今朝は細かい雪が降る中、朝のゴミだしへ。9日の新聞に、作家の早乙女勝本さんが、東京都台東区で行われた東京大空襲犠牲者遺族による、国に対する被害の賠償と謝罪を求める「原告団結成の集い」についての1文が寄せられていた。
早乙女さんは1945年3月10日、B29による下町大空襲でようやく一命を取りとめ、「炎の夜」が戦後の原点のような気がして、10万人以上が犠牲になった都民の戦禍を記録する会を呼びかけたのがまだ30代だった、そうだ。
そのときに家族4人を失って、その後米軍機の機銃掃射で右腕を失ったある女性の発言。「私たちを戦争の被害者だと国は認めてくれなかった。切り捨てられたという負い目があったから、ずっとこそこそ生きなきゃならなかったの。このままじゃ死ぬに死ねないのよ。」当時19歳だった彼女も、自らの権利を主張する最後の機会と自覚したのか、会場に姿を見せていた。
戦争の被害については「すべての国民が等しく受忍しなければ・・・」の受忍論が法的にも政府答弁でもまかり通っている。しかし、旧軍人軍属の恩給などは、現在の国家予算でも1兆円近い巨額。それも階級別で支給額に差があるのは、「戦中」かとも錯覚させる。
ところが、民間の空襲犠牲者や傷害を受けた人には何の救済措置もとられていない。人権が尊重される時代に国際的にも異例なことで、明らかな不条理ではないか。また、国家のためなら誰もが「等しく」犠牲になっても当たり前だという考え方は、主権在民の憲法の精神にも反するのではないか。
遺族たちが提訴を決断するには61年という歳月が必要だった。憲法の下での平等を求め、何よりも人権と、人間としての尊厳を守るための一歩を踏み出した。この「異議申し立て」の志に打たれたからこそ、弁護団も北海道から沖縄まで、総勢95人。明日の平和の力とも結び合うと信じたい・・・。
今、北朝鮮の核実験(といってもしっかりした証拠となる映像も写真もないが。)のニュースから、にわかに日本も核を持つかどうか議論すべきとか、憲法改定の前哨戦ともいえる教育基本法改定。愛国心を盛り込み、日本国民の人格的な規定をうたうような動きがある。
実際に被害を受けた方々が、こうして軍人だけでなく、市民が平等に救済措置を求めるというのは大きなことだ。(戦後になってようやく「市民」という意識が芽生えた日本と比べ、何世紀にも渡って市民という存在があるヨーロッパなどから、大きく遅れている気がする。)今朝も中国残留孤児の方々が帰国してから高齢になり、頑張って働こうにも働けず、老後の生活の救済を求めている様子がニュースになっていた。
何ほどの人数の人たちが軍人なのだろうか。ほとんどの日本国民は市民としてその被害に立ち向かわなければならないとしたら、非戦を誓った憲法9条を変えるということは、今は実感がないにしても、大きな代償を払っていくことになると思う。
早乙女さんは1945年3月10日、B29による下町大空襲でようやく一命を取りとめ、「炎の夜」が戦後の原点のような気がして、10万人以上が犠牲になった都民の戦禍を記録する会を呼びかけたのがまだ30代だった、そうだ。
そのときに家族4人を失って、その後米軍機の機銃掃射で右腕を失ったある女性の発言。「私たちを戦争の被害者だと国は認めてくれなかった。切り捨てられたという負い目があったから、ずっとこそこそ生きなきゃならなかったの。このままじゃ死ぬに死ねないのよ。」当時19歳だった彼女も、自らの権利を主張する最後の機会と自覚したのか、会場に姿を見せていた。
戦争の被害については「すべての国民が等しく受忍しなければ・・・」の受忍論が法的にも政府答弁でもまかり通っている。しかし、旧軍人軍属の恩給などは、現在の国家予算でも1兆円近い巨額。それも階級別で支給額に差があるのは、「戦中」かとも錯覚させる。
ところが、民間の空襲犠牲者や傷害を受けた人には何の救済措置もとられていない。人権が尊重される時代に国際的にも異例なことで、明らかな不条理ではないか。また、国家のためなら誰もが「等しく」犠牲になっても当たり前だという考え方は、主権在民の憲法の精神にも反するのではないか。
遺族たちが提訴を決断するには61年という歳月が必要だった。憲法の下での平等を求め、何よりも人権と、人間としての尊厳を守るための一歩を踏み出した。この「異議申し立て」の志に打たれたからこそ、弁護団も北海道から沖縄まで、総勢95人。明日の平和の力とも結び合うと信じたい・・・。
今、北朝鮮の核実験(といってもしっかりした証拠となる映像も写真もないが。)のニュースから、にわかに日本も核を持つかどうか議論すべきとか、憲法改定の前哨戦ともいえる教育基本法改定。愛国心を盛り込み、日本国民の人格的な規定をうたうような動きがある。
実際に被害を受けた方々が、こうして軍人だけでなく、市民が平等に救済措置を求めるというのは大きなことだ。(戦後になってようやく「市民」という意識が芽生えた日本と比べ、何世紀にも渡って市民という存在があるヨーロッパなどから、大きく遅れている気がする。)今朝も中国残留孤児の方々が帰国してから高齢になり、頑張って働こうにも働けず、老後の生活の救済を求めている様子がニュースになっていた。
何ほどの人数の人たちが軍人なのだろうか。ほとんどの日本国民は市民としてその被害に立ち向かわなければならないとしたら、非戦を誓った憲法9条を変えるということは、今は実感がないにしても、大きな代償を払っていくことになると思う。