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~サッカーを中心に日々の雑感など~

はずむような気持ち

2006年07月23日 | Weblog
毎日モーツァルトは第101回、むく鳥。ピアノ協奏曲第17番。ト長調。第3楽章。K.453.なかなか先へは進まないので、今日は頑張って書いてみようとー。この第17番は、とっても楽しいとおすすめ出来る1曲でもあるからだ。

ゲストはオーボエ奏者の宮本文昭さん。
無人島へ持っていくとしたら、マーラーか、ブルックナーか。みんなそれぞれ素晴らしいと思うんだけど、やっぱりモーツァルトしかないって。その中でも、モーツァルトのピアノコンチェルト(協奏曲)は、ほんとに高級な人が弾かないと駄目なんだけど。

ほんとにモーツァルトを敬愛しきっている、そして、つねにモーツァルトを愛情たっぷりに節度を持って、でもものすごく愛情を、という実に難しいせめぎあいのところを、上手にやっていくという人のモーツァルトのピアノコンチェルトっていうのが、多分、ぼくはモーツァルトの曲の中では、一番モーツァルトを表している。ピアノ協奏曲っていうのは、多分、モーツァルトの音楽のエキスだとぼくは信じています。

1784年春、28歳。一羽のむく鳥を飼い始める。長男の死から9ヵ月後。ピアノ協奏曲第17番は生命力溢れるのびやかな曲。モーツァルトには大きな喜びが訪れていた。妻コンスタンツェの二度目の妊娠。ふたりのウィーンでの暮らしには明るさを取り戻す。

第17番第3楽章、冒頭に登場する旋律。それはむく鳥のさえずりを思わせる。まるでモーツァルトのはずんだ気持ちを作曲したかのようだ。モーツァルトの家計簿にはむく鳥を購入した記録が残されている。

”むく鳥 34クロイツァー それはきれいな声だった!”(モーツァルトの言葉)言葉に続いて、第3章冒頭の旋律が書き込まれていた。そのむく鳥に一遍の詩を捧げていた。

”いとしの道化 一羽のむく鳥 憎めないやつ”
”ちょい陽気なおしゃべり屋 時にはふざける いたずら者
 でも あほう鳥じゃなかったね”

暮らしぶりも豊かになっていった。午前中は貴族の子女のレッスン。午後には演奏会という日々が続いた。ピアノ協奏曲第17番は生徒の一人、プロイヤー嬢に捧げられた。

この曲はプロイヤー嬢の父が主宰する演奏会で初演された。プロイヤー嬢がピアノを演奏し、演奏会は大成功に終わった。一羽のむく鳥に愛情をそそぐほど心に余裕が出来たモーツァルト。モーツァルトの生活にはようやく明るい展望が広がっていった。

第3楽章はなんど聞いても楽しいメロディだ。宮本さんが言っていた、ピアノ協奏曲はモーツァルトの音楽のエキスという言葉にはうなづくものがある。というほど、どれもこれも聞きましたというほど、音楽通ではないにしても、ピアノ協奏曲は素晴らしいなあと思いながら、毎日聞いている。

各章が余り長い時間ではなく分けられて、曲調が大きく違うというところが、現代人にも飽きさせないのだろう。おんなじ調子で何十分も続いたら、重すぎて付いていけないのかもしれない。やはり第3楽章だけでなく、第1、第2と省略せずに聞いてみたほうが、その良さがわかるような気がする。

モーツァルトの人生が音楽に影響するということについては、芸術家が余りしあわせだといい作品が出来ないというのも真理なので、聞く側はその人生の苦しみを果実として聞いているということなのだろう。それでも、こうしてモーツァルトの書き残したものを読んで、その悲しみや喜びの息づかいを知ると、やはりモーツァルトの幸せを願ってしまう。

音楽をバックに流れる映像が、ウィーンの公園に集う人々の自然な表情だった。若いお母さんと遊ぶ子供たち。軽装でジョギングしている人、しっかり着込んで歩いているお年寄りたち。そのなにげない日常の姿が第3楽章と重なり、いっそう楽しげな音楽に響いてきた。