FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

意図的

2012年11月15日 | 雑感

 14日のTV党首討論で野田首相が、野党第一党自民党の安倍総裁に解散時期を明らかにして承認を迫る、という大芝居を演じた。TVカメラを意識したその演技力は、主演男優賞ものの迫力ではあったが、またもや民・自・公でかってに決めてしまった。

今までグズグズして引き延ばしていたものを、なぜこの場で唐突にという疑問も、これは第3極の連携、結集がまだ出来ていないうちに行いたいということらしい。なるほど…だ。第3極は政策に違いはあっても、官僚に主導されるこの国の政治の閉塞状況をなんとか変えなければならない、ということでは一致しているし、背後で中央集権体制をこのまま維持し既得権益を守りたいという、霞ヶ関が背後でコントロールしているということのようだ。

何十年も官僚主導から政治主導へとこの国の行政の仕組みを根本から変えようと訴えてきている小沢さんは、記者クラブの廃止など、マスメディアの改革も主張してきた。そういう意味では官僚だけではなく、マスメディアが最も恐れる政治家。無罪判決後の記事も、なぜ自分たちがこれまで推定無罪の精神を放棄してまで犯罪人扱いし、狙い撃ちにしてきたかの反省もなく、翌日のひどい社説には”あいた口がふさがらない”。

「無罪一郎」の垂れ幕をもって、ビルが林立する街中の道路を走っている小沢さんの姿に、「オレの不名誉な日々をどうしてくれるんだ!?」という文字が付いた山田紳さんの一コマ漫画。言い訳しないだけ、こっちがよっぽど上等に見える。

爆弾宣言の後に登場した小沢さんの党首討論は、応援演説で飛び回っているのか声が枯れているようでもあり、いささか印象が薄かったが、少ししゃがれた声で質したのは、政権交代に託した国民が願う正論だった。

このところの3党合意については、政党のエゴや目先の利権でもって結論が導き出される場合が多い。特に特例公債法案については、内容を見ると、大抵、誰が見ても憲法上、財政法上の大きな問題点をはらんでいるのではないか。時間がかかっても、もっと丁寧な議論をしていくべき。当面の必要性のみで、基本的なことについての問題意識がなおざりにされているのではないかと心配している。

2009年政権交代については、官僚主導の中央集権から政治主導の地方分権、地域主権という国の行政、社会の仕組みを根本的に変えるということが最大の前提に立っていたのではないか。09年マニフェストは内容がいけなかったのかということで議論されているのか、内容は良かったけれど実際は出来なかったのか。その両方なのか。

地方に対する一括交付金については、実際上は自由に使えるお金ではない。今までと同様、それ以上に書類のチェックが多くなっている。これでは前の補助金と変わらない…と指摘。

10分間の制限時間は短すぎた。もっと時間があれば…と思うが、小沢さんが淡々としているように見えるのは行政の仕組みを変えるという大改革は、そう簡単に短い時間では実現しないと考えているからではないだろうか。

小沢さんが報道されようとすると必ず邪魔が入る。10月25日の「国民の生活が第一」の結党パーティーの時は同日、午後3時に突然、石原都知事の辞任報道で打ち消されてしまったし、11月12日の小沢さんの控訴審無罪報道のときにも、同じく石原元都知事が新党の命名披露会見なるものに邪魔された。そして今回は直前の野田総理の度肝を抜く解散時期明言によって、TV画面には野田総理がどうした…の文字が入っていた。どう考えても意図的としか思えないが、今はインターネットの情報のほうが真実を伝えている。無邪気な目で世論操作に騙されてしまう国民ばかりではない。

16日解散、12月16日投票という日程が決まってから、何が選挙のテーマなのかは脇に追いやられ、報道は政治家の動きばかり追いかけている。野田首相は惨敗を予想して、選挙後の大連立で生き残ることを視野に入れているという報道があった。自分たちのグループだけで残ればいいというのだから、ひどいものだ。菅さんが小沢さんを排除してから、民主党は仲間を切り捨てるという、こういうことが平気でまかり通るようになった。自民党と組んで原発再稼働、消費税増税、霞が関中央集権体制の維持、なんでもアメリカの言うとおりという日米同盟の強化と、並べるだけでぞっとする。いつか来た道へ逆戻り…



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