『赤ちゃんをわが子として育てる方を求む』
石井光太 作 小学館 2020年4月
1988年に施行された「特別養子縁組」制度。この制度は1人の産婦人科医師の尽力により勝ち取ったものであることを本書によって知った。本書はその産婦人科医師である菊田昇氏の生涯を小説として紡いだ作品である。
「特別養子縁組」とは厚労省のサイトから転載すると、『子どもの福祉の増進を図るために、養子となるお子さんの実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、実の子と同じ親子関係を結ぶ制度』である。つまり、戸籍上、特別養子縁組は養親と養子の親子関係を重視するため、養子は戸籍上養親の子となり実親らとの親族関係がなくなる点で普通養子縁組と異なる。
菊田医師は自身が産婦人科医として赤ちゃんを取り上げていく一方で、望まぬ妊娠をした女性の中絶手術も多く行っていた。その中で妊娠後期もしくは臨月での堕胎手術においては、この世に生を受けたままで死亡させなければならない赤ちゃんも当時は多くおり、産婦人科の現場では闇の部分となっていた。それに対する憤りや後悔のため菊田医師は秘密裏に望まぬ妊娠をした女性と子どもを望む夫婦の橋渡しを行う。それが明るみとなり、「赤ちゃんあっせん事件」として世間を騒がせることになる。それにより、菊田医師は同業者の産婦人科医師達から反感を買い、病院は家宅捜査が行われ、日本母性保護産婦人科医会からは除名されるなど数々の試練に見舞われる。それでも、氏は志を持ちながら国や同業者と戦うことでこの制度を最終的に勝ち取ることになる。
この作品は上記のことは基より、彼の生い立ちについて丁寧に文章を綴っている。彼は遊郭を経営する母親の4番目の子として生まれ育つ。彼は遊郭で働く遊女たちに可愛がられていたが、成長するにしたがい、彼女達の不遇な扱いに疑問を持ち、そしてそれは母親に対する反抗心にもつながっていく。この一連の流れを小説の中のフィクションの出来事として片づけるのではなく、もともとノンフィクション作家として腕をならす作者は、きちんとした取材を重ねて、誤解のないように当時の様子や人物の心情を細やかに描写している。それでも、これらの事実をあえて「小説」に仕上げたということを考えてしまう。先にも書いたように彼は今や飛ぶ鳥を落とす勢いのあるノンフィクション作家である。恐らくルポタージュとして完成させても、十分に伝わる人物伝となったのではないだろうか。あくまでも、私の推測であるが、小説でしか書くことのできない出来事や当時の様子、ルポタージュにして全てを明らかにするには過酷すぎる現実や障壁がそこにはあったのではないかと思っている。
それでもこの作品は十分に当時の暗部に光を当てているばかりでなく、子どもという尊い存在を彼の戦いを通して読者に思い出させてくれている。しかし、彼が勝ち取った「特別養子縁組制度」は施行されて30年以上経ったが、あまり広がりを見せていないのが現実である。生まれてくる子ども、そして女性にしかできない出産をどのような形であれ「幸せ」に変えていくか、私たちは菊田医師からバトンを受け取り、更に考えて行かなければいけないと感じている。
====== 文責 木村綾子