賞味期限改ざんのJAS法違反が明るみになり、次々と菓子メーカーが業務停止をしている。たしかに消費者の望む新鮮さを売りにするために、改ざんするのは道義的によろしくない。
それを認めつつも、JAS法違反による行政指導で業務停止、あるいは石屋製菓(白い恋人)のようになかなか業務再開できないでいるのは、腑に落ちない。赤福、御福餅などもきびしい風評にさらされるだろうし、会社の浮沈にかかわりそうにも思える。
そもそも賞味期限は、会社の判断で決めることである。元来は食の安全を保てる目安であろうが、消費者が新鮮さを求めると踏んで、商品価値を高めるために改ざんをおこなった。
改ざんの理由は食の安全ではなく、商品価値を上げるいわば見栄のようであり、いたって単純で、自業自得の感がある。赤福、御福餅にいたっては何十年も続けて来て、その菓子による健康被害、安全が脅かされた事例はない。赤福の手口は不愉快であるが、無駄なく利益を上げるシステムを作り上げていたのである。商品の性格に似合わず、市場を広げすぎたようでもある。老舗、つまりしきたりを大事に生産した商品を、近代的販売にしたのがうまくかみ合っていなかったのではないか。
ところで賞味期限・消費期限をきびしく守っているのが、コンビニの弁当などである。そのため賞味期限切れを大量の廃棄をしている。これは弁当という性格上、安全を脅かす可能性もある。ところがこれが安全かというと、怪しいのである。
90年終わりごろだろうか、ホーチミン(ベトナム)でわたしが親しくしていたベトナム人の、そのときの仕事が日本人が食べる弁当工場のチーフをしていた。その時はヒメジご飯を作っていると言い、醤油加減など覚えたといっていた。そしてその製品を日本人は家庭で毎日のように食べると想像していたようなので、コンビにの弁当の一部か、あるいは釜飯店がそのまま使うのではないか、答えた。家庭向けではないということだ。わたしは材料がどこから来るか気になって聞いたが、分からないとのことだった。
たまたま賞味期限改ざん等のことが、JAS法にのっとりきびしく糾弾されているが、食の安全性と無関係に話題になっているのが気になる。このテーマの時にテレビのインタビューに答えている人が「不安」「安心できない」といった言葉が並ぶのである。
食の安全の観点みると、賞味期限改ざんより産地偽装や材料が特定できない加工を加えたものの輸入品を使った食品等の方がはるかに問題を含んでいる。これらについてわたしは、たくさんの事例があると推測している。
タイでは、日本のファミレス向けのたまねぎを作っている畑を見た。たまねぎは大量の農薬を使っているはずである。なにしろ大きさを同じものを収穫しなければならないのが大変とのことであった。そして規格外のものが畑に大量に放置されていた。タイではたまねぎは食べないとのことであった。また体育館ぐらいの大きいところで、日本人向けの焼き鳥等を10代と思われる女性労働者が流れ作業で生産していた。そこでも日本人の指示するきびしい規格に、現地の人は不思議のようであった。日本向けの東南アジアで生産されるエビなども、大量の薬が使われていることは報道されていることである。
今気になっていることでは、ペットボトルのお茶の原料は、根拠がないがはたして日本産だろうかということである。日本産でない場合は、大量の農薬が使われている可能性がある。
わたしは商品によっては賞味期限、消費期限を気にしないで、匂いと味を確かめて食することがある。たまたま胃が丈夫なのか、あるいは生育年代的に免疫力があるのかもしれない。東南アジアでも、何度も現地のものを食べても問題がない。ただし油で揚げた製品だけには敏感に反応する。原則として揚げ物は食べないようにしているが。
またわが家は昔から食の安全に関心があり、当時少なかった低農薬のリンゴ、タマネギなど、しかるべきルートで手に入れていた。
わたしたち消費者は、賞味期限の数字だけに目を奪われることなく、食の安全という観点で、食に関する市場を見渡す必要があるのではなかろうか。
それを認めつつも、JAS法違反による行政指導で業務停止、あるいは石屋製菓(白い恋人)のようになかなか業務再開できないでいるのは、腑に落ちない。赤福、御福餅などもきびしい風評にさらされるだろうし、会社の浮沈にかかわりそうにも思える。
そもそも賞味期限は、会社の判断で決めることである。元来は食の安全を保てる目安であろうが、消費者が新鮮さを求めると踏んで、商品価値を高めるために改ざんをおこなった。
改ざんの理由は食の安全ではなく、商品価値を上げるいわば見栄のようであり、いたって単純で、自業自得の感がある。赤福、御福餅にいたっては何十年も続けて来て、その菓子による健康被害、安全が脅かされた事例はない。赤福の手口は不愉快であるが、無駄なく利益を上げるシステムを作り上げていたのである。商品の性格に似合わず、市場を広げすぎたようでもある。老舗、つまりしきたりを大事に生産した商品を、近代的販売にしたのがうまくかみ合っていなかったのではないか。
ところで賞味期限・消費期限をきびしく守っているのが、コンビニの弁当などである。そのため賞味期限切れを大量の廃棄をしている。これは弁当という性格上、安全を脅かす可能性もある。ところがこれが安全かというと、怪しいのである。
90年終わりごろだろうか、ホーチミン(ベトナム)でわたしが親しくしていたベトナム人の、そのときの仕事が日本人が食べる弁当工場のチーフをしていた。その時はヒメジご飯を作っていると言い、醤油加減など覚えたといっていた。そしてその製品を日本人は家庭で毎日のように食べると想像していたようなので、コンビにの弁当の一部か、あるいは釜飯店がそのまま使うのではないか、答えた。家庭向けではないということだ。わたしは材料がどこから来るか気になって聞いたが、分からないとのことだった。
たまたま賞味期限改ざん等のことが、JAS法にのっとりきびしく糾弾されているが、食の安全性と無関係に話題になっているのが気になる。このテーマの時にテレビのインタビューに答えている人が「不安」「安心できない」といった言葉が並ぶのである。
食の安全の観点みると、賞味期限改ざんより産地偽装や材料が特定できない加工を加えたものの輸入品を使った食品等の方がはるかに問題を含んでいる。これらについてわたしは、たくさんの事例があると推測している。
タイでは、日本のファミレス向けのたまねぎを作っている畑を見た。たまねぎは大量の農薬を使っているはずである。なにしろ大きさを同じものを収穫しなければならないのが大変とのことであった。そして規格外のものが畑に大量に放置されていた。タイではたまねぎは食べないとのことであった。また体育館ぐらいの大きいところで、日本人向けの焼き鳥等を10代と思われる女性労働者が流れ作業で生産していた。そこでも日本人の指示するきびしい規格に、現地の人は不思議のようであった。日本向けの東南アジアで生産されるエビなども、大量の薬が使われていることは報道されていることである。
今気になっていることでは、ペットボトルのお茶の原料は、根拠がないがはたして日本産だろうかということである。日本産でない場合は、大量の農薬が使われている可能性がある。
わたしは商品によっては賞味期限、消費期限を気にしないで、匂いと味を確かめて食することがある。たまたま胃が丈夫なのか、あるいは生育年代的に免疫力があるのかもしれない。東南アジアでも、何度も現地のものを食べても問題がない。ただし油で揚げた製品だけには敏感に反応する。原則として揚げ物は食べないようにしているが。
またわが家は昔から食の安全に関心があり、当時少なかった低農薬のリンゴ、タマネギなど、しかるべきルートで手に入れていた。
わたしたち消費者は、賞味期限の数字だけに目を奪われることなく、食の安全という観点で、食に関する市場を見渡す必要があるのではなかろうか。