先週のNHKのテレビとラジオの短時間の報道によると、富山の置き薬システムをモンゴルで取り入れるために、関係者が富山市を訪問しているとのことだ。定住しない遊牧民あるいは広域で人口の少ない等で生活に医療がないのを、代替するあるいは埋めるために取り入れたいとのことだ。
あわせてタイでもすでに取り入れるために富山市を訪ねて、そのシステムの導入を検討しているとのことである。置き薬のシステムは医療が行き届かない山間地域、あるいは途上国にとって、軽度の病気の治療あるいは当座の病院での治療までの重要なシステムである。置き薬システムはよくできているが、持続的に機能させるには、その維持を可能にする精神文化が必要なのである。
90年代半ばだろうか、カナダ人で滞在期間が10年近くになる職場の人と日本の生活あれこれについて語り合ったことがある。わたしは日本人の際立った特徴を、置き薬が可能な文化を持っている国だ、と話をした。カナダ人は非常に驚いて「信じられない、薬を置いて行ったら1年後に保存して利用した分だけ金を払う家庭がどのぐらいいるか想像もつかない」とのことだった。カナダではシステム自体が考えられないし、かりにやっても維持は不可能だということだ。
カナダは移民で成り立っており、しかも様々な文化をそのまま大事にするマルチカルチャー(多文化主義)を国是としている。したがって異質のもので構成されているので、言葉にして決まりなどで約束や契約してわかりあう、多様さを前提とした社会といってよいだろう。
それに対して日本では、暗黙知を期待できる社会である。たとえれば最近でKY(空気を読む)などと言うことが、端的にこの国の文化を著している。このようなことでわかるように、日本は高コンテキスト(状況)文化なのである。
じつはこのような日本の文化によって置き薬システムがつくられ、維持されている。しかし最近では日本の文化の変容から置き薬も料金が回収できない、あるいは引越しで薬箱そのものが不明になる、というリスクが大きくなっているのではないか、と推測するのである。しかし金銭の遺失物の回収はいまだにある程度維持されているとも聞くので、この国もまだ捨てたものでないとも期待している。
言い方を変えれば、置き薬システムは正直、誠実、勤勉、信頼、義理深い、律儀さ、他人を思いやる、といった日本人の精神文化がともなっているものである。いわば性善説を前提にして成り立つものである。
したがって他の国に置き薬システムを輸出、あるいは移転するということは、日本人の精神文化もともなったものになるだろう。あるいは置き薬システムに対して、日本とは異なるその国の精神文化に即したものになるかもしれない。モンゴルやタイではどのようになっていくか、今後を見守りたい。
日本はアニメ、マンが、ゲームといったコンテンツ産業が世界を席巻していて、経済を活性化させている。しかしわたしは、置き薬システムが途上国などに広がっていって、日本が国際貢献をしていき、日本が信頼される方が、日本が将来尊敬される国になることがよいと思い、期待している。
ついでに言えばマータイさんが広めている「モッタイナイ」も地球規模の環境問題を考えるぴったりの言葉であり、日本の精神文化のグローバル化によいことである。さらに憲法9条の国際会議を開いたことは、戦争をしない平和の大切さの日本が発信基地になり、グローバル化になるのもいい。戦後60年余り戦争に直接関与しないことが、今日の経済規模とある程度の文化的生活を可能にしたのだから。
途上国では、井戸水の確保に上総堀(かずさぼり 今の千葉県に昔からある近代的機器の使用なしで井戸を掘る技術)が取り入れられたり、リヤカーが運搬に重宝がられたり、中古自転車が重要な移動手段になっている、という報道に接するたびに、そのような日本の国際貢献はうれしくなる。
最近では蚊帳が、アフリカ国々の生活の安心と蚊を媒体とした伝染病の予防に普及している、とのことである。これもいい話ではないか。
あわせてタイでもすでに取り入れるために富山市を訪ねて、そのシステムの導入を検討しているとのことである。置き薬のシステムは医療が行き届かない山間地域、あるいは途上国にとって、軽度の病気の治療あるいは当座の病院での治療までの重要なシステムである。置き薬システムはよくできているが、持続的に機能させるには、その維持を可能にする精神文化が必要なのである。
90年代半ばだろうか、カナダ人で滞在期間が10年近くになる職場の人と日本の生活あれこれについて語り合ったことがある。わたしは日本人の際立った特徴を、置き薬が可能な文化を持っている国だ、と話をした。カナダ人は非常に驚いて「信じられない、薬を置いて行ったら1年後に保存して利用した分だけ金を払う家庭がどのぐらいいるか想像もつかない」とのことだった。カナダではシステム自体が考えられないし、かりにやっても維持は不可能だということだ。
カナダは移民で成り立っており、しかも様々な文化をそのまま大事にするマルチカルチャー(多文化主義)を国是としている。したがって異質のもので構成されているので、言葉にして決まりなどで約束や契約してわかりあう、多様さを前提とした社会といってよいだろう。
それに対して日本では、暗黙知を期待できる社会である。たとえれば最近でKY(空気を読む)などと言うことが、端的にこの国の文化を著している。このようなことでわかるように、日本は高コンテキスト(状況)文化なのである。
じつはこのような日本の文化によって置き薬システムがつくられ、維持されている。しかし最近では日本の文化の変容から置き薬も料金が回収できない、あるいは引越しで薬箱そのものが不明になる、というリスクが大きくなっているのではないか、と推測するのである。しかし金銭の遺失物の回収はいまだにある程度維持されているとも聞くので、この国もまだ捨てたものでないとも期待している。
言い方を変えれば、置き薬システムは正直、誠実、勤勉、信頼、義理深い、律儀さ、他人を思いやる、といった日本人の精神文化がともなっているものである。いわば性善説を前提にして成り立つものである。
したがって他の国に置き薬システムを輸出、あるいは移転するということは、日本人の精神文化もともなったものになるだろう。あるいは置き薬システムに対して、日本とは異なるその国の精神文化に即したものになるかもしれない。モンゴルやタイではどのようになっていくか、今後を見守りたい。
日本はアニメ、マンが、ゲームといったコンテンツ産業が世界を席巻していて、経済を活性化させている。しかしわたしは、置き薬システムが途上国などに広がっていって、日本が国際貢献をしていき、日本が信頼される方が、日本が将来尊敬される国になることがよいと思い、期待している。
ついでに言えばマータイさんが広めている「モッタイナイ」も地球規模の環境問題を考えるぴったりの言葉であり、日本の精神文化のグローバル化によいことである。さらに憲法9条の国際会議を開いたことは、戦争をしない平和の大切さの日本が発信基地になり、グローバル化になるのもいい。戦後60年余り戦争に直接関与しないことが、今日の経済規模とある程度の文化的生活を可能にしたのだから。
途上国では、井戸水の確保に上総堀(かずさぼり 今の千葉県に昔からある近代的機器の使用なしで井戸を掘る技術)が取り入れられたり、リヤカーが運搬に重宝がられたり、中古自転車が重要な移動手段になっている、という報道に接するたびに、そのような日本の国際貢献はうれしくなる。
最近では蚊帳が、アフリカ国々の生活の安心と蚊を媒体とした伝染病の予防に普及している、とのことである。これもいい話ではないか。