絵本と児童文学

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なお惜しまれているSMAP

2016-12-30 17:52:08 | 当世世間事情
 朝刊に8ページを使かった名前が連ねた広告があった。最初は意味が理解できなく、同じ広告に大量の紙面を使うことが不思議だった。そんな謎めいた広告の全体を読んだ。「SMAP応援プロジェクト」とのタイトルで、スマップが進めていた東日本大震災支援に賛同しつつ同時にスマップを応援する趣旨だ。解散を惜しみつつ願わくば再びスマップがみられることへの祈りのようにも思えた。
 解散を記念して発売した「25周年記念アルバム」が短期間に67万枚売り上げて、1週間の広告募金に13000人が寄せたとのことだ。金額はぼくの推定では500万円を超えただろう。
 こんなに惜しまれながらの解散なのだが、SMAPそのものが多くの人の心にあり続けたのだろう。そして解散は芸能界を揺るがす一大事なのだ。ぼくはこのようなことは全く知らなかった。だいたい「紅白」を見たことがないんだからな・・・。

■ 高校サッカー始まる
 高校サッカーが始まった。第1試合が野洲-関東一なので見た。野洲のサッカーにかねてから関心を持っているから。予想通り野洲がすぐれたテクニックで終始圧倒した。
 ペナルティエリアのデェフエンスが密集しているところをかいくぐってシュートまで持ち込む、エキサイティングで面白いサッカーをしていた。期待通りで久しぶりに高校サッカーを楽しんだ。
 結果は関東一のペナルティエリアでの反則でPK。それ決めて、そのまま0-1で関東一が勝った。野洲が勝ち残って面白いサッカーをもっと見たかったが、残念だった。シュート数は野洲が16本で、関東一が3本(PKも含む)。
 野洲はドリブルなど優れているがパスでピッチ全体を展開することが少ないし、縦への攻撃でも単独で長いドリブルをすることが多い。それに対する対策を立てて、さらに慣れてくるとデェフエンスをしやすくなる。パスを使うことと合わせると勝てるサッカーになると思った。

イチローの言葉

2016-12-29 17:47:03 | 生活・教育・文化・社会
 今朝は1℃で1日中寒かった。サッカーの天皇杯準決勝を見た。鹿島-横浜マは、2-0で鹿島。横浜マが試合を優位に進めながら、硬いデェフエンスに阻まれ得点できなかった。鹿島はわずかなチャンスに得点する。塩崎の見事なダイレクトのクロスにヘッドて得点するのは防ぎようがない。追加点も塩崎のダイレクトクロスからのもの。
 川崎―大宮は1-0。大宮が圧倒的に試合を支配していたが得点できなかった。わずかなチャンスに終了間際に川崎が決めた。試合結果と異なる強い大宮、不調な川崎を見た。
 元日の決勝は鹿島―川崎となった。ベストメンバーを組めなく疲労が残っている鹿島だが、今日見た感じでは、川崎は勝てそうにない。試合会場が吹田スタジアムとは・・・。

 

 先々週話題になったことだが、イチローが出身地豊山町で自らが主宰する少年野球大会で子どもにに告げた言葉は、スポーツ界で言われつつけている言葉とは異彩を放つものとして記録しておきたい。

 人との比較でなく、自分の中でちょっとだけ頑張った。そのことを続けていくと、将来思ってもいなかった自分になっている。

 地道な努力を続ける、他人をかき分ける競争でなく自分自身を問い続けること、といったメッセージだ。
 このような言葉は、氏のプレースタイルを子どもに伝えているとも思える。打撃ではアベレージではなくヒット数を重視する、軽く見られがちだがヒットを繰り返し、走力を使い内野安打と時にはバンとヒットと積み上げていく。ビーム弾とも比喩される外野からの本塁送球。ホームランが称賛される豪快なアメリカ野球へ問題提起をしているようなもの。野球の幅広い面白さを提案しているようでもあるのだ。

 イチローの言葉は、野球だけでなく進路選択や生きるかまえにも必要な普遍性を持っている、珠玉の言葉ではないだろうか。本来は学校の教室や家庭でこそ言われ続けられることだ。
 とかくスポーツは「夢を持ちあきらめないとかなう」あるいは「結果を残すために頑張る」といわれがちだ。ぼくは夢をあきらめない」という言葉は、酷な言葉だと思っている。成功者に似合っている言葉であり、かつ成功者が言いがちなのだ。
 スポーツ界全体では、圧倒的に敗者になるのだ。頂点だけを目指して成功しない場合のフォローは、当人だけではなく周囲のものをも重要なのだ。スポーツ界だけではなく、自分の能力の診断と進路が問われた時にこそ力になる言葉、生き方こそ子どもたちに必要ではないか。

 イチローは野球に関心のある人は知られている。野球の業績だけではなく、寡黙にアスリートとしての生き方に、ぼくは敬意を持っている。氏のアスリートとしての歩みと生き方が反映されている言葉として重みがあり、今日の日本の子どもたちに必要な言葉ではないだろうか。
 言葉は告げる対象や状況によっても発することは異なるだろうが、自分の主宰する大会の子どもたちに、親近感と親身になって話している様子も描け、かつ普遍性を持っている。
 オリンピックの勝利者、イタリアでプレーしているサッカー選手などが子ともに告げる「夢を持つ」という言葉は、長年の努力がかなった確信から発せられるのだろうが、途上の子どもたちにどのぐらい力を持つ言葉なのだろうか、と思うのだ。

 ああそうだ、また思い出した。「ナンバーワンでなく、オンリーワン」ということ。グループの解散等についてはぼくは疎いのだが、多くの人に惜しまれている。40代になってアイドルグループであり続けるのは難しいことなのだろう、ぐらいしか思いつかないのだが・・・。

オスプレイ事故

2016-12-28 15:10:24 | 生活・教育・文化・社会
 先々週、沖縄の辺野古海岸にオスプレイが墜落した。米軍と政府は不時着と発表した。これが事故の公式名称となる。米軍最高責任者は不時着して被害を及ぼさなかったころを、記者会見で誇って見せた。
 オスプレイはこれまで墜落事故を数々起こしているが、今回は操縦者が緊急脱出して無事だったとはいえ、不時着とは無理があるのではないか。損傷機体による原因究明が日本側ができないので謎だが、空中給油に失敗したことだ。最後まで操縦をコントロールができていたら不時着だろうが、緊急脱出ではわからない。
 この件が時間がたって、最近では「オスプレイ事故」といっている。確かに事故に違いないが、内容を表現していない。事故後日の浅い時に「ニュース23」キャスターの星さんが首相インタビューの際「実質的墜落」と表現していた。べテランジャーナリストならではの内容のわかる表現だったので、腑に落ちた。

 事件の名称の件を考えてみる。相模原市にある神奈川県の障碍者施設のやまゆり園でおきた、殺傷事件についてである。
 当初は「障害者施設殺傷」が多かった。駅で買って時々読む『神奈川新聞』では「やまゆり園殺傷事件」である。全国紙の神奈川版でも同じである。ところが事件から1週間ぐらいたったと思ったら「相模原事件」、あるいは「相模原殺傷事件」が多くなった。
 新聞等で短く表現しなければならない場合、どうしても内容ではなく地名に集約するようだ。
 過去の例では、「松川事件」(鉄道事故)、「志布志事件」(選挙違反、長年の裁判で無罪)など。
 「連続殺人事件」(永山則夫が殺人を犯し死刑執行)、「世田谷一家殺人」などは長いが内容が分かりやすい。また「袴田事件」と事件を犯したとされる人名が使われた場合もある。これは死刑が確定したが冤罪で長年拘束されたうえ釈放。「3億円事件」「グリコ森永事件」「地下鉄サリン事件」「オウム事件」「一連のオウム事件」と思いつくまま書き綴ると、事件呼称にはとくに法則があるわけではないようだ。
  

FIFAランキングー日本45位

2016-12-27 11:07:07 | サッカー
 12月のFIFAランキングが発表された。一喜一憂することもないが、国際動向の資料になる。

■ 男子
 ①アルゼンチン
 ②ブラジル
 ③ドイツ
 ④チリ
 ⑤ベルギー
 ⑥コロンビア
 ⑦フランス
 ⑧ポルトガル
 ⑨ウルグアイ
 ⑩スペイン

<アジア>
 ㉙イラン
 ㊲韓国
 ㊺日本
 ㊼オーストラリア
 54サウジアラビア
 62ウズベキスタン
 64UAE

<東南アジア>
 120フィリピン
 126タイ
 134ベトナム
 159ミヤンマー
 161マレーシア
 165シンガポール

■ 女子
 ①アメリカ
 ②ドイツ
 ③フランス
 ④カナダ
 ⑤イングランド
 ⑥オーストラリア
 ⑦日本

<アジア>
 ⑩北朝鮮
 ⑬中国
 ⑱韓国
 ㉚タイ
 ㉜ベトナム
 ㊴台湾 


 11月下旬から行われていた東南アジア大会(スズキカップ)は、1位タイ、2位インドネシア、3位ベトナムとなった。タイはW杯最終予選で戦っているように、東南アジアではトップをキープし続けている。リーグには日本の選手が2桁はおり、監督やコーチもしている人もいる。
 ベトナムは来年のU20のW杯に出場を決めたように力をつけてきている。東南アジアはサッカーが盛んでほとんどの国がプロリーグを持っている。日本の協会が支援をしており、日本のいくつかのクラブが提携を結んで若手を中心にしたチームを編成して、テストマッチや大会に出場したりしている。
   
 *「ベトナムフットボールダイジェスト」から引用した。

テニスのこと

2016-12-26 20:15:22 | シニアの暮らし-過去と今と
 昨日まで1週間ぐらい暖かだったが、今日からこの時期の気候になった。北海道は50年ぶりの大雪。飛行機が飛べなくて2日間飛行場待合室で足止めの人もいるとのことだ。
 鳥インフルエンザがいくつかの地域で流行し、大量の処分をし流行拡大を防いでいる。ノロウィルスが何件か発生しているとのこと。

 テニスはコーチの入れ替えがよくある。テニスのコーチは、他のスポーツのコーチと違って、レッスン生とプレーを共にする場合が多い。レッスンを受ける人は様々な目的を持っている。ジュニアーは技術向上が目的だし、シニアはテニスという文化を楽しみながら運動体験をする、といったことだろうか。楽しむためには技術の向上が底流になければならないだろうが、それに比重をかけすぎると苦痛体験となってしまう場合もある。

 今のあるコーチはジュニア対象のように基礎技術のメニューを提示する。長い間やっている高齢者は何らかの癖があるものだ。
 ぼくの場合は「脊柱管狭窄」という腰の病を抱えている。そのためそこをかばって、足を広げて腰の回転を使わず腕で撃つようにしている。それにひざを痛めているのでかばうため走らない。ということはテニスをやるには無理があるのだ。
 腰は、整形外科のリハビリをやめて毎日ストレッチで症状が顕在化しないでいる。脊柱管狭窄も何とか収まっている。腕のしびれを感じながら、もっぱらウオーキングとストレッチでしのいでいる。
 そんなぼくがコーチの提示するストロークの基礎のメニューをやる。これまで主として腕だけで打っていた変則フォームをやめて、横に構えて足の体重移動をして腰をひねって打つことを迫られた。今のところからだの異変はなく、プレーは向上したようだ。しかしからだの故障を気にかけている。
 先日はフォアストロークを「ラケットを少し引いてから打つように」といわれて実行した。するとコーチや相手する人が「ボールの威力がすごくなった」と言われる。同じぐらいのレベルの男性にしか使わないようにしているが、からだの故障を気にかけながらだ。
 プレイ中のランニングもするようになった。今のところひざの違和感がない。膝付近の筋肉をつけるストレッチを3年ぐらい続けているのと体重が最高時より6キロ減量して10カ月位維持できている。飲む、食べる楽しみがなくなってしまった。テニスを楽しむことがぼくの健康維持の中核活動と考えているので、やむを得ない。

 今更テニスをうまくならなくてもよいと思いつつ。すっかり宿っている向上心をくすぐられているのだ。老いるということは、様々なことを縮小、あるいは捨てることでもあると考えているのだが、簡単ではないのだな・・・。人間は厄介な自分と対話しながら、老人は生きていくのか・・・。

80歳のテノールの声

2016-12-20 17:30:29 | 歌、声楽
 100人収容のホールは、まるで教会のように天井は高い。椅子は木製で上等なつくりだ。ホールの少ない昭和の時代の力の入った薫り高い空間である。司会者が開始を告げて、そのままステージに上がって歌い始めた。
 また司会者に促されて、次はピアノ独奏が始まった。その次は独唱、という具合に進行した。みなカジュアルな服装という珍しいコンサートだ。
 ぼくはこれまで2回聴いている80歳のテノールの歌が聴きたくて、60分余りかけて出かけた。普通の発表会と思っていたが、どうも勝手が違う。ドレスではなくカジュアルな服装であること、高齢者が多い、楽譜を見て歌う人もいるなど、とても関心を持った。

 コンサートの性格等全く知らずに出かけたが、演奏を目的としたサークルであるとのこと。ぼくはそのようなサークルの在り方がすっかり気に入った。年3回コンサートをやっていて、次回の3月にぼくも参加しようと考えたのだった。

 ところで80歳のテノールは、曲はプッチーニの「マノンレスコー」から「なんと素晴らしい美人」、プッチーニ「ボエーム」から「冷たき手」の2曲を、見事なハイHという高音を使って歌いこなしていた。これまでどのぐらいやったのか定かではないが、今はレッスンを受けていないとのこと。ベルカント発声をそうとうやって声をつくったようだが、高齢のアマチュアなのにすごい水準と感心するのみだ。
 この世代の人は、NHKがイタリア歌劇団を連続よんで数十回公演して、日本にオペラを普及させた時代の洗礼を受けたのではないかと想像してみた。高音が出る才能恵まれたこともあるだろうが、日本に普及していないオペラへの関心とそれを受け止める教養も必要だろうしなど、様々な想像をめぐらした。
 今後機会があったらそのような話を聞きたいと思った。帰路の電車では加齢による歩行等の衰えなど嘆いていた。「新しいとしなんて来るな」という言葉が耳に残った。
 ぼくは、80歳でなおステージで15分ぐらいを歌いきることへの感嘆と敬意の念を深くする。とにかく今後も逃さず彼の歌を聴くことにしよう。それに声楽への取り組み歴も関心がわいた。

レアルとの試合とJリーグの発展

2016-12-17 15:16:26 | サッカー
 今朝、この冬初めて-1℃と寒くなりました。昼は晴れ上がり寒さが緩み、日差しが部屋の奥まで入って、冬至がまぢかであることを実感しています。

 くだものを毎日食べる習慣があります。11月ごろからは、朝は柿1つとミカン2つ、昼はミカン2つ、夜はリンゴ1つとミカン2つが平均です。今食べてるリンゴは、市場にほとんど出回っていない昔の品種のスターキングです。赤い色が鮮やかで果肉が柔らかくやさしい香りが楽しめます。数年前からとくに柿が好きになり欠かしませんが、まもなく自然なものは終了します。やがてビニールでくるんだ冷凍保存のものになりますが、その時は味が変わるので毎日食べなくなります。

 さて、あしたはクラブW杯決勝で鹿島とレアルです。開催国枠出場の鹿島ですが、この大会で決勝まで進んでレアルと対戦するとは信じられません。誰も想像すらできなかったでしょう。

 Jリーグというプロ化に踏み切った時は、プロスポーツはプロレスやボクシングを除いては野球だけでしたので、冒険でした。その時点で誰が20年余り後にヨーロッパチャンピオンのレアルと対戦することが想像できたことでしょうか。
 サッカーは、ホームタウンが世界標準です。Jリーグはドイツをモデルにしてオーナ所有のクラブにしませんでした。そのことは、すでにプロ野球のジャイアンツが成功して発言力が強かったナベツネと協会・チェアマンとの戦いでもありました。
 チェアマンはがんと譲らず、今の方式を貫きました。ホームタウン制であっても、プレミアリーグなどのようにオーナの所有にしなくて、自治体との関係をでつくるドイツ方式で本当に良かったと思います。今やJ3まで53クラブの巨大スポーツビジネスに発展しています。
 「Jリーグ百年構想」といった理念と戦略をつくりました。発表時は、何か気の遠くなる時程設定であり、その方向を歩めるリアルさをぼくは感じられませんでした。しかしその理念の方向性に向かって歩んでいます。
 スポーツビジネスとして大きく前進しています。来年から10年間で2100億円の放映権料の契約をイギリスの会社と結びました。この財政はクラブの財政支援あるいはタイトル報奨金等が潤沢になります。そしてアジアへのサッカー支援へも力が注がれることでしょう。Jリーグの試合が世界中がみられる可能性がでてくるわけです。とくに東南アジアへの放映が今より普及すると、やがてそこからJリーガーとしてプレーする選手が今より出てくる可能性が開けてきます。

 あしたのレアル戦は、Jリーグの歴史的出来事です。試合は圧倒されることでしょう。しかし1点でも得点できたら、それはそれは夢の実現ぐらいぼくは驚きます。そして4点以上は取られないでくれという思いです。あしたは、Jリーグ百年構想のわずか前進の記念すべき日です。

鹿島準決勝へークラブW杯

2016-12-12 19:49:42 | サッカー
 クラブW杯の鹿島は、2戦目のマメロディ・サンダウンズ(南アフリカ)を2-0で破り、準決勝へ進んだ。チャンピオンシップから続いているタイトな試合の鹿島は、レギュラーを固定しないでこなしている。

 前半はサンダウンズが10本のシュートに対して、鹿島は0本という劣勢だった。サンダウンズの枠へのシュートは曽ケ端がとめたし、多くはディフェンスに費やす耐えるサッカーだった。鹿島はペナルティーエルアへの侵入は1~2度ぐらいあったが、シュートに至らず攻撃のリズムがつくられなかった。
 サンダウンズは小柄な選手が多く、ていねいにパスを繋ぐサッカーだったこともあり、あわてないで何とかしのげたという状況だった。

 後半は鹿島の動きに活気が出て、ペースを握りながら進んだ。サンダウンズは相対的に前半のようにボールを回せなくなった。16分、FW赤崎が右サイド深く持ち込んで逆サイドにマイナスボールを出した。それをFW土居がヘッドで中央へ折り返したのを、遠藤が走りこんで決めた。
 そのまま鹿島は好調な動きを維持して、終了間際の43分に遠藤が右サイド深くに持ち込んで中央に出したのを、走りこんだ金崎が決めた。
 2得点とも速攻から、サイドからクロスという同じパターンの攻撃できめた。チームの得点パターンの決め事通りなのだろうが、見事なものだった。しかも得点選手は交代で投入された選手である。
 後半ののシュート数は、鹿島7本、サンダウンズ3本だった。

 アフリカはトップクラスの選手は、ヨーロッパのクラブに所属していることもあり、勝ち進むことは難しい。昨年も広島がアフリカ代表のエジプトのクラブに勝利している。


■ チョンブク(全北)敗れる
 16時からあったチョンブク(アジア代表、韓国)-クラブ・アメリカ(北中米代表、メキシコ)を見た。
 
 前半立ち上がりからチョンブクが攻撃的で優位に進めた。動きの良さ、攻撃的な進め方に並々ならぬ勝利への執念を感じさせられた。とくにアメリカの得点源の選手には終始密着マークをして、ほとんどプレーをさせないぐらいの徹底ぶりだった。
 しかしチョンブックのワンサイドではなく、アメリカもたびたびペナルティエリアに侵入した。しかしチョンブクはディフェンスのブロックは堅く得点させない。
 アメリカはボールテクニックが優れている。スピードに乗ったドリブ、よくコントロールされた正確なライナーの中距離のボールは特徴的だ。そのため個人の力とともにピッチを広く展開していた。
 
 試合が動いたのは23分、チョンブクが左深く入り中央へスピードのクロスを入れてシュートを決めて先制した。100人ほどのチョンブクの応援は大いに沸き立った。
 前半は、攻撃的なチョンブクと冷静とも思えるようなペースを保つアメリカの、一進一退で終わった。

 後半もチョンブクの堅い守りと速いボールへの寄せでアメリカは攻めあぐねた。ところがアメリカが繰り返していた縦への中距離のパスが、左バイタルエリア付近で受けて中央へパスを出したのを走りこんだ選手がヘッドで決めた。13分。
 これはチョンブクの硬いディフェンスが、一瞬手薄になったすきを見逃さずにした素早い攻撃だった。技術の正確さと戦況を見てチャンスにしていく戦術の高さは、メキシコリーグの水準の高さを感じさせられた。
 チョンブクが組織性は維持しつつも、前半のボールへの寄せの速さなど低下してきた。安定して戦っているアメリカはコーナーキックを得た。28分、それをロメロがヘッドで決めて、逆転した。エースであるロメロが2得点。
 その後一進一退のの攻防が続いたが、2-1でアメリカの逆転勝利で終了した。

 チョンブクは組織的であり、ディフェンスを固めながらも攻撃的サッカーを展開した。それを可能にするぐらいコンデションがよく、勝利への執着を持っていたように見えた。
 しかし対アメリカに対する戦い方としては激しさだけではなく、中盤からの展開、あるいは緩急のリズムを変える等の戦術の幅が必要のように思えた。

 アジア(ACL)の決勝であるアルアイン(UAE)のホーム&アウェーの2試合を見たが、勝利への意欲を感じさせる激しいプレーだった。激しいコンタクトプレー、ファルをもらうプレー等が多く、とくに2試合目は荒れた試合といった感じだった。関係者は燃えるかもしれないが、見ている側に面白さが伝わってこない試合だった。アジアのサッカーの特徴であるとすれば、その方向性にはぼくは疑問を感じている。

 *この試合は、吹田スタジアム(ガ大阪のホーム)でおこなわれた。鹿島は開催国枠で出場している。次の試合の準決勝は14日19:30から南米代表のアトレチコ・ナショナルとおこなう。
 放送はこれまでBS日テレでおこなわれており、14日は地上波日テレで放送される。
 15日はレアル・マドリードVSクラブ・アメリカの準決勝が日産スタジアムで行われる。



 

死んだ男の残したものは

2016-12-11 13:55:31 | 歌、声楽
 今レッスンで歌っている歌は「死んだ男の残したものは」です。これまで歌ったものからいくつかの曲を、先生に「記録」に残してもらっています。
 この歌は60年代から70年代のベトナム戦争があったときに歌われていました。
 フォークソングが、社会へのメッセージとして力があった時、多くのフォーク歌手によって歌われました。アメリカのバエズ、ディランなどの曲もラジオなどでよく流れていました。

 詞は谷川俊太郎で、作曲は武満徹です。谷川俊太郎は難解なものは少なく、平易な言葉で深い意味を持つ詞をたくさん書いています。読み手側に思索の素材を提供するような詩が多いです。
 作曲は武満徹です。黒沢明作品の作曲を随分手掛けていますが、歌曲(歌)もあります。メロディーが平易で一見歌謡曲とも思えるようなものが多いです。大衆に親しまれるという点では中田喜直もいます。中田はメロディーがきれいですが、武満は深みがあります。武満の作品は声楽家が格闘するに値するものでもあり、高名な歌手がCDにしています。
 
 ぼくは今、過去にフォーク歌手の歌を聴いていた時より深い意味を感じながら、取り組んでいます。これを歌いこなすために、詞とメロディーをどのように声で表現すればよいかを考えて、自分のものにしようとしています。
 6番まで歌うと5分ぐらいかかります。ベルカント発声なので、息の使い方と体に響かせるようとするとけっこう消耗します。この歌を3回歌うことは、体とともに集中力も含めて簡単なことではありません。しかし発声、練習曲、日本歌曲など40~50分声を出すことは「お勤め」のようにしています。
 この歌の深さ少しでも表現したい思いが募ってくる曲ゆえに、励みになっています。

 1.死んだ男の残したものは
   ひとりの妻とひとりの子ども
   他には何も残さなかった
   墓石ひとつ残さなかった

 2.死んだ女の残したものは
   しおれた花とひとりの子ども
   他には何も残さなかった
   着物一枚残さなかった

 3.死んだ子どもの残したものは
   ねじれた脚と乾いた涙
   他には何も残さなかった
   思い出ひとつ残さなかった

 4.死んだ兵士の残したものは
   こわれた銃とゆがんだ地球
   他には何も残せなかった
   平和ひとつ残せなかった

 5.死んだかれらの残したものは
   生きてるわたしいきてるあなた
   他には誰も残っていない
   他には誰も残っていない
   
 6.死んだ歴史の残したものは
   輝く今日とまた来る明日
   他には何も残っていない
   他には何も残っていない

 ぼくには6番の記憶はありません。ぼくがなじんでいた高石ともや小室等は、6番を省略していたためでした。平和な未来への新しい歴史への期待が託されている詞で終わることが、人間の良心を信じることになっています。
 *最後の部分があいまいな記述だったので、加筆と修正をしました。(12-12)
  


流行語大賞

2016-12-06 15:32:34 | 生活・教育・文化・社会
 14時台にいつもの林までウオーキングしました。気温は11月頃とのことで暖かでしたが、風は強くて冷たいものでした。いつものベンチには大勢の老人が集っていました。男性数人はじっとしていたが、女性のベンチは大声で話していました。「これ昔の部長さんからもらったものなの・・・」という会話が耳に入ってきました。とにかくしゃべることはいいことだと思いながら、その会話ぶりにぼくも心穏やかになりました。
 桜の巨木が切られていました。「腐食が進んで危険・・・」という表示がしてありました。なるほど街路樹のイチョウの巨木が切られているのもこの理由なのだ、と推測して納得しました。
 丹沢の稜線が青空に生えてくっきりとしていました。大きなモミジが鮮やかな色になっていました。道すがらのサザンカが、花を落とし始めたのもありました。これは2月ごろまで次々と咲き続けます。


 流行語大賞の話題は、傍観者的に聞いています。世相を言葉を切り取りながらみる行事と思っていますが、かつてのように政治や社会よりは、多分野から選ぶというようになっているようです。とくに芸能とスポーツ分野の比重が多くなっているのでしょうか。
 オリンピック好きの日本ですが、そこからの言葉は選ばれたのでしょうか。「女子レスリング連続〇の金メダル」といったようにです。言葉として残らなかったかもしれません。
 スポーツといってもプロ野球からの言葉が例年多いのです。去年の「トリプルスリー」はその分野に関心ある人は、納得するでしょう。
 「ミニマリスト」というのは多くには知られていなくとも、社会のある現象を言い当てていました。ミニマリストと自称している人の雑誌の連載コラムを読んだが、何を言いたいかよくわからないぐらい煮え切らない文章と内容で、それについてはミニマリストではないのではないかというのが、ぼくの感想でした。

■神ってる
 今年は「神ってる」なのですが、これとてカープに関心のない人は知らないことです。ラジオでは使ったことがないといった発言をしている人がいましたが、カープのセリーグ優勝へと勢いがでた試合での鈴木の打撃はすごいものでした。監督の立場からすると自分の想定外の活躍なので「神ってる」という表現が本心だったのでしょう。
 鈴木は年俸1600万円ですごい活躍をしたわけだから、監督から見れば神がかり的と思うでしょう。鈴木本人は「これで全国区になった」ということです。広島で沸き立つだけでなく、スポーツ新聞の1面に載ることが光栄なことなのでしょう。彼は東京の棒私立高校でピッチャでした。来年の年俸が今年の5倍になっても1億に届きません。
 ところで、優勝すると高額選手が増え球団て財政が厳しくなります。2年連続優勝したら、ジャイアンツ、ソフトバンク以外は財政が持ちません。ファイターズが前回優勝した時には球団の中核だった選手を放出しました。
 ポスティングでメジャーリーグに超高額で入団できる選手がいれば、球団財政が潤うことになります。来年ファイターズの大谷は本人も球団もそれを希望しています。今からメジャーリーグの関心を集めておく方が得策というわけです。