2002年/カナダ/イタリア/98分。世界のどこかに自分の居場所を見つけるために必要な勇気を描いたそうだ。大人になった女たちの自分探しの映画。この映画が100本目というソフィア・ローレン、ミラ・ソルヴィーノ、デボラ・カーラ・アンガーに、ピート・ポスルスウェイト、ジェラール・ドパルデュー、マルコム・マクダウェルの男優たち。イタリア人、フランス人もカナダのトロントを舞台に英語のセリフで通している。
オリビア(ソフィア・ローレン)は車椅子の夫、ジョン(ピート・ポスルスウェイト)と長く生活を共にしている。ジョンは仲間と年金を賭けながらカードを楽しみ、一方のオリビアは昼間パートで働きながら、公園のベンチに行っては好きな絵のデッサンをして、花壇や温室を管理するマックス(ジェラール・ドパルデュー)と会話をすることもある。夫はそういうオリビアを知らなかった。オリビアはいつか芸術の都フィレンツェへ行くという夢を断ち切ることが出来ない。
ナタリア(ミラ・ソルヴィーノ)には『TIME』などの雑誌の表紙を何枚も飾った高名なフォト・ジャーナリストの父親がいる。アンゴラで撮った写真が雑誌の表紙となり、父親を喜ばせた。しかし、いろいろ思い起こすうちに、実は目の前の少女を助けないでシャッターを押す行為を選んだ自分が許せなくなり、父親の期待を背に今後どうするか悩みだす。
チェロ奏者のキャサリン(デボラ・カーラ・アンガー)は夫と娘がいながら、母親を死に追いやった父親アラン(マルコム・マクダウェル)が22年の刑に服した後出所してきたことで、父親を殺すということにとらわれ、家庭にも戻らず、音楽活動にも集中できなくなる。・・・
それぞれが独立した一本の映画になりそうな問題ばかり。カメラマンのナタリアの問題は女だからというのとちょっと違って、たとえば戦場ジャーナリストなら一度は悩む道、という感じだ。画面は彼女たちの心に寄り添うように撮りながら、一人称ではなく、オリビアの夫ジョンの立場も描いたり、子供の頃にはわからなかった、キャサリンの父親の葛藤も次第にわからせるように描いている。
オリビアには少女時代にあった出来事が伏線としてあり、夢のような願望というより、人生をやり直すというものがあり、これが強い意志を後通ししている。主婦が家族のためではなく、人生を振り返る年齢になり自分のための人生を求めはじめる。仕事に対するあり方が生き方まで変える、しかも豊かな国に生きる人間であるが故の悩み。音楽家という仕事でそれなりに成功している身でありながら、両親にDVがあったのか。というようにそれぞれに現代的な問題を含んでいる。
問題が多すぎて詰め込みすぎているという感がしないでもないが。俳優陣も豪華で、それぞれの出演した映画を思い出したりという楽しみもある。大人には生活があり、周囲の振り回されようには大変だなあとそっちに同情する気も起きないでもない。それでも3人の笑顔が何より素晴らしい。
ソフィア・ローレンを久しぶりに見た。息子の監督デビューを飾って嬉しいことだろう。背筋がぴんと伸びて、ゆっくり歩く動作も昔のままだ。『特別な一日』が一番鮮烈な記憶。ピート・ポスルトウェイトはなんといっても『ブラス!』の指揮者の役。威風堂々の音楽をバックにアップになった彼の顔はいつまでも忘れられない。
マルコム・マクダウェルは『イフ』だったか。60年代後半、学生の反乱が当時の空気をあらわした映画が衝撃だった。白髪になって年を取ったなあ。ミラ・ソルヴィーノが際立って綺麗だった。身の上相談のように身につまされて見てしまう女性のための映画。3人の人生は、その後どうなっているだろうか。
オリビア(ソフィア・ローレン)は車椅子の夫、ジョン(ピート・ポスルスウェイト)と長く生活を共にしている。ジョンは仲間と年金を賭けながらカードを楽しみ、一方のオリビアは昼間パートで働きながら、公園のベンチに行っては好きな絵のデッサンをして、花壇や温室を管理するマックス(ジェラール・ドパルデュー)と会話をすることもある。夫はそういうオリビアを知らなかった。オリビアはいつか芸術の都フィレンツェへ行くという夢を断ち切ることが出来ない。
ナタリア(ミラ・ソルヴィーノ)には『TIME』などの雑誌の表紙を何枚も飾った高名なフォト・ジャーナリストの父親がいる。アンゴラで撮った写真が雑誌の表紙となり、父親を喜ばせた。しかし、いろいろ思い起こすうちに、実は目の前の少女を助けないでシャッターを押す行為を選んだ自分が許せなくなり、父親の期待を背に今後どうするか悩みだす。
チェロ奏者のキャサリン(デボラ・カーラ・アンガー)は夫と娘がいながら、母親を死に追いやった父親アラン(マルコム・マクダウェル)が22年の刑に服した後出所してきたことで、父親を殺すということにとらわれ、家庭にも戻らず、音楽活動にも集中できなくなる。・・・
それぞれが独立した一本の映画になりそうな問題ばかり。カメラマンのナタリアの問題は女だからというのとちょっと違って、たとえば戦場ジャーナリストなら一度は悩む道、という感じだ。画面は彼女たちの心に寄り添うように撮りながら、一人称ではなく、オリビアの夫ジョンの立場も描いたり、子供の頃にはわからなかった、キャサリンの父親の葛藤も次第にわからせるように描いている。
オリビアには少女時代にあった出来事が伏線としてあり、夢のような願望というより、人生をやり直すというものがあり、これが強い意志を後通ししている。主婦が家族のためではなく、人生を振り返る年齢になり自分のための人生を求めはじめる。仕事に対するあり方が生き方まで変える、しかも豊かな国に生きる人間であるが故の悩み。音楽家という仕事でそれなりに成功している身でありながら、両親にDVがあったのか。というようにそれぞれに現代的な問題を含んでいる。
問題が多すぎて詰め込みすぎているという感がしないでもないが。俳優陣も豪華で、それぞれの出演した映画を思い出したりという楽しみもある。大人には生活があり、周囲の振り回されようには大変だなあとそっちに同情する気も起きないでもない。それでも3人の笑顔が何より素晴らしい。
ソフィア・ローレンを久しぶりに見た。息子の監督デビューを飾って嬉しいことだろう。背筋がぴんと伸びて、ゆっくり歩く動作も昔のままだ。『特別な一日』が一番鮮烈な記憶。ピート・ポスルトウェイトはなんといっても『ブラス!』の指揮者の役。威風堂々の音楽をバックにアップになった彼の顔はいつまでも忘れられない。
マルコム・マクダウェルは『イフ』だったか。60年代後半、学生の反乱が当時の空気をあらわした映画が衝撃だった。白髪になって年を取ったなあ。ミラ・ソルヴィーノが際立って綺麗だった。身の上相談のように身につまされて見てしまう女性のための映画。3人の人生は、その後どうなっているだろうか。
僕は、この映画の場所がわからなかったんですね。
空気が、ちょっとヨーロッパではないし、英語だけどアメリカではないし・・・、と。
途中で、トロントだと、わかりました。
それで、なんとなくわかりましたね。
この3人とも、このトロントに深く定着していませんね。
心は、違う場所にとんでいる。そうした、デラシネ像は、男性には多いけど、このファザコンの女性たちにかぶせたところが、この映画の新しさかな、と思いました。
この土地に定着していないというのは、何か心に空洞があって、今の生活が本当の生活ではない、もっと別な人生があるんだということでしょうか。
女性が生活者以外の、男性と同じように精神的な側面があるとして人生を描くというのは、そういった意味で新しい視点なのかもしれません。
しかし、あの置き去りにする車椅子の夫や置き去りにしていた音楽家の夫と娘を見ると、彼女たちは被害者であると同時に加害者でもあって、自分たちが受けたような苦しみを彼らに与えていた、ということが最後までちょっとひっかかりますね。
あの笑顔が素晴らしいだけに・・・。