2013年6月定期その1
『天才の時間』(一般書)
竹内薫 著 NTT出版 2008年
「天才の時間」ってなんだろう?
というフレーズで始まるこの1冊。
私の場合、そもそも「天才」って何だ?とすら思っている今日この頃。
そのまま文章の引用を続ける。
僕は、科学作家という商売柄、古今東西の天才たちの業績を本でとりあげることが多い。長年、そういった仕事をしているうちに、僕は、だんだんと「天才たちには、ある共通点があるのではないか?」という想いを強くしていった。その共通点とは、ズバリ、「休暇」である。(「はじめに」より)
著者は、寝る間も惜しんで頑張る人や、逆にさしたる苦労もしないで、閃いてしまう人たちではないと言っているのである。本書では、著者のいう「休暇」を持って、天才たる所以となった13人を取り上げ、その「休暇」について持論を展開したものである。
「休暇」と言えば、ただの凡人である私は「仕事」のない日を思い浮かべる。いや、それしかないとすら言える。この凡人に等しい「休暇」を持ったために天才となったのが万有引力の法則を見つけたニュートンとされている。ニュートンの場合、大学に在籍していた当時、ペストが流行し、大学が閉鎖される。そのため、ニュートンは故郷に戻ったわけだが、やることがないので、自分が研究していたことをノートにひらすら書き留めるという作業をしていたという。その期間20ヶ月。2年を少し切るぐらいとなるわけだが、この期間に全てのアイデアが出尽くし、今尚科学史に名を残すニュートンが出来上がったというわけである。
著者によると、この大学の閉鎖がなければ、ニュートンはこれらの業績を残してはいなかっただろうという。ただ、この「休暇」。凡人に20ヶ月と言う「休暇」なほぼ無いに等しい。頑張っても2週間が限界であろう。こうして考えると、その「運」を引き寄せる力こそ「天才」なのかもしれない。
しかし、「休暇」はこのニュートンのように、本当に「暇」な状態だけを指してはいない。宇宙論で名を馳せているスティーブ・ホーキングの場合は、彼の病気を「休暇」として著者は示している。ホーキング博士がALSという難病であることも科学者に加えて誰もがしる事実である。しかし、私は彼がこの病気を発症したのが、20代前半であり、その当時余命2年という宣告を受けているのを本書で知った。それから、50年余り、不自由であるが、余命という言葉をどこ吹く風である。著者は病気になったことを「休暇」と聞いたら、本人には怒るであろうと書いています。それでも、著者が「休暇」としているのは、実際、ホーキング博士は「病気になって暇になった」と公言しており、その「暇」は体が不自由なため、大学での雑務から解放されたとも話している。つまり、このことより、著者は時間のとられる雑務が天から免除されたことにより脳の中で温めていたアイデアをひたすら考える時間を持てるようになったとしているのである。実際、ホーキング博士は病気になったことが引き金で、莫大な量の論文を発表しているそうである。
著者は「休暇」を言い換えるならば「熟成期間」としている。それはこの13人、別々の形で、しかもその期間の長さもそれぞれである。宮沢賢治では、妹を亡くした以降を著者は熟成期間としているし、北野武にいたっては、長い下積み生活を「休暇」として著者は表している。
しかし、著者が指摘しているように、総じて13人は、この「休暇」をただの「暇つぶし」にはしていない。意識的、無意識的にしろ、その次に起こる何かのためにつながる何かをやっているということだ。そして、著者はあとがきで、このようにも書いている。
世間に気づかれずに死んでゆく天才も大勢にいる。そういった「表に出ない」天才たちは、天からきちんと休暇を与えられ、筋書き通りに熟成し、大きな仕事を成し遂げる。~略~
そもそも、天才の仕事を見て、その内容を理解し、さらに評価さえできるような人間は、世の中にほとんどいない。人は、とかく感情に流されがちで、すぐに他人の業績に嫉妬したり、自分と比べて羨ましくなって、逆に無視したりする。(p260)
なるほどと思う。天才と言われる人と比べる時点で凡人に成り下がると解釈しても良さそうである。そんな暇があるなら、まさに自分自身の中に与えられた「休暇」を自分のために使うということがまずは天才になる一歩なのであろう。
先にあげた、4人の天才以外に本書では、ダーウィン、サラマヌジャン、ペレルマン、エッシャー、カント、ヴェイトゲンシュタイン、ユング、鈴木光司を紹介している。読み手はどのタイプの天才たちに近い「休暇」を持つことになるだろうか。興味深いところである。
『天才の時間』(一般書)
竹内薫 著 NTT出版 2008年
「天才の時間」ってなんだろう?
というフレーズで始まるこの1冊。
私の場合、そもそも「天才」って何だ?とすら思っている今日この頃。
そのまま文章の引用を続ける。
僕は、科学作家という商売柄、古今東西の天才たちの業績を本でとりあげることが多い。長年、そういった仕事をしているうちに、僕は、だんだんと「天才たちには、ある共通点があるのではないか?」という想いを強くしていった。その共通点とは、ズバリ、「休暇」である。(「はじめに」より)
著者は、寝る間も惜しんで頑張る人や、逆にさしたる苦労もしないで、閃いてしまう人たちではないと言っているのである。本書では、著者のいう「休暇」を持って、天才たる所以となった13人を取り上げ、その「休暇」について持論を展開したものである。
「休暇」と言えば、ただの凡人である私は「仕事」のない日を思い浮かべる。いや、それしかないとすら言える。この凡人に等しい「休暇」を持ったために天才となったのが万有引力の法則を見つけたニュートンとされている。ニュートンの場合、大学に在籍していた当時、ペストが流行し、大学が閉鎖される。そのため、ニュートンは故郷に戻ったわけだが、やることがないので、自分が研究していたことをノートにひらすら書き留めるという作業をしていたという。その期間20ヶ月。2年を少し切るぐらいとなるわけだが、この期間に全てのアイデアが出尽くし、今尚科学史に名を残すニュートンが出来上がったというわけである。
著者によると、この大学の閉鎖がなければ、ニュートンはこれらの業績を残してはいなかっただろうという。ただ、この「休暇」。凡人に20ヶ月と言う「休暇」なほぼ無いに等しい。頑張っても2週間が限界であろう。こうして考えると、その「運」を引き寄せる力こそ「天才」なのかもしれない。
しかし、「休暇」はこのニュートンのように、本当に「暇」な状態だけを指してはいない。宇宙論で名を馳せているスティーブ・ホーキングの場合は、彼の病気を「休暇」として著者は示している。ホーキング博士がALSという難病であることも科学者に加えて誰もがしる事実である。しかし、私は彼がこの病気を発症したのが、20代前半であり、その当時余命2年という宣告を受けているのを本書で知った。それから、50年余り、不自由であるが、余命という言葉をどこ吹く風である。著者は病気になったことを「休暇」と聞いたら、本人には怒るであろうと書いています。それでも、著者が「休暇」としているのは、実際、ホーキング博士は「病気になって暇になった」と公言しており、その「暇」は体が不自由なため、大学での雑務から解放されたとも話している。つまり、このことより、著者は時間のとられる雑務が天から免除されたことにより脳の中で温めていたアイデアをひたすら考える時間を持てるようになったとしているのである。実際、ホーキング博士は病気になったことが引き金で、莫大な量の論文を発表しているそうである。
著者は「休暇」を言い換えるならば「熟成期間」としている。それはこの13人、別々の形で、しかもその期間の長さもそれぞれである。宮沢賢治では、妹を亡くした以降を著者は熟成期間としているし、北野武にいたっては、長い下積み生活を「休暇」として著者は表している。
しかし、著者が指摘しているように、総じて13人は、この「休暇」をただの「暇つぶし」にはしていない。意識的、無意識的にしろ、その次に起こる何かのためにつながる何かをやっているということだ。そして、著者はあとがきで、このようにも書いている。
世間に気づかれずに死んでゆく天才も大勢にいる。そういった「表に出ない」天才たちは、天からきちんと休暇を与えられ、筋書き通りに熟成し、大きな仕事を成し遂げる。~略~
そもそも、天才の仕事を見て、その内容を理解し、さらに評価さえできるような人間は、世の中にほとんどいない。人は、とかく感情に流されがちで、すぐに他人の業績に嫉妬したり、自分と比べて羨ましくなって、逆に無視したりする。(p260)
なるほどと思う。天才と言われる人と比べる時点で凡人に成り下がると解釈しても良さそうである。そんな暇があるなら、まさに自分自身の中に与えられた「休暇」を自分のために使うということがまずは天才になる一歩なのであろう。
先にあげた、4人の天才以外に本書では、ダーウィン、サラマヌジャン、ペレルマン、エッシャー、カント、ヴェイトゲンシュタイン、ユング、鈴木光司を紹介している。読み手はどのタイプの天才たちに近い「休暇」を持つことになるだろうか。興味深いところである。