『ふまんがあります』
ヨシタケシンスケ 作 PHP研究所 2015年1
絵本作家の作品としての出会いは第61回産経児童出版文化賞美術賞受賞作品ともなった『りんごかもしれない』(ブロンズ新社 2013年)。りんごが見方次第で別のもの(なのかもしれない)という発想を広げてくれるだけでなく、その「モノ」を問うという部分においては哲学的な内容となっており、「絵本」という括りにとどめることのできない作品である。ページをめくればめくるほどに、どこまでが真実(りんご)でどこからが虚構(別の角度のりんご)なのか見えなくなってくる。つまり、今私たちが知っている「りんご」とは果たして本物の「りんご」なのかという疑問が生まれてくるのである。
今回紹介する本書は、前書以上に虚構の世界が強くなっている。絵本の冒頭は女の子が「いま わたしは おこっている」という文から始まる。何に対して怒っているのかというと、大人はいろいろ「ズルい」からだという。そのため「ふまんがあります」というタイトルになっている。例えば、「おとな よるおそくまで おきているのに、こどもだけ はやくねなくちゃいけないの?」「どうして こどもは、よる ねるまえに おかしを たべちゃ ダメなの?」など。ちなみに前述の大人の応えは「じつは、つぎのクリスマスのために、サンタさんから たのまれた ちょうさいんが、『よる はやく ねるこか どうか』を、なんかいも しらべにくるんだよ」。
こうして書いてみると、こどもの「どうして」という問いに対して、大人がそれに応えるというよくある内容にみえる。しかし、これまでの同じような類のものと比較するとそこには、問いに対する子どもへのファンタジーというものは、見られない。あくまでも大人の都合による「噓」の世界が広がる。秀逸は「どうして パパは じぶんが ほしいものは すぐに かうのに わたしの ほしいものは かってくれないの?」という問いに対する返答。「だって あのぬいぐるみを レジに もっていくと、 おみせのおじさんは じつは わるもので、 パパはつかまって、おにんぎょうに されてしまうんだよ」。ここには虚構の世界だけでなはく、大人のずるがしこさが見え隠れする。これらの応えに対して女の子は半分納得せざる得ない表情をするものの、エンディングでは、実は子どもは大人のそれを全てお見通しであったことを指摘するものとなっている。ここに至るまでの二人のやり取りの距離感が絶妙である。
この作品の対象年齢は「4~5歳から」となっているが、大人の世界に踏み出そうとする10代の子ども達に是非読んでもらいたい作品である。人が生きていくためには、必要な「噓」の世界があり、その「噓」をつくために大人は頭をひねり、ドキマキしながら、実は日常を生活しているという一端を知ることができるのではないだろうか。
本作品は『りゆうがあります』(PHP研究社 2015年)の続編。立場が逆で大人の疑問に対しての子どもが理由を述べているもの。こちらも大人顔負けの虚構の世界が広がっている。 (文責 木村綾子)
ヨシタケシンスケ 作 PHP研究所 2015年1
絵本作家の作品としての出会いは第61回産経児童出版文化賞美術賞受賞作品ともなった『りんごかもしれない』(ブロンズ新社 2013年)。りんごが見方次第で別のもの(なのかもしれない)という発想を広げてくれるだけでなく、その「モノ」を問うという部分においては哲学的な内容となっており、「絵本」という括りにとどめることのできない作品である。ページをめくればめくるほどに、どこまでが真実(りんご)でどこからが虚構(別の角度のりんご)なのか見えなくなってくる。つまり、今私たちが知っている「りんご」とは果たして本物の「りんご」なのかという疑問が生まれてくるのである。
今回紹介する本書は、前書以上に虚構の世界が強くなっている。絵本の冒頭は女の子が「いま わたしは おこっている」という文から始まる。何に対して怒っているのかというと、大人はいろいろ「ズルい」からだという。そのため「ふまんがあります」というタイトルになっている。例えば、「おとな よるおそくまで おきているのに、こどもだけ はやくねなくちゃいけないの?」「どうして こどもは、よる ねるまえに おかしを たべちゃ ダメなの?」など。ちなみに前述の大人の応えは「じつは、つぎのクリスマスのために、サンタさんから たのまれた ちょうさいんが、『よる はやく ねるこか どうか』を、なんかいも しらべにくるんだよ」。
こうして書いてみると、こどもの「どうして」という問いに対して、大人がそれに応えるというよくある内容にみえる。しかし、これまでの同じような類のものと比較するとそこには、問いに対する子どもへのファンタジーというものは、見られない。あくまでも大人の都合による「噓」の世界が広がる。秀逸は「どうして パパは じぶんが ほしいものは すぐに かうのに わたしの ほしいものは かってくれないの?」という問いに対する返答。「だって あのぬいぐるみを レジに もっていくと、 おみせのおじさんは じつは わるもので、 パパはつかまって、おにんぎょうに されてしまうんだよ」。ここには虚構の世界だけでなはく、大人のずるがしこさが見え隠れする。これらの応えに対して女の子は半分納得せざる得ない表情をするものの、エンディングでは、実は子どもは大人のそれを全てお見通しであったことを指摘するものとなっている。ここに至るまでの二人のやり取りの距離感が絶妙である。
この作品の対象年齢は「4~5歳から」となっているが、大人の世界に踏み出そうとする10代の子ども達に是非読んでもらいたい作品である。人が生きていくためには、必要な「噓」の世界があり、その「噓」をつくために大人は頭をひねり、ドキマキしながら、実は日常を生活しているという一端を知ることができるのではないだろうか。
本作品は『りゆうがあります』(PHP研究社 2015年)の続編。立場が逆で大人の疑問に対しての子どもが理由を述べているもの。こちらも大人顔負けの虚構の世界が広がっている。 (文責 木村綾子)