絵本と児童文学

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食の安全と賞味期限

2007-10-31 17:31:11 | 生活・教育・文化・社会
 賞味期限改ざんのJAS法違反が明るみになり、次々と菓子メーカーが業務停止をしている。たしかに消費者の望む新鮮さを売りにするために、改ざんするのは道義的によろしくない。
 それを認めつつも、JAS法違反による行政指導で業務停止、あるいは石屋製菓(白い恋人)のようになかなか業務再開できないでいるのは、腑に落ちない。赤福、御福餅などもきびしい風評にさらされるだろうし、会社の浮沈にかかわりそうにも思える。
 そもそも賞味期限は、会社の判断で決めることである。元来は食の安全を保てる目安であろうが、消費者が新鮮さを求めると踏んで、商品価値を高めるために改ざんをおこなった。
 改ざんの理由は食の安全ではなく、商品価値を上げるいわば見栄のようであり、いたって単純で、自業自得の感がある。赤福、御福餅にいたっては何十年も続けて来て、その菓子による健康被害、安全が脅かされた事例はない。赤福の手口は不愉快であるが、無駄なく利益を上げるシステムを作り上げていたのである。商品の性格に似合わず、市場を広げすぎたようでもある。老舗、つまりしきたりを大事に生産した商品を、近代的販売にしたのがうまくかみ合っていなかったのではないか。

 ところで賞味期限・消費期限をきびしく守っているのが、コンビニの弁当などである。そのため賞味期限切れを大量の廃棄をしている。これは弁当という性格上、安全を脅かす可能性もある。ところがこれが安全かというと、怪しいのである。
 90年終わりごろだろうか、ホーチミン(ベトナム)でわたしが親しくしていたベトナム人の、そのときの仕事が日本人が食べる弁当工場のチーフをしていた。その時はヒメジご飯を作っていると言い、醤油加減など覚えたといっていた。そしてその製品を日本人は家庭で毎日のように食べると想像していたようなので、コンビにの弁当の一部か、あるいは釜飯店がそのまま使うのではないか、答えた。家庭向けではないということだ。わたしは材料がどこから来るか気になって聞いたが、分からないとのことだった。
 たまたま賞味期限改ざん等のことが、JAS法にのっとりきびしく糾弾されているが、食の安全性と無関係に話題になっているのが気になる。このテーマの時にテレビのインタビューに答えている人が「不安」「安心できない」といった言葉が並ぶのである。
 食の安全の観点みると、賞味期限改ざんより産地偽装や材料が特定できない加工を加えたものの輸入品を使った食品等の方がはるかに問題を含んでいる。これらについてわたしは、たくさんの事例があると推測している。
 タイでは、日本のファミレス向けのたまねぎを作っている畑を見た。たまねぎは大量の農薬を使っているはずである。なにしろ大きさを同じものを収穫しなければならないのが大変とのことであった。そして規格外のものが畑に大量に放置されていた。タイではたまねぎは食べないとのことであった。また体育館ぐらいの大きいところで、日本人向けの焼き鳥等を10代と思われる女性労働者が流れ作業で生産していた。そこでも日本人の指示するきびしい規格に、現地の人は不思議のようであった。日本向けの東南アジアで生産されるエビなども、大量の薬が使われていることは報道されていることである。
 今気になっていることでは、ペットボトルのお茶の原料は、根拠がないがはたして日本産だろうかということである。日本産でない場合は、大量の農薬が使われている可能性がある。
 
 わたしは商品によっては賞味期限、消費期限を気にしないで、匂いと味を確かめて食することがある。たまたま胃が丈夫なのか、あるいは生育年代的に免疫力があるのかもしれない。東南アジアでも、何度も現地のものを食べても問題がない。ただし油で揚げた製品だけには敏感に反応する。原則として揚げ物は食べないようにしているが。
 またわが家は昔から食の安全に関心があり、当時少なかった低農薬のリンゴ、タマネギなど、しかるべきルートで手に入れていた。
 わたしたち消費者は、賞味期限の数字だけに目を奪われることなく、食の安全という観点で、食に関する市場を見渡す必要があるのではなかろうか。


ピアノの先生とイヌを飼う人

2007-10-30 20:39:26 | 子どもからの発見
 ふき(5歳6カ月)は、ピアノへの関心を持続している。ヤマハピアノ教室だが、1年でプライマリーのテキスト2を終了した。左手の音が加わるときが、ひとつのハードルのようである。それを通過して和音を伴った8章節の曲を弾けるようになった。
 指導内容とテキストは、さすが40年余りの歴史を経ているだけあって、よくできていると感心する。しかし3歳児から始める場合は、理解力としても無理があるようだ。親に少し音楽の心得があって自宅で援助すると、集団レッスンでものりきれるようだ。

 ふきの場合は3歳児入園まもなくから、わが家に来てはピアノに向かって幼稚園の先生のまねをして、歌いながら伴奏らしく両手で音を出していた。音はたまたま触った鍵盤の音なので演奏とは程遠いが、ふしぎとリズムをそれらしく弾くのであった。ピアノの音と合わないのに、歌は正確に歌っていた。
 2歳ごろから、歌の絵本を見ては歌ってほしいといい、歌にじっと耳を傾けることが多かった。その歌を覚えて自分でも歌う。
 ピアノ教室は、復習としてわが家で何回か弾いてレッスンに向かうようにしていて、今は楽しんでいる。今やっているロンドンばしは、メロデーを覚えたら伴奏の和音はすぐ覚えた。メロデーによって、和音を感じるようになってみたいである。ドミソ以外のソシレを「ちよっとさみしい」といっている。

 ところでばあさんを生徒に見立てて、ピアノ教室の先生のまねを一通りやっているようである。幼稚園の先生のまねも。
 そして「ふきはおおきくなったらげつようびがぴあののせんせいで、かようびとすいよいびともくようびときんようびは、いぬのおみせのひとになるの」といっている。これは曜日を覚えたことと、5歳ぐらいまでありがちな奔放な想像を披露しているのだろう。まだ幼児期ならではの、大人から見たら面白い発想を日々してくれて楽しい。
 ところでイヌが好きなので、イヌのぬいぐるみをいくつか集めているが、本物を飼いたくてたびたびせがまれる。ペットショップに止まってといったので立ち寄ったら、しばらく食い下がられた。
 散歩とか大変なんだからといった話をすると、先日は「ちずをかいてくれたらさんぽはできるから」といって真に迫った懇願であった。

 夕方5時過ぎに、近くのゴードン(アメリカ人)さんから声をかけられ、近所の友だちと仮装をして出かけた。ゴードンさん手作りのケーキをもらってきたようだ。

証人喚問から

2007-10-29 21:57:13 | 生活・教育・文化・社会
 防衛省の事務次官を4年務めて君臨していた守屋の、種々の疑惑解明のための証人喚問が13時からあった。関心事ではあったが、集中してみるほどではないと思い新聞を整理しながら、主として守屋のノンバーバルから心のうちを読み取ろうという観点で見た。
 いたって無表情なのだが、冒頭は頻繁に瞬きをしていた。これは緊張に対してする適応動作であった。一般的にするはずの眉と目での表情は乏しく、しかも唇もいたって平凡だった。大物官僚だけあって動じない態度で、簡単に読みとれる表現をしなかった。
 これは「接待」についてはしゃべる、という方針で臨んだことも態度に反映していたのだろう。「便宜供与」の内容になったら、言葉を選ぶためにテンポがゆっくりになったし「えー」といったつなぎの言葉が多くなった。これらは話を構成しようとしていたからだ。
 便宜供与の疑惑を否定するときは、きっぱりと言い切った。これはむしろ、あらかじめ便宜供与のガードを硬くする方針だったことが読み取れた。
 質問する側が、メディアで話題になっている程度の淡白なものだったため、守屋の想定内であり動揺を誘うことはできなかった。
 たとえば宴席に政治家が同席したに対して、仮に回答が得られないとしても、「なぜ名前をいえないのか」「どんな内容が話されたのか」といった、畳み掛けるようにもっていけば、次の課題がもう少し明らかになったと思ったが、残念であった。
 この問題は便宜供与については、贈収賄事件あるいは政治家も巻き込んだ疑獄事件になる可能性をはらんでいるようだ。

 厚労省・社保庁、血液製剤の厚労省、防衛省など政府・官僚の劣化振りは目を覆うばかりである。

台風の後の晴天

2007-10-28 21:14:38 | 身辺のこと・自然
 金曜日は小雨続きで、昨日は強い雨の1日だった。夕方台風20号が、高速道路を走行するぐらいの速さで通過した。
 今日は朝から晴天で、強風でたくさん落ちた落ち葉をはいたり、池のモーターを掃除したりした。キンカンの木の下に大きなキノコが3つ姿を現した。小人の国にあるキノコのようで、しばし眺めたのだった。
 テニスをやったが、週1回の激しい運動なので体の負担は少なくない。時には昼寝をするし、ぬるめの風呂に1時間ぐらい入ると次の日まで疲労を残さない。テニス以外にウオーキングかランニングをすればいいのだが、時間の余裕はない暮らしである。

 駅の商店街では、ハロウィンのスタンプラリーのイベントをやったようだ。

オリンピック出場危ない

2007-10-18 14:02:57 | サッカー
 深夜に起きて、オリンピック最終予選C組、アウェーでのカタール戦をテレビ朝日系で見た。コンデションは、気温30℃、湿度70%であった。
 ファーストハーフは、スピードに乗ったパスがよく繋がり、日本ペースで進んだ。40分過ぎにフリーキックから青山(エスパルス)が得点をした。
 セカンドハーフは家永(ガンバ)を投入したりして優位に進んだが、31分過ぎゴール前での混戦のこぼれ球をカタールの選手がヒールで入れて得点を許し、同点になった。カタール選手も疲労したようであったが、その後はたびたび日本のゾーンあるいはペナルティエリア付近でのフリーキックを許した。GKの山本(エスパルス)の好セーブもあり、しのいだ。ところがロスタイムにハンドでPKを与え、1-2で敗れてしまったのだった。
 運動量で勝っていた日本だが、それ以上にカタールの勝利への執念が上回っていたということか。PKになったハンドも、フリーキックを許していた流れの中のプレーと思える。
 日本はカタールと並んで勝ち点7となり、得点差1で2位となった。オリンピック出場枠はC組から1なので、カタールが残り2勝したと仮定すれば、日本は後2試合(ベトナム、サウジ)を2得点差ぐらいで勝利しなければならないだろう。
 日本はヨーロッパなどと違ってオリンピックの位置づけが高いので、もし出場出来ないでとなったら、日本サッカーの痛手は計り知れない。出場の望みをつないで2試合を勝ち抜くしかない。ベトナム戦は11月17日アウェーで、サウジ戦が11月21日ホームである。

「ライスショック」が告げる日本のコメ危機

2007-10-16 15:54:26 | 生活・教育・文化・社会
 NHKテレビは、14日(日)と15日(月)の2夜連続で、「NHKスペシャル・ライスショック」を放送した。1回目「あなたの主食は誰がつくる」、2回目「危機にたつ米農家」であった。
 コメをめぐってのわたしが思い浮かぶことは、消費が減っている、日本米を中国の富裕層向けに輸出する、農地の大規模化政策を進めている、農家の高齢化と後継者不足、外国産のコメあるいはそれを使ったものを食べている、国際競争にさらされる、食糧自給率の低下、といったことだ。

 アメリカ、中国の国営農場が、あきたこまちやこしひかりといった日本人の嗜好に合わせた主食であるコメを生産し、軌道に乗せていることに驚いた。当然のことながら日本市場への参入のためである。価格が日本産の30%ぐらいとのこと。低価格に目をつけて、弁当会社など触手を動かしているとのことだ。やがて外食産業や家庭でも食べることになる可能性があるのだろう。
 現在の食糧自給率(カロリーベースで)が39%であり、食糧安全保障という観点、あるいは国の産業の多様さや文化のあり方として、容認できることだろうか。

 今年はJAの買い取り価格の大幅値下げで、農家が立ち行かなくなるといわれている。耕作放置田が増える、家畜の飼料米あるいは他の作物への転作も進んでいる。

 価格の国際競争力のために耕地面積の大規模化(15ヘクタール以上)を進めているが、昔から続いている自営業的農家を共同化(会社)することは困難がともない、しかも補助金つきでそれに投資した財政の回収は実際難しい。懸命に働いても報われない、カネと共に人間としての誇りも投げ捨てなければならない状況におかれている。主食のコメを市場原理だけに委ねていいはずはない。

 日本の上質なコメを、台湾の富裕層向けの輸出が試みられようとしている。しかしコメの輸入完全自由化をした台湾の農村の疲弊と荒廃は無残なものであった。それは政府の農業政策を進行させると、日本の農業の将来を暗示しているようであった。

 このような状況に対してのコメンテーターが3人登場したが、そのうちの一人の本間正義(東大)は、経済のグローバル化にともないコメは、野菜の一部になるのだとまで言い切っていた。農業経済専攻とのことだが、コメを市場原理のみでとらえるのにいささか驚いた。内閣府経済財政諮問会議など3つの政府の諮問委員をしているが、わたしには挑発的暴論に聞こえた。
 コメは優れた主食であるあるとともに、日本の歴史と文化に根ざしているものだ。コメにまつわる慣わしや祭りなど、わたしたちの暮らしとも不可分なものである。
 もうひとりの人は、食料自給率は低くなっても70%は維持しなければならないとしていた。内橋克人は、10~30社ほどの製造業で外貨を獲得し、そのカネでコメを買うことがいつまで続けられるのか。それに外国のコメによって日本の国土や文化を崩していくのでよいのだろうか、と現在進行している農業政策に疑問を投げかけていた。

 この番組を通して、コメに関してわたしの思い浮かぶことが統合化されて、日本にとって重大なことが進行していることが、映像がゆえに臨場感を持ち理解できた。 
 今週の土曜日(20日)は「日本の、これから」で「口にする食べ物どこでつくられたか知っていますか」というタイトルで討論番組がある。

季節は移る

2007-10-14 15:37:48 | 身辺のこと・自然
 庭のノハギにシジミチョウが飛び交うのを見てのんびりした気分を味わって、残暑がいつまでも残っていると思っていたら、このところ季節が移っているのを実感する。キンモクセイの香りが漂い、ホトトギスが咲き、今年からは庭に仲間入りしたジュズダマが色づき始めた。ムラサキシキブが今年は花が咲かず、実を愛でることができない。
 今年は残暑が長かったので、ここ関東の都市部では落葉が12月になるのではないかとも言われている。年末のあわただしいとき落ち葉はきをするのを想像している。
 近所のゴードンさんの家は、昨年のようにハロウィンの飾り付けを盛大にした。街のデパートや駅ビルの店もそのグッズが陳列されている。10月も後2週間あまりである。去年より早いが、来年の手帳を購入した。まったく時がたつのが早いものだ。

 昨日に続いて今日もテニスをした。涼しく曇りというテニスには良い天候である。先週は1週間あけてやったら、体の負担が大きく感じた。週1回はやり続けねば、といったところだ。
 わたしがレギュラーにしている時間のコーチが変わった。現在のテニススクールでは、10人目のコーチである。わたしの仕事柄コーチの指導の仕方が気になる。今度のコーチは、わたしのプレーの特徴を診断し、課題を提示するので納得できる。親切心のせいか提示することがたくさんなので、「そんなにこなせない」と思いつつうなずき、コーチがやりやすいような「生徒」にしている。
 やるメニューは決まっているので同じメニューだが、当然のことだがコーチによって指導が異なる。若いさまざまなコーチと出会っているが、くたびれてきてミスが続くと「集中」などといわれると困ってしまう。そんな時練習のテンポを遅くしたり、クールダウンのメニューにしたり、呼吸法を教えてくれるコーチとも出会った。わたしはそんなコーチからは、テニス以外のことも学ぼうとしたのだった。

駆け足もままならない住宅街

2007-10-13 14:29:52 | 子どもからの発見
 海がかなりの距離を走ったとみえて、家に着いた時は息せきっていた。その表情には、冒険を終えたような満足感を漂わせていた。学校で運動会の取り組み中のせいか、駆け出したくなったのだろう。一緒だった歩いている妹らに対する優位の気持ちも、あるようだった。近くの林に出かけて帰ってきた時のことだった。
 駆けて来た海に対して、危険なのにだいじょうぶだったのだと思った。子どもの運動としてはそのぐらいのかけっこは日常茶飯事であってほしいというのと、その行動が安全とは限らない所にすんでいる現実である。つい「自転車とかにぶつからなくてよかったね」と言ってしまった。

 海の住まい取り巻く空間は、大都市の街から続いた住宅街である。住宅地になって、おそらく30年余りと思われる。徒歩15分ぐらい四方には、この地の歴史を刻んでいるだろう神社などはない。住宅地として開発したので、空間として必要な余裕の場所がない。
 バス通りから入ったところにあり、家の前の道は余り車が通らないので道路で遊ぶことは可能である。隣近所は、子どもが家を離れて住んでいるだろうた高齢者が住んでいるため、普段は静かだ。住宅街に人の声が聞こえるとすれば、海とふきが遊んでいるときだ。自転車に乗ったりサッカーをしたり道に蝋石で書いたりして遊ぶ。
 活動目的があるときは、近くにある3つの公園を使い分けてそこへ行く。林の空間が3つあるので、そこでわずかな四季の変化を感じることができる。先日はどんぐり拾いをしてきた。
 わたしから見れば、人間が住むというだけで作られた空間は窮屈とも思えるが、都市での暮らしでは致し方ない。駆けることも許されることではないのだから。道路での行動で危険なことは、車と自転車である。車よりは自転車が危険である。曲がり角を減速しないで走る人が多いのである。

 海は、夏休み頃から親と一緒に自転車で出かけるようになった。徐々に距離を伸ばし、最近は街まで出かけるようになった。本人は歩くより自転車に乗りたいので、満足である。近くに子どもがいないので、下校後友達と遊ぶことはない。子どもが自分で友達と行き来するのは、3年ぐらいからだろうか。

デパートのおもちゃ売り場

2007-10-08 17:14:39 | 子ども・子育て・保育
 何年ぶりだろうか、デパートのおもちゃ売り場を見た。狭いながらも中央に「キッズランド」と表示し子どもの遊び場があった。大人が2ぐらい何かできる3段ぐらいの高いステージがあって、周りにベンチが4つほどあり、そこの空間は4坪あるだろうかといったところだ。その空間には遊具といったものが用意されていないので、天井に設置してあるトンネルをくぐって遊んでいる。広場といった空間だが、サイズからしたら「侠場」といってもよいほどだ。
 以前も天井のトンネルに付帯して必要なだけの空間があったが、遊び場という位置づけではなかったようだ。
 この中央の空間を取り巻くようにおもちゃ売り場がある。以前は高額な木製のものやヨーロッパ製のおもちゃが多かったが、今は平凡なキャラクターものが目に付いた。おもちゃの量販店と、どのように差異化をはかっているのだろうか。
 このおもちゃ売り場の外側には、子ども向けのブランド物の衣類などの店があった。その値段は、どのような人が買えるのだろうと思うようなものであった。
 衣類売り場は、以前は同じフロアーでありながらおもちゃ売り場と垣根を作っていたが、今は連続しているような設営にしていた。
 おもちゃ売り場が商品の展示だけではなく、子どもの行動を提供し、衣類なども用意する空間に変化したのだ。長くなったトンネルを、大勢の子どもがくぐる歓声が耳に残った。

示威運動で真実を取り戻す-教科書「集団自決の軍強制」削除問題

2007-10-04 15:12:01 | 生活・教育・文化・社会
 29日(土)でおこなわれた、集団自決の軍強制を教科書からの削除に反対する、11万人の沖縄県民集会を、30日(日)に各紙が報じた。
 朝日新聞は、1面トップで5段見出しと3段写真で報じた。見出しは、
沖縄11万人検定撤回を 
集団自決の軍強制削除
県民大会記述復活を決議
として、キーワードで「集団自決」をめぐる教科書検定問題、という解説もついていた。さらに2面の時時刻刻欄では、半分を割いて集団自決の事実、教科書検定や政界の動向など踏み込んで詳細に報じた。この記事を読めばおおよそ内容が理解できる。
 毎日新聞は、1面の2番目の扱いで、3段見出しと写真も掲載した。見出しは、
抗議大会11万人
教科書検定「集団自決」
であった。トップが国連特使ミャンマーへ、を扱った。
 読売新聞は、38面(社会)に、
教科書検定
島ぐるみ抗議
県民大会11万人撤回宣言
という見出しで、抗議大会のニュースとして扱い教科書記述問題に立ち入っていない。写真は他の2社が航空写真で11万人というボリュームを感じさせるのに対し、参加者の1部を切り取るものであった。ちなみに1面は軍政デモ弾圧、とミャンマー情勢であった。
 このように報道の仕方を比較すると、各社の主張を読み取ることができる。朝日新聞は沖縄県民一致しての11万人の真実を訴える示威行動が、教科書検定という政府の教育政策の変更を求めるものとしてあつかっていた。
 2日(火)の朝日新聞は、1面トップに教科書検定に対する文科省と政府の動きを報じた。タイトルは5段見出しで、 自決強制の記述対応検討 文科相「沖縄の心情重い」 とした。
 その後の報道によると、沖縄県知事が文科省に要請書を提出した。文科省としても訂正の方向で検討に入った。政治的圧力で書き換えるというかたちをとらないように、執筆者、教科書会社もその方向で動きを開始した。

 住民の示威行動が、政府を動かすということが消えて久しい。沖縄の大会によって、住民民主主義が失せていないという思いをした。もっともそれだけ沖縄の人たちの戦争体験というのは、悲惨で今日にも誰もが共通認識に立てる重たさを持っているということでもある。
 このようなことは、安倍政権下ではどうなっていただろう。おそらく無視し続けたのではないかと、推測する。
 そもそも集団自決の軍強制削除が、安倍政権下で起きてきた教育の政治問題化である。安倍が官房副長官時代から、山谷らによって男女共同参画はバックラッシュが吹き荒れジェンダーフリーの言葉使用禁止や、さては「男女共同参画社会基本法」の空洞化ももくろまれている。安部政権では「美しい国路線」による教育再生会議による教育への政治支配があからさまにおこなわれるようになったのである。戦後民主主義の象徴である教育基本法の改訂を行った。
 その点参院の民主党第1という政治状況は、与党の横暴を許さない拮抗関係によって、政治が不安定化するのではなく国民に耳を傾けようとする政策をめぐっての論争になるので、政治が見えやすくなった。

 わたしは70年代半ばから80年代初頭にかけて、様々なグループで5回沖縄を訪ねた。すべて戦跡をつぶさにたどるものであった。人骨が残っているガマに入ったり、戦時体験をした人の話も聞いた。そのときは日本軍のとった行動を、集団自決の軍強制だけでなく様々聞いたので、軍は最終的に国民を守るとは限らないという認識を今も強く持つに至っているのである。

 今日は暑さがぶり返してきたので、25度を越えているようである。このところ初夏から夏の果物と思っていた長野産のネクタリンたべた。これがなんともおいしいのである。カイジといったブドウと同じ季節に食べた経験は初めてである。