を確認して放してやっています。虫の図鑑を見ては、だいぶ知識の量を増やしています。

 図鑑といえば、虫以外にも動物、鳥、魚、恐竜などを、テレビで見たものを確認したりするためによく使うようになりました。日々知識の量を増しています。

障害者とパソコン

2006-08-25 17:21:39 | 福祉
 昨日は、天気予報で名古屋が36℃というきびしい残暑のなか、実習をしている学生たちを訪ねた。最初の訪問は、三重県である。9時30分に駅に降りたら、すでに日差しと道路の照り返しも強かった。
 駅前は東洋紡というなつかしい名前の工場があった。かつては人がにぎわい工場の機械の音もあっただろうに、人の気配を感じさせないぐらいだった。紡績はすでになく、ある部門だけの事業をしているようだった。
 その敷地を囲っている塀は、直線の向こうがかすかに見えるぐらいだから、1キロぐらいもあるだろうか。その塀に沿った直線道路を、汗が多くならないようにゆっくり歩いた。水田が開けたと思ったら、遠くにめざすそれらしい建物があった。またゆっくり歩く。

 設立4年目という特養とデイの老人施設である。特養の部屋は4人のもあったが、一人ひとり2メートルぐらいの高さの木製で仕切るという、独立性を工夫されていた。またカラーコーディネートの工夫がされており、薄いオレンジ、グリーなど暖色系でありながら落ち着きを感じされるものであった。
 デイの空間は広く、畳とベッドのスペースあり、午睡をするということだった。入浴以外の人は穏やかな語らいの時間であった。
 また男性の利用者が少ないとのことで、その日も1人であった。眼差しを遠くにじっとやっていた。都市部では男性が少ないわけではないが、地域によってはこのようなこともある。

 午後は名古屋市で地下鉄から降りたら、道路から熱風が襲ってくるぐらい暑い。頭が押さえ込まれるような強い日差しは、あまり体験しないようなものだった。50℃ぐらいにもなっているのだろうか、などと想像してみた。首都圏とは違って、東海から西日本が猛暑だという報道を実感した。やはりゆっくり歩くしかない。
 障害者の授産施設であり、PCを使って工賃10万円クラスの事業をしている。入力(データ入力、HP作成など)システム開発、調査企画など本格的な事業展開である。
 視覚障害者用のPCは、今はメール、インターネットなどすべてが音声化される。そのために、行政のHPや辞典などでもダイレクトに利用できる。
 かつて視覚障害者が学ぶ場合は、大勢の点訳ボランティアや本の朗読者を必要としていたことからみると、PCによって情報へのアクセスは革命的変化である。わたしはPC以前のことを知っているので、隔世の感をもつのだ。
 音声化PCがいつ頃から実現したかについては、83年ごろに特定のものができたという。現在のようにすべてのものが音声化できるようになったのは6、7年前とのことだった。PCが障害者に、かけがえのない力を与えているのである。
 視力障害の学生は、大学よりは広がった社会へのトレーニングといってもいいような体験をしていた。人間の自立を理念にしている、さまざまな目的を持った施設をもっているので、既成の障害者施設の枠ではまったく考えられないようなスケールで展開している場での実習によって、学び獲得するものは人生にも影響を与えかねない刺激的なもののように思えた。
 
 きびしい残暑のなか、1日でのべ60分ぐらい外を歩いただろうか。ほとんど室内にいるわたしにとっては、特別な日となったのだった。

子どもの保護責任放棄による死をなくすベビーシッター文化を

2006-08-24 03:05:58 | 子ども・子育て・保育
 8月19日(土)の朝日新聞に「母親の外出中乳児が窒息死」という見出し(1段)の記事があった。生後4カ月の子どもを寝かせたまま、午後6時から午後11時ごろまで外出し、映画や食事をしていた。子どもは窒息死であった。警視庁は、保護責任者遺棄致死や重大過失致死で母親から事情を聞いているという。

 類似事件では、5月28日(日)生後2カ月の子どもを、午前9時から午後2時まで車の中に入れたまま両親がパチンコをしていて死亡した、というのがあった。車に子どもを放置したままによる死亡、というのは驚かないくらい、繰り返されている。

 0歳の子どもは、安全とコミュニケーションのあり方からしても、一時も目が離せないと思っているわたしから見れば、何時間も放置するということは理由のいかんにかかわらず許されることではない。育児の初歩的に知識と姿勢に欠ける行為であり、子どもが独立した生存権を持っている存在という観点で、親は強く責任を問われるべきである。

 さらに記憶によると5月による外出で不在のとき、火災によって3人の子どもが死亡するという事件もあった。いわゆる留守番であるが、これとて子どもには無理なことである。
 
 この種の事件が年間どのぐらいあるかは定かではないが、メディアの報道は新聞の小さな記事になるだけだ。テレビでの報道は皆無である。
 テレビといえば、ふじみ野市のプールでの死亡事故の報道時間は、相当の時間を使った。それは事件としてだけでなく、人間ドラマにしてしまう報道ぶりである。たとえば葬儀のときのNHKの夕方7時と翌朝のニュースでは、3分間使いそのうち2分が葬儀の様子であった。ニュースの3分間は短くないし、しかも葬儀の様子に時間を取るといった報道内容に、わたしは疑問を持っている。

 保護されるべき子どもを放置し死亡するということは、間接的殺人でもあると思う。親の過失によってわが子を死に至らしめることを、刑事事件としてどのように扱われているかは知らないが、保護責任を厳しく問う文化はない。母子心中を、親の犯罪という視点で見ないことからも、理解できるというものである。

 保護責任に関して、カナダに1月ほど滞在したときに聞いた話を紹介することにする。カナダでは、子どもの保護責任を法で厳格に定めている。13歳未満の子どもには、親またはベビーシッターをつけなければならないとなっている。
 それを怠っているとみなされると、近隣の人が警察に通報するとのこと。そのために親が子どもを置いて外出する際は、ベビーシッターを依頼する。ベビーシッターといっても普通の家庭では、近所の13歳以上の高校生などに依頼することが多いという。高校生としては、社会的責任ある時間を過ごし、かつアルバイトになるのである。
 このようなことは、ドイツ人からも聞いたことがある。
 また、10年以上前の記憶になるが、アメリカで日本人がスーパーに買い物をするときに子どもを車に乗せたままにして、逮捕されたと報道されたことがあった。この州では車に子どもだけにするだけで、親の子ども保護責任を放棄したとみなされるのである。

 日本でも子どもの保護を、育児能力にとどめる段階でなくなっていると思われる。子どもの保護責任を法制化し、高校生や近隣のひとが子どもの面倒を見る文化をつくっていくことが必要ではないだろうか。

ナショナルチーム、オシムサッカー浸透の道遠し

2006-08-21 14:36:19 | サッカー
 昨日はテレビで千葉とFC東京戦をみた。オシムのサッカーを具現化している千葉と、それに対抗すべく挑んだFC東京だけに、エキサイティングな試合で面白かった。点の取り合いとなり3-4でFC東京が勝った。千葉のホームとしては珍しい17261人の観客であった。

 わたしは磐田のポゼッションサッカーを見ることが多い。ポゼッションサッカーは、フィニッシュで加速しシュートまで行くと面白いのだが、ディフェンスを崩せずにボールをまわすことが多い3年余り続いている磐田のサッカーには、退屈するばかりである。

 これとは異質の、オシムの目指していたリスクを冒してでも走って攻撃し続けるサッカーは刺激的である。そのサッカーで、財政事情からメンバーがそろっているとはいいがたい千葉を、上位をキープするぐらい育ててきた。オシムは、チームづくりをしながら選手を育成するのである。


 さて16日(水)のアジア杯予選リーグのイエメン戦は、オシム監督としては不満な試合だっただろう。守備を固めてくると予想できたチームを相手に、前半は以前のようにディフェンスを崩せず、ファルをもらってのセットプレーに活路を見出そうとした。
 とくに三都主は、トリニダード・トバゴで見せたプレーでなく、旧来のものに逆戻りしていた。前試合の2得点の慢心がそうさせたのだろうか。

 ゲームが変わったのは、後半羽生(千葉)佐藤(千葉)、佐藤(広島)を投入したら、中央のディフェンスを引き出すような動きが加わり、阿部(千葉 後半25分)、佐藤(広島 後半44分)のシュートが決まった。
 イエメンペースの試合であった。この分だとアウェーでは苦しむだろう。もっともオシム監督のコーチング日数が、のべ10日間にも満たないので、オシムサッカーの浸透が無理というものだが。

潮風をうけて

2006-08-19 01:17:31 | 旅行
 車は半島に向かって走った。世間は普段の動きに戻ったので、車は多かった。自動車道から見える緑は、強い日差し注いでおり真夏日の気温を想像できた。
 90分も走っただろうか、港についた。意外と近いところで、さまざまな船を久しぶりに見ることができた。マグロ水揚げが多い港なので、解体をしている店や食事の店が並んでいた。様々なマグロの昼食メニューがあり、ちょっと珍しいものを食したのだった。

 強い日差しをほどほどにして、目的地の海へ移動した。そこは家族ずれが中心のほどほどの賑わいの海水浴場である。照り返しの強い砂浜を歩く感触、潮のにおいも久しぶりである。普段日照りのもとでテニスをしているのに、強い日差しはいつからか苦手になった。ほどほどにして室内に移動した。
 夕方の浜は、潮風が心地よかった。白い円形の水が、波打ち際に押し寄せては砕け散るのを繰り返していた。子どものころなじんだ砂浜と波打ち際を歩く感覚がよみがえってきた。
 そういえば水平線に沈む大きな夕日をじっと見ては、物思いにふけったものだった。それに外国語文字が印された漂流物を拾っては、未知の世界があることに思いをはせたりもした。砂浜は、わたしの原風景なのだ、と思った。
 朝の砂浜は、明るいが人がいなくて静かである。波は遠慮がちにいったり来たりを繰り返している。
 子どものころ海で泳いでいたものだが、もう何年も海には入っていない。日常の暮らしと異質な活動をするのが、いつの間にか億劫になっている。

 県立美術館に立ち寄った。美術館所蔵の、モダンアート展をしていた。興味をそそられる制作者の何人かにめぐりあうことができた。
 ところでわたしが遠くから見てから作品に近づくと、職員が立ち上がって明らかに警戒に満ちた行動をとっていた。美術館回りは相当していて、わたしのいつもの鑑賞スタイルなのだが、作品を触ったりするとでも思われたのだろうか。
 さらに進んでゆくと、メモ用にシャーペンを前ポケットにいれていたら、近づいてきて「ボールペンは禁止です」と言うではないか。これにはいささか唖然とした。国宝級作品でもないのに、過剰な警戒心である。わたしが不審者のように見えたのか、それとも開館間もない仕事始めだから、職員が熱心で元気だったかもしれない、などといったことを想像してみた。
 そんなわけで美術館を出たら、作品を味わいより職員の仕事ぶりの不愉快さのほうが残ってしまった。700円の入館料は安くないな、相当な財政を使っただろう建物だ、職員数を思い出して多いな、といった普段美術鑑賞後考えもしない余計なことが、頭をめぐってしまったのだった。

 わたしの夏休み唯一の一泊の旅行が、こうして終わったのである。

子どもの頃がかすかによみがえったとき

2006-08-16 11:38:25 | 身辺のこと・自然
 今日はどんよりとした雲が垂れ込め、時折小雨が降っている。
 立秋がすぎたせいか、夜と朝がしのぎやすくなる。今年は今のところ、関東は冷夏で終わりそうである。海水浴、夏物衣料など不振なのだろう。日照不足のせいか、例年より遅く朝顔がようやく咲き出した。

 昨日は、わたしとしてはめずらしく高校野球の駒大苫小牧と青森山田戦を見た。新聞の整理をしながらだが、試合の後半戦の面白さに思わず集中してみたのだった。
 駒大苫小牧の総合力のレベルの高さに驚いた。小学校から野球を続けてきて、その中のほんのわずかな人がプレーをできる甲子園での試合である。強いチームは技術だけではなく、体もいいしメンタル面もすごいんだと思ったのだった。

 先週関西の都市に行く機会があった。わたしは仕事で遠出する場合でも、用件だけで帰る。ところがその地で気になるところがあったので、短い時間だったが訪ねた。引揚記念館である。その港は、戦後数年たってからはシベリアに抑留された兵士の引揚げ船の受け入れになった。のべ66万人の迎え入れをしたという。
 13年間続いたというから、昭和33年までということだ。三波晴夫(歌手)、佐藤忠良(彫刻家)の体験の語りがあった。引揚げ船は興安丸、雲仙丸、高砂丸などとあったが、わたしにはなぜか「こうあんまる」という名前が耳に残っていた。幼いときにラジオで聞いたことなのか、それとも映画館で数年遅れのニュース映画での記憶かもしれない。ラジオでは、たずね人の時間というのも連日やっていたことも、かすかに残っている。ひたすら名前を読み上げるのだが、耳を傾けて聞いていたのだった。
 シベリアでの過酷な労働体験を語れる人に、聞く機会がなかったわけではないのに聞かずにきてしまった。

 引揚げといえば五木寛之(作家)は、朝鮮半島から博多に引揚げたと書いていた。15日(火)の朝日新聞の夕刊「窓」によると、博多港は45年11月から1年半で139万人を迎え入れたとのことである。

 訪ねたところでは、日照りの畑にも行く機会を得た。久しく見たことのなかったごぼう畑の葉っぱであり、隣のあぜ道を歩いたらバッタとカエルが一斉に飛び立ったのであった。それに畑の照り返しの暑さと土のにおいにも、ずいぶん遠ざかっていたことを実感した。

 短時間の滞在仕時間だったが、子どものころを思い出がさまざまよみがえってきたひと時となったのだった。

Jリーグ1日の観客数20万超える

2006-08-13 05:44:50 | サッカー
 W杯のため休止していたJリーグは、7月13日の13節から再開した。W杯を見慣れていたためか、Jリーグの試合が退屈に思えてしまった。そして2週間間を空けて、昨日は17節と、ちょうど折り返し地点の試合であった。
 上位5チームぐらいはまだ優勝の可能性があるが、わたしは今のところレッズが有力と思っている。下位3チームにも関心があるが、福岡、京都、セ大阪になりそうだ。

 さて昨日のわたしの関心事は、観客動員数である。全9試合で20万を超えたのである。ランキングにすれば次のようになる。(朝日新聞8月13日より)

①浦和-東京  埼玉  50195
②千葉-新潟  新潟ス 41487
③磐田-鹿島  静岡  30353
④川崎-横浜  等々力 20144
⑤大分-福岡  博多球 18295
⑥ガ大阪-京都 西京極 16089
⑦大宮-セ大阪 長居  12616
⑧名古屋-甲府 瑞穂陸 12454
⑨清水-広島 広島広域 10569
合計             212202人

 浦和、新潟はいつもの大量な観客数である。川崎が上位の維持と対戦が横浜のため、2万を超えた。広島1万を超えたのもいい。休みの夏の夜、野球だけでなくサッカー場に足を運ぶ人多くなったのは、日本のスポーツ文化として根づきつつあるということだろうか。