1月27日(日):
アベとスシを食うソガの記事は目のケガレなので読まないが、福島申二編集委員の論説は目を通すようにしている。
朝日デジタル:(日曜に想う)借金という未来への砲撃 編集委員・福島申二
「その暖簾(のれん)くぐるには、なぜか一応の怯(ひる)みがあった」と言っていたのは下町情緒あふれる漫画で知られた滝田ゆうだった。路地の奥にひっそりと下がっている質屋の暖簾のことである。同じような気分は私も学生時代に経験がある。
こちらは質屋ではないけれど、借財にあたって「万死に値する」と苦悩した人がいた。大平正芳蔵相、のちに総理大臣になる政治家だ。1975年度、石油ショックの後遺症で税収が伸びず、補正予算で赤字国債発行に追い込まれた。
額は2兆円。非常事態とはいえ禁断の木の実を食べてよいものかどうか、大平さんは悩み抜いたと、当時を知る先輩記者は書き残している。
自伝を読むと、苦悩には生い立ちがかかわっているように思われる。生家は農家で借財が多かった。借金のことで父母がひそひそ話をしているのを聞くのもしばしばだった。毎年の収穫で返済できるうちはいいが、返せなければ田畑まで手放さなければいけなくなる。
三つ子の魂百までという。農家と国家ではスケールは違うが、胸の内で双方が重なっても不思議はなかっただろう。
それから歳月は流れ、怯みも苦悩も忘れたように膨らんだ国の借金である。地方と合わせて1100兆円を超えた長期債務を、天上の大平が知れば目をむくに違いない。それは子や孫の暮らしを質草にした莫大(ばくだい)な先食いでもある。
*
1万円札の顔、福沢諭吉が自伝に書いている。「およそ世の中に何が怖いといっても、暗殺は別にして、借金ぐらい怖いものはない」。そんな「遺訓」にそむくかのような借金1100兆円は、1万円札で積み上げると国際宇宙ステーションの27倍の天空にまで届く。あまりのことに現実味がわかないが、子や孫の世代に、本人たちのあずかり知らぬ巨額債務をつけ回しする現実は動かない。
しまりなく財政赤字を垂れ流せば将来世代の重荷は増えるばかりだ。そうしたさまを、米国の経済学者が「財政的幼児虐待」と呼んでいると聞けば、どきりとさせられる。「虐待」の程度は先進国では日本が突出しているという。しかも少子の進む時代だから、1人あたりの負担はどんどん大きくなっていく。
思い起こすのは安倍晋三首相が「戦後70年談話」で述べた言葉だ。
「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」。こうした分野には熱意をたぎらせる首相だが、地味な上に痛みをともなう財政再建にはおよそ前向きとは言いがたい。
将来世代に思いを致すのなら、ここは「謝罪を続ける」を「借金を返す」に置き換えて事にあたるべきではないか。
*
ドイツの作家、故ミヒャエル・エンデについて一昨年の当欄に書いた。名高い児童文学者は、私たちのもたらしている地球環境の破壊を「将来世代に対する容赦ない戦争」であると例えている。
膨れあがる国の債務も、同じことが言えるだろう。いわば未来に向けた借金の砲撃だ。どちらも、今を生きる世代がつくる負の遺産に、まだ生まれていない世代は一言の異議申し立てもできない。
米国では政府債務が膨らんだレーガン大統領の頃に、こんなふうに言われたと聞いたことがある。「次の世代が返済しなければならないと思えば、生まれた赤ん坊が泣き叫ぶのは当然だ」
とはいっても、国や民族によらず増税が喜ばれることはまずない。この秋の消費税率アップも、せんだっての本紙世論調査では賛成33%、反対59%と出た。
政治への信頼の薄さが「反対」の多い要因の一つだろう。今回の増税が社会保障の安心にはつながらないと見る人は75%を占めていた。暮らしに不安を残したまま、たとえば防衛費は伸び続け、米国からは言い値で兵器を買いまくる。一強政治の決める税金の使途に、納める側の思いは反映されているのかと疑う。
今の暮らしを大切にしながら、借金の砲撃で将来世代に「白旗」を揚げさせない道をどうやって選び取るか。根拠のない楽観は無責任と同義である。
アベとスシを食うソガの記事は目のケガレなので読まないが、福島申二編集委員の論説は目を通すようにしている。
朝日デジタル:(日曜に想う)借金という未来への砲撃 編集委員・福島申二
2019年1月27日05時00分
「その暖簾(のれん)くぐるには、なぜか一応の怯(ひる)みがあった」と言っていたのは下町情緒あふれる漫画で知られた滝田ゆうだった。路地の奥にひっそりと下がっている質屋の暖簾のことである。同じような気分は私も学生時代に経験がある。
こちらは質屋ではないけれど、借財にあたって「万死に値する」と苦悩した人がいた。大平正芳蔵相、のちに総理大臣になる政治家だ。1975年度、石油ショックの後遺症で税収が伸びず、補正予算で赤字国債発行に追い込まれた。
額は2兆円。非常事態とはいえ禁断の木の実を食べてよいものかどうか、大平さんは悩み抜いたと、当時を知る先輩記者は書き残している。
自伝を読むと、苦悩には生い立ちがかかわっているように思われる。生家は農家で借財が多かった。借金のことで父母がひそひそ話をしているのを聞くのもしばしばだった。毎年の収穫で返済できるうちはいいが、返せなければ田畑まで手放さなければいけなくなる。
三つ子の魂百までという。農家と国家ではスケールは違うが、胸の内で双方が重なっても不思議はなかっただろう。
それから歳月は流れ、怯みも苦悩も忘れたように膨らんだ国の借金である。地方と合わせて1100兆円を超えた長期債務を、天上の大平が知れば目をむくに違いない。それは子や孫の暮らしを質草にした莫大(ばくだい)な先食いでもある。
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1万円札の顔、福沢諭吉が自伝に書いている。「およそ世の中に何が怖いといっても、暗殺は別にして、借金ぐらい怖いものはない」。そんな「遺訓」にそむくかのような借金1100兆円は、1万円札で積み上げると国際宇宙ステーションの27倍の天空にまで届く。あまりのことに現実味がわかないが、子や孫の世代に、本人たちのあずかり知らぬ巨額債務をつけ回しする現実は動かない。
しまりなく財政赤字を垂れ流せば将来世代の重荷は増えるばかりだ。そうしたさまを、米国の経済学者が「財政的幼児虐待」と呼んでいると聞けば、どきりとさせられる。「虐待」の程度は先進国では日本が突出しているという。しかも少子の進む時代だから、1人あたりの負担はどんどん大きくなっていく。
思い起こすのは安倍晋三首相が「戦後70年談話」で述べた言葉だ。
「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」。こうした分野には熱意をたぎらせる首相だが、地味な上に痛みをともなう財政再建にはおよそ前向きとは言いがたい。
将来世代に思いを致すのなら、ここは「謝罪を続ける」を「借金を返す」に置き換えて事にあたるべきではないか。
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ドイツの作家、故ミヒャエル・エンデについて一昨年の当欄に書いた。名高い児童文学者は、私たちのもたらしている地球環境の破壊を「将来世代に対する容赦ない戦争」であると例えている。
膨れあがる国の債務も、同じことが言えるだろう。いわば未来に向けた借金の砲撃だ。どちらも、今を生きる世代がつくる負の遺産に、まだ生まれていない世代は一言の異議申し立てもできない。
米国では政府債務が膨らんだレーガン大統領の頃に、こんなふうに言われたと聞いたことがある。「次の世代が返済しなければならないと思えば、生まれた赤ん坊が泣き叫ぶのは当然だ」
とはいっても、国や民族によらず増税が喜ばれることはまずない。この秋の消費税率アップも、せんだっての本紙世論調査では賛成33%、反対59%と出た。
政治への信頼の薄さが「反対」の多い要因の一つだろう。今回の増税が社会保障の安心にはつながらないと見る人は75%を占めていた。暮らしに不安を残したまま、たとえば防衛費は伸び続け、米国からは言い値で兵器を買いまくる。一強政治の決める税金の使途に、納める側の思いは反映されているのかと疑う。
今の暮らしを大切にしながら、借金の砲撃で将来世代に「白旗」を揚げさせない道をどうやって選び取るか。根拠のない楽観は無責任と同義である。