2013年8月その1
『スポーツニュースは恐い』(一般書)
森田浩之 著 NHK出版 2007年9月10日
奇しくも本書を読んでいたのは前書『バカに民主主義は無理なのか?』と同じ時期である。
この時、世間の話題になっていたのが、参議院選挙とフィギュアスケーター安藤美姫選手の出産であった。
本書ではスポーツニュースは「おやじ」であると指摘し、本書の冒頭で女子選手の「結婚」「出産」について述べている。
それだけでも、リアルタイムすぎて驚いていたのだが、更に驚くべきことに次章では「安藤美姫」選手の名前が出てきている。
これを「偶然」として納めてしまって果たしていいものなのだろうか。まずはその点をあえて記しておく。
さて、先にスポーツニュースは「おやじ」として本書は指摘していると書いた。
具体的にどのようなことなのであろうか。著者によると、「スポーツ」は「男の最後の砦」なのだそうだ。
かつては女性がこの領域に踏み込むことはなく、スポーツをしたとしても限られるものであった。
しかし、そこへこれまで男性にしか出来なかったプレーやパフォーマンスを女性がするようになり、男は「落ち着かなくなった」という。
そこで、男性は「最後の砦」を守るために、女性を「女性らしい場所」に追いやるために、スポーツニュースはスポーツの勝敗とはほぼ関係のない記述をしているのだというのである。
また、この件だけでなく、第3章では「人間関係」、第4章では「国づくり」、更には「日本を背負わされる<メジャーリーガーの物語>」と「おやじ目線」は続く。
読んでいるだけで呆れるほどの「おやじ」的内容が出てくるのであるが、確かに振り返ってみるとスポーツニュースはその勝敗や選手の練習風景だけでなく、ワイドショー的内容が存分にある。
指摘されなければ、それも含めて「スポーツニュース」であると誰もが信じて疑わないだろう。
「スポーツニュース」という概念を改めて考えさせられる。
それだけではない。「おやじ」目線だけでは、未だに男尊女卑の「今」を知らない「おやじ」で話は片付くところである。
スポーツニュースは、時代の流れを知らない古い体質なのだという突っ込みをすればいい。
しかし、それだけでは話が終わらないのが本書である。
この「おやじ」目線、国のイデオロギーが裏に隠れているというのが著者の主張である。
それが第4章の「国づくり」以降の話題となる。
この指摘通り読んでいくと、「おやじ目線」は笑い事ではすまない話となる。
結局のところこの日本という国を「ある種の形」として刷り込む一端を担っていることになる。
極論を言えば、「洗脳」であろう。スポーツを語らないで、「日本」というものを「刷り込んでいる」のがスポーツニュースというのが本書の言い分となるのである。
安藤美姫選手の話題に戻る。偶然とは言え、このタイミングで本書を読みつつ、スポーツニュースを目にしていると、私自身がそれ以前に感じていた以上に「おやじ目線」が痛すぎる。
少子化の心配、日本の国を背負うスポーツ選手を賞賛とはまったく反対の報道は一体何をメディアは望んでいるのだろうか。
「日本」という国を刷り込んでいるとしたら、もしや少子化を望み、スポーツ選手が活躍できる場を取り上げるのが本音のところでの国策なのではないかと考えてしまう。
日本はどこを目指しているのか。それでも、その中で凛と氷上を舞う選手としての彼女の姿に私はエールを贈りたい。
その中であえて「おばさん目線」で彼女に声をかけるとしたら、「産後は十分に体を休めてね」。
彼女の今後の活躍をますます期待したい。
『スポーツニュースは恐い』(一般書)
森田浩之 著 NHK出版 2007年9月10日
奇しくも本書を読んでいたのは前書『バカに民主主義は無理なのか?』と同じ時期である。
この時、世間の話題になっていたのが、参議院選挙とフィギュアスケーター安藤美姫選手の出産であった。
本書ではスポーツニュースは「おやじ」であると指摘し、本書の冒頭で女子選手の「結婚」「出産」について述べている。
それだけでも、リアルタイムすぎて驚いていたのだが、更に驚くべきことに次章では「安藤美姫」選手の名前が出てきている。
これを「偶然」として納めてしまって果たしていいものなのだろうか。まずはその点をあえて記しておく。
さて、先にスポーツニュースは「おやじ」として本書は指摘していると書いた。
具体的にどのようなことなのであろうか。著者によると、「スポーツ」は「男の最後の砦」なのだそうだ。
かつては女性がこの領域に踏み込むことはなく、スポーツをしたとしても限られるものであった。
しかし、そこへこれまで男性にしか出来なかったプレーやパフォーマンスを女性がするようになり、男は「落ち着かなくなった」という。
そこで、男性は「最後の砦」を守るために、女性を「女性らしい場所」に追いやるために、スポーツニュースはスポーツの勝敗とはほぼ関係のない記述をしているのだというのである。
また、この件だけでなく、第3章では「人間関係」、第4章では「国づくり」、更には「日本を背負わされる<メジャーリーガーの物語>」と「おやじ目線」は続く。
読んでいるだけで呆れるほどの「おやじ」的内容が出てくるのであるが、確かに振り返ってみるとスポーツニュースはその勝敗や選手の練習風景だけでなく、ワイドショー的内容が存分にある。
指摘されなければ、それも含めて「スポーツニュース」であると誰もが信じて疑わないだろう。
「スポーツニュース」という概念を改めて考えさせられる。
それだけではない。「おやじ」目線だけでは、未だに男尊女卑の「今」を知らない「おやじ」で話は片付くところである。
スポーツニュースは、時代の流れを知らない古い体質なのだという突っ込みをすればいい。
しかし、それだけでは話が終わらないのが本書である。
この「おやじ」目線、国のイデオロギーが裏に隠れているというのが著者の主張である。
それが第4章の「国づくり」以降の話題となる。
この指摘通り読んでいくと、「おやじ目線」は笑い事ではすまない話となる。
結局のところこの日本という国を「ある種の形」として刷り込む一端を担っていることになる。
極論を言えば、「洗脳」であろう。スポーツを語らないで、「日本」というものを「刷り込んでいる」のがスポーツニュースというのが本書の言い分となるのである。
安藤美姫選手の話題に戻る。偶然とは言え、このタイミングで本書を読みつつ、スポーツニュースを目にしていると、私自身がそれ以前に感じていた以上に「おやじ目線」が痛すぎる。
少子化の心配、日本の国を背負うスポーツ選手を賞賛とはまったく反対の報道は一体何をメディアは望んでいるのだろうか。
「日本」という国を刷り込んでいるとしたら、もしや少子化を望み、スポーツ選手が活躍できる場を取り上げるのが本音のところでの国策なのではないかと考えてしまう。
日本はどこを目指しているのか。それでも、その中で凛と氷上を舞う選手としての彼女の姿に私はエールを贈りたい。
その中であえて「おばさん目線」で彼女に声をかけるとしたら、「産後は十分に体を休めてね」。
彼女の今後の活躍をますます期待したい。