絵本と児童文学

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山の水族館

2013-08-29 21:07:06 | 生活・教育・文化・社会
 5月はじめにテレビ朝日系で、入場者数が急上昇中と報道された淡水魚の山の水族館に行きました。山の水族館は、北海道北見市温根湯温泉の幹線道路(旭川市と北見市を結ぶ国道39号線)の道の駅にあります。
 併設施設としては、巨大なハト時計(果夢林-かむりん)、木製遊具の室内遊び場である果夢林ワールド、木製クラフトを中心にした販売所の果夢ショップ、クラフト体験工房があります。

 規模は大きくないのですが、新しい試みとして滝つぼ、冬期は凍る水槽、温泉水を利用したアマゾンと東南アジカの熱帯の魚の展示などがあります。また自然のものを見るのが困難な巨大魚イトウもいます。魚好きのぼくはイトウにしばらく見入ったのでした。
 水族館は移設されて新設オープンされたので、入場者数急増したのは理解できました。しかし水族館単独で多くの入場者を得る、あるいはリピーターが訪れる、といった条件がもっと欲しいと応援したくなりました。

 展示物については、めずらしいニホンザリガニがいましたが、数が少ないのです。川や湖の生き物でドジョウやカメはどうでしょう。さけがゆっくり泳ぐ姿も見たいものです。
 さらにマリモ(天然記念物なので展示不能の可能性あり)、水中植物などもどうでしょう。川の獣カワウソ(天然記念物で展示不能の可能性あり)などもあるといいです。

 次に展示方法について考えてみます。ニホンザリガニと並べてアメリカザリガニを展示するとニホザリガニの特徴が鮮明になるでしょう。イトウは、アーチ型の大きい水槽の下を人が通るといった展示になると、自然界で泳いでいるような姿がみられる気がします。
 水槽を川に見立てられるように、流水をつくる、あるいは大きな石を使うのもいいのではないでしょうか。

 設置が北見市ということですが、さらにインパクトのある展示法や新しい試みをすることは、費用対効果等を考えると冒険でもあります。維持管理の費用を作り出すのもたやすいことではないと思ったのでした。

 今月中旬のTBS系の「ひるおび」という情報番組で、水族館の入場者が増えているとのことでした。増えているいくつかの水族館を紹介していました。全国統計でも入場者アップが示されていました。
 水族館は、魚などが常に動くという性質があるので、展示の仕方によってはダイナミックな魚の動きは見飽きないものです。

 なお、木製遊具おもちゃの室内遊び場は優れたものと思いました。外遊びを避けている福島県での室内遊び場に、木製遊具にすると子どもの遊びの質が高まるだろうと、しみじみ見たのでした。

*一部誤った記述訂正等のため、9月3日(火)に加筆修正しました。
 



 

札幌へ格安料金で

2013-08-28 15:18:15 | シニアの暮らし-過去と今と
 23日(金)から北海道へ行ってきました。エア・ドゥの格安料金を利用したので、定価が34400円のところ、11500でした。この格安は、「当日シニア65」といい、当日の空席を利用するというものです。
 前日に空席状況を確認したら乗れそうだったが、万全を期すために目安の便の2時間余り早く空港に行きました。ところが満席で、午後からの便を予約することになりました。6時間待つ覚悟でいたら、当初予定の便に空席が出て、乗ることができました。
 どうやら25日(日)に札幌である北海道マラソンのため、込んでいたようでした。ホテルも取るのが難しかったのもそのせいだったようです。
 帰りは女満別から、やはり「当日シニア65」を利用しました。これは座席数の多い飛行機で、わずかに空席がありました。
 とうわけでシニアの、時間があるが支出を抑える暮らしを飛行機利用で実行したのでした。若者・学生などと同じ条件なのだ、と改めて思ったのでした。航空会社の利用者を多く確保するというビジネス手法に合わせるということでもあります。
 かつての時間の目安をつけて行動していたのを、じっと待ちながら状況に合わせるというように転換をするのだ、と自分に言い聞かせたのでした。

ガソリン価格の高騰

2013-08-22 17:36:20 | 当世世間事情
 わたしが利用しているガソリンスタンドは、現在1㍑158円。価格の全国平均は、160円とのことだ。
 ガスリンの価格の推移をみると、今が最高値である。参考までに昨年から主な月の値段は、
 12年1月-139円 12年6月-129円 
 13年1月-143円 13年7月-156円 13年8月-158円

 サンマの大型漁船が出港したということが伝えられているが、燃料高騰で採算が気になる。政府が補助金を出すという情報もないようだ。

猛暑は続くよ、いつまでも

2013-08-21 15:25:39 | 身辺のこと・自然
 連日暑い。四万十市が41℃を記録して、にわかに観光地になっているとのことだ。
自然の異変により、農漁業が窮地に陥り水資源の枯渇は深刻だ。また東北の日本海側など豪雨にともなう災害にみまわれているし、局地的に短時間の豪雨もある。
 猛暑と豪雨の災害の状況なのだが、テレビのニュースバラエティーなどの番組では、ビジネス、モノの売れ行き、経済効果にウエイトを置く報道をする。そのほうが内容を作りやすいからからなのか。

 猛暑のため東京都では7月6日の梅雨明けから119人が熱中症で死亡しているとのことだ。印象としては、高齢者が室内死亡することが多いようだ。活動をしている人が熱中症で病院に搬送される人も連日報道されている。これは災害である。

 わたしは猛暑の中テニスを週1~2回している。地域予報では32℃~34℃ぐらいが続いているが、テニスのオムにコートは35℃を超えているのではないか。猛暑なので外での活動はしないが、テニスだけはやれるから不思議だ。90分で水分を1㍑ぐらいは取っている。先週から風が吹くようになって、少しは苦痛が和らいできている。
 ツクツクボウシがわが家の庭に立ち寄っていくようになったので、夏も終わりへと季節が移っているということなのだろう。

*熱中症による死者数は、8月22日のNHKの首都圏の情報番組では、216人と報道されていました。

自分を「わたし」といわない

2013-08-20 11:55:31 | 生活・教育・文化・社会
 数年前になるが、自分を「わたし」と言わず、名前を言う学生に出会った。めずらしかったが、明るくマイペースな性格のようでもあり、冗談口と思って印象に残っている。その後2年ぐらいたって、小3の孫娘が「わたし」といわずに主語を自分の名前でいうことに気づいた。
「みんな『わたし』と言わないで、自分の名前を言うの?」と訪ねた。
「そうだよ」
「年中ぐらいになったら『わたし』っていうようになると思っていた。どうして「わたし」っていわないの?クラスの人みんななの?」
「『わたし』って言う人もいるけど、少ないよ」
驚いて、
「へー、小学生ではみんな『わたし』っていうと思っていた。どうして言わないの?」
「わたしっていう人は、何かぶっている人なの、みんな自分の名前で言うよ」
「先生が『わたし』って言うように、注意しないの?」
「しない、しない。授業の発表の時とか『わたし』っていうもん」
 どうやらパブリックとカジュアルの時を区別して使っているようだ。小5になっても、わたしと言う気配はない。というより「わたし」も「自分の名前」も言わない、つまり主語を使わなくなっているようだ。わたしが「わたし」と言ったほうがよいと思っていることを、感じ取っているからかもしれないが。

 どうやら主語に「わたし」を使わずに自分の名前で言うのが一般化しているのではないかと思い、大人である学生に聞いてみた。女性の半数以上は「わたし」を使わず自分の名前を言っている。家族、友人などとの会話で言い、パブリックの場では「わたし」を使うという。場による使い分けをしているようだ。ところで知り合いの近所の人、親戚の人といったパグリックとまでいえなくも大人として振舞うときは、主語を言っていないかもしれない。
 自分を名前で言うのは女性に多いが、男性が自分の名前を使う人が少ないとしても、それを意味する気分というか、文化は男性にもあるだろう。
 芸能人といわれている人たちが、私的なことを告知する時に「わたし○○は」と自分の名前を告げてからにするという形式になっている。
 ツイッターなどででは、主語がなくすぐに自分の思い吐き出すような文章が多い。社会、あるいは対象を考えずに思いをぶつける行動は、公人がときには問題を起こす。「わたし」「ぼく」という主語を省略することが、社会の中の自分というのを弱くしているかもしれない。また、話や文章にも「を」などを使う目的語が少なくなっているのも、物事を関係性で捉えないのかと、気になっている。

 学生時代の児童心理学の授業で、自己中心性のともなった第1反抗期が過ぎると、社会性が育つ、と。その象徴的こととして自分のことを「わたし」「ぼく」というようになると、習った記憶がある。たしかテキストにもそんな記述があったような気がする。親が「わたし」「ぼく」というように教えていたのだろう。社会における自分と他人という意識を醸成する文化を伝えていたということなのだろう。
 わたしを使わずに自分の名前で言う「くつろいだ気分」「自分を中心にした気分」は、時代の空気を表している一端かもしれない。


小学館ビルの思い出

2013-08-18 17:20:22 | 当世世間事情
 小学館ビル解体が話題になっている。解体するビルの壁に、漫画家が自分の作品のキャラクターをラフに描いたのをめぐってだ。連日大勢の人がその「落書き」を見に訪れているとのこと。
 報道では「落書き」とされているが、ファンにとっては作品とは違った価値を見出しているのだろう。
 67年新築とのことなので、当時は道路側の多くがガラスを使っている建物はめずらしかった。たしか出版物の展示スペースだったように記憶している。強化ガラスを壁材にする現代のような建築はなかった時代であった。
 わたしにとってこの小学館ビルは思い出深いところである。68年から月1回2年間研究会で通ったが、あれから50年近くになるのだ。解体新築というのだから、歳月の流れを実感している。
 幼稚園の担任として仕事を始めて2年目であり、数人で毎月このビルを会場に研究会をし、それを反映されながら分担執筆で保育専門雑誌『幼児と保育』に連載したのだった。
 リーダーは今亡き近藤薫樹で、氏はまだ保育についての発言をしていなかった。その後保育研究者としてたくさんの著書を表したが、その準備時期だったといえよう。氏が考えるテーマを出して現場の保育者の発言に耳を傾け、丁寧に解きほぐすように話をするめ、楽しい研究会だった。
 名の知れた人の執筆で紙面を作ることが主流であった時に、こういった記事作りは画期的な企画と紙面づくりではなかったのではないか。編集者の誠実さと新しい試みへの思いを感じたのだった。
 小学館は、教員向けの教育技術、学年別の子ども向け雑誌、図鑑、事典、辞典や教養書などと思っていた。『幼児と保育』は会社としては主軸のはずだが、担当の編集者が「コミックの人が勢いある」といっていたのが、印象に残っている。わたしはコミックに興味がなかったので、当時はよくわからなかった。
 当時は保育の専門雑誌が少なく『幼児と保育』は最大の発行部数だった。毎月2つのコラムをメンバーで交代執筆をするのだったが、他の人が遠慮をするので、わたしは毎月どちらかのコラムの2ページ分を書いたのだった。当時の『幼児と保育』は90%ぐらい文章の読物で、現在の保育雑誌のイラストと写真が主としたものではなかった。保育が一般化しつつある時代でもあったのだった。
 小学館ビル解体がコミックフアンに注目されているなかで、わたしの保育者として歩き始めた当時を思い出す機会になった。若輩のわたしごときに保育について考えて書く機会を与えてくれた編集者と近藤薫樹への感謝の念をともなった人生の回想している。

AKB48

2013-08-10 16:00:08 | 当世世間事情
 7日(水)は立秋だが、例年通り暑い。日差しが暑いのに15時30分頃から秋葉原駅電気街口の広場にいた。待ち合わせの時間の17時までの時間つぶしに、街と人を観察することにした。
 タクシーはどんな人が利用するのだろう。外国人観光客が行き交う。欧米系、中国系、香港、それにヒスパニックの一団が集まり日本人のリードのもとにどこかへ移動した。

 16時ぐらいになったら男性が集まりだした。おとなしめの人たちだが何か目当てがあるようだ。10分になったら係りの人が来て横5人ずつ並ぶよううながした。その数200人を優に超えた。何か説明してみんなの手のひらに赤インクで番号を書いた。20代から40代と思われる男性たちだが、何かの問いかけに手を上げて反応したし、学校文化の秩序を持っている人たちだ。
 わたしの好奇心が止まらなくなり、例によってインタビューをした。その際、親切に応じてくれそうな1人でいる人を選ぶのだが、詳しく答えてくれた。その人は30代後半と見たが。
 毎日17時から1時間AKB48のライブがあり、それを見るために1枚2000円の切符を定員40人分のものを手に入れようとしているとのことだ。そうか、秋葉原こそAKB48の本拠地なんだな。
 わたしが人数の多さに驚いていたら「今日は少ないほうだ。多い時はこの2倍以上になる」とのこと。その人は何回も来ているが、2回しか見ていないという。
 抽選は箱から番号を取り出して発表すると該当者が並ぶ。抽選が終わったら、外れた人は静かに退散した。地味な感じの男性ばかりであり、静かに秩序だっておこなわれることに考えさせられた。このような男性たちによって支持されていることをどのように考えればよいのだろう。

 ところでわたしはAKB48をテレビでも見ていなく、まったく知らない。主として新聞で「じゃんけん大会」「総選挙」「卒業」といったことを知っているぐらい。それに握手会に参加したいためにCDを余分に購入するといった、情報の断片があるだけだ。秋元という人が胡散臭い商売をしているのではないか、おっとっとそれは「偏見」で、すぐれたプロジューサーによって一世を風靡しているのだ。
 それに「コスプレ」などといったことが国際的な影響力を持ち、「かわいい文化」がひろがっていることと連動もしているのだろうか。ところで「ロリコン」という見方をする人もいるとのことだが、わたしのように知らないだけでなく理解しようともしない者に語る資格はないと思っている。しかしそういったエンターテーメントの社会現象が何を意味しているか、世の中を知る糸口になるかもしれないと、関心はある。
 めったに行くことがない秋葉原で、人々を観察しながら現代日本の現象の断面を見た。見た気になるのは、早計だろうが。