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絵本と児童文学

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豆本とぐりこえほん

2007-05-31 12:59:07 | 身辺のこと・自然
 母親に「本は財産だ」言われて育った。たしかに今のように本が多くなかった時代だったので、その教えをうけて家を出て大学に入ってからは本を買った。4年間で普通の本箱がいっぱいぐらいの量になったので、そうとう本にカネをかけたものだった。古本屋を回って歩くのにも、ずいぶん時間を使ったものだ。
 その後も本を買うことは止まらず、増え続けた。引越しのたびに本が最大の荷物であった。機会を見ては廃棄もしたが、それでも今はあふれてしまってどうにかしなければならない。
 出かける時でも本を必ず持つ。本に囲まれているのが好きなのだ。なかったら不安になるぐらいである。不安といえば、ある時期に引越しの際ピアノを他の家に置いたままにしたので、なかったら落ち着かなかった。急に思い立ってクラビノーバを購入したのだった。弾く訳ではないがいつでも弾ける状態が、わたしには必要なのだった。
 さて、本が好きだからといっていわゆる趣味本蒐集をするわけではない。その世界は古書や豆本など、そうとうなカネをかけて本にふれて見る快楽を満足することになる。
 わたしはささやかなぜいたくとすれば、普通の本よりは高額な美術や写真の本を買うぐらいである。

 ところで次元の違うことだが、「ぐりこえほん」を集めている。ぐりこえほんは、幅5.8㌢高さ6.5㌢の豆本である。
 豆本といえば、古くから豆本蒐集という世界がある。これは手作りのものが多いが、ヨーロッパの古いものは3桁ぐらいの値がつくという。日本の豆本でも数十万円の値がつくものもある。
 このようなことからするとぐりこえほんは121円で比較体よくできており、豆本蒐集の気持ちも満足させてくれる。現在第5シリーズであるが、18冊中あと2冊足りない。これを手に入れるために、食べないキャラメルを買い続けている。
 そういえば第4シリーズは4冊不足していたが、しかるべき人が提供してくれたので、ぐりこえほんをはじめてそろえることができて、満足した。ぐりこえほんの収集は、何人か仲間とやらなければ難しい。目下食べないキャラメルがたまるばかりである。

身体障害者療護施設では

2007-05-30 08:54:10 | 福祉
 身体障害者療護施設を見学することができた。療護施設という施設の目的からして、重複しておりいわゆる重度(区分6の人が多いという)の人が圧倒的である。この区分というのは、利用申請から2次判定(審査会)にそって障害程度を市町村が、介護給付度合いを1~6に区分されることをいう。
 これは昨年度から始まった障害者自立支援法にそってのことである。公的運営費は「介護給付」となった。以前は「支援費」、その前は「措置費」であった。

 その施設は、利用者は重複であることと施設創設時から暮らしている人は加齢も加わってADLの低下により、全介護の必要な人が多数である。ちょうど昼時だったので、おおよその利用者が昼食を食べていたので、利用者の実情も知ることができた。わたしはその空間と共にしながら、利用者にとっては暮らしの場である、ということを意識していた。
 介護については、排泄はオムツをせずに自立排泄を徹底させているので、寝た姿勢でも排泄可能等トイレ、コール機器は押さなくても感知できるものなど様々工夫が施されていた。また大きなつくり(銭湯のように)であるため職員は一緒に入浴しながら介護にあたるという。
 これらは介護の一例であるが、隅々まで利用者の人権と生活権の尊重が貫かれていることが理解できた。

 障害者自立支援法後は、利用者の10%負担は利用者にとってきびしい人が多く、たとえばインターネット利用が暮らしにとけこんでいる人にとってプロバイダー加入費の捻出もきびしくなっている例など紹介された。
 また、サービスが昼と夜に区分されたので、昼だけの利用者が3人増えたこと、近くの授産施設へ通う人が2人いる、など個人の条件に応じたサービスが受けられる。個人の状況とニーズに合ったサービスを、受けることが可能になったということである。
 
 障害者自立支援法にともなって施設としては、よくいわれる介護給付の額は、区分6の人が多い等から、以前とかわらないという。もっとの大変なことは、一人一人利用するサービスが細分化されているため、それに連動して文書作成の事務量がとても増えたとのことだった。

 詳細な説明をたんたんと語り、あるいは職員も当たり前のように細部にわたる介護している姿に、今日の福祉現場を支えている職員の方の仕事ぶりに心打たれる思いがしたのだった。

昨今の家庭教育 強調事情

2007-05-28 15:37:02 | 生活・教育・文化・社会
 教育基本法が改訂され、それとのかかわりでいわゆる教育3法も変わり、安倍内閣の下に日本の教育の大転換がはかられる。
 その手法が教育学者を一人も入れない「教育再生会議」というところから内容が出てきていることに、異様さを感じるのはわたしだけではあるまい。
 小泉首相は「改革」というキーワードで、まるで台風のような勢いでなぎ倒して過ぎ去ったが、安倍首相は「再」がキーワードである。じつは「再」は「改革」より強いアクセルとハンドルを手にしている、と見た方がよいだろう。「再生」などというのは、あたかも教育が死滅しかかっているのに「蘇生」に近いニュアンスである。

 この間の教育問題は学力問題から入り、まずこれまでの「ゆとり教育」を悪とした。ゆとり教育の内実は、総合学習などを通して課題解決能力、いわば生きる力を形成することなのだが、学習時間現象に歪曲されていった。次にいじめ問題を抜き差しならない問題とした。つづいてこれまで長い間黙認されていた、高校の未履修集問題のキャンペーンを展開した。
 このような一連の流れで、日本の教育があたかも病んでいるかのような世論をつくりだし、教育再生会議を内閣補佐官中心に、いわば官邸主導の機関を作って「再生」を始めた。会議の内容は公開されないし、教育学者を入れないで構成員がそれぞれ経験知で語ったものが報告として出てきている。

 近々出る教育再生会議の第2次報告には、家庭教育が盛り込まれるという。親学などといった少数の同好の集まりのようなところでの内容がクローズアップされているのも、安倍首相特有のイデオロギーに基づいたものである。

 ところで日本家庭教育学会というのがある。8月18日が第22回大会を迎えるので歴史は長いし、学会誌の発行もおこなっている。この学会は、近年通信教育だけのある大学が拠点になってきた。前述の親学を提唱している親学会よりは、学問的に家庭のあり方を研究している。
 今年の全体テーマは「家庭教育の再生-わたしの提言」である。学会員に提言を募集しており、親切に提言サンプルなるものを配布している。
 参考までに、サンプルの一部を紹介しよう。

 先祖を大切にする実践を
 昔、家庭において父親は規範を与える“絶対的存在”であった。その絶対性や規範は何によって裏づけされていたのであろうか。
 顧みるに、正月、お彼岸、お盆、そして毎日の神棚や仏壇にかかわる神事、仏事は男の仕事であった。(中略)といった行為もその家の当主たる父親の仕事であっ
 た。(中略)
 私の提言は、家庭の中に神棚を置き神を祀ること、あるいは仏壇を置き仏を拝むことである。(中略)
 神を祀るということも、仏を拝むということも、それは祖霊拝詞に繋がる。祖先を敬う心の醸成は、同時に一つの強い絆をももたらす。この祖霊との一体化をはかる行為の中から、親は家庭の中における規範というべき“絶対”を獲得することができるはずである。
 
 わたしはこのサンプルを読んで、この種の内容や考え方を知らないので、いわゆる倫理普及団体や宗教団体の文章と内容のように読んでしまうのだ。現憲法の下での一般的な家庭像からは、相当かけ離れていると思うのだ。
 提言をサンプルで呼びかけるのも珍しいが、強い誘導の意味なのだろう。それに提言は、文科省などしかるべき機関に学会として提言をするという。
 この学会の論調は、教育再生会議、あるいは安倍、山谷などの家庭教育論とも一致するかもしれない。そういえば、教育再生会議の室長は、ヤンキー先生だったな。ヤンキーをつくらない家庭教育をするというわけか。いや、再生が重要ということなのだよ。なるほど、ヤンキー先生は、すっかり官邸のポチにふさわしくなっているよ。

気になる放送への政治圧力の陰

2007-05-21 11:39:06 | 生活・教育・文化・社会
 朝日新聞の15日の記事によると、9日のテレ朝系の「報道ステーション」の国民投票法案の国会での自民党の答弁に対する報道について、自民党報道担当副幹事長(松浪健四郎)の「誤解を与える虚偽報道があった」という指摘に対して、テレ朝側は14日「表現に適切さを欠いた部分があった」と謝罪をした。そして放送内でも「おわび」をしたとのことである。
 おそらくここで謝罪をしておかないと、自民党議員のボイコットにあう懸念をしたからではないか、と推測する。公共の電波を使う放送は、事実に反したり名誉や信用を傷付けてはいけない、高度な真実義務と倫理性が求められることは言うまでもない。
 一方には放送内容の国家権力の介入は、表現の自由報道の自由を侵し、国民の知る権利を脅かすので、慎重でなければならない。今回は政権与党からのクレームであり、事案がどの程度のものかわたしには定かではないが、なにやら言論への圧力に繋がるのではないか、気になるところである。

 18日の朝日新聞によると、テレ朝系の3月25日の「サンデープロジェクト」のコメンテーターとして出演した朝日新聞の編集委員の発言内容について、首相秘書が朝日新聞を提訴した、という記事を掲載している。
 安倍事務所は「日興の常務が安倍事務所に働きかけて上場廃止を防いだとの印象を視聴者に与えた」とし、発言の趣旨を明らかにするよう求めた。内容の詳細は知らないが、訴えられた編集委員は「一般の視聴者がそのように印象で受け止めることはない」と回答したという。「印象を与えた」というレベルが提訴となると、視点を変えた発言、あるいは推論ができなくなる、ということだ。
 安倍首相のイデオロギーに基づいた朝日攻撃は執拗で、メディア全体に対して安倍タブーを作り出す戦略だろう。

 さらに気になることは、NHKの経営委員長に富士フイルムホールディングスの古森重隆社長を内定させたとのことである。この人事は、首相の仲間内ではないかという大方の見方である。

久々にJリーグを見る

2007-05-19 20:06:31 | サッカー
 午前中は、時折雨と風の不安定な天候。9時からのテニスが中止だったので、12時からのに行った。天候のせいか、レギュラーの人が欠席でわたし一人だった。一人の場合は、50分である。ベテランコーチのテンポの速い進行もあってか、最後のほうはくたびれて集中の途切れたのが自分でも感じた。
 日差しが強く気温も高く暑かった。紫外線から目の保護のため購入した、サングラスのありがたさを感じた。
 健康維持のために、週1回のテニスは欠かさないようにしている。健康といえば、本来は日常的に自転車やウォーキング等の有酸素運動の方がよいのだろうが、仕事などのためできそうもない。テニスはそうとう激しいスポーツである。

 このところ土、日のJリーグを見ていない。この間いつも仕事を抱えていることと、気持ちのゆとりのなさを改めて思い知らされた。久々に見たのは、14時からのグランパス-レッズであった。今のJリーグのトップレベルの試合であるし、王者レッズに対してグランパスがどのぐらいの試合ができるか、ということに関心があった。
 前半レッズのネネが、コーナーキックをヘッドで決めて先行(27分)。まもなくグランパスの左サイドからのボールを、ヨンセンがディフェンスより前に出した足にきわどく当ててシュートを決めた(35分)。
 レッズが優位に進めている感じがしたが、グランパスがしのいで見ごたえある試合であった。とくにグランパスの本田が直接決められる可能性のある位置からのフリーキックが3回あり、見せ場をつくった。本田はカーブや途中で角度がつくキックをすることで、注目されている選手である。
 終了間際の時間帯でディフェンスを交わしてボールをもたったレッズのワシントンが、なおディフェンスを振り切ってのシュートをきめた(39分)のが決勝点となった。さすがワシントンである。
 グランパスの藤田(元ジュビロ)のプレーを久しぶりに見た。ボランチでいい仕事をしていた。
 アウェーの豊田スタジアムに、レッズのサポーターが大勢かけつけていた。まったくレッズのサポーターはどこへでもついていく、どのクラブより最大で最良のものである。このサポーターがいる限り、成績にかかわらずレッズは間違いなく日本のビッグクラブである。グランパスのサポーターも燃えていたようで、テレビを見ていてもよく伝わってきた。観衆34347人。

 わが家の庭の池にアメンボがかえったようで、5ミリほど逃数匹水面を泳いでいるのを発見した。ヤマボウシ(山法師)の白い花が咲き始め、取り寄せたスズムシが鳴き、初夏を実感できる。

ジェットコースター事故の検証報道

2007-05-15 18:44:14 | 子ども・子育て・保育
 5日にエキスポランド(吹田市)起きたジェットコースター事故の報道は連日続いたが、12日(土)で申し合わせたようになくなった。15日(月)のNHKの「クローズアップ現代」では、事故の検証と包括的内容であった。それを紹介しながら事故を理解することにしよう。→はわたしの理解と解釈である。
*ジェットコースターは、構造物で建築基準法による。→保守点検等の法的義務は必要ない。強いて言えばJISによるもので、製品の維持管理の基準の意味であり、努力義務である。
*近いエリアにUJができたため競争環境に変わり、10年で客が半減という厳しい経営になった。客足の伸び悩み克服のために新しい施設の構築をおこなったのが、保守点検期間であった。→保守点検を怠り、市に対して書類上の虚偽の報告をおこなった。書類を受ける自治体は、検査内容の検討をしなくてよい。
*事故の主因である車軸は、JISでは8年にごとに交換とあるが、設置以来15年間交換していなかった。監督官庁に報告しなくてよい。安全管理制度がないので、全国129の遊園地のうち、検査していないところが51カ所である。
*保守点検については、特殊で少数なので独自な資格がなく、エレベーターの検査員と同じである。ちなみに検査員資格試験問題は、30問中遊園地関係の出題は7問である。エレベーターが70万台に対して遊戯施設は2000台という事情がある。もっぱら遊園地側に安全をゆだねているのが現状である。
*ドイツでは、弟3者の検査機関が保守点検をする制度をとっている。
*国土交通省は、遊園地の遊具設置者が安全努力するのが基本という見解である。→エレベーターとは性質が違うので、独自の検査技術の育成し、専門技術の評価を高める必要がある。
*アメリカでは、保守点検の専門員をもうけ3カ月に1回の検査を課している。問題があれば立ち入り検査をして保守管理を徹底している。

 ジェットコースターは、ぎりぎりまで危険にせまるスリルを特徴とする特殊な乗り物であるのが、構築物と同じ建築基準法のカテゴリーにあることは驚きであり、法の不備である。事故はこれまでもたびたび起きているのに、国土交通省の、遊園地側にのみ安全のための保守管理をゆだねる見解は改めるべきである。とくにこの種の乗り物は、いっそうスリルを求めたものになる傾向にあるので、安全性が担保されなければ、事故の再発は容易に考えられる。
 エレベーターとは別な資格にし、遊具、あるいは特殊乗り物という概念を設けて保守点検の専門性を持った検査員資格を作り、定期検査を義務化すべきである。日常的には遊園地が保守点検をおこないながらも、数ヵ月ごとに外部の検査機関が立ち入りするのはいかがなものか。

小さな記事の大きな問題

2007-05-14 16:04:54 | 生活・教育・文化・社会
 12日(土)の『朝日新聞』夕刊(東京本社)の12面に「テレ朝『虚偽でない』」という見出しの、19行の記事があった。
 新聞記事によると、9日(水)の「報道ステーション」で扱った国民投票法案について、「与党の国民投票法案について視聴者に誤解を与える虚偽報道があった」と、自民党の松浪健四郎・報道担当副幹事長が訂正放送を求めたという。当然のことながらテレ朝側は、文書で「虚偽報道ではないと判断している」と回答。
 自民党のメディア監視をし、このような形で圧力をかけるのは由々しき問題である。報道、とりわけ政治にかかわるものは見る視点や立場によってとらえ方が違うのは当たり前であり、自党の見解と異なることに対して誤解をするからといったクレームは、あってはならないことだ。
 メディアは、一般的表現の自由は保障されており、その会社としての理念と立場によって判断を持ち、その見解によって報道する。たとえば経済動向について、あるいは日銀の金利問題など『日経新聞』など、様々な観測をする。それが自民党の見解と異なることはもちろんのこと、大いに外れる場合も当然ある。その際虚偽報道とは誰も言わない。
 わたしは今回の番組を見ていないが、デマゴギーに満ちたものではなく、おそらく政府案に対して評論を加えたのだと思う。それはメディアとして、報道番組としてあまりにも当然のことである。とくに公共の電波を使う場合、政府に対して評論や考察を加えるのは、国民の知る権利に対する使命でもあるのだ。
 このような小刻みなクレームが、メディアを萎縮させ自己規制に追い込んでいくだろう。小さい記事のなかに、大きな恐ろしいことを読み取ったのだった。

 松浪は、かつて国会で発言中に怒ってコップの水を投げ捨てたことがあった。おそらく外国の、国によってはそれをニュースとして流しただろうと思うと、わたしは国際的に恥ずかしいことだと思ったものだった。
 レスリング選手だったからというわけではないが、その品位のなさの象徴的態度である。その後落選したらちょんまげのヘアースタイルを短く変えた。ところが今日の国会中継の冒頭を見たら、トップで質問に立ってちょんまげになっていた。おっとと、どうでもいいことを書いてしまったが。

危険体験のジェットコースターは 安全でなければならない

2007-05-13 15:11:04 | 子ども・子育て・保育
 5日に起きた吹田市の万博エキスポランドで起きたジェットコースター事故について、先週は連日事故の原因、保守管理の状況等の報道に、テレビニュースは多くの時間を割いた。その報道は警察等発表にそって、原因を解き明かす過程のものである。

 ジェットコースターという「遊具」の目的が、スリルを体験するものである。スリルは小説や映画等でも味わえるが、それは主として言葉による想像上のものである。
 ジェットコースターは直接体験なので、ぎりぎりの危険体験をするものである。現在は危険の臨界点であるほどよい、という風潮にある。それは大人を対象にしていて、いわばバーチャルリアリティーの体験化のようでもある。
 事故を起こしたコースは全長1050㍍で、最速75㌔、最高地点は40㍍とのことである。これに立ったまま乗るわけだから風圧を感じながら、高低の落差と急な加速と減速を体験するので、危険と不安、そして恐怖といってもよいものだろう。車の150㌔や新幹線の200㌔を超えるスピード体験とは、まったく意味が違う。
 このようなモノは遊具という概念ではなく「乗り物」と規定すべきであり、したがって鉄道に保線部門、車の車検制度があるように、厳しい保守管理部門が遊園地単独で持つかどうかは別として、あるべきではないか。
 JISでは年に1度の探傷検査が義務化されているということだが、その認識が当事者にない場合が多い、あるいは検査結果が市町村に文書報告だけでよいといったことで、この種の危険体験をさせる目的のモノとしての保守管理がずさんなのに、いささか驚いている。実際年に1度の探傷検査をやってない遊園地が、今回のエキスポランドに限っていないことが判明している。129の施設にあって、29が実施していないという。
 これはひとえに所轄省である、国土交通省の法の不備である。耐震偽装事件にしても、法の不備と行政の運用の間隙を縫って起きている。

 今回の事故は、たしかに危険体験をするモノの保守点検がずさんで安全でないかが、明らかになったという意味でのニュース性はあった。しかし、テレビは連日多くの時間を割く意味があったのだろうか。それも事件の核心をつく報道というより、警察等の発表の経過をたどっていた。しかも被害者の葬式を報道するには、大いなる疑問を持つ。
 テレビは、殺人等の事件、学校の事故や今回の事故などの報道に、時間を取るようになっている。とくに葬式などニュースではないと思うが、いつから報道するようになったのだろう。芸能人の葬式報道からだろうか。もっとも絵を使うテレビの性質から、情感に訴えやすいというメディアとしての特徴でもあるが。

 国会は残る1月あまりの会期に、国民投票法、政治資金規正法、社保庁改正法、イラク支援特措法の延長、公務員改革法、教育3法改正など、日本の将来にとって重要な法案が目白押しである。安倍首相の靖国神社への供物(まさかき)も、首相がノーコメントで通していられるのも不思議なものだ。このようなことこそニュース性が高いはずだが、政治ニュースの量は少なくなっており、ことを多面的に報道するのではなく、政府広報に近い無難なものになっている感が強い。

*ジェットコースターの時速等の数値は、『週刊朝日』5-18号から引用した。

薫風とともに神田祭

2007-05-12 22:13:58 | 身辺のこと・自然
 隅田川や巨大ビルを見渡せる水天宮駅のホテルの上階で、しばし友人と語り合った。ちょうど神田明神の祭りである神田祭だとうので、めったにない機会と思って日本橋の三越まで歩いた。先物取引の会社、証券会社の本社などのビルを通り、丸の内とは異なる分野の日本の経済や文化の中心を通った。江戸、明治期から続いている食事処、あるは裏通りには小規模の昔からの面影を残す菓子屋や伝統文化にかかわる店もあった。
 道すがら見た○○町の神輿は、ねじりはちまき、はっぴ、たびといった身づくろいに、祭の風情を感じ取ることができた。掛け声とともに神輿をゆらしながらゆっくり進むかつぎ手は、男女入り混じって構成されており、威勢のよいものだった。神輿を見守るかのようにともに歩道を歩く、長老と思しきそろいの町の身づくろいをした人たちが、その町の共同の暮らしがあるということを実感させてくれた。ビルが林立する街にも、昔からの人のつながりと時が連綿と流れているのである。
 三越前には大勢の人たちがいて、わたしもそこに加わった。2年に1度の大祭ということで、平安の衣装あり、何か神事を意味するようないでたち、馬に乗った人、江戸曲芸、さらに何かを意味するのだろうが巨大な架空の姿をした山車など次々続いた。
 大都市のビル街ゆえに普段は見えにくい暮らしを、神社の祭を通して訪問者でしかないわたしにも感じ取ることができた。車が通過しないだけ騒音が少なく、薫風に乗った江戸の祭囃子が耳に残ったのだった。
 
 神田明神は、中央区と千代田区にまたがる神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内など108の町会の地域で、13日(日)は200の神輿が繰り出すとのことだ。

サルコジがフランス大統領に

2007-05-07 04:55:35 | 生活・教育・文化・社会
 4時に起きたので、フランス大統領の結果が判明しているはずだと思ってテレビをつけた。右派であるサルコジが、中道や極右も取り込んで勝利した。フランスは強いリーダーを求めたのだ。
 最初の選挙と世論調査どおり、女性のロアイヤル候補の逆転がならなかった。親日家であるシラクの12年が終わり、アメリカ型の経済の銃競争を掲げるサルコジを選択した。
 ヨーロッパのリーダーであるフランスだが、ヨーロッパ統合の負の部分として、低賃金の東欧などに工場移転等で経済が低迷し、失業率9%である。
 サルコジはシラク時代の内相として雇用制度を変える、移民の抑制など強い政策を採ろうとしたのである。これらは強い反対運動で強行できなかった。
 今後は、雇用確保のためにヨーロッパの福祉型システムにもメスを入れることになろう。移民の制限、35時間労働の緩和、終身雇用の見直しなどである。
 しかしフランスはEUのリーダーでありながら、国民投票でEU憲法にノーを下したぐらい民主主義が機能している国なので、サルコジの軸足は、左派政党も取り込んだ多極主義を採った舵取りをしなければなるまい。

 イギリスのプレア首相は、イラク戦争のアメリカ一辺倒の政策等から支持率がどん底まで下がって退任を迎える。これからのヨーロッパがどうなっていくか、関心を持ち続けることにする。

 早朝朝刊を読むのを楽しみにしているのだが、休刊日である。NHKでフランス大統領選挙の報道を連続していたので、わたしもそれに関心を持っていた。4時半には明るくなるので、日ごとに夏至に向かっているというのが実感できる。