絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

Jリーグ発足に人生をかけた人

2017-01-31 20:31:42 | サッカー
 昨日のEテレの「ハートネットTV・未来へのアクション」は、木之元剛三氏の仕事についてだった。ぼくはテレビを見ながら、日本サッカーのプロ化、Jリーグ発足に人生をかけた人を偲んだ。新聞の死亡記事を読んでいたが、素通りしてはいけない人の死去なのだ、と肝に銘じた。1月15日、67歳だった。
 氏は古川電工(現在のシェフ千葉)の選手だったが、26歳の時グッドパスチャー症候群にかかり、肝臓を2つを摘出して週3回の透析をしながらの生活だった。余命5年ぐらいと告げられながらであり、体の維持を第1にした、いわば闘病生活だった。

 そのような条件でありながら、サッカーへの情熱を失わず、日本のサッカーを世界水準に押し上げるにはプロ化を具体化することだ、という思いを持ち続けた。それがかなったのは、氏が42歳である93年のJリーグの発足だった。
 氏が選手だった70年代の日本リーグは、大手企業が力を入れていたが、球技場は閑散としていた。釜本(ヤンマー)という国際級の選手、漫画『赤き血のイレブン』のモデルになったといわれて人気のあった永井(古河電工)がプレーをしていたが、プロ野球全盛の時代でアマチュアであるサッカーには光が当たらなかった。

 ぼくがサッカーへ接近したのが70年代半ばだったが、サッカー雑誌は月刊『サッカーマガジン』だけで、協会発行の『サッカー』もぼくは読んでいた。
 テレビでは毎日曜日17時30分からテレビ東京で「ダイヤモンドサッカー」という番組をやっていた。この番組を楽しみにして見たのだった。軽妙な解説の岡野氏と実況アナはサッカーの面白さと奥深さを伝えてくれた。

 当時はいや協会関係者などプロリーグは別世界のことだと思っていた。今日のようにスタジアムに何万人も入って、サポーターが歌で応援するようになるとは想像できなかった。サッカーは世界中で最も愛されているスポーツなのに、日本では野球のように大衆化されていなかった。

 80年代に奥寺がドイツでプロになり長く続けていたのが、世界のサッカーを見るかすかな窓であった。それにドイツのサッカーについては研究したり紹介されることがあった。
 その理由を野球との比較でみてみよう。アメリカから入った野球が旧制中学で普及した。今日の甲子園大会として引き継がれているのが大きな役割を果たしただろう。
 旧制中学は義務教育ではなかったが都市部の進学者は少なくなかった。主催が新聞社でいち早く全国大会をひらいて郷土意識を高揚させながら普及していった。当時はスポーツとは趣を異にしながらも大相撲があった。これは郷土意識と結びついて力士を応援したのだった。通信、交通が全国に簡単につながらなかった時代に、この2つの種目は全国と郷土をともなって関心を持つものだった。

 サッカーは日本では、師範学校で取り入れられるところから出発した。大学の競技者なので大衆的普及は難しかった。
 それは10%に満たない進学エリートの学生がサッカーをやったということで、大企業がサッカー部を持つということは「名刺代わり」であり「会社意識」醸成、あるいは厚生事業でもあった。
 サッカーの普及の歴史から、日本リーグ参加チームは、日立、三菱、古河の、丸の内御三家(丸の内に本社があった)から、東洋工業(現マツダ)、ヤンマー、日本鋼管、松下電器(現パナソニック)ヤマハなど大手企業だった。
 この条件がむしろ大衆的動きからのプロ化ではなとも、理念をともなった出発を可能にしたともいえる。 

 さて、木之元氏は、限られた命をサッカーのプロ化を実現しようと執拗に追い続けていた。協会関係者、サッカーチームを持っている会社幹部などに働き続けていた。
 それが川渕氏を本気にさた。氏が会社を辞めてプロ化に向けて動き出すこととなった。氏はサッカーから離れれビジネスの世界に身を置いていた。しかし50歳代で子会社を任されるとはいえ先が見えてきたと判断し、高みを目指す意味と人生の後半戦をサッカーにかけてみようと決断したのだった。そう決断する素地は木之元氏がつくっており、それをビジネス世界で得た力を発揮し、志を高く持ちJリグという名称でスタートさせた。

 掲げた理念は地域密着だった。チームを所有していた会社にとっては、チーム名が消えて財政負担をするのは割の合わないことと思うのが普通だろうが、そこは大手でサッカーへの理解のある企業ゆえに協力した。唯一反対をしたのはジャイアンツの親会社だったベルディ川崎だった。

*記憶だけで書いているので不完全なものです。まだ木之元物語は続きます。後に加筆修正します。
<未完>
 

 

 

珍しい学校

2017-01-29 20:10:49 | 生活・教育・文化・社会
■ 瑞穂の國記念小学院の創立
 タカ派政治は日①会議の影響の拡大の反映であることは、知られるようになった。日①会議関連本が数冊流通している。その思想を教育の場で実践している幼稚園がある。

 大阪市②川区にある塚①幼稚園である。ここでは創立者が「あえて出る③となれ」と謳い、象徴的には「教育④語」「⑤か条のご誓文」をみんなで唱える、いわゆる軍歌を歌うといったことを、教育実践に盛り込んでいる。
 園外では護国神社前で、大勢を見ている中で「教育④語」を唱える。そこにはタカ派政治家、著名人といわれている人が参加し激励のあいさつをする。⑥神宮参拝合宿も行っている。
 このように書きながら、戦前の皇国民教育を象徴することを幼児におこなっていることに、驚くばかりである。私学の独自性といってもおよそ子どもが理解しがたい反復させることは、教育といえるものか、疑問を持つのである。
 その幼稚園を母体として4月から小学校を創設する。豊中市に⑦の國記念小学院という学校である。創設初年度は1,2年生を募集する。
 その小学校の名誉校長は安⑧⑨恵氏である。その人こそアベ首相夫人である。首相とは別人格であるが、ファストレディーといわれる人である。公人ではないが、めずらしい理念を掲げた私学の推進を担う立場になるのである。
 メディアでまだ取り上げられていない。週刊誌の新聞広告で、写真を中心にした週刊誌1誌取り上げていることを見たことがある。
 日①会議、この際日①会議系としておこう。その系の研究者等が文科省の教科書調査官をし検定に影響力を持ったり、あるいはテレビ等の「保守」の立場で発言をする。また「美しい日①の歌・・・」という団体をつくって活動したり、⑩隊を賛美する「マザーズ」という演劇上演をおこなう等、メディアや文化活動を通して暮らしの中に活動が広がり、偏狭なナショナリズムを鼓舞させることになっている。

*上記の伏文字は下記の番号を当てはめると理解が容易になる。幼稚園、小学校についてはネットで検索すると詳細が知ることができる。また、教育活動については動画でも紹介されている。
①本②淀③杭④勅⑤五⑥伊勢⑦瑞穂⑧倍⑨昭⑩特攻

*2月23日(木)の「ニュース23」の星キャスターは首相夫人は公人としていた。ぼくは一般的夫婦の平等という観点で私人とかいたが、名誉校長の肩書を首相夫人としていたので、公人であると理解した。(3月1日追記)


■ 幸福の科学学園
 幸福の科学は、80年代から新聞広告に教義等の出版物が紹介されるようになった。このところは、国政選挙に大量に立候補し、得票が規定に達しないため供託金を数億円支払っている。
 二世教育の必要からか、10年に栃木県那須市に全寮制の幸福の科学学園中高を創立した。卒業生を出すと同時に大学創立を構想し、16年開学を目指して文科省(大学審議会)に申請したが、認可されなかった。
 大学設置は、推測するにカリキュラムと教員の審査が基準を満たしていなかったのではないだろうか。とくに独自な宗教に関する科目に対して学問的というより教祖の教義が主要であれば認可は難しい。それに研究者である教員を、研究業績のともなった人がどの程度集められたか、ということではないか。
 また中高は13年に滋賀県大津市に創設した。ここは全寮ではなく、寮と通学を選択できる。

 新宗教といわれている教団が学校を創立することはまれなことではない。高校野球にたびたび出場する新宗教といわれている高校は、少なくない。
 

大相撲・蒼国来のこと

2017-01-27 17:20:32 | テニス・他のスポーツ
 稀勢の里の横綱披露の土俵入りが行われた。19年ぶりの日本出身の横綱誕生という切り口で関心が高い。
 ぼくは横綱の抑制的で実直な言動に、昔ながらの力士像を見る思いがしている。義務教育を終えてすぐ入門して横綱まで上り詰める、そして郷土に愛されるといったことも相撲の伝統的文化の一つでもある。横綱の人となりも含めて、人生の物語としてみえるのが、日本出身力士の横綱の意味ではないか。

 ぼくが今場所注目したことでは、蒼国来の技能賞受賞である。中国出身であり、八百長事件で16年3月場所に解雇されて、2年半のブランクを経て復帰して33歳での受賞だ。
 相撲界では、解雇が不当であると裁判をするということは考え難いことをしての復帰だったので、それ以来ぼくは毎場所星取りを注目している。
 裁判に提訴したのは、虚偽の供述をした力士による濡れ衣だった。解雇された当時は力士として最高潮に向かう年齢だっただけに、悔しかっただろう。
 相撲界は、合理的に考えるというよりは上位者が絶対的存在がゆえに、親方、部屋の力士そして他の力士等の目はさぞかし厳しかっただろう。
 潔白であっても裁判に提訴するのは躊躇するだろうにと、裁判中も情報は少なかったが注目していた。
 蒼国来は、その姿から中国出身でも漢族ではないのではないか、と思っていたら、やはりモンゴル自治区出身とのことだ。昔から言う姿のよい花形力士だ。
 今場所の受賞力士としての誇りを相撲で示したわけで、当人と出身地やファンにとって大変な喜びであろう。
 ぼくは幕内中位を長く取り続けられることを期待しながら、今後も注目することにしている。

 
 

錦織フェデラーに勝てず

2017-01-23 20:14:18 | テニス・他のスポーツ
 全豪オープンは時差があまりないので昼の時間帯に放送があるのがありがたい。しかも放送がNHKの地上波でしてくれるので見やすい。
 錦織はどこまでいけるか、期待しながら見た。1戦目は16日(月)のクズネツオフ(ロシア45位)戦は、第4セットがタイブレークまでもつれたのを取り第5セットもものにして勝利した。第2第3試合とも3-0で勝ち、第4試合は22日(日)の17:00過ぎからフェデラーとだ。
 フェデラーは長い間王者だったし、けがで半年休んで戻ってきた。ランキングは落としているがいまだにトッププレーヤーであることには変わらない。とくにストロークの技術が高く、見るものを楽しませてくれるラリー戦は秀逸だ。
 錦織がフェデラーとの試合はするとは想像していなかったが、4大大会では初めて対戦する。
 17:00過ぎから試合が始まった。第1セットをタイブレークに持ち込んで取ったので、期待が高まった。ところが第2が4-6第3が1-6で落とした。第4セットは6-4で取ったので、餅屋勝利があるかもしれないと思ってフルセットを注目した。
 フェデラーはベテランでありながら力は健在だった。3-6で落として、セットカウント2-3で敗れた。
<未完>

小さな花、並んでいる人

2017-01-22 16:35:06 | 身辺のこと・自然
 駅の商店街まで歩いた。50歳代までは18分ぐらいだったが、今は25分近くかかる。体のためのルーチンとして、30分は歩くようにしている。週2日ぐらい30分に至らない日がある。去年ぐらいから、歩かないと体の動きがぎこちなくなる感じがする。
 2日続いた寒さが少し和らいだせいだろう、10時台の遊歩道ではウォーキングの人とランニングの人に出会った。
 ノルディックウォーキングのストックを持って歩いていた人がいた。とはいってもゆっくり丁寧な歩き。想像するに、普段はつえをついての歩行なのではないか、と。リハビリのための歩きのようだった。
 木にわずかに紫色になっている部分をカメラで撮影している男性がいた。ぼくは近づいて「何を撮っているんですか?」と。とくに反応はないが、ぼくは被写体を見て近づくと、小さな花が咲いていた。いつも目もくれずにひたすら歩いているところに、小さな命が輝いている感じがした。
 「花なんですね。何という花ですか?」
 「・・・」
 「葉が小さいのでカイズカイブキのようだけど、葉が少ないし・・・」
 「さあ・・・」
 木の名の札を見たら「エリカ、ツツジ科」とあった。ぼくはその名前を声に出して、その場を離れた。忘れないように何回か名前を反復した。人の名前を連想するようにした。
 帰宅後すぐに『日本の樹木』(山と渓谷社)で調べた。まさかと思ったツツジ科にあった。ツツジ科・エリカ属に「ジャノメエリカ」と。別名アフリカエリカで、アフリカ原産で大正期に日本に入ってきたとのことだ。花は2月~3月に咲く。図鑑は花が立派なので、見たものは厳密にはエリカ属の一種かもしれない、と思いつつも謎が解けたようでまんざらでもない気持ちになった。
 今度通るときは、じっくり眺めてみよう。

 いつも何気なく通っている道から入ったところに、男性が大勢並んでいた。何事かと思ってそのわきを通った。そこはラーメン店だった。ラーメンを食べるために並んでいるのだった。小さくて目立たない店構えなので気づかなかったが、ラーメン通の人には知られている店なのだろう。どうして並んでいるの。閉店?と考えながら素通りした。
 30分ぐらい後にまた通ったら、やっぱり並んでいた。人数は31人。店の戸に「千秋楽」と書いた木札が掲げられていた。
 千秋楽ということは、催し物の最終日という意味なので、何か特別サービスを利用しようと思って並んでいるんだ。いつかぼくも入ってみようと思って通り過ぎた。

 外食を基本的にしないようにしてもう2年ぐらいになっているので、ラーメン店に入るのは自ら課しているおきてに背くことだが・・・。



 

どうなるアメリカ・トランプ

2017-01-20 12:28:58 | 生活・教育・文化・社会
 ドナルド・トランプでこれからのアメリカはどうなるのか。
 アメリカ大統領という超大国で国際秩序に影響のある立場になる人が、間もなく就任式をする。世界中が、これまでのどの大統領就任より注目しているだろう。
 予備選、大統領選、就任までと、これまでの政治家の物差しでは測れない暴言をツイッターという情報発信武器を使ってやっている。大統領に決定後は、個別の企業への恫喝とも取れることを発信している。ツイッターでの一方的発信が、大統領の公式見解と受け止めざるを得なく、アメリカ企業はトランプの意に沿って雇用増になるよう軌道修正している。
 ビジネスマンの交渉手法だということだが、ツイッターのわずかな文字の発信に一喜一憂しているような大国アメリカ、近代的民主主義アメリカが一方的で結論だけの情報で変わっていくことに驚いている。
 トランプは、ツイッターを2機種を使っているとのことだ。一つは暴言恫喝あり、もう一つは冷静に前言を少し穏やかに緩和する内容との分析も行われている。チームを作って情報戦略を練って行われているのだろうことは想像がつく。
 ぼくはトランプ就任後のアメリカはどうなっていくかに関心がありながらも、一方には遠ざけて深入りしたくない、という思いもある。それは断片の情報に右往左往させられ惑わされるのが疲れる、ということ。
 しかし日本はアメリカ大統領の動向に敏感でなければならないし、テレビのコンテンツとしては良いので、これからも付き合わされるのだな・・・。これからどうなる・トランプ!
 

情報づくりと伝達手段

2017-01-15 19:43:50 | 当世世間事情
 最大級の寒波のため、日本中が寒さに覆われている。京都での都道府県女子駅伝は雪が降る中走っていた。
 最後の30分ぐらい見たが、初めて住んでいる県のランナーに関心をもった。スポーツなど居住のチームに応援することはなかったのに、何らかの変化が起きた感覚だ。積雪地域で生まれ育ったので、雪が降っている光景が日頃ない心の深層に触れたためかもしれない、と思ったりもした・・・。

 今朝は―3℃で今シーズン最低気温である。昼でも5℃を下回っていたので昼頃のウオーキングはとても寒かった。さすがに老人とは出会わなかった。
 夕方自転車で街へ出かけてが、耳が冷たいという感覚を体験した。5時過ぎでも明るさが残り、家々の上の空が茜色だった。

 昨日の『東京新聞』の吉田潮氏のコラムによると、ピコ太郎がマネージャーとしている古阪大魔王とは同一人とのこと。
 自分の中に2人を同居させ、異なるキャラクターを演じているわけだ。それができる場合異質なことを同時にできることになる。「徹子の部屋」の話の内容がどこまでほんとだろう、と眉唾で聴いていたのだが、そのぼくの感覚は間違っていなかったのだった。

 吉田氏によれば、彼のパフォーマンスは昭和のチンピラ風で音もノイズのよう、としている。だからテレビ等にはおよそのらないので、ネットを利用した。その手法のうまさは驚くべきとしている。海外で称賛されたので逆輸入されて、今や大企業まで便乗してCM等に使うようになった。策士ピコ太郎のみごとな戦略とのことだ。
 ぼくはこの分野ことはよく知らないが、社会現象として何を意味しているのかなと白けてみている。そんなに長く続かないだろう、と。
 しかしこの手の情報手段の方法、作話のうまい人のウソも含んだ内容、さらに表現の仕方などで運命が変わるような時代になっているのだ。
 このような情報に対するリテラシー力を持たなければならない時代であることを痛感している。

 情報のついでに、NHKの18時台ではいつも「電話で詐欺」に気をつけようというコーナーがあるが、最近は「〇〇地域で今▽△の詐欺が増えています」とまるで「詐欺予報、あるいは詐欺警報」といっていい状況になっている。
 ここで連想したのは、ホラッチョという人がいたな・・・。具体的には学歴詐称ということだが、氏のやっていた仕事が、学びの専門性なしにはできないことだったので、その前提がないのに、なりすましをしていたのだ。ぼくはそのなりすましの才能に感心したし、専門性が高いというという前提で聴かせたのだから、多くの人のダメージは小さくない。
 就職等の学歴詐称の犯罪性より、多くの人を偽ったという意味では大きな倫理的な問題なのだ。

 さらに連想してしまう。自分の過去をいじめ、不登校、不良グループのリーダーという今時の困難や逸脱の限りだったことを、自分の表現に語っている絵本作家がいる。過去のことは他人は知るよしもないが、それでどうして学校を卒業して、若くして成功できるのか、何か謎めいている。
 絵本制作途中を泣きながら読んで共感を確認して、完成させていくという。
 あらゆることを作話と自己表現と商品にする才能には感心するだけだが。
 
 

江戸しぐさ

2017-01-08 19:52:33 | 生活・教育・文化・社会
 このところでは珍しく曇りで寒く、14時ごろからは雨が降り続いています。町内会で餅つきをしていました。数年前に立ち寄った記憶がありますが、その時の印象と違っていました。以前は年配者が多くて子どもの声でにぎわっていたように記憶しています。
 今回は始まって1時間ぐらいでしょうが、1升瓶が10本近くあけられてご機嫌の年配者が目につきました。子どもの声より大声でしゃべっていました。普段できない交流なのでしょう。
  

 新聞のチラシにカルチャーセンターの案内がありました。その一つに「江戸の知恵を今に活かす」というタイトルがあるのが目に留まりました。「江戸しぐさ」を学ぶということです。
 江戸しぐさとは、江戸の町人がしていたとされるマナーを学んで今に活かそうというものです。
 例えば「傘かしげ」と称して、人ごみで傘をさす時傘をかしげてぬれないように配慮をする。「時泥棒」として、断りなく訪問したり遅刻すると相手の時間を奪うことになると。「喫煙しぐさ」では、非喫煙者のいるところで喫煙しない。
 これが話題になってすぐに本を購入しざっと読みましたが、ぼくが描いていた江戸町人のイメージとかなり異なるので、素通りしていました。
 「傘かしげ」では、傘は多くの町人が持っているものではなかった。しかもぶつかるぐらいの多くの人が道を歩いていたのか。「時泥棒」は、時計が個人では持たなかったた時代に、厳しい時間感覚がなかったのではないか。「喫煙しぐさ」についても、密閉した部屋は少なく、喫煙者も少なかったはずだ。
 もっと大きくは何らかの基準による序列社会だったので、上位者の多くの行動基準であり、それに下位者が従うとしたら、上記の3つの例はいずれも必要としなくてよいのではないか。

 ところでこの「江戸しぐさ」は社員教育や学校の道徳の教科書に採用されているという。最近この「江戸しぐさ」を架空のものであり作り上げられたものだと、全面的に批判する本を読んで、納得した。その本は『江戸しぐさの正体』(14年星海社)、『江戸しぐさの終焉』(16年星海社)で、著者はいずれも原田実である。
 「江戸しぐさ」はつくられたものでカルト的に普及活動しているものだ、ということ。
 去年市の施設で講演会として催していて身近に普及活動している人がいるのだと注目していた。それが事業者がやるカルチャーセンターに登場するとは、少し驚いている。

 この種のものは、つくられたものだったり、しきたりを家元のように普及をさせる活動をしている人がいる。正月にかかわることでマナー学院という肩書で、今時受け入れがたい年賀状作法をラジオで長々説いていたのを、去年車を運転しながら聞いた。
 その人が今年はテレビで話をしていた。この種の人たちは自分を絶対者として話すので、妙に説得力を感じさせるものだ。 
 
 教員養成で学んだ若い人が、「教育勅語はアメリカで普及してきている」などいくつかのことを、あり得ない話を真顔で話をしていたのがよみがえってきた。

高齢者を75歳からと規定変更ー上

2017-01-06 19:00:47 | 生活・教育・文化・社会
 高齢者を75歳からと、日本老人学会が提言した。65歳から74歳までを準高齢者といい、90歳以上を超高齢者ということに定義の変更を提言した。
 学会独自の見解であるが医療等学問的根拠もあるとのことだ。「定義を変えることで、社会福祉などがネガティブなほしくない」といっている。テレビのニュースでは別団体の人が「高齢者の暗いイメージが変わる・・・」といった趣旨の発言をしていた。この言葉は編集されて切り取られたものなので全体が分からないが、定義が変われば状況が変わるわけではない。ただ状況の変化にそって定義を変えたというわけだ。
 それにしても一気に10歳も上げるということは、高齢者の状況(主として健康年齢)に激変が起きているのだろうか。それともこれまでの定義が社会的認知や高齢者の福祉や社会保障制度が手探りだったせいだろうか。
 
 福祉など社会保障が整備されていない時は、定義の必要がなかった。定義を変えるということは制度を変える根拠になることは明らかである。今後この定義に沿って高齢者の社会的認識になるだろうし、行政等の変わることは容易に考えられる。
 すでに小泉進次郎氏が、11月にアドバルーンを上げている。おそらく学会の定義変更情報をあらかじめ得た発言したことは考えられる。すぐ財政負担の軽減のためと結びつけるだろうから、しかるべき責任ある立場ではない人にアドバルーンを上げさせたのか。かなり巧妙な世論誘導かな・・・。

 高齢者が変化していることは確かである。とくに今は健康年齢の維持と上昇についての情報が多い。そのためウォーキングなどは多くの人がやっている。
 厚労省の政策の下に「地域包括センター」をつくり、高齢者問題を行き届くようにしている。さらに健康年齢維持のために、自治体ごとに様々な工夫で取り組んでいる。わが市では町内会単位に各週ごとに身体活動やレクレーションを始めている。
 歩行速度が10年間で10歳早くなっているとのことだ。10年前に65歳の人の歩行速度が、今は75歳になったとのこと。人手不足もあって、スーパーのレジなどでも70歳代の人が多く働いている。もちろん生活のために賃金を得るためだる。

 90年代ぐらいまでは、NHKで「百歳万歳」という短い番組があり、百歳以上は珍しかった。今は5万人以上で稀なことでなくなった。103歳の医師が仕事をしていると、時々テレビに登場する。
 かつて「きんさんぎんさん」がテレビによく登場したころは、日本社会の長寿をめでる文化の継承だった。
 その頃から老人の福祉と社会保障に本格的に取り組むために、行政用語として「高齢者」という言葉を使うようになった。
 元来「老人」という言葉は敬意の意味があった。「元老」「長老」「老舗」などの言葉がある。また「年寄り」だって、相撲界では尊称でる。最近はあまり聞かなくなったが親方名を「年寄〇〇」ともいう。
 今は行政用語である無機質な、高齢者がスマートな言葉のようになじんで使われるようになった。

 (続く・3にわたって書く予定) 

暮れから新年のテレビー下

2017-01-05 16:39:41 | 生活・教育・文化・社会
 陽ざしが明るいのに風が冷たく、小寒だということで、この季節らしい寒さだった。14時過ぎにウォーキングをしたが、いつもより行き交う人が少なく、シニアのたまり場になっている林のそばのベンチには誰もいなかった。
 わが家の庭に野鳥がほとんど来なくなった。去年は一時より少なくなったものの、時にヒヨドリ、ツグミ、メジロなどが来ていた。周辺の林が宅地化されたせいだろうか。とくに10分ぐらい離れたところのサッカースタジアムぐらいの規模の自然林の林がなくなったことは、野鳥を住宅地に近づけなくしたのではないか。

■ 「年末恒例朝までドキュメント72」 NHK29日(木)11:25~30日4:00
 「ドキュメント72」は毎週金曜日22:50から放送されており、ぼくは欠かさず見ている番組である。それを視聴者からの投票によりランキングして再放送された。2人でのトークをしていたが、その一人の鈴木おさむ氏を初めて見た。
 この番組はドキュメンタリーなのだが、作品としてのテーマ等を重視していなく、定点から庶民の暮らしを3日間を記録する、というものだ。ぼくはリアルな日本を映し出す素材であり、考えるテーマを与えられている思いで見ている。
 四国の国道をたどった「酷道439(よさく)」は強烈に日本の地方ををあぶりだしものだ。限界集落からさらに人が少なく、その先には消滅するだろうことを描き出した。これは日本の人間の暮らしの現実を考える素材として刺激的だった。
 ぼくが生まれ育ったところでは、3つぐらい集落が消滅しているので、切ない気持ちで見たのだった。

■ 「第9演奏」 31日Eテレ20:00~
 これは50年ぐらい欠かさず見ている。今年は合唱がプロの歌手で、ソリストがすべて外国人だった。最高齢といわれているマエストロのリクエストによるものだろうが、いつもと勝手が違っていた。
 バリトンは声が柔らかく癖がない。ほかのソリストも抑制的声だった。合唱もいつもの半数ぐらいの人数だ。ぼくの持っている第9のイメージと異なり緻密とも思える表現をしていた。ヨーロッパでの第9の演奏なのかもしれない、と思いながら聞いた。

■ 「プロ野球戦力外通告~クビをされた男達」 TBS30日(金)22:~
 去年も見たな・・・。どうもこのこの種の内容に注目してしまう。負を背負っている人への関心が強いのだと、自分を見つめる。
 野球という高度な専門性で生きている人、その専門性を必要とされなくなる時は何時かは来るもの。専門性で実績を上げてある程度できた人もいるが、できない人が圧倒的に多い世界だ。いわゆるセカンドキャリアに突き当たるが、「戦力外」になって新しい進路に直面する。それが家族を巻き込んで進行するのだ。

■ 「朝まで生テレビ」 1日テレ朝1:00~

 途中から見たが、落ち着いた論議が印象的だった。自民党のやまもと氏が内容を伴って論理的に展開していた。氏が大学院の授業をしていることがよくわかった。女性のみうら氏の存在感が大きくなっているようだ。

■ 「ニューイヤーオペラコンサート」 3日(火)19:00~21:00
 毎年見ているが、数年前からは前のめりにならなくなった。ぼくが歌曲への関心が高くなっているせいだろうか。オペラと歌曲は、声や歌唱など別物ぐらい違うことが分かってきたからかもしれない。

*話題のピコ太郎が「徹子の部屋」へ出ていた。どうやらマネージャーといっている人とピコ太郎は同一人物のようだ。動画が記録的なアクセスで国際的話題になっているが、広告収入が3億円とも言われている。動画に広告が入るようになって動画事情が変わってきているようだ。広告収入を得るためにやっている人が多くなっているとのこと。

*NHKのコント番組「LIFE!」に出ている星野源が歌、ドラマ、俳優として話題とのこと。彼の「LIFE!」でのウソ太郎のとぼけぶりがなかなかだな、と思っていた。平凡そうな男性がブレイクするのは喜ばしいこと。
 「LIFE」のメンバーの演技力は、誰もが相当な水準と思って見ている。コメディアンという分野なのだろうか。ぼくは芸能分野の知識は乏しい。
 今は小さい時から映画等にアクセスしているせいなのか、お笑い芸人といわれている人が演技者やMCなどうまい人が多くいる感じだ。

*箱根駅伝は見ると長時間見てしまうので、控えるようにしている。1日目のサッポロのCMはコップを持たずに飲んでるように表現していた。これはコップにビールが入っている実際より飲みたくなるように作られていた。なかなかの工夫だ。2日目はサッポロのCMがなかったようだ。なるほど、よく考えているものだ。

*ついでにテレビ視聴については、退職後2年間ぐらいまで昼の時間帯のワイドショーを見ることが多かった。テレビ視聴するということは他のことの時間がなくなるので、時間を2~3時間に制限している。そのほとんどが報道番組だ。
 録画すると視聴時間が長くなると思ってしなかったが、去年から始めた。深夜番組等録画することによって自分の生活リズムにそって見られる。全体の視聴時間はそんなに増えない。自分の睡眠時間帯にあった生活をして見たいものを見る、となり満足を得られている。
 午後はラジオを聴くことが多くなった。


*星野源がかねてから紅白に出ていたり、去年テレビドラマで話題になったことを知らなかった。昨夜の{LIFE!」では、かねてからやっている「おモエもん」になっていた。彼は人柄はまじめでどちらかというとおとなしい人にみえる。書いたり歌ったり活動領域の広いタレントだということが分かった。(5日加筆)