もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

81冊目 保永貞夫「太平洋のかけ橋 新渡戸稲造」(講談社 火の鳥伝記文庫;1984)  評価3

2011年11月25日 04時45分54秒 | 一日一冊読書開始
11月24日(木):

214ページ  所要時間2:15

小中学生向け伝記本。5千円札の肖像になった新渡戸稲造(1862-1833;71歳)について、以前から知りたかった。

結論から言えば、スペシャリスト(=専門家、特定分野に能力がある人)は覚えられやすいが、それぞれの分野で一流の仕事をしていてもジェネラリスト(=万能選手、多方面に才能、能力がある人)は記憶されにくい、ということ。日本で知られるよりも、むしろ西洋で高く評価されている。

幕末、南部盛岡藩士(賊軍)の家に生まれる。東京で学び、15歳で札幌農学校の第二期生となる(内村鑑三は同級生)。クラーク自身はいないが(日本滞在は8ヶ月のみ)、その精神の影響でキリスト教に改宗。東京帝大入学、1年で退学。「願わくば、われ太平洋の橋とならん」と志を抱いて、渡米、ジョンズ=ホプキンス大に学ぶ。ドイツに留学。米フィラデルフィアでメリー=エルキントンと結婚。

帰国後、農政学者(新渡戸の原点、日本で最初の農学博士)、農産業実践者(台湾総督府民政局殖産課長→サトウキビの改良・台湾糖務局長)・法学者・教育者(札幌農学校教授・遠友夜学校開校、京帝大・東帝大教授、一高のリベラル校長)・キリスト者(渡米後、クエーカー派に入る)・英文学者(カーライルなど)・ドイツ語教授・日本文化紹介者(世界から歓迎された『武士道』(1899→日露戦争にも影響か?米セオドア=ローズヴェルト大統領が絶賛!)著述以外に外国で無数の講演を行う)・外交家(国際連盟事務局次長、知的協力国際委員会(今のユネスコ)幹事長、太平洋問題調査会理事長→カナダで発病・死去)・ジャーナリスト(文部省の圧力に抗して雑誌での啓蒙・講演(今でいう市民大学講座)を続ける)・優れた国際人。 「愛の人」、「平和の大使」。     

クエーカー派は、一切の形式的な儀式を行わず、つつましく、まじめに生活し、絶対の平和を求める、という教義をもつ。きらびやかな服を着た者は、一人もいず、説教する壇もない部屋で、賛美歌も歌わず、ただ静かに腰掛けて、黙って頭を垂れている。時々、精霊を感じた者が、立って、簡単な話をするだけ。騒がしい牧師の説教や、儀礼を通してでなく、沈黙のうちに、一人ひとりが、ただひたすらに神を待つ。                                                          
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