6月7日(土):
今日の朝日朝刊一面で「今国会で閣議決定 首相支持」「集団的自衛権 公明へ圧力強化」という見出しで6月20~22日(国会会期末)に憲法違反の解釈改憲が強行されようとしているのだそうだ。我々は、一体どこの開発独裁途上国に住んでいるのだろう。ここは中国か、北朝鮮か、ロシアか…?それともタイムスリップしたヒトラーのナチス・ドイツか?
憲法を守ることをわざわざ「立憲主義」と呼ぶまでもなく、憲法は絶対に守るべき基本中の基本であり、大原則であり、最後の砦だ。数日前、別の記事で作家の池澤夏樹が、
・彼らが回避しようとしている日本国憲法第九条には「国の交戦権はこれを認めない」という文言がある。そういう規定のない交戦自由のアメリカの軍隊と交戦権を持たない日本の自衛隊が同じ立場で肩を並べて戦えるものだろうか? / その場合、憲法は停止状態ということになる。これは国家乗っ取り、すなわちクーデターと同じではないか。
と述べている。そして、「聞くところによると、集団的自衛権を熱心に推しているのは外務省で、防衛省は消極的なのだという。戦争になっても外交官は血を流さない。」という言葉で結ばれている。今、日本は緊急の異常事態の中にあり、それに対処すべき最後の方策は、2月の都知事選敗北で潰えてしまっている。本当に悔しい…。結局、所詮、自業自得、我々市民社会のレベルの低さがこの事態を招いているということか。そもそも政教分離違反で批判されてきた創価学会・公明党にこんな重い大変な役割を期待せざるを得ない時点で戦後民主主義の敗北なのだろう。できれば公明党には、与党連立離脱の覚悟で最後まで踏ん張って欲しい。
朝日朝刊には【集団的自衛権 行方を問う】で憲法学者木村草太氏(33歳;首都大学東京准教授)の論も出ていた。全く当然な道理が書いてあったので、打ち直して掲載しておく。とりあえず、いま目の前で進んでいる事態が「完全なルール違反の間違いである!」ことだけは確認しておかねばならない。
・「解釈改憲には訴訟リスク」(憲法学者・木村草太)
集団的自衛権の行使を容認するのか、その手段として解釈改憲が適当か。二つを分けて考えるべきだ。登山にたとえると、政府は「あの山(集団的自衛権の行使)にこの崖(解釈改憲)から登ろう」と言っている。山に登るかは意見が分かれるが、憲法学者として、そもそもこの崖からは登れないと指摘したい。登ろうとすると、訴訟リスクが待ち受けているからだ。
国家は、憲法で禁止された行動ができないだけでなく、憲法に根拠規定がない行動もできない。違憲だと訴えられたら致命的だ。
憲法学者の間に「自衛隊違憲論」は根強いが、従来の政府解釈は、国民の生命や幸福の権利を尊重する憲法13条を根拠に、個別的自衛権は許容してきた。しかし集団的自衛権を基礎づける文言は、憲法上にない。
つまり、集団的自衛権の行使の結果、政府が訴えられれば、巨額の賠償責任を負う可能性があるということだ。例えば命令を拒否して懲戒処分になった自衛官や、本土への報復攻撃で被害を受けた人々から、国家賠償訴訟法を提議される可能性がある。不安定な法的基盤のもとでは、首相は不安を抱えて集団的自衛権を行使することになる。
情勢が緊迫しているから憲法を無視してもいいと開き直るのは、自ら違憲と認める自白に等しい。司法の現場では、政府がどれだけ必要だと言っても、違憲は違憲。多くの法学者が解釈改憲を違憲だと言っているのは、政治的な反対ではなく技術者としての忠告だ。
国内の憲法を無視すると、国際法もないがしろにすると見られ、外交上もリスクが高い。三権分立をやっていない国はあるが、国際社会で信用されていない。その仲間入りをしてもいいのだろうか。支持を得る自信がないから解釈改憲に行くのだろうが、本気で集団的自衛権が必要だと考えるなら、真正面から憲法改正を提案するしかない。
私自身は、行使容認自体にも、現段階では反対だ。アメリカに守ってもらうためのご機嫌取りが目的ならば、日米安保の枠組みでなぜ不十分なのかが疑問だ。(聞き手・高重治香)
今日の朝日朝刊一面で「今国会で閣議決定 首相支持」「集団的自衛権 公明へ圧力強化」という見出しで6月20~22日(国会会期末)に憲法違反の解釈改憲が強行されようとしているのだそうだ。我々は、一体どこの開発独裁途上国に住んでいるのだろう。ここは中国か、北朝鮮か、ロシアか…?それともタイムスリップしたヒトラーのナチス・ドイツか?
憲法を守ることをわざわざ「立憲主義」と呼ぶまでもなく、憲法は絶対に守るべき基本中の基本であり、大原則であり、最後の砦だ。数日前、別の記事で作家の池澤夏樹が、
・彼らが回避しようとしている日本国憲法第九条には「国の交戦権はこれを認めない」という文言がある。そういう規定のない交戦自由のアメリカの軍隊と交戦権を持たない日本の自衛隊が同じ立場で肩を並べて戦えるものだろうか? / その場合、憲法は停止状態ということになる。これは国家乗っ取り、すなわちクーデターと同じではないか。
と述べている。そして、「聞くところによると、集団的自衛権を熱心に推しているのは外務省で、防衛省は消極的なのだという。戦争になっても外交官は血を流さない。」という言葉で結ばれている。今、日本は緊急の異常事態の中にあり、それに対処すべき最後の方策は、2月の都知事選敗北で潰えてしまっている。本当に悔しい…。結局、所詮、自業自得、我々市民社会のレベルの低さがこの事態を招いているということか。そもそも政教分離違反で批判されてきた創価学会・公明党にこんな重い大変な役割を期待せざるを得ない時点で戦後民主主義の敗北なのだろう。できれば公明党には、与党連立離脱の覚悟で最後まで踏ん張って欲しい。
朝日朝刊には【集団的自衛権 行方を問う】で憲法学者木村草太氏(33歳;首都大学東京准教授)の論も出ていた。全く当然な道理が書いてあったので、打ち直して掲載しておく。とりあえず、いま目の前で進んでいる事態が「完全なルール違反の間違いである!」ことだけは確認しておかねばならない。
・「解釈改憲には訴訟リスク」(憲法学者・木村草太)
集団的自衛権の行使を容認するのか、その手段として解釈改憲が適当か。二つを分けて考えるべきだ。登山にたとえると、政府は「あの山(集団的自衛権の行使)にこの崖(解釈改憲)から登ろう」と言っている。山に登るかは意見が分かれるが、憲法学者として、そもそもこの崖からは登れないと指摘したい。登ろうとすると、訴訟リスクが待ち受けているからだ。
国家は、憲法で禁止された行動ができないだけでなく、憲法に根拠規定がない行動もできない。違憲だと訴えられたら致命的だ。
憲法学者の間に「自衛隊違憲論」は根強いが、従来の政府解釈は、国民の生命や幸福の権利を尊重する憲法13条を根拠に、個別的自衛権は許容してきた。しかし集団的自衛権を基礎づける文言は、憲法上にない。
つまり、集団的自衛権の行使の結果、政府が訴えられれば、巨額の賠償責任を負う可能性があるということだ。例えば命令を拒否して懲戒処分になった自衛官や、本土への報復攻撃で被害を受けた人々から、国家賠償訴訟法を提議される可能性がある。不安定な法的基盤のもとでは、首相は不安を抱えて集団的自衛権を行使することになる。
情勢が緊迫しているから憲法を無視してもいいと開き直るのは、自ら違憲と認める自白に等しい。司法の現場では、政府がどれだけ必要だと言っても、違憲は違憲。多くの法学者が解釈改憲を違憲だと言っているのは、政治的な反対ではなく技術者としての忠告だ。
国内の憲法を無視すると、国際法もないがしろにすると見られ、外交上もリスクが高い。三権分立をやっていない国はあるが、国際社会で信用されていない。その仲間入りをしてもいいのだろうか。支持を得る自信がないから解釈改憲に行くのだろうが、本気で集団的自衛権が必要だと考えるなら、真正面から憲法改正を提案するしかない。
私自身は、行使容認自体にも、現段階では反対だ。アメリカに守ってもらうためのご機嫌取りが目的ならば、日米安保の枠組みでなぜ不十分なのかが疑問だ。(聞き手・高重治香)