WOWOWの舞台中継。日生劇場での蜷川幸雄演出による藤原竜也のロミオ、鈴木杏のジュリエット。舞台には、奥に建物の壁面のように、多分10代の若い男女が正面を向いた白黒の写真になっている。数え切れないくらいの人数。これは若くしてなくなった若い男女だろうか。その前に3階建ての構造になる狭い廊下くらいの歩く場所が取り付けられて、役者は両端にある階段を使ったり、使わないで飛び降りるような恰好をしたりで、2階と1階を行き来している。
中世の時代。モンタギュー家とキャピュレット家は長い確執の間柄。その1人息子のロミオと一人娘のジュリエットが舞踏会で出会う。結婚まで約束するが、ロミオの親友のマキューシオがジュリエットの従兄のティボルトに刺されたことで亡くなってしまう。その怒りからロミオはティボルトを殺め、ヴェローナの町から追放の処分を受ける。
ジュリエットは父親からすすめられた結婚話があり、神父のところへ助けを求めて駆け込む。神父は仮死状態になる秘薬をジュリエットに飲ませ、それを追放先のロミオに手紙で知らせるつもりで使いを出したが、これが障害によって届かなかった。明日は婚礼という晩に再びロミオと会えることを信じてジュリエットは秘薬を飲んだ。ロミオのもとには友人がジュリエットが亡くなったという知らせを持ってくる。
墓所に行ったロミオはもう一度ジュリエットを見にきていた結婚相手を刺し、自分も手に入れた毒薬を飲み干して、ジュリエットの傍に横たわる。仮死状態から目覚めたジュリエットの傍には、毒薬を飲んだロミオがいた。絶望したジュリエットは傍にあった短剣で胸を突き、目覚めない眠りについた。
これは今まで何回も映画を見ていて、余りにもそのイメージが強すぎて、斬新な蜷川ワールドに浸りきれなかった。ハムレットのように様々な人間が入り組んだ複雑な関係からなるというより、ほとんどロミオとジュリエットの世界になってしまうからだろう。
ハムレットでホレイショー役をやったマキューシオがスピード感のある動きで印象に残った。藤原竜也は杏ちゃんとのからみは照れくさそうだったけど、ファンになるとどのお芝居も贔屓目になってしまうのかもしれない。杏ちゃんは花びらのようなドレスがどれもかわいらしく、一人で長いセリフを堂々といえて大したものだと感心したけど、どうしてもイメージが合わなかった。それには理由があってー。
オリビア・ハッセーのジュリエットによる中世の時代性を出したフランコ・ゼフィレッリ監督のものと、現代に時代設定したレオナルド・ディカプリオとクレア・ディーンズの印象が強すぎるからだ。殆ど2人のイメージで決まってしまうという点ではかえって訴えかけが難しいのかもしれない。これは若い世代の為のお芝居であり、若さがなくなると感動は難しい物語といえそうだ。
中世の時代。モンタギュー家とキャピュレット家は長い確執の間柄。その1人息子のロミオと一人娘のジュリエットが舞踏会で出会う。結婚まで約束するが、ロミオの親友のマキューシオがジュリエットの従兄のティボルトに刺されたことで亡くなってしまう。その怒りからロミオはティボルトを殺め、ヴェローナの町から追放の処分を受ける。
ジュリエットは父親からすすめられた結婚話があり、神父のところへ助けを求めて駆け込む。神父は仮死状態になる秘薬をジュリエットに飲ませ、それを追放先のロミオに手紙で知らせるつもりで使いを出したが、これが障害によって届かなかった。明日は婚礼という晩に再びロミオと会えることを信じてジュリエットは秘薬を飲んだ。ロミオのもとには友人がジュリエットが亡くなったという知らせを持ってくる。
墓所に行ったロミオはもう一度ジュリエットを見にきていた結婚相手を刺し、自分も手に入れた毒薬を飲み干して、ジュリエットの傍に横たわる。仮死状態から目覚めたジュリエットの傍には、毒薬を飲んだロミオがいた。絶望したジュリエットは傍にあった短剣で胸を突き、目覚めない眠りについた。
これは今まで何回も映画を見ていて、余りにもそのイメージが強すぎて、斬新な蜷川ワールドに浸りきれなかった。ハムレットのように様々な人間が入り組んだ複雑な関係からなるというより、ほとんどロミオとジュリエットの世界になってしまうからだろう。
ハムレットでホレイショー役をやったマキューシオがスピード感のある動きで印象に残った。藤原竜也は杏ちゃんとのからみは照れくさそうだったけど、ファンになるとどのお芝居も贔屓目になってしまうのかもしれない。杏ちゃんは花びらのようなドレスがどれもかわいらしく、一人で長いセリフを堂々といえて大したものだと感心したけど、どうしてもイメージが合わなかった。それには理由があってー。
オリビア・ハッセーのジュリエットによる中世の時代性を出したフランコ・ゼフィレッリ監督のものと、現代に時代設定したレオナルド・ディカプリオとクレア・ディーンズの印象が強すぎるからだ。殆ど2人のイメージで決まってしまうという点ではかえって訴えかけが難しいのかもしれない。これは若い世代の為のお芝居であり、若さがなくなると感動は難しい物語といえそうだ。
ロミオとジュリエットという話はさすがに演劇好き、藤原竜也好きでなくとも知っている。だから、これをどう見せるかというのは役者の魅力であるように思う。
実は、今回見ている間は、今回はシリアスが真骨頂の蜷川演出も、コミカルな部分とか、原作に忠実になろうとして、話を見せるのに少し間延びしているなぁと思ったのだけど、最後にカーテンコールで笑顔の杏ちゃんが出てきて、なぜかそれでおかしいくらい涙が出て泣けたのだ。不思議だ。
杏ちゃん自体はとてもかわいらしくて好きな女優さんだし、演技もとてもうまいと思う。でも、悲恋というのは演技では超えられないものがあるように感じた。イメージとか、その人に死の影を投影できるはかなさというか、そういうどうしようもないものが必要である気がする。恋をキラキラしたものとして描く前半はなんだか恥ずかしそうながらも素敵だけれど、命を懸けるほど思いつめたりする、そのなんだか一種の狂気じみた思い込みの後半はすっと入らなかった。人を好きになるというか、自分の中の恋を突き通すというか、それを見せることを杏ちゃんはまだできないのかもしれないと、想像した。
でも、竜也くんは王子様ぶりを遺憾なく発揮しており、前半の軽快な言い回しやチャーミングな笑顔を振りまくところは新しい魅力であるように思った。
だから、蜷川さんのいつものあのシリアスな演出と違って前半には新しい見所があるように思った、けど、後半の死に至る部分に何だかあっけなさすら漂ったのは、やっぱり、人には得意分野があって、蜷川さんや竜也くんはシリアスな部分を切なく見せるということだと思うけど、杏ちゃんはやはり光の似合う健康的な人で、なんだかかみあわないような気がしたからだと思う。
ハムレットがあまりにもすばらしく、藤原竜也と蜷川さんを見直した舞台だったので、期待が大きくて、その期待通りではなくて何か残念にも思ったけれど、竜也くんの新しい魅力を打ち出すというのは面白いと思うので、別の作品でも見てみたい。