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絵本と児童文学

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声楽の発表会を聴く

2016-11-27 17:16:12 | 歌、声楽
 声楽の発表会に、久しぶりに行ってきた。1年半ぶりだろうか。それ以前の4年間ぐらいは1時間ぐらいの範囲は出かけていたので、年間15回ぐらい足を運んでいた。初期の頃は、周辺で頻繁にやっていることを知らなかったので、1時間半ぐらいかけて上野まで行ったこともあった。聴いて自分の歌の向上の参考にしたいためだが、今思えば「熱中症」の性格であることに自嘲している。

 さて、今日の発表会の教室は、1昨年も聴いていたことを思い出した。女性ばかりで60代から70歳代と思われる人たちである。
 教室によって特徴があるのだが、無理なく声を出しているのに好感をもった。「無理なく」というのが重要である。力任せではなく声を出していたが、喉に負担をかけずに歌う人が多かった。
 とくに注目をしたのは息の使い方で、息に声をのせて出す、という感じである。大きく声を出すのはある程度できるものだが、大きくから小さくする、あるいは小さい声で表現をするというのはなかなかできない。小さく出しながら届く声にすることは難しい。自分の今の課題にてらして、その辺に注意をして聞いた。

 アリアを高音を大きく歌うため「キャー」という叫び声のようになっているのを聴くことは少なくない。ベルカントの発声で声をつくるのだが、その段階の課題に即した選曲でない場合に起きるのではないか。
 選曲を指導者がしているのか、当人の希望を踏まえられているのか、といったこと。この発表会では、歌曲とアリア1曲ずつ歌っていた。
 歌曲は日本歌曲とイタリア歌曲のどちらかを選んでいた。印象としては日本歌曲は親しんでいるせいか、歌いこなしているようだった。
 アリアも無理なく歌っていた。比較的知られているアリアで音域の広くないものを選んでいたようだ。こういったことは、歌うことに確信と達成感もてるために重要なこと、と考えさせられた。これらは当たり前のようでいて、往々にして挑戦的に高音を出さなければ歌えないような曲を歌っていることはめずらしくない。

 とても珍しい体験をした。主宰者の母親と娘がアリアの2重唱を歌ったが、音色、音質がほぼ同じのため、交互に歌うところの区別がつきにくかった。一人で歌っている感じといってもよいのだった。親子というのが似るものだと感心した。普通は同じソプラノでも音質が違うのでそれに即してキャラクターを区別して聞いているという平凡なことを改めて気づいたのだった。ちなみにその2重唱はそうとうな水準のものだった。


 

FIFAランキング

2016-11-26 11:24:17 | サッカー
 先週の水曜日(23日)は、の6時頃の地震は、部屋にいたがわずかな揺れだったが、長いものでした。東日本大震災震度関連の余震とのことで、震源地付近は震度5弱とのことだった。津波が最も高い地域で150センチぐらいとのことだった。
 隔週通っている埼玉県へいったが、とても寒かった。途中山の見る10分ぐらいは紅葉して、風景が一変していた。
 次の日は雪が降って積もった。11月の積雪は54年ぶりとのこと。

■ サッカー代表監督のこと 
 20日(日)のTBSの「サンデーモーニング」で中西氏がサッカーのW杯最終予選の解説の際「次の試合まで期間が開いているので監督交代のチャンスだ」という発言をしていた。理由の説明ががなく、このような発言はスポーツジャーナリストとしてよくない。内容らしいことをちらっと「ディエルを求めるから反則が多い」と発言していた。ぼくの推測では「球際を強くしてボールを奪う、あるいは縦に突破するプレーを要求している」ことへの批判かもしれない。これはハリル監督のコンセプトなので、理由を展開しなけらば評論といえない。
 それにしてもサッカー評論家という立場であっても、代表監督に対して簡単に更迭を発言している評論家は、はなはだ疑問だ。それを論じるならば内容を展開すべきではないか。

■ FIFAランキング
 11月のFIFAランキングが24日発表された。以前に年間数回発表されると書いたが、毎月発表されるので訂正をしておきたい。

*世界の上位ランキング            *アジアランキング            
 ①アルゼンチン                 30 イラン
 ②ブラジル                    37 韓国(7ランクアップ)
 ③ドイツ                      45 日本(6ランクアップ)
 ④チリ                       48 オーストラリア(8ランクダウン)
 ⑤ベルギー                    56 サウジアラビア
 ⑥コロンビア                    62 ウズベキスタン
 ⑦フランス                     64 UAE
 ⑧ポルトガル
 ⑨ウルグアイ
 ⑩スペイン



川崎は敗退する

2016-11-24 11:20:03 | サッカー
 Jリーグチャンピオンシップ準決勝は年間2位の川崎が0-1で鹿島に敗れた。川崎は引き分けると勝利というアドバンテージがありながらも決勝には進めなかった。
 終わってみれば、これまでの数々のタイトル経験のある鹿島が大一番の戦い方を知っていた、ということか。

 観衆 24209人  シュート 川崎11 鹿島10
 
 前半は両チームがチャンスを作りながら得点につながらなかった。川崎は、新人ながらスピードでDFを抜き去る攻撃のできる好調な長谷川を21分で太ももを痛めて退いたのが誤算だった。多様な攻撃ができなくなり、鹿島としてはディフェンスをしやすくなった。
 鹿島はベテラン小笠原がピッチで声をかけて選手を鼓舞していた。とくに球際を激しくということが、見ていてもわかるぐらい、いつもとし違っていた。

 後半5分に鹿島が、ペナルティーエリアぐらいのタッチラインからスローングをし。そのボールが一旦リターンされたのを中央に出した。それを金崎がヘッドで決めた。後半開始早々の、一瞬スローテンポのようになった時に決まった。とくに川崎のミスがあったわけではないが、しいて言えば鹿島のここ一番の勝負強さとでもいうことか。
 その後両チーム一進一退と戦った。川崎は長谷川がいないため縦への攻撃ができなかったが、たびたびペナルティーエリアに侵入してシュートをした。それが枠に入らずことごとく得点に結びつかなかった。厳しい鹿島のデフェンスの条件下でシュートを強いられたせいかもしれない。それにベテランキーパーの曽ケ端のファインセーブもあった。
 同点に持ち込みたい川崎に対して、ディフェンスを固めて失点を許さないとする鹿島。川崎はホームのサポーターの応援に応えることなく、終了のホイッスルとともに選手はピッチに崩れる。風間監督の5年間のチームづくりの集大成でもあったのだが、歓喜の声が聞くことなく終わった。

 決勝は、鹿島と浦和がホーム&アウェーの試合やってチャンピオンが決まる。

■ フロンターレの歩み点描
 ところで川崎のJ2のときから関心を持っているので、いくつかのことを思い出した。V川崎(現V東京、J2)はJリーグ発足前から、いち早くプロ化をはかり王者として君臨する路線をとった。そのためメディアでスター選手をつくる、といった日本のプロ野球路線を歩んだ。地域名を東京にしたかったので、今日のように地域密着路線を取らなかった。
 V川崎が東京を冠するようにになったし、フロンターレは97年にJ2からの後発であり、その歩みは厳しいものだった。川崎市はプロ野球・ロッテも育たなかった。

 サッカーがプロ化される前の日本リーグ時代は、川崎市には日本鋼管があった。水色のユニホームだった。当時川崎に住んでいたので、ずっと関心があった。当時はアマチュアで社員として勤務して日曜日の試合をこなしていた。運動量豊富で奮闘した藤島という選手が浮かんできた。
 ところで日本鋼管の選手だった人が監督をしていた草サッカーチームに、ぼくは1年余り所属していた。とはいっても初心者だったので、丁寧な指導を受けて試合にも出させてくれた。そこからぼくは本格的にサッカーに分け入り、サッカーの持っているスポーツ文化の奥深さや面白さが分かっていったのだった。

 フロンターレの当初は、南武線の駅の柱に手作りの印刷の通信が置かれていた。ぼくはたまたま利用したときに手に取って読んでいた。その通信は次の試合の直前でも残っていたことが多かったので「苦労しているな」という思いがあった。その苦労は、運営スタッフにいる天野春果を想像していたからだ。彼の小学校の時から知っている者として。
 
 22日の「朝日」の夕刊に彼のサッカー事業部プロモーション部長としての仕事ぶりが紹介され、TBS「ニュース23」でも少し長めの紹介があった。彼のクラブづくりは、かねてからそのユニークさがメディアに紹介されていた。
 ある時点では地域の文化サークル(太鼓、踊りなど)を試合前の催しとしていた。チアガールといった発想でないところが良かった。それに保育園にサッカーゴールを贈る、小学生のドリルにフロンターレの選手のイラストを入れるといったことも始めた。サッカーに遠い人へサッカー以外のものからさりげなくサッカーの輪郭を発信する、といったところだろうか。発想は地域クラブとして生活者に違和感ないものにしていく、という遠回りながらゆっくりフロンターレを包み込む人になってもらおうということだと思う。

 風間監督を招き中村選手を中心に上昇するとともに、今行われている話題性の高いものをイベントとして取り入れるようになったようだ。現在の多様な観客席へのスタジアムへの改修を可能にしたのもそういったクラブづくりの過程で可能にしたと思われる。
 現市長が音楽、サッカーといった文化を重視する街づくりを掲げていることも後押しとなっている。音楽では音大2つがあり、そこではオペラも含めた様々なコンサート等おこなっている。東京交響楽団の実質的ホームのようになっている。
 かつて京浜工業地帯と言われたように、製造業中心だったのを転換したのだった。そのためもあって、スタジアムのある南武線沿線は今や住みたくなる街と評価されるような変わった。

 天野春香は、小、中学生の時ぼくが主宰していたサッカークラブに所属していた。どちらかというと戦術を伴った堅実なプレーをするタイプだった。高校でもサッカーをして、アメリカの大学へ行った。風の便りにその後のことも耳にしているが、アメリカでスポーツビジネスを専攻した。
 日本の大学でもこのところ経営学部にスポーツビジネスという学問分野があるようななったが、彼は早くにそれを学び、フロンターレで実践している。
 02年のW杯の時はフロンてーれから一時離れてスタッフだったし、20年のオリンピックの仕事をするとのことだ。彼のスポーツ文化を踏まえたプロジュース力を発揮することを期待する。
 

J1へ札幌と清水が決定

2016-11-20 16:49:18 | サッカー
■ J2最終節 札幌、清水が昇格
 J2の最終節は、NHKBSで放送の松本VS横浜FCを見た。松本は、ホームに1万9千人余りの過去最高の観客のなか試合をした。
 得点の取り合いの激しい見ごたえのある試合だった。結果は3-2で松本が勝利。しかし3位でプレーオフの試合をする。

 松本の試合は、去年横浜マとの試合を見ことがる。サポータの歌声が音楽的に良いのに驚いたが、今日もまたよかった。他のクラブと違って、音が高めのため男女の声がまじりあって、メロディーラインがしっかりしている。そのためチームの選手への励ましに聞こえる。
 それに対して、去年の試合の際ホームの横浜マの応援は、低い声を下から絞り出してうなるような声なので、対戦相手チームを威嚇する、攻撃的な歌声だ。これは浦和など多くのクラブがそのようだ

 どちらの声が選手にとって心理的に良いか、ぼくは中音域で歌う松本は応援歌だと思う。ほとんどのクラブの応援の声は低音でうなるような声を出している。その方が強そうで相手を打ち負かせるという心理が働くのだろう。
 ところで松本は音楽的教養の高い人が多いからかもしれない、と推測している。スズキメソードの発祥の地、小沢記念音楽祭も随分歴史を刻んでいる、など。それと関係があるのか、それとも住民の文化なのかもしれない。

 J1への昇格クラブは札幌、清水だ。清水が1年で復帰したのはすごいことだ。札幌は5年ぶりの復帰だからながかった。3位からの松本、C大阪、京都、岡山はプレーオフをする。松本-岡山の勝者とC大阪-C大阪の勝者同士が対戦し勝ったチームが昇格する。これらのクラブのサポーターの熱いまなざしがしばらく続く。決勝は12月4日。久しぶりに京都が昇格に挑むし、岡山が初めて挑戦する。

 J3への降格は北九州で、金沢がJ3栃木との入れ替え戦となる。J3からJ2への昇格は大分である。J1だった大分がJ3まで急降下して、今シーズン試合をしていた。

■ ACLの決勝はアルアイン(UAE)-チョンブク(韓国)
 3時に目がさめたので、録画で見ようと思っていたのをBSの放送で後半から見た。韓国での試合なので放送はライブではない。
 2-1でチョンブク(全北)が勝った。もう1戦はアルアインのホームであるUAEでおこなわれる。解説は早野さんだった。
 両クラブともにJリーグにいた選手が出ていた。
 日本の4クラブが予選リーグを戦ったが、浦和がトーナメントに進んだだけで惨敗だった。それにしても今年は中国のクラブはだめだった。相当財政規模が大きいのに。
 第2戦は28日(月)だ。また見そうだな・・・。
 *勝敗に誤りがあったので修正しました。(11月29日)

■ 錦織あえなく敗退
 5:33に開始された錦織VSジョコビッチを見た。6-1,6-1と、錦織の散々な結果だった。相当な不調で、ミスの多い試合を始めてみた。
 

 

駆けつけ警護 錦織

2016-11-19 20:40:19 | 生活・教育・文化・社会
1日中小雨が降り寒かった。こんな日はウォーキングはしない。
 以前は雨の日は室内でマシンを使っていたが、使いがってが悪いので間もなく処分をした。通販で買ったが、日本製でな、く頑丈な鉄製だった。広告から得た製品情報とは異なっていた。通販は信頼できる所でなければ、という体験学習をした思いで、その後はほとんど利用しない。
 夕方雨が止んだので、柿を買いに出かけて、15分歩いたた。

■ 錦織チリッチに敗れる
 ツアー・ファイナルの予選リーグの3試合目の錦織とチリッチ戦を見た。5:07頃開始。第1セットは6-3で勝った。錦織の好調ぶりを感じさせるラリー戦は見ごたえがあった。勝つかもしれないという期待をした
 第2セットは2-6で負けた。チリッチは198センチからの200キロを超えるサーブが決まることが多くなった。それに錦織のミスが多くなった。錦織はラリー戦になったら正確な技術でポイントが取れはずなのだが。
 第3セットは第6ゲームに3-3になって少し期待が生まれたが、その後持ち直せず3-6で負けた。
 試合終了は7:05で2時間弱だったが、見終えて疲労を感じた。勝てるかもしれないと思って、夢中になりすぎたようだ。グランドスラムの3セットと違って、2セット先取なので試合時間は短い。
 1勝3敗だが準決勝に勝ち進んだ。ランキング2位になったジョコビッチとの試合。明日の5:00頃からのようなので、また見ようっと。

■ ついにその時が来た
 自衛隊が南スーダンに「駆け付け警護」に出かける。いなだ大臣は気分高揚して出動部隊・第9師団(350人・青森)の壮行会に訓示をしていた。アベ首相は、出動にこの上ない喜びの心情を持つだろう人を大臣に据えたのだろう。水曜日の閣議決定の後は喜びを押し隠すようにして、記者団に「もし人命にかかわる事態があったらわたしが責任持ちます」といいきった。その責任とは何か、「わたし」は責任とりえないはずだ。
 国連も国際的にも内戦状態という認識し、戦火を交える可能性の高い地に派遣する。戦闘を「衝突」と言い換えて事態を覆い隠している。PKO5原則に、「銃による威嚇」「警告射撃」を加えての派遣だ。

 政府軍と反政府軍の戦闘が続き、副大統領だった反政府軍の最高責任者が国外に逃れている。7月にはNPOの拠点が政府軍に攻撃され死者、略奪、性暴力が起こっている国へ行くのだ。
 もし7月のようなことが起きて「駆けつけ警護」をしたら、南スーダン政府軍と戦火を交えることになる。今はPKOはアフリカ諸国がほとんどとのことだ。そのアフリカのある国の大規模なPKO部隊が最近撤退している。

 今回の派遣は「安保法制」を成立させてのをよりどころにしている。国際的には、派遣実績をつくってとくにアメリカの評価を高める、あるいは「大国」として軍事を行使する能力があることを誇示するためか。
 国内的には震災等による自衛隊の信頼の高さを背景に戦いもする自衛隊というイメージ転換のためか。それが憲法改正、平和憲法を葬るためのプロパガンダにするためか。
 本当に戦争法案だよな。
 

姫島村モデル

2016-11-17 17:10:21 | 生活・教育・文化・社会
■ ウォーキング、テニス、健康
 ウォーキングコースは自然林の林まで遊歩道を歩く。遊歩道といっても、時間帯によっては高校生と大学生の自転車が頻繁に通る。老人のウォーキングや犬の散歩も少なくない。土、日にはランニングの人が頻繁に行き交う。そんな道路なので、のどかに歩くわけにいかない。ぼくは速足なので、ウォーキングの人を追い越すことが多い。
 コスモスが色あせて、月曜日ぐらいからコウテイダリヤが大きな花を鮮やかに咲かせている。15時台だと帰宅する小学生のにぎやかさと行き交う。この子どもたちと出会えるのが、ぼくにとって気持ちが和むことだ。
 暖かい日は林の入り口にさしかかるところのベンチに集う人たち。午後は男性が多く、午前は女性が多い。男性は自転車で来ている人が多い。いつも話がはずんでいるようでうらやましい。
 その位置から西側は丹沢の稜線が見える。今日は16時台だったので、夕日が生えて稜線が美しかった。
 
 健康年齢維持のため、テニスをしない日はウォーキングをするが、通常は30分だ。これを欠かさなければテニスの動きが維持できる。一時期歩数計を携帯していたが、1日多くて5千歩だ。以前毎日1万歩いている人が身近にいたが、ぼくは時間の負担が多すぎてできない。
 テニスは老いてもうまくなっているようだ。それも週1回だとその都度始めるという感覚だ。週2回だと維持できる感じで、3回やるとテニスの体といってもよいぐらい、常時やっている感じである。しかし3回だと他にやりたいことがるので、比重が多すぎるといったまよいがある。そんなことから11月から週2回にすることにした。
 体重がこの1カ月ぐらいは5キロ減って40歳代の体重にもどっ太のを維持している。運動し、食べ過ぎないようにしている。寂しくもあるが飲まないようにしている。ビールを飲むと食べたくなるタイプなので、今は週1回350ミリリットルにしている。そのビールは常温のものしている。飲みたいと思ったときは牛乳を飲む。それに誰かと会うとき夜を避けて昼にしている。
 減量を維持してるとテニスの動きが良いように感じる。体重は、健康診断ではあと10キロ減量という数値が示されている。学生時代の体重であり、減らせないばかりかやせ細った姿にはとても戻りたくない。この標準体重というのには、かねてから疑問を持っていて、無視することにしている。

■ 姫島村のこと
 10月に61年ぶりの選挙で話題になった、大分県姫島村。結果は現職が9回目の当選を果たした。この村長は親の後を継いで村長になったので、戦後の選挙制度からずっとこの家族が村長ということだ。

 ぼくはかねてからこの村を注目していて、日本の将来像のモデルとさえ思っていた。本当にだ。90年に合計特殊出生率が1,57に下がったと大騒ぎした。少子化対策は、90年の「エンゼルプラン」に始まってたびたびプランをつくった。一方に女性が働きやすいように男女雇用均等法の改正をおこない、女性が男性と格差をなくするる政策を重ねた。女性の労働人口は増えたが、保育園に入れない待機児童への対応が追い付かなく、慢性化している。

 経済格差が進み、結婚そのものをしない、できない構造的問題になっている。
 ぼくは90年代に姫島村のことを雑誌とテレビで知って、この村が将来の日本のモデルになるとよい、とまじめに考えていた。少子高齢化時代の国のありかたを、北欧型の高負担(税)高福祉の仕組みが日本の姫島村にある、と思っていた。北欧モデルが日本にもある、ということだ。
 村の公務員が、総人口の6人に1人でとても多い。給料は低く抑えられているが、生活維持はできる。それに漁業が近海魚だけではなく、クルマエビなど養殖を多くやっていて、村の基幹産業なのだ。経済の成長が鈍っても暮らしに困らない社会がそこにあるととらえていた。
 90年代は厚生省(当時の名将)はゴールドプランとして積極的に特別養護老人ホームをつくった。介護保険制度が動き出し、該当者をほぼ受け入れが可能だった。ケアマネージャーの職種がつくられケースが少なく利用も容易にできた。 
 メディアで老人介護のことはスウェーデンの紹介が記憶に残っている。あわせてスウェーデンの福祉の本を何冊か読んだ。当時は人口が神奈川県ぐらいで年間予算が東京都と同じぐらいというサイズのことより、18歳から60歳まで税を負担し、子どもと老人が福祉が行き届くということに共感したのだった。
 その分かち合いの哲学を背景として、仕事では今でいうワークシェアリングの社会に共感したのだった。その時は経済状況はまだ良好だった。

 姫島村は島という地勢的条件だからできている面がある。選挙が行われなかったことの良さとして、独裁的ではなく広くシェアするという日本の持っている精神風土があるのだろう。そのことからくるしがらみ、しきたり、コネといっ不合理な面もあるのかもしれないが、イメージとしては穏やかな暮らしなのではないか、と。
 人口は減っているが、どうやら学校が複式学級でなく維持できていることは重要な点だ。高校生になったら村外に行く。通学できているのではないか、と想像してみた。
 ぼくは旅行に出かけるとすれば、観光地よりこのようなところの空気を数日息を吸ってみるリアル体験で様々発見できる知的好奇心が活発になるのではないか、という思いがしている。

サウジに勝利し、勝ち点10に

2016-11-16 15:10:51 | サッカー
 前半の最終戦であるサウジアラビア戦は、2-1で勝って、勝ち点10となった。
 
 埼玉スタジアム  観客58420人    レフリー シンガポール

 立ち上がりから日本が攻勢に出た。プレスをかけサウジに楽にプレーをさせなかった。20分に大迫が反転してシュートをしたが、キーパーにキャッチされる。
 サウジは、これまでPKも含めてゴール近くからのフリーキックでの得点が多いので、ファルを取られないようなプレーをしていた。
 サウジが早い段階で2人の選手がイエローをもらい、攻撃の機先をそがれた感じになったかもしれない。
 原口が前線からディフェンスまでピッチ中をランニングをし、清武が前線でチャンスをつくろうとするプレーが多かった。ワントップの大迫、左2列目の久保もよかった。
 サウジはもっぱら前に進むプレーが多い。ドリブルとパスでプレーして走力とも早い。以前のようなロビングのパスはほとんどない。
 30分過ぎからサウジの流れにになったが、ファルをもらおうとするプレーも空振りになっていた。前半終了間際のシュートがサウジのハンドを誘い、PKになった。45分清武がキーパーの逆を突いて決めた。
 前半のシュートは日本が8本、サウジが2本。

 後半も日本が主導権をににぎって進んだ。この試合にかける選手たちの勢いを感じさせた。本田が久保に代わって入ったので、前線でタメができることがあり、前半より落ち着きが出たところもある。本田のプレーは以前のような切れにかける。もともと重心が高くプレーするタイプだが、キックの際以前より腰が高く、正確さと威力がないように見えた。シュートをしたが決められなかった。
 35分に長友(左サイドバック)が上がってクロスに入れたのを香川がスルーをして原口がシュートを決めた。久しぶりに長友の攻撃参加で得点に絡むプレーを見られた。2点になり、勝ちをたぐり寄せたようだった。
 サウジはシューには結びつかないが、ショートカウンターで右から左へ鋭い攻撃もあった。それが得点になったのは45分だった。一緒んにディフェンスが破られてシュートをされたのを西川がはじき、それをまた打たれディフェンスがボールをかきだしたがゴールを割って決まられた。
 ロスタイムを長くとったころもあって、終了時はほっとした。このところ見た試合でなぜか最もハラハラしていた。負けたらW杯への道は険しくなるという気持ちがあったのだろう。とにかく勝ち点10になってよかった。
 サウジは退場者を出したし、選手同士の奸悪な感じもあった。サウジとのアウェーは厳しい環境での試合になるだろう。サウジの選手は以前からそうだが足首あたりに強く当たるプレーが多い。それに加えてファルをもらおうとするプレーが加わり老獪さが増大した。しかしプレーのテクニックは向上して、スピードもあり、手ごわいチームである。
 後半のシュート日本7本、サウジ2本。 CK前後半で、日本6、サウジ1。

 シュート数、コーナーキック数等に表れているように、日本が優位に展開した試合だった。大迫、原口、清武、山口、久保の先発起用によって、期せずして日本選手の交代期にあるということが見えてきた。前線の4人の若手の躍動するプレーが印象に残ったことになった。
 試合の印象としては優位に進めながらも、落ち着きが足りない、緩急の変化がない等の試合展開の戦術的巧みさが加わると相手にダメージを与えながら優位に展開できいるのではないか、と思ったのだった。 

 ハリル監督は、ヨーロッパ基準といってもよい「球際に強い」「縦にパスを出す速い攻撃」をチームに要求している、とぼくは理解している。それはヨーロッパのクラブでプレーしている選手が多いことを踏まえているだろうし、チームに定借しつつある。
 初戦のUAE戦の敗北で劣勢から始まったのでメディアの批判が強くなり、3戦終了ぐらいから解任論が持ち上がった。そのためか、例えば練習の映像に監督が選手と一緒のランニング姿が亡くなった。顔の表情も曇ってきた。4戦目のオーストラリア戦では試合前も後も気の毒なぐらい落ち込んでいた。今回の試合前は、なんと日本式にお辞儀をしていた。ハリルは監督として堂々として姿の方が良い。とにかく監督なんだから。

 ハリル監督は、自分の選手、監督体験に確信があり、それをよりどころにしてサッカーを考えている人だと思う。そのため自分から離れてサッカーを考えられないタイプではないか。それが表れるのは試合中レフリーの判定に異論を唱える。時にはカードではないかと腕を上げるしぐさをする。それに選手に常に何か要求しているようだが、大きく状況把握しての基本的要求というより、その時の選手の状況に反応しているのではないかと推測する。
 まるで選手としてピッチにいるかのようなところがありはしないか、と思っている。選手と一体化して、情熱的であるという見方もできる。
 ただし、レフリーへの注文は今後やめてほうが良い。これは冷静に引いて選挙区を見られなくなるし、選手にも良くないし、何よりレフリーに好印象を持たれない。
 しかしプライドが高い人なので、それをへし折るようだと力を発揮できなくなる。ハリル監督への批判は、協会技術委員会の霜田氏(ナショナルチームダイレクター、DN)と委員長西野氏、副委員長の山本氏の隙間風が吹いているのではとよからぬ推測をしてしまう。セルジオ氏の批判は、その視点に注目しても過剰反応するに及ばない。それとテレ朝の解説者の高揚した話は、テレビという性質の演出の部分を割りびいて聞いた方が良いだろう。ぼくはNHKBSを見るようにしている。とにかく冷静にサッカーの内容を楽しんで、3月からの後半5試合を見ることにする。
 
*視聴率 テレ朝 21.8% ランキング1位 (16-11-24追記)

 

老人時代

2016-11-14 15:59:17 | シニアの暮らし-過去と今と
 80歳を超えた人の自動車事故が続いた。この世代の人は自家用車は軽が普及し始めて、運転は特別な人のものでなくなっていった。仕事では3輪自動車など使われ、自動車免許状を取る人が増え始めた時代だ。多くの人は30歳前後に仕事上などに必要性によって免許を取得した人が多いだろう。その後は業務や生活に車が必要で運転を続けてきた人が多いのではなかろうか。

 15年ぐらい前なら、80歳代で運転する人はまれではなかったのではなかろうか。老人の自動車事故防止のために70歳の講習、免許返納等いくつかの施策をとっているが、さらに75歳以上は認知症の判定等のことを講じている。さらに医療に診断も加えるという。

 ぼくの体験としては、70歳の講習を受けたが視覚的反応テストが多かった。テニスをしているせいか難しくなかった。実技はほとんど誤りなくできた。ところが普段運転していないからなのか、それとも緊張しているのかぼくと同乗していた2人は課題から逸脱していた。ぼくはこの実技を多く課したらどうか、と思ったものだ。テスト方式にして、再テストといったように。そのことが運転技量の自覚になるのではないか、と思ったものだった。

 こういうぼくだがハッとするような運転の誤りをしたことがある。自宅からバス通りに出るときミラーで自動車の有無を確認するときのこと。左に出るときは下のミラーを見るのだが、ある時上のミラーで出た。幸いに後続車が飛び出しに気づいて少し減速したので、ぼくが割り込む形になったのだ。すぐ事の重大さに気づいて、ほっとしてものだ。
 それに車にはめったに乗らないのだが、利用するとき事前に道順事を確認してから出かけるようにしている。ぼくは勤務の関係で今の生活の拠点の周辺のことを知らないからだ。
 それに昨年20キロぐらいの友人のところに出かけたとき、左に曲がってしばらく行って右に曲がるはずなのに、左折が抜けてしまって相当迷ってしまった。いったん家へ引き返したら誤りが分かって再び出かけた。それはショックであったが、自分を認識する機会になったのだった。

 さて、車の事故は老人の変化がある。15年前だと60歳で老い支度を考えただろう。当時は老いにともなう制度として定年制があったのが大きな要因だろう。ニュースステーションを歯切れよくやっていた久米宏(72歳)さんはきっぱりやめて表に出ないように、ラジオあるいはBSテレビの仕事をしている。同じ番組をやっていた古館さんは、以前の定年年齢に新しい番組を始めた。社会的には65歳まで年金が支給されなくなったので、一般的には働いている。
 健康年齢と制度としての社会年齢(定年、高齢者、後期高齢者)が一致しないものだ。ひのはら氏は100歳(卒寿)を超えても仕事をしている。専門性をもって健康であれば当人の条件に合わせて仕事をしやすくすれば可能なのだ。自営業でも相当高齢でも仕事をしている人もいることがテレビで紹介されている。
 健康年齢は個人差が大きい。

 それにしても70歳・古希が社会的活動を閉じるということが、かつては多かった。ある事業で成功した場合など、生活史など出版して知り合いに配ったり。
 おぐらけい(73歳)は70歳で「生前葬」としてコンサートをした。日本歌曲の専門家で伴奏者であるつかだよしお(73歳、歌はたかつけい)は70歳を境に全国的な講習会や自身のコンサートをやめたようだ。
  

 政治の世界では、なかそね氏が確か70歳定年ということが言われたように記憶している。ところが今は幹事長のにかい氏が77歳、財務大臣あそう氏は74歳だ。オリンピック組織委員長のもり氏は79歳で、オリンピックの時は83歳ということだ。ついでにアメリカ大統領になるトランプは70歳だ。
 これらは高度な専門性と経験量が重要なので、車の運転と同一視できないが、現在の老人社会を反映している。

 ついでながら刑務所に老人が多いと報道されている。介護、見取り、葬儀、無縁仏といったことが珍しくないことになっている。

 74歳のみやざきはやお氏が、また作品を作り始めるようだ。氏の「限られた時間で生きるって大変なんだ」という言葉が身につまされる。とくにこれまで動画で創っていたものが、CGでの制作になるということ。

トランプショック

2016-11-11 11:30:14 | 当世世間事情
■立って拍手を贈る
 昨日も寒かったが遠くの公民館であった「成人学級」の一般公開に行ってきた。地域で長い活動歴のある読み聞かせサークルの実際をやった。やさしく語り掛けるような「読み語り」などは共感ができたし、得るものがあった。
 終了時に語った8人ほどが前に並んだら、司会である館長が「立って拍手を」と言ったので、聴いた人が一斉に立って拍手した。ぼくはこの種の催し物で話す立場だったり聞く経験が多いほうだが、この行動は初めての体験だった。
 この頃の作法なっているのか、最大の敬意の表現なのかわからない。自転車で帰路につきながら工事現場等でやる作業確認等の一斉行動に似ているのかな、そう言えば国会でも立って拍手をしたし、といったことがずっと考え続けたのだった。

■トランプショックのアメリカ
 トランプ大統領で国際社会での反応は憂えたり戸惑いが大きい。アメリカは反トランプのデモが幾つかの週で起きているとのことだ。NHK「ニュースウオッチナイン」ではトランプのまき散らした人種差別発言が、移民や子どもの世界に深刻な問題を引き起こしているとの報道をしていた。すでに学校現場に人種差別が持ち込まれている。この報道は他局の解説や観測とちがって光っていた。 メディアがトランプのまき散らしていることの現実に目を向けること重要で、大統領になったら軌道修正するだろうなのといった願望や観測報道は情報の垂れ流しで視聴者を惑わすだけなのだ。
 アメリカに内在している格差、差別といった問題拡大するようにトランプは火をつけたのだ。この火が燃え盛るか下火になるかじっと関心を持っていきたい。改善しないと打ち上げたトランプは、もはや覆い隠せないだろう。クリントンの寛容さと社会保障(オバマケア)を取り下げ、自己責任と排外主義社会が一層すすむ。亀裂も・・・。

■ふるさと納税
 家族が一時期ふるさと納税の返礼の「特産物」に関心を持った。ぼくも年金生活でなければ故郷に納税したかもしれない。しかし税というのは住んでいるところで社会保障あるいは住民としての得る公共サービスを得るための再配分なので、この制度には接近していない。
 わが市ではふるさと納税で6千万ぐらい入って、2億円あまり出て行ったとのことだ。住民が2億円ほど市財政の恩恵を受けられないということだ。これでは住民としては不利益をこうむっているということではないか。
 地方の税収の少ない自治体がほとんどである。この制度は、ふるさと納税の返礼のための特産づくりや物流関係が少しは潤うだろうが、どう見てもぼくにはおかしな政策だと思っている。

 次元の違う話だが、かつて消費者金融の最大手の会社がシンガポールに居住を認められ日本に高額の納税をしなかった。この会社は始めたときも怪しいと思っていたが業績が良いうちにやめて税も逃れた。法的には問題がなくとも企業倫理としてはどうかと思う。と書いてみたが、この事例はふるさと納税と異質だな・・・。

 *市の税額は、新聞報道の記憶によるもの。

電車内化粧

2016-11-10 19:35:12 | 生活・教育・文化・社会
 昨日は隔週に通っている埼玉に行ったが、強い冷たい風が吹いて寒かった。木枯らし1号とのこと。いよいよ晩秋で冬の足音が近づいてくる。
 冬といえば、駅のコンコースには4階ぐらいの高さの巨大なクリスマスツリーが飾られていた。彩鮮やかなライトが施されたものだ。ハロウィンが終わってすぐクリスマス・・・・。

■ 大統領選挙
 帰宅したらアメリカ大統領選挙の開票日のため、それをどのテレビ局も放送していた。トランプが当選確実という報道で驚いた。どこの局のアナウンサーもその意外性からか、慎重で抑制的な声と表情だ。ぼくには沈痛、あるいは嫌悪感という読み取りができそうにも見えた。
 長期間続いた大統領選挙で品位のない暴言と誹謗中傷にへきへきして、ぼくはこのニュースを避けていた。
 アメリカ国民の亀裂、超大国の今後の行方は国際的に影響が強いだけに、これからは注視していかねばならない。

■ 電車内化粧
 購読している新聞で女性の電車内化粧を戒める発言に対して、その理由を化粧のにおいに対する嫌悪感を挙げていた。それに対して男性の加齢臭が迷惑だ、と指摘していた。
 におい論争は日常生活でよくあるもの、例えば家庭での食事等で発生するものは許容すべきではないか。におい体験では、かつて空港では、日本は酢のような匂いを感じたし、ある国の空港はその国のたばこのような初めて感じるにおいだった。においは文化でもあるとその時は思ったものだった。
 電車内のにおいといえば、去年女子高校生が4~5人がたったまま昼食を食べだした。1人が自前の弁当だったので車内にそのにおいがただよった。においが強いので不自然に感じたが、高校時代の昼休みの教室のにおいであり、なつかしく感じた。ぼくはにおい以上に不思議だったのは、彼女らが立ったまま掴まらないで食べていることだった。バランスを保ちながらいることに好奇と若さを感じたのだった。それにかつてなかった公共の場で食べることがよく目にするようになった。
 におい論争で男女が言い合っても排除感が強くなり、対立が鋭くなるだけだ。寛容性がやせ細っていく社会は窮屈になるだけ。
 しかし車内化粧は、教室化粧など公共空間での化粧は戒めるべきだ。化粧は女性が整えるためのプライバシーの行為ではないか。だから公共空間では見たくない、というのがぼくの考えだ。
 ただし、人間はじっとしていられない時にする行為がある。パフォーマンス学では「適応動作」という概念がある。古くからは足を動かす「貧乏ゆすり」といったことだ。スマホを夢中で見るのもその行為だろう。
 スマホは電車では許されるが、歩きながらや運転中となるとこれは、許されない。適応動作が個人の範囲を超えて社会的問題を引き起こすからだ。