もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

107冊目  藤沢周平「市塵 (下)」(講談社文庫;1989)  評価5

2011年12月24日 07時02分22秒 | 一日一冊読書開始
12月23日(金):

302ページ  所要時間6:00

読んでる途中は、評価4だった。しかし、読み終わって、どうも評価4を付けにくい。評価5を付けたがっている自分がいる。満足させられていたのだ。完全な評価5ではないが、やはり評価5にした。ちょっと珍しい経験だ。時の流れ、人の生死・盛衰は平等に訪れる。偶像化された偉人も市塵から出て市塵に戻る。藤沢周平作品の渋さ・目線の低さにやられたということなのか…。     

上巻同様、白石の時代を本当によく調べ上げて記されているが、上巻に比べて、下巻の方が白石をはじめ登場人物たちが生き生きと息づいていた。             

朝鮮通信使迎接での三使と白石座談のシーンは圧巻だった。日本を一段低い文化国と見下す朝鮮側に対して対等関係を目指し、単身乗り込んで、「白刃でわたり合うようなきわどい応酬をはさみながら、飾りのない率直な対話をすすめるという形」で座談をし、互いの理解を深め、ついに朝鮮の三使に日本(白石)の文化力?を認めさせたのは、荻生徂徠と並ぶ江戸時代最大の<知の巨人・新井白石>の面目躍如であった。その中で、「清の康熙帝が息子を朝鮮王の養子に入れて、朝鮮の乗っ取りをはかったことがあった。その際、朝鮮は通信使による日本との通交関係を盾にして断った」ということが明かされてびっくりした。

ただ、儀礼面での理屈の張り合いは、朝鮮側も白石も<頭でっかちの朱子学>の徒として、お互いに全く譲らないで「重箱の隅をつつく」細かい理屈の闘い(やりとり)に終始した。挙句の果てに、諱(いみな)一字の問題で、双方が国書・返書を持ち帰るはめになったのは、面白かったけれど、正直「やれやれ」と呆れ果ててしまった。まさに朱子学の世界だ!。

荻原重秀の不正と幕府首脳に対する恫喝・居直り、反発する白石。家宣の苦衷。何度も何度も瀉(しゃ;下痢)の持病に苦しめられる。3回の荻原弾劾書→荻原罷免、翌年死去。家宣の早い死と白石への信頼と遺訓(後嗣家継、貨幣改鋳、長崎貿易)。7代家継(4歳)の生母月光院の増長。貨幣改鋳事業の難航。反対派の反撃=大奥老女絵島事件。イタリア人宣教師シドッチのその後(布教→地下牢で餓死)。長崎新令への苦心と成就。7代家継の死去(8歳)。御三家紀伊中納言吉宗の8代将軍就任。その直後から始まる前政権関係者に対する容赦ない排除。白石も直後から役宅を追い出され、江戸中心からはるかな郊外に排除される。長崎新令を除き、白石が心血を注いだ朝鮮通信使の儀礼変更も宝永の武家諸法度もすべて否定され、5代綱吉の時代の先例に戻される。大いなる怒りとともに、権力から追い落とされた悲哀を思い知らされながら、白石は不朽の著述活動に没頭していく。白石の子10人中7人が病死早世。そして、訪れる人もなくなり、老いを深めていく。

時の流れ、人の生死・盛衰は平等に訪れる。偶像化された偉人も市塵から出て市塵に戻るのだ。
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