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絵本と児童文学

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無免許運転の繰り返しを技能とみなす?

2013-02-20 12:02:05 | 生活・教育・文化・社会
 昨年4月23日の、無免許居眠り運転による集団登校列に突っ込んで、死者3人重軽傷7人という事故の1審の判決が下った。少年法や事故の軽重との関係で量刑が決まるだろうが、裁判官の判決内容に重大な問題を含んでおり、驚いた。
 無免許で4月11日、17日も運転していたことが明らかになっている。それ以前にも無免許運転を繰り返していたということである。被告は一度も免許を取ったことがないのである。無免許運転というと、一般的にはかつて免許を取得したのを失効したか取り消しされたか等を考える。その場合無免許でも技能を有したと見てよいだろう。
 裁判官は、免許を取ったことのない者が運転していたのを技能を有したとみて、しかも無免許が罰則をともなう行為なのに、今回の事故と無関係とした。
 
 そもそも免許というのは、国が決めたそれに必要な技能や知識に対して授与するものである。その点では、資格より厳格なのである。
 資格は国家資格から業界によるもの、さては検定など様々ある。それを必要とする場合は、運用で資格の有効性を位置付けるのである。無資格であっても刑事則はなく、運用者(業界)の範囲内で資格の有効性に収斂していくのである。

 必要とする免許なしでその行為や職業をした場合、罰則がともなう。その行為や職業ができるからといって免許に必要な内実が備わっているとは認めないのが、免許制度である。特例的に認めるとしても、仮免許を交付した上で許可する。
 身近な職業で言えば、教員、医師といったものがある。航空、船舶関係にも様々な免許を必要とするし、各種の機械操縦など免許を必要とする。無免許でその職業や機械操縦をしたことが判明すると、何らかの罰則が科せられる。たとえば無免許の医師は免許という文書偽造等も含んだ刑事罰であり、教員はその行為の質にもよるが、行政の範囲内の処罰になるだろう。
 法として免許の有効性を監視し運用を図るはずの裁判官の、運転免許の認識に驚くばかりである。
 今回は、無免許運転を繰り返したことの罰則と運転能力がないと見ると、判決の量刑も変わるのではないか。少年法の厳罰でなく更生に期待するという思想を過大に解釈してそれに依拠したため、免許そのものをゆがめてしまった判決である。

尖閣諸島が世界自然遺産だと?

2013-02-19 18:45:17 | 生活・教育・文化・社会
 この頃4時からBS1の「ワールドウェーブ・アジア」を見ること多くなった。これは前日のその国のニュース番組を、5分前後に編集して日本語で放送するものだ。

 今日放送の中国・上海のテレビでは、日本が尖閣諸島を世界自然遺産登録の準備を開始したと報じた。そのため中国の海洋監視を強化しているという。
 また、韓国のニュースでは、竹島の韓国に対する抗議デモが激しくなっているとした。デモの映像と飲食店員の「デモがあるので怖い」というインタビューを流した。
 中国と韓国ともに領土問題だが、日本では報道されないものだ。尖閣の世界自然遺産登録は、ありえないことで虚偽である。
 竹島もデモはしているグループもいそうだが、日本ではニュースにもならないしデモがエスカレーとして商店に危害を加えるとは考えにくい。
 こうして虚偽やゆがんだ報道によって、自国の正当性と日本への敵対心をあおり、偏狭なナショナリズムの高揚をさせていくのだろう。

 ところでこの番組では、中国の北京、上海、香港、それに韓国、シンガポール、タイ、ベトナム、フィリピン、マレーシアのニュースが放送される。
 日本では知られていないことでは、タイの南部のイスラム文化圏地域と政府のあつれき、フィリピンのある地域の人たちがマレーシアのある地域が元来の居住地域だとする抗争が起きている、といったことが報道されている。
 フィリピンでは、南シナ海の中国との領土問題が大きいことであり、最近では大水害に見舞われている。
 香港では、春節期間中の中国本土からの旅行者が多すぎて様々な困難が発生している。ディズニーランドは入場制限をしたとのことだ。
 中国・上海では春節の花火が大量に打ち上げられ、その清掃が深夜おこなわれ、ごみがトラック3台分になるという。
 ベトナムのニュースは各地の伝統的祭り等の紹介が多い。

 早朝覚醒が習慣になっているので、ある時期は「ラジオ深夜便」を聞いていたが、数年前からは雑誌等を読んでいる。今後は30分ほどの「ワールドウェーブ・アジア」を見ることが多くなるだろう。アジアのことがテレビ新聞で報道されることが少ないし、知らないことが多すぎるというのが実感である。カンボジア、ミヤンヤンマーにも関心があるが、放送はないだろう。
 起床は気ままのほうが体によいのだが、「ワールドウェーブ・アジア」を見たくなると必ず起きるようになる。それもいやだな・・・といったところだ。

触法障害者の社会復帰

2013-02-15 15:38:17 | 生活・教育・文化・社会
 Eテレの「ハートネットTV」は、13日(水)「罪を繰り返す障害者・再販防止への支援とは」、14日(木)「触法障害者の社会復帰・福祉と司法の連携」を放送した。
 犯罪者の再犯率は、60%といわれている。軽微な犯罪を繰り返す人に、発達障害者が多く含まれているという。日本の司法は、犯罪に応報するという考え方のため、刑務所では規律という基に、厳しく自由を狭め労働を課すことで反省をうながすこととしている。
 それは障害者にとっては、苦痛であっても生活するスキルが弱い等から更生が難しい。そこで放送では、出所後更生のため福祉施設によって社会への適応スキルと生活能力と労働体験によって、社会復帰を可能にする取り組みの状況についてだった。
 14日の事例は長崎県の施設で、社会生活のスキルや牛の飼育の取り組みなど紹介されていた。そこに司法関係者が見学していた。
 テーマと内容が、NHKならでは取材力を使っての時宜をえているものだった。司法と福祉の連携により、この動きが広がることにより、人権が尊重され安定した社会が少しでも前進することを願っている。

 なお、障害者とは性質が異なるが、朝日新聞1月10(木)に「盗み癖、刑務所より治療施設へ」と記事にしている。軽微の万引きを繰り返す被告の弁護士が「被告は盗み癖のある病気だ。刑務所ではなく、専門の施設で治療させて欲しい」と訴えた、とのこと。結審後また万引きをしたのだ。それに対して検察が「病気のせいにして、反省していない」と非難して、懲役6年を求刑した。

雪峠を越えてとつぐ-にっぽん紀行

2013-02-12 17:09:06 | 生活・教育・文化・社会
 NHKの「にっぽん紀行」は、地方局が制作した番組を、祭日に全国に放送される。その地方の文化的特徴を強く持っている、暮らしのドキュメンタリーである。
 その地にとって日常的なことであっても、他の地域にとってはめずらしいことである。わたしはこの番組を、いつも興味深く見ている。

 11日は「私はとつぐ雪峠を越えて」であった。秋田南部の昔ながらの結婚の催しで、雪道を馬車で数時間かけて嫁ぐ、という内容だった。馬車の用意だけでなく、大勢の人が雪かきをして道をつける、到着地で餅をまくなど、地域挙げての一大イベントだ。
 無形文化財として保存してもよいようなことが、現実に成り立っていることに驚きをもった。親がこれに力を注ぐこと、地域の大勢がそれを支える。昔ながらの農村共同体が現在にも継承されているのだ。
 当人はおそらく結婚が2人だけでなく家族そして地域の人に見守られているという、その共同体に暮らしていることを強く意識する機会になるだろう。現在強調されている強い絆で結ばれる、ということだ。
 冠婚葬祭は地方の文化を色濃く反映したものだが、それが戦後近代化とともに社会化・商品化されてきた。ドキュメンタリーのような結婚の催し文化は消滅したと思っていたので、めずらしかった。

 わたしはこれまで、個人の自立と自由という発想で、家制度的色彩や紐帯関係をつくる農村共同体的結婚の催しに象徴されるような文化に対して、否定的に生きてきた。現在も都市住宅地暮らしなので、隣近所の人の苗字と顔がわかり、かろうじて挨拶を交わす関係である。
 ドキュメンタリーを通して、そのようなことが頭をめぐり、地方の貴重な文化の作品として見たのだった。
 また、この種の作品は暮らしを綴ることなので、あらかじめ企画があっても、たくさん撮影してそれを物語にするための編集に相当力を注がなければならないのだろう、といったことも考えたのだった。

*60年代ぐらいから都市化核家族化の浪にあらわれ、地方では学校の統廃合、高齢者の比率の増大、さては限界集落という状況が広がった。
 都市でも一人暮らし孤独死が増えている。12日の新聞には、一人で死亡した人の遺品の引き取り手がないあるいはその扱いに行政が困惑しているとのことだ。(19日追記)

PC遠隔操作事件

2013-02-11 17:42:14 | 生活・教育・文化・社会
 4人の誤認逮捕を出した遠隔操作による脅迫メール事件は、犯罪の質という点では日本の犯罪史に残ることになるだろう。犯人逮捕にようやくたどり着いた。今度は誤認ではないだろうと思いつつも、本人は今のところ否認している。
 PCのは技術を駆使しているが、犯罪を秘匿せずに捜査に挑戦するあるいはもてあそぶように小出しに捜査の手がかりを披瀝した。この間の犯人は、自己の優位性と世間の関心を呼ぶという、犯罪の目的の達成感と高揚感だったのではないだろうか。
 しかしその達成感と高揚感の自己確認はできたが、決して生活の平穏さや希望のそれではなかったのではないだろうか。
 わたしは犯人を憎むというより、悲しい気持ちで逮捕のニュースに接している。そして今後の展開にも関心をもつだろう。とすると誤認逮捕の4人への思いやりがないようだが、拘留期間の苦痛と社会的ダメージには同情するにあまりある。しかし、残念なことに誤認逮捕した警察庁の力のなさと取調べの乱暴さを思うのだ。

 犯人の、いわゆる足のつくようなことをして逮捕されるに至ったことに対して「自己顕示欲」「過信」「劇場型犯罪」などのこれまでの言葉でコメントされている。
 わたしは犯人をアスペルガー症候群という発達障害ではないか、ととらえてみている。高機能自閉障害ともいわれ、一般的には知的には問題がなく興味・関心が狭く社会性・コミュニケーションに難点がある人、といわれている。とすると犯罪への執着と注いだエネルギーはそうとうなもので、それを秘匿したいという気持ちと、一方には自分のその力を知らしめ誇りたいという心理状態と思われる。平凡に言うと「逃げるけどつかまりたい」という人間に往々にしてある「アンビバレンス」の状態ではないだろうか。アンビバレンス、つまり相反する心理を同時に持つということである。

 子どもの教育では自閉症、学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)という診断され、その障害の課題にあった教育もおこなわれている。
 近年は大人の発達障害について明らかになってきている。この分野に多くの人が接近しようと思えば、Eテレ20時からの「ハートネットTV」で時折扱っているので、可能である。
 発達障害については、ニュースや情報番組でもやるが、最近のニュースで「デイスレクシァ」ということを知った。諸能力に問題がないが、漢字を書くことができない、ということだ。成人してかなりの年齢になってから、PCによって漢字表記をしてその障害を補い、仕事や社会生活の困難を克服し、人生が大きく変わったとのことだった。

 アスペルガー症候群とみることによって、事件の解決に進展をしたりするわけではない。わたしはこの分野の専門門家ではないが、今後報道される可能性のある彼の生い立ちや学校生活をおおよそ想像するからだ。おそらく本人としてはつらい過去があったのではないだろうか。わたしは人間の理解としてそこに関心を持っているだけである。
 わたしの見立てが事件の解釈が容易になるわけではなく、むしろアスペルガー症候群を抱えている人への、偏見や差別を助長になることを恐れている。あくまでも彼の生活史に関心があるのである。むしろ発達障害者が生活しやすい寛容な社会を望んでいるのだ。

 犯罪者に対して貢献というのはおかしいのだが、今回の4人の誤認逮捕という犠牲をはらったのだが、日本警察のサイバー犯罪を担う部署と人員をつくりその捜査レベル向上に遅まきながら取り組むようになった。この事件で、わたしたちは多くの教訓を得たのではないだろうか。
 なお、アスペルガー症候群またはこのような性格特性を持つ人は、職業分野によっては散見されるといわれている。犯罪を犯しやすいということはまったくなく、この障害やその性格特性と思われる人で、学者や芸術表現者でよい仕事をしている人がいることはたしかだ。

 人間の生活や知的生産の技術やコミュニケーションに多くの力をもたらしているPC・インターネットだが、それが同時にサイバー犯罪という負を抱えることになった時代という認識をしている。

*まだ少ない情報のなか、犯人理解の手がかりにするために一つの見立てをしてみた。今後著しく誤っていると判断した場合は、削除します。

*追記
 11日(月)の「NHKニュース9」によると、11年に脅迫メール事件を起こして1年6カ月の禁固刑を受けたということだ。裁判を傍聴した阿蘇山大噴火(ライター)のメモによる記録を読み上げものによると、検察に激しく糾弾されていた。
 彼が警察・検察に対する恨みを膨らませて報復に執念を持つだろうことは、理解できる。

 15日(金)
 その後の報道によると、犯人逮捕はパソコンの解明ではなく、防犯カメラによるということだ。防犯カメラというアナログなものによるが、最近の事件の解明はカメラがなんと多いことか。