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じわじわと新コロナが

2020-04-29 20:49:17 | みるふぃーゆのコラム
【みるふぃーゆコラム・福島発】

 児童相談所はテレワークなどできるはずもない。学校休校を受けてむしろ相談や保護は増加気味の日々。

 我が子たちも、もれなく3人とも休校で、
 「お願いだ、庭の草でもむしっててくれ」

 私は、休日はマスクつくり。生地と形を変えいくつかの試作を経て、まあ納得のいくものにたどりつき、大量生産に入ったところです。


ドイツ・メルケル首相の国民へのメッセージ

2020-04-13 19:54:26 | 生活・教育・文化・社会
【全訳】メルケル首相、自宅隔離から復活のスピーチ「“その後”は必ず訪れます」

 “ドイツのおっかさん”アンゲラ・メルケル首相だ。3月22日、首相に予防接種をした医師の新型コロナウイルス感染が判明したため、自宅隔離に入ったが、検査で陰性となり戻ってきた。そして、テレビを通してイースター休暇を前にした国民に語りかけた。その全文をお届けする。
 
 国民のみなさん、こんにちは。

 今日、こうしてまた首相府からみなさんにお話しすることができるのを嬉しく思います。自宅隔離を終え、体調も万全です。私はいま、14日間一人で家にいること、そして14日間電話やインターネットでしか世界と繋がることができないのは、簡単ではないと確信しています。

 新型コロナウイルスにより自宅に一人でとどまらなければならない高齢者や持病のある人にとって、そして私のように隔離を求められている人にとって、この時期はとくにそうでしょう。そうした状況にいる方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 このウイルスとの戦いにおいて、私と連邦政府にとって何が意思決定の指針となるのか、いま一度みなさんにお伝えします。まもなくイースターが始まります。ふだん教会に通う何百万人ものキリスト教徒にとって、復活祭(日曜日)とは、家族みんなで散歩をしたり、焚き火をしたり、あたたかい南部の湖で過ごしたりするものでしょう。でもそれは、これまでの話です。今年は違います。

 私が今日申し上げたいのは、私たちはこれまでとはまったく異なるイースターを過ごすことになる、というものです。もちろん、キリスト教徒は受難日(金曜日)と復活祭を祝うことでしょう。でもほかの信者と共に教会に集まることはできません。この数週間、各教会がテレビやラジオ、インターネットを通して素晴らしい礼拝を多くの人々に届けてくれていることを嬉しく思います。イースター期間中はさらに増えることでしょう。

 そして私は、国内の宗教施設で集まることができないユダヤ人やイスラム教徒、そのほかの宗教を信じるみなさんのことも想っています。緊急事態宣言は、社会に大きく影響するものであり、緊急時に最低限の期間しか受け入れるべきでないものの一つです。

 この2週間の自粛ルールを守りながらも、イースター中に散歩をすることはできるでしょう。ただ、それは同居する家族とのみ、あるいは家族以外の1人とのみ可能です。短くても1.5m、できれば2m間隔をつねに空けなければいけません。頻繁な手洗いも忘れないようにしましょう。

 マスクを着けていたとしても、ソーシャルディスタンスを保つことをつねに心がけてください。ウイルスに対するワクチンや治療薬がない限り、ソーシャルディスタンスを保つことは最も効果的な予防法なのです。
 もう一つ、肝に銘じてください。たとえ小旅行であっても、イースター休暇中にドイツ国内の湖や山、親戚を訪ねてはいけません。

 とても辛いですね。わかります。私たちは好きなときに好きなだけ移動し、旅をし、したいことをするのに慣れています。私たちの自由な人生の基本です。ですが突然、こうしていくつものルールや規制ができました。でもこれらは命に関わる重大なものです。ですから私は、このイースター直前のいま、もう一度みなさんに思い出してほしいのです。

 みなさんのなかには、「もう2週間も規制に従っている。あとどれだけ続くんだ?」と思う人もいるでしょう。わかります。ですが、私がいま解除日を端的に申し上げ、今後の感染率を鑑みてもし約束を果たすことができなかったら、とても無責任なことになってしまいます。

 もし私が約束を台なしにしてしまうことがあれば、医療も、経済も、社会もどんどん悪い状況になるでしょう。



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 私がみなさんにお約束できるのは、連邦政府を頼ってくださいということです。私も昼夜問わず、どうすればみなさんの健康を守りながら、元の生活を取り戻すことができるかを考えています。
 もし私たちが自分の責任について考えなければ、それに応えることすらできません。同じように、現実にそぐわない規制解除日を決めたり、間違った希望を膨らませたりしては、責任を果たすこともできません。
 あらゆる視点から全体像を捉えるのは、とても骨の折れる仕事です。ですが、親愛なる国民のみなさん、連邦政府と私個人がこの仕事を担うことに期待していてください。それがまさに私たちが取り掛かっていることです。お約束します。
 このことで成功し続けるため、私は今後もみなさんの協力を必要としています。率直に申し上げます。この数週間、国民のみなさんは大きな力を貸してくださっています。我が国の最も良いところが表面化しています。このことに私は感謝しきれません。
 コロナウイルスの感染は、ドイツでもいまだに急拡大しています。この病により命を落とした方々、そのご家族とご友人に心からお悔やみを申し上げます。
 毎日数千人が新たに感染しています。つまり、新たな患者も毎日増え続けているということであり、一部の方々は病院での集中治療を必要としています。
 重症の方々を含め、まだみなさんに必要な治療をできる状態にあります。私たちは人間社会に生きています。数字ではなく、一人ひとりの尊厳が守られるべきです。
 ロバート・コッホ研究所による最新情報では、新たな感染者の増加ペースは数日前よりもわずかながら落ちてきています。ですが、これを「傾向」として結論づけるにはまだ早すぎます。いまの時点で規制を緩めることもまた、早すぎるのです。
 専門家は、要請にみなさんが従うことで、感染カーブを緩やかにすることができると言っています。私たちは、医療システムがコロナ禍という大きな負荷にきちんと対応できる状態にしておかなければなりません。
 4月1日の州首相との会議では、自粛要請ガイドラインはいったんこれまで通り、イースター休暇最終日の4月19日までとすることで一致しました。それ以降の指示は、ウイルスの拡大状況と病院への影響に大きく左右されます。
 いまは不安が募るときであることを、私もよく理解しています。みなさんの家庭、職場、そして国全体が要請によってどう変わるか、という問題ですから。政治家が簡単にみなさんの心配を取り除くことができるわけではありません。
 ですが、政府としてできることはすべてやる心づもりでいます。この数日間、ドイツでは過去最大級の財政支援策と社会保障をしています。助成金やローン、短期の休業補償に対する数え切れないほどの手続きが、なるべく官僚的ではない形で迅速にされています。


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 みなさん、覚えていてください。連邦政府はみなさんとともにあります。私たちの社会的市場経済が価値あるものだということを示すために、できることすべてに取り組んでいます。
 私たち国民全員が、このパンデミックからほぼ毎日学んでいます。科学者も、政治家も同じです。みなさんの忍耐に感謝します。
 ルールを守り、人との接触を控えてできるだけ家にいるみなさんは、それだけで能動的にいいことをしているのです。この状況下で、どうしたらほかの人の力になれるかと考えを巡らせている人も同じです。
 確かにソーシャルディスタンスは守らなければなりません。ですが、それが親しみや愛情、連帯感を示すのに妨げになることはありません。手紙を書き、電話をかけ、スカイプで話し、ほかの人の買い物を手伝い、自宅でのコンサートをネット配信することもできます。これらのすべてが、いまの時期を一緒に乗り越えていく力になります。
 “その後”は必ず訪れます。心から祝うことのできるイースター休暇はまたやってきます。「結果論」としての素晴らしい生活がいつ戻るかは、いまの私たちの手にかかっているのです。



買い占め 買い溜め 買い置き

2020-04-12 15:56:26 | 生活・教育・文化・社会
 アメリカで新ウイルスの流行が始まった初期に、ピストルの購入者が増えたという報道がありました。アメリカらしいというか、そういう国なのだと思いを巡らしました。日本ではトイレットペーパー等が棚から消えた、ということでした。
 今の「緊急事態宣言」を発出するという報道の時に「食料や生活用品などは平常通りですから、買いだめをしないように」というアナウンスをしている番組がありました。
 毎日、速報といって感染情報や感染者数の増加の放送が続くと、特別な心理状態になる人が出るのも無理からぬことでしょう。その心理が普段と違った行動に走らせることもあります。

 ところで巷で言われている「買占め」「買い溜め」とはどのよう行動の意味合いを持つのでしょうか。いずれも必要以上に買うということです。つまり余分に買うということですが、その余分がどのような意味かによって、意味合いが違ってきます。
 「買占め」は買いたい人が多くいるのに、品不足などを予測して独占的に必要以上に買い込むというでしょう。
 「買い溜め」は、余分に買うという意味でしょうが、買い物が不便なところではこのような購入行動をとらざるを得ない人もいます。
 もう一つ「買い置き」という言葉があります。特別な事態とは無関係に余分に買うことです。典型的には災害に備えての用品や保存食等の購入、備蓄といわれていることもその一つです。

 わが家はいつもこの「買い置き」をする購入行動をしています。トイレットペーパーなどの生活用品は、おそらく3~4カ月分買い置きしています。
 主な理由は、カタログを見て注文して配達してもらう、というシステムを利用しているからです。店への買い物は週1回ぐらいでしょうか。
 ただしこの購入行動は、食料に関しては冷凍が多いことと冷蔵食品が賞味期限を切れてしまうものもあります。生鮮食品はなるべく味の落ちない賞味期限に食べるようにしています。そのため冷蔵庫の食材を見ては「何をつくろうか」あるいは「何から片づけるか」といった心理状態といってもよいでしょう。
 ぼくの購入行動の利点は、カタログに一覧性(食品と用品等全体像)があるため、大きな視野から選択できます。それに全国的産地の中から選択できるため、珍しいものを食べる楽しみもあります。
 こういった「買い置き」の購入行動は、ぼくの性格も反映していると思っております。備えていると安心なのかもしれません。それを日常的にやっているのでしょう。
 ただし、日用品を買い溜めや買い置きをし、生鮮食品をつねに新鮮なものを、というのがよいのでしょう。

 「緊急事態宣言」の中で、世間と自分の購入行動のことを考えてみました。



新ウイルスとメッセージのこと

2020-04-12 14:40:36 | 身辺のこと・自然
 11時過ぎからいつもの林までウォーキングに出かけました。曇りながらも風が弱いので心地よい陽気でした。いつもよりランニングとウォーキングの人が多く見かけました。とくに家族ずれやにわかランナーと思われる人も何人か見かけました。
 学校の運動場ほどの広さのゴルフ場は、数グループの人たちがプレーをしていました。家にとどまりながら野外でからだを動かす工夫をしているのでしょうか。
 道すがらのヤマブキ、レンギョウ、サクラの花がにぎわっていました。直径700ミリ余りのケヤキが、今年も4本ほど切られました。真新しい切り口に女性が「あ、きれい」と発していました。
 ぼくはといえば、そこを通るたびに「また緑が消えていった」「どうして切ったのかな」「初秋の枝切りなどの経費削減なのかな」「ケヤキの巨木は高価なはずなのでどこへ運ばれたのかな」といったことに思いを巡らしていたのでした。

 新ウイルスという困難に立ち向かうとき、指導者のメッセージは国民を奮い立たせるかどうかが問われています。ぼくはドイツのメルケル首相の国民へのメッセージには、感動しました。メルケル首相は東ドイツ時代に物理学の研究者で大学教員でした。
 新ウイルスの初期である1月に病院の罹患者受け入れ条件を整えました。ベッドの確保医療器具衣装用品等の整備も含めて、です。そのような取り組みは、罹患者に対して死者がとても少ないことに表れています。
 ドイツについては岩波新書の『豊かさとは何か』(暉峻淑子著1989年)に北欧の福祉事情と思に紹介されていました。原発についてもソ連のチエノブイリを経験し、日本の事故後再生可能エネルギーに転換しました。
 メルケル首相の民主主義にも及ぶメッセージは、ドイツ国民の民度としても受け入れられるものなのでしょうが、ぼくが読んで感激させるぐらい普遍性のあるものです。

*このコラムは、4月12日書きかけたものを4月30日完成させてにアップしました。内容が書きかけた日のものなのでアップの日と異なります。もう少し書くつもりでしたが、未完のままでした。ぼくの場合書きかけで消えていくものが多いのですが、今回は不本意な思いを持ちながら書いた日にしてアップすることとしました。今はまとまった時間が取れない暮らしなので、書きかけのものが増えています。だんだん限られた時間内にアップできる短いコラムを書くようにしていきたい思いです。

社会的距離、ソーシャル・ディスタンス

2020-04-10 16:59:58 | 生活・教育・文化・社会
 ウィルスを拡散させないために「出かけないで家にこもっていてください。ステイホームです」と呼びかけられていますが、人間にとって人との関係を断つとはつらいことです。
 もし人と関係を持つ場合、あるいは人混みは社会的距離をとってくださいとのこと。英語でソーシャル・ディスタンスといいます。にわかに社会的距離が、ウイルス対策のため対人距離のキーワードとして、多くの人に行き渡るようになりました。しかし突然言われだした社会的距離という概念は分かりづらいです。
 人によってはフィディカル・ディスタンスとした方がよいという見解を持っている人がいます。対人距離なのでそのような表現がよいということです。医師の鎌田實氏は「離れてつながる」ということが大事ということです。対人関係を断ち切ることではなく、からだの距離をとるがつながらなければならない、とのことです。なるほど納得です。

 ところでにわかに世のキーワードになった社会距離という概念の出どころは、アメリカのE・T・ホールによる近接空間学からです。そこから一部を取り出したものなので、内容の全容を紹介します。次のように区別されています。

密接距離(0~46センチ)親密距離とも言い、ボディコンタクトが可能な距離。
私的距離(~1.22センチ)親しい関係、あるいは親しくしたい距離。
社会距離(~3.33センチ)公的空間をかろうじて保てる距離。
公共距離(~7.62センチ)お互いに直接関係を持たない距離。演劇、選挙演説会など。
 
 このように対人距離、あるいは空間の距離全体のなかでの社会距離の位置づけが分かれば、理解しやすいのではないでしょうか。
 この空間と対人距離のとり方を自分のものにすると、対人関係あるいは空間環境状況の見方や使い方など役立ちます。
 もともと家族など親しい人以外は、社会距離ぐらいの方がよいのですが、日本では公の場電車等では親密距離、私的距離が多いです。日本の生活様式からして平気ですが、人によってはそれ自体がストレスなっている場合があるでしょう。
 欧米の場合は出会い・挨拶で密接距離によって相互確認をします。そのような関係でない場合は社会距離ぐらいをとります。無関係なのに私的距離までになるとトラブルを発生させる場合があります。

 佐藤綾子著『自分をどう表現するか―パフォーマンス学入門』(講談社現代新書 95年10月初版発行)から引用しましたが、説明文はぼくが書いたものです。距離の数は、インチをセンチにしたものなのでおおよそと理解した方がよいでしょう。

ドイツ メルケル首相の国民へのメッセージ

2020-04-09 15:34:22 | 生活・教育・文化・社会
コロナウイルス対策について(2020/3/18)  
メルケル独首相の演説全文
林美佳子(ドイツ語翻訳家)

 親愛なる国民の皆様、 コロナウイルスは現在わが国の生活を劇的に変化させています。私たちが考える日常や公的生活、社会的な付き合い ― こうしたものすべてがかつてないほど試されています。
 何百万人という方々が出勤できず、子どもたちは学校あるいはまた保育所に行けず、劇場や映画館やお店は閉まっています。そして何よりも困難なことはおそらく、いつもなら当たり前の触れ合いがなくなっているということでしょう。もちろんこのような状況で私たちはみな、これからどうなるのか疑問や心配事でいっぱいです。

 私は今日このような通常とは違った方法で皆様に話しかけています。それは、この状況で連邦首相としての私を、そして連邦政府の同僚たちを何が導いているのかを皆様にお伝えしたいからです。開かれた民主主義に必要なことは、私たちが政治的決断を透明にし、説明すること、私たちの行動の根拠をできる限り示して、それを伝達することで、理解を得られるようにすることです。
 もし、市民の皆さんがこの課題を自分の課題として理解すれば、私たちはこれを乗り越えられると固く信じています。このため次のことを言わせてください。事態は深刻です。あなたも真剣に考えてください。東西ドイツ統一以来、いいえ、第二次世界大戦以来、これほど市民による一致団結した行動が重要になるような課題がわが国に降りかかってきたことはありませんでした。

 私はここで、現在のエピデミックの状況、連邦政府および各省庁がわが国のすべての人を守り、経済的、社会的、文化的な損害を押さえるための様々な措置を説明したいと思います。しかし、私は、あなたがた一人一人が必要とされている理由と、一人一人がどのような貢献をできるかについてもお伝えしたいと思います。

 エピデミックについてですが、私がここで言うことはすべて、連邦政府とロバート・コッホ研究所の専門家やその他の学者およびウイルス学者との継続審議から得られた所見です。世界中で懸命に研究が進められていますが、コロナウイルスに対する治療法もワクチンもまだありません。
 この状況が続く限り、唯一できることは、ウイルスの拡散スピードを緩和し、数か月にわたって引き延ばすことで時間を稼ぐことです。これが私たちのすべての行動の指針です。研究者がクスリとワクチンを開発するための時間です。また、発症した人ができる限りベストな条件で治療を受けられるようにするための時間でもあります。
 ドイツは素晴らしい医療システムを持っています。もしかしたら世界最高のシステムのひとつかもしれません。そのことが私たちに希望を与えています。しかし、わが国の病院も、コロナ感染の症状がひどい患者が短期間に多数入院してきたとしたら、完全に許容量を超えてしまうことでしょう。

 これは統計の抽象的な数字だけの話ではありません。お父さんであり、おじいさんであり、お母さんであり、おばあさんであり、パートナーであり、要するに生きた人たちの話です。そして私たちは、どの命もどの人も重要とする共同体です。
 私は、この機会にまず、医師として介護サービスやその他の機能でわが国の病院を始めとする医療施設で働いている方すべてに言葉を贈りたいと思います。あなた方は私たちのためにこの戦いの最前線に立っています。あなた方は最初に病人を、そして、感染の経過が場合によってどれだけ重篤なものかを目の当たりにしています。
 そして毎日改めて仕事に向かい、人のために尽くしています。あなた方の仕事は偉大です。そのことに私は心から感謝します。

 さて、重要なのは、ドイツ国内のウイルスの拡散スピードを緩やかにすることです。そして、その際、これが重要ですが、1つのことに賭けなければなりません。それは、公的生活を可能な限り制限することです。もちろん理性と判断力を持ってです。国は引き続き機能し、もちろん供給も引き続き確保されることになるからです。私たちはできる限り多くの経済活動を維持するつもりです。
 しかし、人を危険にさらす可能性のあるものすべて、個人を、また共同体を脅かす可能性のあるものすべてを今減らす必要があります。人から人への感染リスクを可能な限り抑える必要があります。

 今でもすでに制限が劇的であることは承知しています。イベント、見本市、コンサートは中止、とりあえず学校も大学も保育所も閉鎖され、遊び場でのお遊びも禁止です。
 連邦政府と各州が合意した閉鎖措置が、私たちの生活に、そして民主主義的な自己認識にどれだけ厳しく介入するか、私は承知しています。わが連邦共和国ではこうした制限はいまだかつてありませんでした。
 私は保証します。旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であるという私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではありません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです。
 このため、国境検査の厳格化と重要な隣国数か国への入国制限令が今週初めから発効しています。

 経済全体にとって、大企業も中小企業も、商店やレストラン、フリーランサーにとっても同様に、今は非常に困難な状況です。
 今後何週間かはいっそう困難になるでしょう。私は皆様に約束します。連邦政府は、経済的影響を緩和し、特に雇用を守るために可能なことをすべて行います。
 わが国の経営者も被雇用者もこの難しい試練を乗り越えられるよう、連邦政府は、必要なものをすべて投入する能力があり、またそれを実行に移す予定です。
 また、皆様は、食料品供給が常時確保されること、たとえ1日棚が空になったとしても補充されること信じて安心してください。スーパーに行くすべての方にお伝えしたいのですが、備蓄は意味があります。ちなみにそれはいつでも意味のあるものでした。けれども限度をわきまえてください。何かがもう二度と入手できないかのような買い占めは無意味ですし、つまるところ完全に連帯意識に欠けた行動です。
 ここで、普段あまり感謝されることのない人たちにもお礼を言わせてください。このような状況下で日々スーパーのレジに座っている方、商品棚を補充している方は、現在ある中でも最も困難な仕事のひとつを担っています。同胞のために尽力し、言葉通りの意味でお店の営業を維持してくださりありがとうございます。

 さて、今日私にとって最も緊急性の高いものについて申し上げます。私たちがウイルスの速すぎる拡散を阻止する効果的な手段を投入しなければ、あらゆる国の施策が無駄になってしまうでしょう。その手段とは私たち自身です。私たちの誰もが同じようにウイルスにかかる可能性があるように、今誰もが皆協力する必要があります。まず第一の協力は、今日何が重要なのかについて真剣に考えることです。パニックに陥らず、しかし、自分にはあまり関係がないなどと一瞬たりとも考えないことです。不要な人など誰もいません。私たち全員の力が必要なのです。
 私たちがどれだけ脆弱であるか、どれだけ他の人の思いやりのある行動に依存しているか、それをエピデミックは私たちに教えます。また、それはつまり、どれだけ私たちが力を合わせて行動することで自分たち自身を守り、お互いに力づけることができるかということでもあります。

 一人一人の行動が大切なのです。私たちは、ウイルスの拡散をただ受け入れるしかない運命であるわけではありません。私たちには対抗策があります。つまり、思いやりからお互いに距離を取ることです。
 ウィルス学者の助言は明確です。握手はもうしない、頻繁によく手を洗う、最低でも1.5メートル人との距離を取る、特にお年寄りは感染の危険性が高いのでほとんど接触しないのがベスト、ということです。

 こうした要求がどれだけ難しいことか私は承知しています。緊急事態の時こそお互いに近くにいたいと思うものです。私たちは好意を身体的な近さやスキンシップとして理解しています。けれども、残念ながら現在はその逆が正しいのです。これはみんなが本当に理解しなければなりません。今は、距離だけが思いやりの表現なのです。
 よかれと思ってする訪問や、不必要な旅行、こうしたことすべてが感染を意味することがあるため、現在は本当に控えるべきです。専門家がこう言うのには理由があります。おじいちゃんおばあちゃんと孫は今一緒にいてはいけない、と。
 不必要な接触を避けることで、病院で日々増え続ける感染者の世話をしているすべての方々を助けることになります。こうして命を救うのです。多くの人にとってこれはきついことでしょう。誰も一人にしないこと、声かけと希望が必要な方たちの世話をすることも重要になってきます。私たちは家族として、また社会として別の相互扶助の形を見つけるでしょう。
 今でもすでに、ウイルスとその社会的影響に対抗する創造的な形態が出てきています。今でもすでに、おじいちゃんおばあちゃんがさみしくないようにポッドキャストをするお孫さんたちがいます。
 私たちは皆、好意と友情を示す別の方法を見つけなければなりません。スカイプや電話、イーメール、あるいはまた手紙を書くなど。郵便は配達されるのですから。自分で買い物に行けないお年寄りのための近所の助け合いの素晴らしい例も今話題になっています。まだまだ多くの可能性があると私は確信しています。私たちがお互いに一人にさせないことを社会として示すことになるでしょう。
 皆様にお願いします。今後有効となる規則を遵守してください。私たちは政府として、何が修正できるか、また、何がまだ必要なのかを常に新たに審議します。
 状況は刻々と変わりますし、私たちはその中で学習能力を維持し、いつでも考え直し、他の手段で対応できるようにします。そうなればそれもご説明します。このため、皆様にお願いします。噂を信じないでください。公的機関による通達のみを信じてください。通達は多くの言語にも翻訳されます。

 私たちは民主主義社会です。私たちは強制ではなく、知識の共有と協力によって生きています。これは歴史的な課題であり、力を合わせることでしか乗り越えられません。
 私たちがこの危機を乗り越えられるということには、私はまったく疑いを持っていません。けれども、犠牲者が何人出るのか。どれだけ多くの愛する人たちを亡くすことになるのか。それは大部分私たち自身にかかっています。私たちは今、一致団結して対処できます。現在の制限を受け止め、お互いに協力し合うことができます。
 この状況は深刻であり、まだ見通しが立っていません。 それはつまり、一人一人がどれだけきちんと規則を守って実行に移すかということにも事態が左右されるということです。
 たとえ今まで一度もこのようなことを経験したことがなくても、私たちは、思いやりを持って理性的に行動し、それによって命を救うことを示さなければなりません。それは、一人一人例外なく、つまり私たち全員にかかっているのです。
 皆様、ご自愛ください、そして愛する人たちを守ってください。ありがとうございました。

【試訳終了】
 日本語の表現としていまいちなところもあるかもしれませんが、スピードを重視した結果ですので、目をつぶっていただけたらと思います。

全国津々浦々 緊急事態宣言

2020-04-08 15:06:10 | 当世世間事情
 今朝3時過ぎに新聞を取りに出たら、西の空に大きく明るい月が見えました。スーパームーンとのこと。星のない暗い空への月だけにその光は際立っていました。
 
 各世帯に2枚のマスクを配布と「宣言」してからだいぶ日が過ぎたような感じですが、わが家にはまだ届きません。感染が長期にわたるのを見越して届ける時期を選んでいるのでしょうか。
 このマスクは200憶円をかけての「大事業」なのです。この事業を「アベのマスク」というむきがありますが、なかなか良い響きの言葉です。「あべのハルカス」もあるし。もしかしたらマスクに「アベのマスク」とサインがされているかもしれませんよ。
 日本語は世界でもまれに音の少ない言語なので、語呂というか音の響きが重要ですから。笑いの多くはだじゃれであり、カレンダーの語呂合わせで記念日を定めていたりするのは、音の少ない言語だからです。
 そういえば全国学校休校を実施直前に「宣言」しました。全国の学校が準備の余裕なく休校に入りました。
 新型ウイルス対策をみえる形で早期の2つの施策は、いずれも対策の核心的なものではありません。しかし首相がよく使う言葉の「全国津々浦々」を具現化しようとしたという意味では、さぞ満足したことでしょう。
 それにしても首相の推奨する布マスクは今どこをさまよっているのでしょうか。

 昨日緊急事態宣言をだしましたが、いつものように多くの形容詞と強調する接頭語(辞)で美化と誇大の表現が多いからか、ぼくには理解が難しいです。首相の呼びかけ・演説は、その提示の仕方が人に届けるためのもののはずですが、どうも「どんなもんだい」と言わんばかり誇大自己の表現になっているようで理解しにくいのは、ぼくだけなのかもしれませんが・・・。

 経済対策は108兆円で国際的にもトップクラスと誇らしく言いましたが、いわゆる「まみず」では18.6兆円とのことです。
 飲食店など小事業者は、休業したら廃業に追い込まれます。政府からの保証・支援がなく同調圧力に追い込まれその結果については自己責任ということでは、緊急事態宣言が生活を苦しめるものとなり、またほころびも出るでしょう。

*マスクの配布にかかる費用の総額は、466憶に大幅アップしました。マスク1枚200円といわれていたのが、260円とのこと。(10日追記)