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絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

置き薬文化の輸出

2008-05-30 13:58:22 | 生活・教育・文化・社会
 先週のNHKのテレビとラジオの短時間の報道によると、富山の置き薬システムをモンゴルで取り入れるために、関係者が富山市を訪問しているとのことだ。定住しない遊牧民あるいは広域で人口の少ない等で生活に医療がないのを、代替するあるいは埋めるために取り入れたいとのことだ。
 あわせてタイでもすでに取り入れるために富山市を訪ねて、そのシステムの導入を検討しているとのことである。置き薬のシステムは医療が行き届かない山間地域、あるいは途上国にとって、軽度の病気の治療あるいは当座の病院での治療までの重要なシステムである。置き薬システムはよくできているが、持続的に機能させるには、その維持を可能にする精神文化が必要なのである。

 90年代半ばだろうか、カナダ人で滞在期間が10年近くになる職場の人と日本の生活あれこれについて語り合ったことがある。わたしは日本人の際立った特徴を、置き薬が可能な文化を持っている国だ、と話をした。カナダ人は非常に驚いて「信じられない、薬を置いて行ったら1年後に保存して利用した分だけ金を払う家庭がどのぐらいいるか想像もつかない」とのことだった。カナダではシステム自体が考えられないし、かりにやっても維持は不可能だということだ。
 カナダは移民で成り立っており、しかも様々な文化をそのまま大事にするマルチカルチャー(多文化主義)を国是としている。したがって異質のもので構成されているので、言葉にして決まりなどで約束や契約してわかりあう、多様さを前提とした社会といってよいだろう。
 それに対して日本では、暗黙知を期待できる社会である。たとえれば最近でKY(空気を読む)などと言うことが、端的にこの国の文化を著している。このようなことでわかるように、日本は高コンテキスト(状況)文化なのである。
 じつはこのような日本の文化によって置き薬システムがつくられ、維持されている。しかし最近では日本の文化の変容から置き薬も料金が回収できない、あるいは引越しで薬箱そのものが不明になる、というリスクが大きくなっているのではないか、と推測するのである。しかし金銭の遺失物の回収はいまだにある程度維持されているとも聞くので、この国もまだ捨てたものでないとも期待している。
 言い方を変えれば、置き薬システムは正直、誠実、勤勉、信頼、義理深い、律儀さ、他人を思いやる、といった日本人の精神文化がともなっているものである。いわば性善説を前提にして成り立つものである。
 したがって他の国に置き薬システムを輸出、あるいは移転するということは、日本人の精神文化もともなったものになるだろう。あるいは置き薬システムに対して、日本とは異なるその国の精神文化に即したものになるかもしれない。モンゴルやタイではどのようになっていくか、今後を見守りたい。
 日本はアニメ、マンが、ゲームといったコンテンツ産業が世界を席巻していて、経済を活性化させている。しかしわたしは、置き薬システムが途上国などに広がっていって、日本が国際貢献をしていき、日本が信頼される方が、日本が将来尊敬される国になることがよいと思い、期待している。
 ついでに言えばマータイさんが広めている「モッタイナイ」も地球規模の環境問題を考えるぴったりの言葉であり、日本の精神文化のグローバル化によいことである。さらに憲法9条の国際会議を開いたことは、戦争をしない平和の大切さの日本が発信基地になり、グローバル化になるのもいい。戦後60年余り戦争に直接関与しないことが、今日の経済規模とある程度の文化的生活を可能にしたのだから。
 途上国では、井戸水の確保に上総堀(かずさぼり 今の千葉県に昔からある近代的機器の使用なしで井戸を掘る技術)が取り入れられたり、リヤカーが運搬に重宝がられたり、中古自転車が重要な移動手段になっている、という報道に接するたびに、そのような日本の国際貢献はうれしくなる。
 最近では蚊帳が、アフリカ国々の生活の安心と蚊を媒体とした伝染病の予防に普及している、とのことである。これもいい話ではないか。

久しぶり東京へ

2008-05-25 07:41:39 | 身辺のこと・自然
 いつも心と行動が西を向いているので、東の東京へいくのは年に1回あるかないかである。心理的には遠いのだ。その東京の臨海副都心といわれているところへ、昨日は仕事で出かけた。
 電車の人の行動も珍しいことがある。エンカシンガーである、ジェロのヒップホップスタイルの野球帽と同じかぶり方の青年を数人見かけた。ヘッドホン利用者、ゲームしている人も多かった。それに電車の中で、お菓子やパンを食べている人が珍しくないぐらい目に付いた。土曜日なので平日の利用者と違うだろうが、 こんな観察をするのがわたしは面白い。
 埋立地に巨大なビルが林立しているので、無機的な空間だ。樹木と緑地もところどころにあるが、後2、30年も経なければ、その感じは変わらないだろう。東京は銀座など、かなりの部分がもとはといえば埋立地なのだ。フラットの地面に道が高いところは橋でつないでいる。緑地をフラットでなく築山風にしたのがわずかにあったのを見られて、ほっとした。マンションの建築中が見られたので、やがて人が住むようになったら、また変化をしていくのだろう。
 国際展示場という駅には、「東京にオリンピック、2016年」と大きく掲示していた。「あっ、そうか」と私の行動範囲では見慣れないものを見たので、心でつぶやいたのだった。
 目的の会場には、開始より早く着いた。300人を超える人が集まった。1時間は集中して聞いたが、その後は形式的な内容で、じっと我慢だった。全国規模の集まりなので、遠くから来た人も多いだろう。
 昼過ぎから大雨という予報だったが、さいわいに遅れて帰路の電車の途中から雨になった。

 昨夜はキリンカップの、日本とコートジボワールのサッカーの試合を見た。豊田競技場で大雨の中の試合で、玉田(グランパス)が得点をし、1-0で勝った。松井(フランス・サテティエンヌ)と長谷部(ドイツ・ウィルフブルク)を入れたメンバー。コートジゴワールは、メンバーすべてがヨーロッパのリーグのチームの選手なので水準は高いが、日本はよく戦っていた。

インドネシアからの看護師、介護福祉士の受け入れ

2008-05-24 10:30:46 | 福祉
 昨日は今年一番の暑さで、30℃近かったようだ。スズムシの音が似合うし、スイカもおいしく感じた。スズムシは自分で増やすことができず、ちょっと早いが今年も取り寄せた。この分だと7月にはもう1度取り寄せることになりそうである。

 16日(金)のNHK「おはよう日本」によると、インドネシアからの看護師と介護福祉士の受け入れを、早ければ8月からでも実施に移すとのこと。同日国会で承認された。受け入れ斡旋を国際厚生事業団がおこない、日本人と同等の報酬と労働条件となっている。
 2年間で1000人規模である。日本で4年以内に国家資格を取らなければ滞在期間切れとして、帰国しなければならない。
 ところが実際は介護福祉士の資格を取るのは、きわめて難しいだろう。日本語検定というのがあり、1級(中学生ぐらいの能力か?)レベルで大学に留学している学生とて資格試験となると困難である。日本語力だけではなく日本の法制度や文化を背景にしている内容があるので、その理解は困難がともなう。日本では高校福祉科を卒業して受験資格を得て受験する。合格率は高くないと聞いている。
 すると実質現在ある「外国人研修・技能実習制度」の医療・介護版になってしまうだろ。93年に導入されたこの制度は、名目では途上国の人を製造や農業などの業界に技能研修(技術移転)だが、本来の性格をゆがめている場合が多い。零細企業が低賃金で雇用し搾取と収奪をするといっても過言でない、偽装研修制度になっていることはすでに各地で報告されている。もし医療と介護の現場が、偽装研修制度のようになったら、人にかかわる医療と介護ゆえに現場の劣化は進むだろう。
 インドネシアでは看護、介護では手当て込みで1万5千ぐらいだというから、日本では低賃金であっても魅力的職場である。4年間でインドネシアではなかなか手にできない額の収入を得ることができる。

 特養の人手不足は、とくに都市部では深刻のようだ。職員不足で受け入れができない施設もあるという。関係者からは「人手不足でつぶれる特養が出るのではないか」と聞いた。インドネシアからの看護、介護の人材はこういった状況を補完することになる。実際には言語や生活文化の違いから現地で研修や経験があったとしても、受け入れる職場はその条件も作ることが必要になるので、簡単ではないはずだ。
 介護の場合は労働条件・環境の低下によって人を呼べなくなっている。それを低賃金で可能な外国人にたよってよいのか。労働条件・環境の改善という本質に目を向けなければ、小手先のことでは高齢者が増える日本の将来は明るくない。
  
 なお、フィリッピンからの受け入れが早くから話題になりながらも、実施にいたっていない。フィリッピン政府の政権が不安定で、国会審議が進んでいないのである。


早朝の空と海

2008-05-22 09:54:20 | 身辺のこと・自然
 宿の部屋から西側に海が見える。朝4時30分にカーテンを空けたら、夜のとばりのあけた西の空に、明るい満月がくっきり見えた。大きく輝きを放っている月を見るの初めてだ。やがて40分には朧月になり、50分に春霞で消えていった。その頃には水平線と雲の境界がなくなった。
 大気の変化が月を見事に表現したのだ。
 その間に漁船が明かりをつけて、北の方向に何艘も行った。ばか貝(青柳)の漁場が5月上旬までは、部屋からエンジン音が聞こえるぐらいの近くだったが、移動したのだ。
 やがて6時頃からは、朝日で海が明るくなった。大きな港に向かう貨物船は、朝日に照らされてまるでビルが移動しているようである。一方出港した船は船体が水面すれすれに見える。
 湾なので、海は穏やかである。初夏の早朝の海の自然は味わい深い。


また、サマータイム浮上

2008-05-20 15:01:33 | 生活・教育・文化・社会
 政府で法案が作られては見送られて消えてきたサマータイムだが、自民党が議員立法で国会に法案を提出する方針を決めた、とのことだ。朝日新聞5月13日の報道によれば、今度は地球温暖化対策を軸にした内容で、秋の臨時国会まで提出して早ければ来年夏からサマータイムの導入をめざす、という。
 これまで度々サマータイム導入が俎上に上りながらも、見送られてきた。地球温暖化防止と絡めれば受け入れられ実施の可能性がある。18日(日)のNHKニュースで、NHKが実施した世論調査では、賛成39%、反対27%、と報じた。わたしの知る限りでは、サマータイムに対する世論調査で、初めて賛成が反対を上回った。
 サマータイムとは、ヨーロッパと北米でおこなわれている、3月最終日曜日から時刻を1時間早め、10月最終日曜日に元へ戻すというもの。もともとは北欧では、冬季日照時間場短く夏季日照時間が長くなるので、健康上から夏季の太陽の下での生活を多くする、というところから出発した。
 日本は冬季と夏季の日照時間が、最大で3、4時間ぐらいの違いであり、ヨーロッパや北アメリカよりは違い幅が少ない。南北300キロあるので、今時では日の出が1時間ぐらいの違いがある。北海道は今日照時間が15時間ぐらいだろうが、福岡などは13時間ぐらいである。北海道の日照時間はヨーロッパに近いかもしれないが、全般的にはサマータイムを導入するほどではないはずである。
 これまでサマータイムの導入が話題になったのは、夕方の時間を長くして生活の変化にともなう経済活動がうながされるだろう、ということだった。札幌では、05年から賛同する企業が実施している。
 日本はカローシが労災認定されることが珍しくない超働きすぎ労働文化であること、24時間型社会になっていることからするとサマータイムの導入によって、体調を維持するのが大変になる人が多くなるだろうと危惧するのである。24時間型により社会により、すでに暗い夜間に活動する生活になっている。
 具体的に想像してみると、小学生が7時半過ぎに登校しているのが、6時半過ぎに登校ということになる。夕方が長くなるのでそこで一つの活動がおこなわれることになるだろう。文科省の肝いりで進めている「早寝、早起き、朝ご飯」運動は、活動が夜にずれ込んで登校に必要な時間である早起きをできずに朝食を食べない子どもが多いからである。社会的に必要な生活リズムに合った生活が出来ないことの、改善はおろかいっそう崩れることは容易に想像できる。
 また、大人が今より1時間早く出勤するが、はたして1時間早く帰るようになる職場はどのぐらいあるだろうか。
 洞爺湖サミットで地球温暖化がテーマなのでそれに絡めた内容で支持を得ようということだが、自然条件ではサマータイムが必要ということがないので、実際は経済活動の活性化がねらいのはずである。
 地球温暖化防止だとしたら、深夜1時から4時までを公共交通や商店を閉じる、あるいはテレビの放送をやめるといった、24時間型社会をやめることが健康な暮らしを作る上でも重要である。

 参考までに05年3月の朝日新聞の世論調査によると、サマータイム賛成38%、反対39%である。別な調査では賛成31%、反対49%となっている。
 なお、このコラムではサマータイムについて、05年2月23日、05年3月28日、05年4月12日で取り扱っている。

父親に教員殴られる

2008-05-18 11:52:46 | 当世世間事情
■ 大声と駆け足の店
 めったにいかないが店の前を通ったので、新古書店と言われているのに入ってみた。広い売り場であり、展示の仕方や本の内容など一通り見た。多くは売れ筋の本で、わたしが手に取りたい本は見当たらなかった。漫画コーナーは、若者が大勢立ち読みをしていた。
 店員が景気をつけるラーメン屋のように、大声で対応していた。それに店内の移動はすべて駆け足だった。これまでの書店や古書店と、まるで違う空間を演出していた。流通・消費の回転の速さの表現なのか、その意図はいまひとつつかめなかった。
 1冊だけテニスの本を買ったら、理解できなかったがカードを薦められた。今後も利用する予定はないので断った。すると突然不愉快そうな表情になった。そのようなノンバーバルにわたしが敏感すぎると思いつつ、社員(とはいってもアルバイトだろうが)がマニュアルだけしかできないのだな、と。

■ 父親に教員殴られる
 5月16日(金)の新聞の地域ページによれば、父親が子どもの指導に腹を立てて、中学の担任の男性教員を殴り2週間のけがをさせ、逮捕された。教員が子どもの校内での行動をめぐり電話したら、その対応に腹を立てて夜8時20分過ぎに来校して、暴行に及んだ。
 それ以前に家庭訪問の際に、担任に腹部をけるなど暴行を加えた。教員が被害届を出したことを踏まえて逮捕となっただろう。
 学校ではモンスターペアレンツといわれる親の理不尽な行動への対応に、相当な負担を抱えている。その延長線で、被害届を出さなければならない事態までなっているのは、ことは深刻である。
 教員が子どもの授業を中心にした専門性を中核にした仕事より、学校内だけでなく親の行動に翻ろうされるのは、つらいことである。

NHKスペシャル

2008-05-13 14:20:19 | 生活・教育・文化・社会
 土曜日から日曜日の昼まで雨が降り続きました。今日の早朝は台風の影響か、時折大雨です。そして寒いのです。昨日今日と朝は8℃でした。
 ヤマボウシが白い花をたくさん付けました。池のウォータークリナーが故障したので、新しいのに付け替えました。リビングの戸を開けると水音が聞こえるものです。夏は水音を聞く楽しみが増えました。

 きのう(12日)のNHKスペシャルは、「セフティネット・クライシス 日本の社会保障が危ない」でした。
 討論出席者は、吉川洋(東大教授 福田首相の諮問機関 社会保障国民会議座長)、門脇英明(経済同友会)、金子勝(慶大教授)です。
 年金問題や後期高齢者医療制度実施で問題が噴出して、日本のセフティネットが壊れていると不安が広がっている状況から、適宜を得た企画です。社会保障つまり年金、医療、介護、福祉など暮らしのセフティネットのはずが、それの拠り所を失っている状況がVTRで紹介されて、討論というかたちをとりました。
 金子勝は、小泉構造改革路線にきびしく批判する立場で発言している人ですが、VTRがそれを裏付けるような内容でした。わたしは改めて日本社会の劣化の実態と事実を見た思いで、納得したのでした。
 討論は最終的には、制度の財政の収支の問題ではなくセフティナットを維持することに真剣に取り組まねば、ということを吉川洋も認めざるを得なくなって終了しました。吉川洋は、福田首相の諮問機関の座長なので、竹中、小泉構造改革を修正する性格を持っているかもしれない、と推論してみました。
 もともと財政再建を、新自由中主義をベースにした考えにした、小泉構造改革からセフティネットが崩壊の道を転げ落ちるように進んでいます。今その矛盾が深刻な事態に達しているのです。
 司会は、この種の番組をやってほしいと思っていた、町永俊雄でした。町永俊雄は福祉ネットワークで切れのいい司会をしているが、社会問題のとらえ方が適切で語彙も豊富なアナウンサーです。何よりも発言の趣旨の理解がすばやい、切れ者ではないでしょうか。

 NHKも社会問題を正面にすえて取り組む良心的ディレクターがいるのだ、いや問題がもはや看過できないところまで来ているということでしょう。NHKはこのところ政府の広報的ものや教養や娯楽に傾斜をかけているとみていたが、公共放送としての社会問題を掘り起こしての番組作りをまだ期待できそうです。


老いてなお矩(のり)をこえられず

2008-05-11 17:56:50 | 生活・教育・文化・社会
 先日藤原智美著の『暴走老人!』(文藝春秋 07年8月)を手に入れるために、書店に行った。その本は平積みになっていて、売れていることが実感した。平積みは『おひとりさまの老後』『求めない』などもあった。
 目を棚に転じて驚いたのは、老人本といおうか、老人向け生活術と人生論の本が相当数あることだった。
『いつまでも老いない』
『脳をつくる心の生活習慣』
『癒し力』
『ちょいボケ迷走記』
『私の老い構え』
『団塊の力』
『いま伝えたい大切なこと』
『ひとりの老後はこわくない』
『90歳一人暮らしを楽しんでいきる』
 まだまだあるが、メモを取るのがつらくなってしまった。まえから『老人力』といった、この種の本があったが、今は相当な出版点数である。老人人口が多いのでビジネスとして成り立つという条件もあろうが、老いてなお自分の立ち位置なり生きる指針を求める人が多いということである。
 後期高齢者医療制度が施行される時世であるし、家族に敬われて楽に生活を送れないことからすると、無理からぬことである。
 そうだよ、老人は世を卓見しているように思うふしもあるが、60歳の人は、61歳を始めて迎えるのであり、それ以上は未知の世界なのである。むしろ50歳のことは体験済みだから理解でき、50歳の心を呼び戻すことができるのである。
 
 冒頭の『暴走老人!』は、作家でありノンフィクションライターでもある藤原智美氏(男性)の本には、暴走する老人をルポしながら現代社会の生きづらさが老人の行動を通してえがかれている。成熟して天寿を全うするという老人イメージが一部にいまだにあるかもしれないが、とっくにそんな状態にはない。
 老人の生きづらさは、そこに光を当てたので知りえたが、老人だけが「暴走」しているのではなく、社会全体が安心できない状態にあるといってもよい。そのために人間のネガティブな面が顕在化するのだろう。

 老子の論語に「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)こえず」とあるが、今の時代、死の直前まで自己実現のために生きるということも、それなりに覚悟がいる社会なのだ、ということなのか。

危うい大阪府立児童文学館の存続

2008-05-08 12:04:42 | 絵本と児童文学
 84年の開館以来、児童文化・文学の研究拠点としての役割を果たしている、大阪府立国際児童文学館(吹田市)が存続の危機にさらされている。
 橋下知事による府財政再建策として、いくつかの文化施設の見直しがおこなわれている(大阪府改革プロジェクト)なかに、児童文学館を事実上の廃止案(府立図書館に移設)が盛られている。
 鳥越信氏の蔵書12万点の寄贈を下に出発し、児童文化・文学の貴重な資料の所蔵と研究活動と子ども向け図書館としての活動などをおこなっている。とりわけ児童文化・文学を学問たらしめる条件としての功績は、多大なものがある。
 右肩上がりの経済状況の時には企業がメセナといって文化活動をしたが、それはおろか伝統のある企業スポーツさえ撤退が著しい。
 行政が美術館や図書館等の建築をおこなったのは、本来は文化の公共性(公益性)という思想に根ざしていたはずである。ところが自治体の財政負担とあわせた国の補助金を下にした政策誘導にのった事業であるが、税収等の増収がないあるいは甘い財政見通しのため、財政負担に耐えられなくなっている。
 今自治体の財政赤字の多くは、国の政策誘導に乗っておこなった事業の借金を抱えている場合が多い。そして赤字の臨界点におよび、まず文化施設等の廃止が俎上に上る。結果として箱物を作った業界の経済活動に加担しただけになる。文化の公益性などかなぐり捨てるのは、家計簿的あるいはビジネス発想に思えるのだ。
 ならば財政赤字をどうする、ということが声高に叫ばれるだろう。自治体の財政の帳尻あわせだけでなく、国の財政の予算配分や地方への配分等との関連で考えることになろう。

 大阪国際児童文学館は、かねてから財政削減のため事業の縮小をしていた。「大阪国際児童文学館を育てる会」をつくり、機関紙を提起発行している。わたしも会員として、機関紙を通して児童文学館の活動や研究企画等に関心を持っている。存続を訴える署名活動の第2弾を4月からしている。
 児童文学館は府立ではあるが、大阪にとどまらない児童文化・文学に今後とも光を放つ意味がある。東京の上野に国立子ども図書館がるが、先の機関紙で見る限り活動が異なるので存続が切に望まれる。文化が干からびるところに生活の潤いと教養の未来はしぼんでしまう。

 ところでテレビタレント出身の知事は、過去と現在のテレビの力に確信を持っているせいか、自治体行政総合的におこなっているのか疑問を持っている。たまたま一瞬通過してみた番組で宮崎産の特産品を出演者が食べていた。たわいもないゆるゆるなことと見過ごしてもよいのだろうが、わたしは公共の電波を使って特定の自治体の宣伝を番組に持ち込んでよいのか、といぶかしく思ったのだ。娯楽性とは性質が違うのではないかと。

*朝日新聞4月26日文化欄にこの件に関する記事がある。

おとなになったらないたいものアンケートから

2008-05-01 11:48:18 | 子ども・子育て・保育
 毎年この時期に、子どもが「大人になったらなりたいもの」のアンケートを発表する。このアンケートは、生命保険会社が小学生以下(幼児も含む)を対称に、07年7月~8月に22万人の調査票から993人を抽出したもの。「なりたいもの」上位から(6位以下省略)は次のとおり。

□男子 ①野球選手  ②学者・博士 ③サッカー選手    ④お医者さん⑤大工さん
□女子 ①食べ物屋さん②看護師さん ③保育園・幼稚園の先生④学校の先生⑤お医者さ
     ん
 
 男子のトップ野球選手(11.8%)は4年連続で、料理人が8位で初めてベストテンに入った。3年間2位だったサッカー選手が3位に下がった。
 女子のトップの食べ物屋さん(13.9%)は11年連続で、看護師や保育園・幼稚園の先生が2位3位と安定人気。
 男子トップの野球選手はメジャーリーグの影響、8位になった料理人はテレビドラマの影響ではないか、としている。
 このアンケートは、4月29日(火)の新聞で報道されたが、調査では「なりたいもの」というタイトルだが、毎日新聞では「なりたい職業」という見出しにしている。「なりたいもの」と「なりたい職業」ではニュアンスがことなる。

 現代の産業社会は、仕事が工場・オフイスで行われるため生活から仕事が見えにくい。生産にかかわる農業や漁業とても、生活と分離が一般的姿である。そのためもあって、親からも子どもへ伝えにくい。というより生活は消費が中心であり、仕事がそれを通してかろうじて見えることが多い。
 このような環境におかれている子どもは、「なりたいもの」は日ごろ接触の多いテレビや家庭で話題になるプラスイメージのもの、あるいはその時点での自分の欲求を満たすものといったものになるだろう。
 野球の選手はヒーローであり、大人がプラスイメージととらえていると子どもが理解して同調するだろう。食べ物屋のパティシュエは食べたいものが満たされる、くらいのことかもしれない。看護師や保育園・幼稚園の先生は、体験に基づいて幸せイメージと現実味をおびているものである。長年上位に位置づいているのは、人間に対する関心と人に役立ちたいという「職業」というものへの接近を感じるのである。
 重要なことは「なにたいもの」から「なりたい職業」へとどうつなげていくかということを大人が考えてやることではないか。「なりたいもの」は見えやすいもの、プラスイメージ、自分の欲求満たすといったものに対して、「なりたい職業」を考えられるには、職業に対する理解、そこに接近するための準備といった理解が必要である。
 その点『13歳のハローワーク』(村上龍著、03年11月 幻冬舎 2600円 135万冊)が、「好きなこと」をキーワードに職業紹介したのは意味がある。しかしこれとて職業を知るきっかけ作りには意味があったとしても、現実的職業への接近は期待できないだろう。
 仕事は、現実には好きなことやなりたいことで働いている人は、ほんのわずかである。おそらく1%もいないだろう、と推測している。それを可能にした人は、才能のある人ではないだろうか。
 もっとも大事なことは、中学生ぐらいから自分の性格や能力(得意なこと)の生かせる職業は何かということと、とにかく生活ができるようにするということをリアルに考える機会を度々もつことである。
 「なりたいもの」や「好きなこと」にとどまっているのは、夢を持つという美しい言葉で、あたかもかなりの選択の余地があると幻想を振りまくことになっていないだろうか。
 昔は仕事を回避することをモラトリアムといったが、やがて仕事にありつける労働環境がよかった時代でのことだった。現在のように、労働をコストいう側面でみる競争的環境の中では、「なりたいもの」「好きなこと」では、普通の青年は仕事の力につながらず、成年になっても職業が定まらないことが多い。あるいは職場についてから「こんなはずじゃなかった」となってしまう。フリーターやニートといわれている人の比率が多くなっているのは、労働環境だけでなく、青年から成年にかけての仕事・職業への意識形成の欠落があるのではないだろうか。
 ちなみに職業体験をするテーマパークである「キッザニア」は、現象的には仕事・職業活動のようだが、まったく結びつかないとわたしは考えている。キッザニアは、仕事遊びをしながら参加しているメーカーへの愛着を刷り込まれる場にすぎない、というのは言いすぎだろうか。