Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

演劇「モリー先生との火曜日」

2013-06-13 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 6/12(水)、高岡文化ホールへ、加藤健一事務所「モリー先生との火曜日」を観に行った。加藤健一のお芝居は、「煙が目にしみる」、「木の皿」、「詩人の恋」を高岡で観ている。受賞歴の多い役者さんで、おばあちゃん役やピアノの演奏やダンスや、新しいお芝居を演ずるたびに何かに挑戦される。”カトケンワールド”と言う安心感もあり、何の予備知識もなく観に行った、息子さんとの二人芝居と言う以外は…。

 暑い日だった。特に用事もない日で、かなり早目に文化ホールに着いた。受付の机の準備だけしてあり、まだ人影はない。死を迎えた老人とは思えぬ車椅子の元気な加藤健一のポスター。       

 すぐに「和庵」に入り、早目の夕食をゆっくりとる。前回の岡本友高コンサートの時、SAさんと慌ててオムライスをかきこんだ。カウンター席に座り、文化ホールの前庭に目をやる。ポチポチとお客が来る。暑いので、日傘の人、扇子を額にかざす人、頭に日よけのタオルを巻いている人…。夕暮れ近いがまだ日が高く、地面に長い影を作っている。                                   

 海老フライ・ビフテキつきオムレツ・・・と言う長い名前の定食を注文した。上の膳には、蒸し野菜(胡麻だれつき)、茶碗蒸し、うどんがついている。           

 その下は、↓のような豪華版の膳だった。もうお腹いっぱいだ。眠くならなければいいが。        

 『モリー先生との火曜日』(原題:Tuesdays with Morrie)は、アメリカのジャーナリストのミッチ・アルボムによって書かれたノンフィクションだ。一緒に観劇したNAさんは、原作も読み、映画も見たそうだ。学生向けの注釈つき原作本もあるらしい。
 難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されたモリー・シュワルツ教授が、死を前にして、かつての教え子であるミッチに贈った「最後の授業」を記録したもので、1997年にアメリカで出版されベスト・セラーとなった。

 モリー先生が自分の命をかけて、死ぬ際までテープに録音した’講義’は本当の意味で’言葉の持つ力’がある。死を目の前にした言葉なのに、「生き方」を教えてくれるモリー先生。こうやって生きれば楽しく有意義に人生は送れるよ・・・と。

 スポーツライターとして第一線で活躍し、先生のことなぞすっかり忘れていたミッチが、わずかな余命を懸命に生きる先生の姿に打たれ、多忙なスケジュールを割いて火曜日ごとに飛行機で通って来る。先生の病気はだんだん進み、自分の手足や顔も思うように動かせなくなる。最初ミッチが訪ねた頃は、ミッチのピアノに合わせ、好きなタンゴやワルツが踊れたのに。動かなくなっていく肉体、反対に輝き続ける精神、モリー先生がミッチに優しく語りかける言葉は涙を誘う。「どう死ぬかを学べば、どう生きるかが自ずと見えてくる」と。
 先生の話を聴き、先生のお世話をしているうちに素直な気持ちになって行くミッチ、お互いに親子のような気持になっていく過程が素適である。本当の親子と思うから尚更かも。

 息子の義宗さんは、舞台の上でグランドピアノを弾き、身のこなしも軽やか、長身でかっこいい。本格的な舞台は初めてのようだ。カーテンコールでは、お父上の愛情いっぱいの所作がほほ笑ましかった。
 終演後のロビーでは、もう一台のピアノを弾きながら観客を送ってくださった。次々と写真を撮る人が後を絶たず、NAさん、YAさんと私も、ちゃっかりその中に紛れて撮り合いっこをした。