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FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

子ばなれ

2007年02月12日 | Weblog
他人に説教できるほど立派な親ではないが、今日の新聞の生活欄に天野祐吉さんがいいことを書いているなあと思って読んだ。題して「子ばなれのすすめ」。いつもCMについてあれこれ書いているコラムだ。

ミラ(ダイハツ)のCMで、ひとつは息子に肩車された母親が「ちょっと遊んでくる」とミラに乗って去っていく。「母の子ばなれのはじめでした」と息子がつぶやきながら、それを見送る。もうひとつは、息子がバイトで働いているガソリンスタンドに「洗車、お願いします」と母が車でやってくる。

「ガソリンは?」「あまり減らないんだもん」。「遅くなるかも」と言い残し笑顔で走り去る。「母はきれいになって、ぼくからはなれて行く」というもの。母はYOU,息子は柳楽優弥という「誰も知らない」(是枝裕和監督)の名コンビ。そのせいか、言葉以上の空気感がある。たしかにクルマにはうまく使えば”自立”の有用な道具になる。

この前段に今の世の中、子どもが大きくなってもまだ子どもべったりというか、子ばなれ出来ていない親がけっこういる。親ばなれ出来ていない子と比べたら、子ばなれ出来ていない親のほうが多いような気がするということが書いてあった。明治生まれの父も、大正生まれの母も、自信を持って子どもを厳しくしつけていたように覚えている。

昔の親は本気で子どもをしかった。震え上がるほどの迫力があった。今は生活が便利になってきて、その分、親も文化を楽しむ余裕を持てるようになった。子どもを自立させて社会へ送り出すためには、やっぱり子どもから離れることが必要だし、そのためには楽しみを見つけることが先に来る。何をしても昔の親ほどえらくはなれないが・・・。

もう一つは「私の視点」。
歴史認識と愛国心。東大教授(国際法)の大沼保昭さんの1文。世論調査の結果は、94%の人が日本に生まれてよかったと思い、自分は愛国心があるという人が78%。ないという人の20%の4倍である。

他方において、アジア諸国への侵略や植民地支配に対して、実に85%の人が反省する必要があると答えている。反省する必要がないという人は11%に過ぎない。侵略と植民地支配を自虐と批判する意見は、明らかに国民の支持を得ていない。

愛国心がある人ほど反省の必要があると考える傾向が強い。愛国心がまったくない人では反省を必要という答えが63%という答えで、愛国心が大いにある人では反省が必要という答えが、なんと88%にのぼる。

このことはリベラル=非愛国主義者(対)反省は恥ずべき自虐と見る愛国主義者という対立がまったく国民の意識から乖離した虚偽の図式であることを物語る。メディアも「リベラル対愛国主義」というステレオタイプに乗った番組作りや紙面作りを考え直してほしい。

日本に駐在する海外メディアの特派員も、この世論調査の結果を正確に、自国民に伝えてほしい。中国や韓国のメディアが世論調査に示された日本国民の気持ちを正確に伝えてくれるなら、韓国人も中国人も、日本国民が自然な愛国心と過去への反省を持っているを理解してくれるだろう。

愛国心が強いほど自国に誇りを持ち、それゆえに自国の過去を反省し、克服しようと努める。嫌なニュースが多い最近の日本に、こうしたまっとうな感覚があることをうれしく思う。そして世界の一人でも多くの人に知っていただきたい。(おわり)

ほんとですねえー。「まっとうな感覚」が存在した、しかもこれだけのパーセンテージを集めて。Jリーグでは在日4世の柏の李忠成選手が日本国籍を取得したというニュースがあった。そのほかにもハーフといわれる人達、彼らが日本代表として国際試合に出場できるようになれば。もっと日本人の「まっとうな国際感覚」を広く世界に認めさせることができるのではと・・・。










なつかしい映画

2007年02月11日 | Weblog
今冬はあたたかくて、鍋料理の白菜が売れないそうだ。路面も雪がないところがあり運転は助かるが、白い世界が何ヶ月も続くと、無性に鮮やかな色が恋しい。デジタルの鮮やかな映像にひきつけられて、なつかしい映画を見る時間が長くなった。

『大統領の陰謀』1976年/アラン・パクラ監督。出演はロバート・レッドフォード、ダスティ・ホフマン。これは再選を果たしたニクソン大統領が辞任に追い込まれたウォーター・ゲート事件を描いた映画。

主演の二人が記者になり、危ない取材を続けて、事件の真相を暴いていくというもので、実話に近いものらしい。ロバート・レッドフォードはポール・ニューマンと共演した「明日に向って撃て」がなんといっても一番だが、これも負けないくらい印象深い。

ニクソンが1974年に辞任していることを考えると、1976年制作というのは、驚くほどはやい。二人をずっと応援して取材を援護していく上司を演じている俳優の名前が分からないが、この人の存在感が抜群。

「守るべきは憲法の修正1条、報道の自由、この国の未来」と暗闇の中で二人に言う最後のセリフを聞くと、胸がジーンとなる。この当時はまだアメリカにもこういう映画を作る気概があったなあと。ベトナム戦争でたくさんの犠牲者を出しながら、また同じ間違いを犯しているブッシュ大統領に、この映画の題名をそっくり返したい。

最近の映画では俳優のジョージ・クルーニーが監督した「グッドナイト&グッドラック」がこういう流れを汲んでいる映画。これは映画館まで見に行った。1950年代に全米を襲ったレッドパージの嵐に敢然と立ち向かったニュースキャスターがいた!!命がけで報道の自由を守った人間が現場にいた、ということの重み。クルーニーの父親がニュースキャスターだったということで、どうしても映画化しておきたかったというのが大きいようだ。

「ザッツエンターテインメント」はMGMのスターのハイライト集。お目当てのフレッド・アステアを見られて満足ー。パート2になるとかなりおじいちゃんになって登場しているが、ジーン・ケリーと一緒に元気に踊る姿には、うれしいのを通り越して泣けてきたー。これが一番映像の違いを実感した。見事に綺麗な映像になってよみがえっている。華やかで楽しいハリウッド映画全盛の頃の映画。元気だった母の姿とダブってくる。よく映画に連れて行ってくれた母は49歳で亡くなった。











『インドへの道』

2007年02月10日 | Weblog
デビッド・リーン監督/1984年/イギリス/163分。WOWOWで放送があった映画。1928年、英領のインドへ若い女性が婚約者を訪ねて旅をする。その母親と一緒だった。本物のインドを見たいとインド人と婚約者の母親と一緒に洞窟見物に行くが、行き違いからイギリス人とインド人を巻き込む大事件に発展する。

洞窟への観光へ行き、そこでアデラ(ジュディ・デービス)はインド人医師アジズ(ビクター・バーナジー)に暴行されたとして、その場を逃げるようにして帰る。後でそのとき彼女を助けたカレンダー大佐の妻などの証言により、事件としてアジズを告訴することになる。アジズがチャンドラポアの駅に着いてみると、もう事件の重大さが伝わっており、待っていた警察官に逮捕される。

これが一番の映画の核心部分なのだが、そこへ行く前に、いかにインド人が植民地インドで差別的な扱いを受けているかをかなりの時間を割いて描いている。アデラの定まらないこころの動きや、アジズがモア夫人(ペギー・アシュクロフト)に絶大な信頼感を抱くやりとり、モア夫人とともにインド人と対等な立場で人間的なかかわりを持とうとするイギリス人大学長のフィールディング(ジェームス・フォックス)のシーンも出てくる。

モア夫人とアデラが婚約者のいる町、チャンドラポアに着くと、駅には物々しい護衛が立ち並び、その後ろにはインド人が大勢詰め掛けて長官夫妻に歓迎の意を表す。イギリス人たちを乗せた車はインド人たちが生活している狭い道路をものともせず、猛スピードで駆け抜けていく。自転車のアジズと友人は当られて自転車とともに転がってしまう。アジズはイギリス人め!と叫ぶ。

しかしモア夫人にだけは特別だった。イギリス人の倶楽部の入り口前で待っているとき、モア夫人に会う。モア夫人との会話から、その誠実な受け答えにこんなやさしい顔をしたイギリス人を見たことがないと深く感銘を受ける。

そのアジズもアデラとモア夫人を自宅に呼ぶということは出来ない。イギリス婦人は床に座らない。手で食事をしない。テーブルとイスがいる。男はウイスキー、女にはワイン。おまけに給仕人がいる。結局、洞窟観光を選ばざるを得ない。

アデラは複雑な揺れる心の中にいた。まだ自分の中で人生の答えを探している。モア夫人にロニーは嘱望されているの?と問う。だからあなたが来たのよという答えを聞くと、自分のことをいやな女ねと小さく言ってみたりする。ロニーとダンスしているとき、愛していないからあなたとは結婚しないと口走って、ロニーを驚かせる。

翌日強い日差しに照らされて一人自転車に乗り、狭い道を背丈ほどもある野原を分け入って遺跡の探検に行く。好奇心いっぱいだ。しかし行ってみると男女の裸身が抱擁する彫像がたくさんあり、帰ろうとすると野生のサルの一群の追いかけられ、ほうほうの体で逃げ帰る。文化の違いに戸惑い、寝付かれない夜を過ごす。

大学長のフィールディングはモア夫人と同じくインド人と対等に付き合いたいとおもっている人物。アデラとイギリス人たちがアジズを訴えた裁判でも、もしアジズが有罪になったら辞職すると言い、最後までアジズを弁護する側に回る。モア夫人もアジズの無罪を信じて、この裁判にはかかわりたくないと旅行に出かけてしまう。

この裁判のシーンでは、アメリカ映画でよくあるような法廷での丁々発止のやりとりはなく、インド人俳優たちのオーバーな演技が目に付き、アデラが自分の誤りを認める重大なシーンにもかかわらず、ちょっと重みに欠けるという印象。裁判長があんなにあたふたするのはー。

アデラの無邪気な好奇心から生まれたインド人との行き違い。余りに警戒心もなく、インド人の善意を信じた。だからこそ問題が白日の下に晒されたともいえる。アデラは危ういところで自分の過ちに気づき、それを認めた。ロニーを失うことになっても、人間としての誠実さを失いたくなかった。

この当時にはすでにガンジーは独立運動をやっていたのだろうか。その辺のかかわりは避けては通れないと思うが、この映画では触れていない。裁判になったとき、興奮したアジズ側の弁護士が中に入れない支援のインド人たちにモア夫人(アジズの無罪を証言してくれるはずが、どこかに連れ去られていないという意味で)、と叫ぶとそれに呼応するように群衆が叫ぶというような場面があるが。

植民地の統治に長い歴史を持つイギリスはいわば、植民地をうまく占領するやり方を持った国。(だからいいということではなく、少なくとも日本などよりはずっと経験がある、という意味で。)

しかし、モア夫人やフィールディングの善意と誠実さを持ってしても、容易にその立場の相違は乗り越えられるものではないだろうし、植民地の人々の苦しみが解決されるものでもないだろう。植民地のものとしてではなく、独立国の人間として認められない限りは。

モア夫人の慈愛に満ちた日本で言えば弥勒菩薩のような表情というのだろうか。限りなくやさしさに満ちた表情は引き込まれるような魅力があった。モア夫人がペギー・アシュクロフトという女優に決まった瞬間がこの映画のすべて、ともいえるような気がする。『アラビアのロレンス』と同じ、モーリス・ジャールの音楽が素晴らしかった。











今も日々の中にある

2007年02月07日 | Weblog
昨年の生誕250年を記念した番組「毎日モーツァルト」が終わっても、その音楽は今も日々の生活の中にある。今年に入ってから他の作曲家の登場が多くなったかなあと思って聞いてみるが、やっぱりもう一回聞きたいと思うのはモーツァルトとベートーベンぐらいだ。

今日のクラシック倶楽部で昨年の音楽コンクール、クラリネット部門をやっていた。その曲がモーツァルトのクラリネット協奏曲イ長調K.622 だったのでこれは聞いてみようと。

若い演奏者たちー、伊藤さんが4位、女性の近藤さんが3位、2位は沖縄の大学の大学院で学んでいる川上さんは普通のものより長いというバセット・クラリネットを使っていた。1位は4年前に挑戦して2位だったという金子さん。今は外国の音楽大学に留学しているようだ。

貴族だけの楽しみだった音楽が市民の側に降りてきて楽しめるようになったとはいうものの、音楽家一人生み出すのは大変な負担だ。音楽大学に行った子どもの友達が使っていたバイオリンは、祖父から買ってもらったという話をだいぶ前に聞いた。

それぞれに素晴らしく聞こえたが、この間放送されたN響演奏会でザビーネ・マイヤーさんが演奏したときの模様を聞いてみた。ザビーネさんも長いバセット・クラリネットというものを使っていた。当時はこの音色だったらしい。

サビーネさんは若くしてカラヤンに評価され抜擢された女性演奏家。すらりとした長身で女優のような雰囲気を持っている。しかし1年でオーケストラではなく独奏者の道を選んだらしい。それからかなり時が経っているはず。やはり肺活量からして違うかなあというぐらい、音が歌っているというのか、強弱のアクセントを大きくしているというのか、陰影にとんだというのか。

という風に何かしらの違いを感じた。この曲は自分が死んだ後、葬式のようなものがあったらかけてほしいという希望をもっている。それくらい好きな曲だ。なんど聞いてもいいなあと思いながら、もう一回はじめから終わりまで聞いてみた。第2楽章の澄んだ音色にはいつも泣きそうな気持ちになる。















夢のような時間

2007年02月03日 | Weblog
映画「ザッツ・エンターテインメント」(1974年)は夢のような時間だった。放送の途中から気がついて、あわてて録画した。恐らく当時のカラー映像より鮮明ではないかというハイビジョンの映像が素晴らしかった。

子ども時代に母に連れられてハリウッド映画を見に行ったことが映画ファンの始まりだった、なんていう記憶までよみがえってきた。必ずしも子供を対象にした映画ばかりではなかったから、小さかったので一人留守番にしては置けないという単純な理由だったのだろうが、これが思わぬ映画教育になった。

今見てもパワフルなジーン・ケリーではなく、軽やかな身のこなしで天性のエレガンスを持ち、共演者の中でもっとも紳士的といわれるフレッド・アステアのファンだったのだから、とんでもない渋好みというものだ。

よく見るとかなりあごは長いし、どうみても二枚目という感じではないのに、かもし出す雰囲気はこうやって何十年のときを経ても、やっぱりいいなあーとファンであることに変わりはない。

この映画はMGMの看板スターを集めているので、他の映画会社のオードリー・ヘップバーンと共演した「パリの恋人」は入っていない。これは母と一緒に映画館で見たような記憶がある。フレッド・アステアの映画の中では最も好きな映画。

パリを舞台にカメラマンとファッションモデルのラブストーリー。オードリーも歌って踊ってという映画だった。原題はファニーフェイスだったか?最後のほうで公園の中で踊るシーンが一番印象的。

二人が音楽に乗ってくるくると回りながら最初は緑の芝、次にはそのまま白鳥の浮かんでいる小川の小さいイカダ?の上に乗るという演出まであった。オードリーの白いウェディングドレスが緑とマッチして、息を呑むような美しさ。

レスリー・キャロンと共演した「あしながおじさん」もこの映画にはなかったようだ。これも母と一緒に映画館で見たという記憶がある。もしかしたら母と見にいったのを忘れてしまったのかもしれないが、他は後にレンタル店のビデオで見たというのがほとんど。ジュディ・ガーランドの「オズの魔法使い」もそのひとつ。

有名な「虹のかなたへ」という「オーバー・ザ・レインボウ」の歌いだしには、なんだかなつかしくて涙が出そうになった。両親の庇護の下で暮らしていた子ども時代。二度と戻れないゆりかごに揺られているようなふんわりしたあたたかさに、全身が包まれるようだった。

ジュディ・ガーランドとフレッド・アステアが共演している「イースター・パレード」。ダンスに歌にと、二人とも実に芸達者。ジーン・ケリーの「雨に唄えば」もなつかしい。彼らはダンスをよどみなく踊った後にも、呼吸の乱れもなく、にっこりと笑顔を見せる。

時間もお金もかけてじっくりと練り上げた芸をスクリーンで披露する。当時は当たり前と思っていたものが今では貴重なものに思える。華やかで豊かな世界が広がるハリウッド映画。それがアメリカという国なんだと当時は思っていた。

ケネディ暗殺、ベトナム戦争と次第にアメリカの内実がわかってくるにつけ、恋が冷めた後のようにアメリカのイメージが崩れ落ちてきたというのが実感だ。繰り返される戦争によって、アメリカというフィルターが取り外され、別な視点から世界を見るようになったという気がする。

以前にも見たことがあった映像も、デジタルのハイビジョン映像で見ると、まったく別物のように見事によみがえってきた。所狭しと踊るフレッド・アステアがこんなにも生き生きした姿になるとは!!遠い日の楽しい夢を見ているような映画だった。

こうやって、またハリウッド映画をおさらいしていれば、あの世に行ったとき母と映画談義が出来ることだろう。父とはモーツァルトの話をしよう。いつの日か、そのときが来るのを楽しみにしつつ・・・。








新年おめでとうございます

2007年01月01日 | Weblog
近くのお寺の除夜の鐘がいつまでも響く音を聞きながら、新年が始まった。明るい晴れた朝になった。大晦日の夜から新年の朝にかけては、TVを見ながらあわただしい時間になる。元旦の朝におせち料理を食べた後は、寝不足でボーっとしている。

大晦日にはいつも食べているオードブルー。四角い形のクラッカーにスライスしたスモークサーモン、やわらかく練ったクリームチーズ、玉ねぎのみじん切り、一番上にイクラを乗せて食べる。これは料理本に載っていたのを、もう何年も我が家のメニューにしている。

チョコレートとバニラを重ねてパイのようにした(ちょっと名前は忘れた)アイスクリームも、子供たちの誕生日や何かお祝い事に食べるようになった。夜も深まると紅白を見ながら演歌は好きではないので、チャンネルをあちこち回しては時間が過ぎ、その頃に海老天の入った年越しそばを食べるというような具合だ。

おせち料理を夜に作っているときに、子供にお手伝いを頼んだ。甘い味のメニューも入っていて、栗きんとん以外に寒天で作った赤ワインと牛乳入りの紅白の梅の形のゼリー。ゆで卵を白身と黄身に分けて、また蒸して作る二色卵。

台所に来て、昨日、スーパーで変な親子を見たという。何の話かと思ったら、おせち料理の材料を買おうとする親に対して、一緒にいた娘が売っているほうを買ったほうが安いし、味もいいからと言い、その後に笑っていたというのだ。

子供はその娘が親がせっかく手作りの料理を作ろうとしていることを笑ったことと、そういう娘に対して親が言われっぱなしで何にも言葉を返さなかったという点を問題にしていた。スーパー売っている、出来上がったものを手作りのものよりおいしいというのは、すでにおかしい。味覚が狂っているとー。

確かに、子供の味覚は思い出と分かちがたく結びついていて、いまだに、筑前煮ではなく、「炒りどり」と譲らない。何種類もの野菜やこんにゃくと鶏肉を油で炒めてから、かなりの時間をかけて汁気がなくなるまで煮込む。こういう手間を省いて、今回は圧力鍋で手軽に作ってしまったというと、かなりがっかりしている。普段はそのまま食べるが、お正月には特別にデパートまで行って、京都の手まりの形をした生麩を買い、さやえんどうと飾りにする。

まあ、こんな具合に材料を揃えて、手間をかけて作るのは、パックで買うものより確かにお金もかかる。それでも子供時代の味覚が一生を左右することを考えたら、無駄ではなかったなあと、何か報われたような気分になった。

天皇杯でコンサが負けて、あとはどこが優勝してもというところだけど、これから決勝を見よう。アーセナルが負けてがっかりした分はどうしようもないなあ。何はともあれ、新年おめでとうございます。






呪縛からの解放

2006年12月21日 | Weblog
今日は降雪もなく、いつもよりあたたかい一日の始まりとなった。今朝の新聞、「歴史と向き合う」第5部真実と和解。フランスの新進歴史家という42歳のパスカル・ブランシャール氏へのインタビュー記事。

「植民地支配の過去を直視できないという点で、フランスと日本は似ています。」「フランスにとっては世界に共和国の思想を広めることであり、日本にとってはアジアに覇権を築き、先進することでした。」「明治日本の多くの軍人が仏海軍から学んだ。」「日本はドイツから国家というものを、英国からビジネスを、米国から外交を、そしてフランスから植民支配の考え方を学んだのです。」

「両国とも植民地政策は破綻したが、日本は開国以来の発展の過程が失敗だったとは国家の体面上、受け入れがたい。フランスは、共和国の価値が見限られたと認めることがなかなか出来ない。」「そして今、両国とも植民地にかかわる教科書の記述や政治家の発言が批判の的になる。

フランスはアルジェリアから、日本は中国から非難される。植民地支配の歴史、記憶から政治的影響まで日仏はそっくり。早期に植民地支配の問題にとりくみ、歴史のトラウマから解き放たれた英国とはきわめて対照的といえます。」

「そのフランスで大きな変化が起きています。05年2月に”植民支配の肯定的な面も学校で教えるよう”求めた条項(06年1月に削除)を含む法律が出来たことは、封印されてきた植民地の議論を一気に噴出させるきっかけになった。05年秋の暴動は、エリート層に限られていた議論を大衆に広げました。」

「植民地時代が終わって生まれた世代に植民支配を正当化したい欲求はない。ビシー政権のユダヤ人迫害を国家責任と認めたシラク氏以降の大統領も、歴史直視の流れを踏襲せざるを得ません。いずれ植民支配の歴史をきちんと学べる博物館ができ、過去と正面から向きあえる日も来る。」

「日本は多民族社会ではなく、敗戦国として被害者意識が強いなど、フランスとの違いがあるものの、同様の過程をを歩むのではないか。」「歴史に向き合うのは、外圧によるものでも罪滅ぼしのためでもない。植民支配を理解しなければ、日本の近代化のプロセスは理解できない。」

「歴史の記憶の再編・再構築という作業を通して、共同のアイデンティティーは築かれるものであり、それが国の統合の基礎になります。日本人自身が日本をよりよく理解し、世界における日本の位置を見定めるためにも必要です。」「記憶や歴史の内部対立を解消するのは政治の役割であり、政治の肩を押して促すのが知識人の役割です。」(終)

日本の政治は内部対立を解消する方向に向うだろうか。戦後向き合ってこなかったことが、中国ばかりか朝鮮半島との緊迫した状況を生み出したともいえるのでは・・・。

うれしいニュースもあった。
パレスチナとイスラエルの若者が中心の管弦楽団「ウエスト=イースタン・ディヴァン・オーケストラ」が、8月にベルリンで演奏したベートーベンの「第9」ライブがCDになったことが紹介されている。指揮はバレンボイム。(日本の音楽番組の中で、なんかいもヨーロッパでの演奏会の模様が放送されている。ピアニストと指揮者と両方で。)

思想家のエドワード・W・サイードとともに99年に結成、サイードが03年に死去した後も、楽団の指揮・育成に情熱を傾けているそうだ。ゲーテの「西東詩集」にちなんだ楽団名には、反目しあう民族の精神が文化の力で通い合うように、との願いがこもる。本公演に向けての練習は「イスラエル・レバノン紛争」のさなかに始まった。パレスチナ自治区ラマラで開いた演奏会のドキュメンタリーもDVD(5月)になっているそうだ。

パレスチナとイスラエルのニュースは攻撃と破壊ばかりと思いがちだが。別のところでこんな未来へ向けてのニュースがあった・・・。



















旧友のために

2006年12月19日 | Weblog
雪の白さは夜になっても消えない。ほの白い雪が街灯の光に浮かび上がる。紫外線を反射してまぶしい昼間の雪景色とまた違う、静かな美しさー。綺麗だなあと見とれながらも、雪かきはかなりきつい作業だ。

毎日モーツァルトは第196回、澄みきった魂。クラリネット協奏曲、イ長調。K.622.第2楽章より。1791年モーツァルト35歳。

ゲストはドイツ文学者の小塩節さん。
私にとってはお母さんが生まれて育ち、お姉さんのナンネルがお嫁に行った、ヴォルフガング湖という、彼の名前がついた湖がある。ザルツブルクのずっと東に、綺麗な真っ青に澄んだ湖。彼の名前のついた湖の上を風がすーっと上がっていく。まさにそういう音がこのクラリネットの音。このモーツァルトのクラリネット。

真っ青にさえわたっている湖の上を鳴り響いていく風の音、宇宙の音。それがこのクラリネットにこもっている気がして、どこがどういう風にいいということではなく、音楽そのもの、その心の中をすっと流れていって、広がってくれるような。余りにも美しいので涙が出るほど悲しくなる。美しいってこういうものなんだなあとー。

1791年10月初旬、モーツァルトはバーデンで療養していた妻に手紙を送る。
”君が発った後、ぼくはシュタードラーのための曲を、ほぼオーケストレーションし終えたよ。もし仕事がなければ、すぐにでも発って、1週間君と一緒に過ごしたいよ。”

このとき旧友のクラリネット奏者、シュタードラーのために書いた曲は、クラリネット協奏曲イ長調。モーツァルトは完成した楽譜を演奏のために、プラハ訪問中のシュタードラーに送った。

プラハのスタボフスケー劇場(旧国立劇場)では1か月前に「皇帝ティートの慈悲」が初演されたばかりの国立劇場。シュタードラーはこの劇場で「クラリネット協奏曲イ長調」を初演した。

モーツァルトが書き残した唯一のクラリネット協奏曲。その清澄な響きで、モーツァルトの協奏曲の集大成ともいわれる。多忙の中、夏ごろから体調を崩し始めていたモーツァルトだが、旧友シュタードラーとの約束を果たすため、この曲を完成させた。

ウィーン、ヴィルヘルミーネンベルク宮殿で、クラリネットの名手シュタードラーはこの館の主、ガリツィン侯爵に仕えていた。ウィーンの宮廷楽団員だったシュタードラーとの交友を通じて、モーツァルトはクラリネットの魅力を知った。2年前のクラリネット五重奏曲。そしてこのクラリネット協奏曲と、2つのクラリネットの名曲はいずれもシュタードラーに捧げられた。10月中旬、バーデンまで妻を迎えに行ったモーツァルト。ウィーンに戻ったあと、生涯最後の作品に取り掛かる・・・。

小塩さんが、いろんな形容を使って表現したモーツァルトのクラリネットの美しさ。余りにも美しいので、涙が出るほど悲しくなるという気持ち。この第2楽章のクラリネットの音が響くと、かならず泣きたくなってしまいますね。それほどこの世のものと思えない美しさと静かさは、確かに宇宙に通じる音なのかもしれません。

この曲が強く耳に残ったのは、リチャード・ギア主演の「アメリカンジゴロ」(1980年前後?)という映画のラストシーン。このシーンのためにこの映画があるというほど、最後が印象的でした。レンタルしたビデオで見たというリチャード・ギアが最高に綺麗だった頃(今はそれほどでもない?)。とっかえひっかえ、いろんなスーツを着て登場し、流れるような歩き方がモデルのようでしたねえ。。

ジゴロというとおり、金持ちの女性たちの相手をしては暮らしているような生活の中で、事件に巻き込まれて、最後は警察に追われ、とうとう捕まってしまう。それを救い出そうとある決心をして女性が拘置所を訪れる。ガラスのように透明な板の向こうとこちら側と電話で話しているうちに、気持ちが高ぶって板越しに手と手を合わせる。

確かそういうシーンのときにモーツァルトのこの音楽が鳴り出す。というものだったようなー。小塩さんの宇宙の音からすると、かなり下界に降りてしまいましたが。そのときはこの音楽がモーツァルトの曲とは知らなかったのです。あまりにも素晴らしい音色だったので、いつまでも忘れずに覚えていたのでしょう。












時代は大きく動いていた

2006年12月16日 | Weblog
随分前のオペラのビデオを見ることが出来た。「魔笛」「ドン・ジョヴァンニ」・・・。急遽、近くの店に電話して、ビデオからDVDにダビングできるようにしてもらった。映像は1991年、1954年のザルツブルク音楽祭ー。

毎日モーツァルトはこのところ連日オペラ「魔笛」が放送されている。192回、盟友。オペラ「魔笛」K.620.第一幕。1791年、モーツァルト35歳。

ゲストは作曲家の甲斐正人さん。(ミュージカル「モーツァルト」の音楽監督)
まさにミュージカルだ。シカネーダーとモーツァルトはミュージカルを作ろうとしていたのではないか。荒唐無稽でもお客さんを喜ばせて、不思議な世界へ引きずり込む。その中でしっかり人間賛歌をうたっていて、人間というのは平等なんだ、みんなが神の下に平等なんだ、ということを高らかにうたっている。笑いながらぞくぞくして見ながら、ああ、人間ていいなあー、と当時の人たちは思った。こういう文化の力が、ヨーロッパを新しい時代へと引っ張り上げていったんだなあーと。

モーツァルトはザルツブルク時代にシカネーダーに出会い、その斬新な魅力のとりこになった。シカネーダーによって建てられたアン・デア・ウィーン劇場。入り口の上には「魔笛」の道化役パパゲーノ像が飾られている。

シカネーダーは「魔笛」の初演に自らパパゲーノ役で出演した。
モーツァルトの手紙、1791年、10月8日。
”パパゲーノがアリアを歌うとき、ぼくはいたずらをして鉄琴の和音をパラパラと鳴らしたのだ。奴は驚いて、辺りを見回し、ぼくを見つけた。ぼくはもう一度鳴らしてやった。すると奴はうるさいと怒鳴ったのだ。そこでみんなどっと沸いた。”

第1幕、アリア「おいらは鳥刺し稼業」
大蛇に襲われ、気を失っていたタミーノ。目が覚めると鳥刺しパパゲーノが現れる。個性的な登場人物が多い「魔笛」の中でもパパゲーノはもっとも人気のあるキャラクター。

”さてもおいらは鳥刺し稼業。 いつも朗らかホイサッサ。 老いも若きもこの国中で、知らぬ者なき鳥刺し稼業。 罠のことならまかしておくれ。 笛を吹くのもかなりの腕前。 鳥は残らずおいらの獲物。 されば朗らかよい機嫌。”

パパゲーノは王子タミーノに連れられ、危険な冒険のお供をする羽目になる。誘惑に弱く茶目っ気があふれるパパゲーノはモーツァルト自身の投影ともいわれる。

王子タミーノと3人の侍女の前に夜の女王が現れる。誘拐された娘パミーナの救出をタミーノに頼む。「魔笛」の中でひときわ存在感のある夜の女王は闇の支配者。夜の女王の悲しみに打たれ、王子タミーノはパミーナの救出を誓う。

「おお、おののくことはない愛する若者よ」
”娘がいなくなり、私は悲しみに明け暮れています。 すべての幸福が失われました。 悪者が娘を連れ去ったのです。 私には娘を救う力がなかったのです。 あなたは娘を救って下さるでしょう。”

不思議な力を持つ魔法の笛を夜の女王はタミーノに託す。タミーノはパパゲーノを連れて勇んでパミーナを助けに向う。初演では夜の女王のこの難曲を妻コンスタンツェの姉ヨゼーファが歌った。劇が進むに連れて、夜の女王にはさらに難曲中の難曲が待っている・・・。

いろんなゲストのお話の中で甲斐さんの言っている内容が一番納得した。イギリスでは産業革命が起こりつつあり、フランスでは市民革命が起きていた。モーツァルトのウィーンでもトルコ戦争があって、貴族たちは優雅に演奏会を開く余裕がなくなった。プラハでモーツァルトのオペラが受けたのもやはり、市民の時代の幕開けが訪れたからではないだろうか。時代は大きく動いていたのだ。

ここに登場するシカネーダーの台本による「魔笛」は大衆演劇の典型というように、恋あり冒険あり、教訓を垂れて?いる間に、観客が安心する結末が用意されているといった、文字通り荒唐無稽のストーリー。

映画「アマデウス」の中で描かれているほど下品ではないにしても、宮廷の雰囲気に合うほど上品とは思えないモーツァルト。エネルギーに満ちて、大衆を取り込む魅力のあるシカネーダーとはいかにも肌が合いそうだ。これだけ才能があるモーツァルトが貴族たちの宮廷で職を与えられないことに、ずっと悔しさがあっただろうし、だからこそフリーメイソンに入ったのだろう。もう少し長く生きていたら、貴族だけの時代が終わりをつげ、市民という新しい階層が台頭する時代の息吹を感ずることが出来たろうにー。

モーツァルトの生誕記念ではなくても、毎年行われているザルツブルク音楽祭。それを収めているビデオは古くて、1980年代ごろのカラヤン指揮のものは、残念ながらテープの具合がよくなくて、途中で見るのをやめた。1991年の「魔笛」はゲオルク・ショルティ指揮のもの。

これはベルイマン監督の映画の「魔笛」を最初に見ていたので、おもしろいものだったが、それがかなり脚色していたものだということがわかった。やはり後でどういうものを見るにしても、原形というのか、正統なものを一度は見ておかないと思った。場面転換などはかなり時間がかかって、いかにも舞台劇という印象。舞台装置も大掛かりでかなり奥行きもあり、大きな舞台には驚いた。

今までは日本人歌手が歌うアリアを聞いても、ただいい声で歌っているという風にしか聞こえなかったが、こうやって、ストーリーが分かってくると、劇のどんなところで歌っているのか、歌の順番が大体わかってきて楽しめるようになった。1954年のはフルトヴェングラー指揮のもので「ドン・ジョバンニ」。映画のような作り方で舞台の全景を映すということはなく、時代を表す華やかな服装に、ふと、かつてのハリウッド映画を見ているような気がした。













脳と心の謎

2006年12月14日 | Weblog
未来への提言。脳科学者、ナンシー・アンドリアセンさん。~脳と心の謎に挑む~。ブレインマッピングという脳の地図を作り上げていく技術の開発によって、アルツハイマー病や統合失調症、PTSDなどの病気を克服しようと、アイオワ大学で専門家18人の研究チームを率いて、その研究の最先端にいるアンドリアセンさんを、吉成真由美さんがインタビューする。

(吉成さんはボストンで暮らし、子供たちの心のストレスや教育の観点からも、脳科学に注目し、著書も発表。3人の子の母。夫はノーベル賞を受賞した利根川さん。)

アンドリアセンさんは、シェイクスピアを専攻し英文学者だったが、24歳のときに出産後の感染症で生死の境をさまよったことから、大きく運命が変わった。病院のベッドに横たわりながら、私の命は救われた。100年前だったら恐らく死んでいただろうと。生きている間に何か価値のあることをすべきと強く思った。

20世紀は数学と物理学の世紀。21世紀は生物学の世紀といわれる。生物学の中でも一番大切なのは人間の脳を理解すること。なぜなら私たち人間の脳は驚くべき能力があるからだ。

【PTSD】
一生背負うような重要なストレスから発症する。人の心の問題に踏み出していくきっかけはベトナム戦争(1960年~1975年)。戦争は泥沼化し、アメリカ兵の死者は6万人近くに達した。極限状態で戦った兵士の中には戦争体験が心の傷となり、社会復帰できずに苦しむ人々が続出した。

この深刻な事態を目の当たりにして、病気として定義すべきと考え、世界ではじめてPTSD(心的外傷後ストレス障害)と名づけた。脳は使うことやきたえることでよくすることが出来る。誰かの役に立つことも大事。人生の目的を定めて、生きていくことが出来ればストレスに対抗する助けになるだろう。

【統合失調症とアルツハイマー病】
アンドリアセンさんの専門は統合失調症。100人に一人が発症するといわれる。アルツハイマー病が老人の認知症とするとこちらは若者の認知症とも言うべき病気。一般的な発症年齢は16歳から25歳くらいの間。

20年前にMRIで脳が小さくなっていることを発見。ある意味で統合失調症とアルツハイマー病は密接な関係がある。脳の回路の接触が悪くなったことから起きる。それはグルタミン酸の量のバランスが崩れると、情報の伝達がうまく行われず、妄想などにつながる可能性がある。どの遺伝子がグルタミン酸をコントロールしているかが分かれば画期的な治療法が可能となり、多くの患者を救うことができる。

神経細胞が破壊されたアルツハイマー病の患者の脳には、大量のベータアミロイドという物質が分解されずに残っている。そうした状況を生み出す原因の一つがヒト染色体。19番染色体のアポリポタンパクE.これに関連する遺伝子を持つ人がアルツハイマー病になることがわかってきた。

【脳と遺伝子の研究の合流】
アンドレアセンさんが今、もっとも力を注いでいるのは脳の分野の遺伝子の研究と遺伝子の分野の研究を結ぶ付けること。2003年に人の遺伝子情報の配列を解明するヒトゲノムプロジェクトが完了。3万個から4万個あるといわれる遺伝子地図が明らかになり、遺伝子の研究は飛躍的に進歩した。

MRI,磁気共鳴イメージングという技術で脳のスキャン映像を映し出すことが出来る。ドーナツ型の大きな磁石の中に人体を横たえて、強い磁気を発生させ、体内の様子を観察する。CTスキャンがエックス線を用いることに対し、MRIは磁気を使うため、人体の放射線被爆がない。脳の中の血液の流れや科学物質まで観察できる。現在はブレインマッピングという脳の中の地図を作り上げていく技術と遺伝子研究が合流することによって、問題解決を図ろうとしている。

【脳の柔軟性】
脳は生物学的な現象で心は脳の生物学的な活動によって生み出される。脳は自ら変化し、環境に順応し、常に新たな脳に作り変えていく力がある。こうした脳本来の力にブレインマッピングの持つ力を加えることが出来るのは大きな希望となる。脳には驚くべき柔軟性があり、自ら良く修正することができる。

このことを知れば私たちの生活はよくなっていくだろう。もう一つ重要なのはさまざまな事柄を判断し、人生に責任を負っているのはどこか。私たちは遺伝子に支配された単なる生物で、運命は生まれたときに既に決定されているのか。そうではない。私たちは遺伝子によって決定されているのではなく、常に環境を受け止め変化しているのだと。

【心と脳】
心は脳の活動をあらわしたものといえる。その意味で脳と心は同じもの。心が脳にあるなら、自分というアイデンティティはどこにあるのか。魂はあるのか。個人的には精神というべきものがあると信じている。心の中に高尚なものを求める何かがあると思うから。

【人間の幸福を祈って】
新しい技術は心の病を克服し、21世紀を生きる子供たちの未来に希望をもたらすことが出来るとアンドレアセンさんは考えている。人間の脳が持つ柔軟性を信じているから。もし使い方を誤れば、一部の人間が脳や遺伝子の情報をあやつれるようになる危険性も秘めている。最先端の技術は人類の恩恵であって、脅威であってはならない。人間の幸福を祈って・・・。

人間の身体は脳が引っ張っているといっていたのはTVだったか、新聞だったか。はっきりしないがー。年を取っていくほどに、いつか自分の名前も子供の顔もわからなくなるときが来るのではないか。これは高齢者が誰でも持っている恐怖感ではないだろうか。

アンドレアセンさんの研究は、さまざまな病気に苦しむ患者だけではなく、等しく老いることを運命付けられている人間へのあたたかい励ましのメッセージに聞こえた。人間の脳には限りない能力があり、それによって未来を変えることができるのだと・・・。