3月7日(土):
安倍晋三は、自身と自衛隊という“軍隊”の親和性を信じて疑っていないようだ。しかし、ひとたび憲法9条をはじめとした関連法案による縛り・頚木を解き放ってしまえば、安倍の意志とは全く無関係に、自衛隊という“軍隊”は頭をもたげ、政府・国民に対する威圧力をもって政治に関与し、自らの意志をもって動きはじめる。戦前は、それを「政府」に対する「軍部」と呼んだ。
文民統制(シビリアン=コントロール)の骨抜きにつながる「自衛隊制服組を、背広組と対等の地位に引き上げる」措置は、戦前の「軍部」暴走につながった「統帥権独立」に対する反省が全く忘れ去られている。というか、それを知った上で「自分と親和性のある(要するに“仲間”の)自衛隊を自由にしてやるんだ」という幼稚な思い込みで行われている。
自衛隊制服組には、元統合幕僚長だった田母神某のような危険人物たちが普通に存在していると考えるべきだ。安倍は、戦争を知らない。歴史も知らない。今の日本では、まるでライオンやトラの檻の前で、鍵を持った子どもが「かわいそうだから助けてあげる」「僕の言うことは聞いてくれるよ、きっと!」と今まさに檻の戸を開けようとしている。
安倍は、自分の短い任期の後のことを見通す想像力が決定的に欠けている。トラやライオン(「軍隊」)には、人間(「政府」)とは全く異なる固有の価値観・運動性向がある。やがて、戦後史に、自衛隊が鬼胎化する可能性が大きくなっていく。単独では無理でも、堕落した政治屋・政党や財界・財閥、マスゴミなどとの連携及び利権が発生すれば、歯止めを失った自衛隊は勝手に動き始め、「政治」勢力化することは間違いない。10年後なのか、20年後なのかはわからないが、とりかえしのつかない事態が起こる。その時には、安倍はいない。
一度野に放ったライオンやトラ(自衛隊)を、素手で(武器をもってるのは自衛隊の方だ!)檻に戻るように命令し、鍵をかけるのは極めて困難だ。極右の安倍政権を今だに支持率50%で野放しにしている日本の国民は「市民」として十分に成熟できていない。元に戻すためには、「革命」か、「戦争」か、「アメリカによる内政干渉(屈辱だがそれでもいい!)」かしか思いつかない。
安倍晋三という暗愚の宰相を二度までも戴いたことは、「不断の努力」を怠るどころか、その意味すら忘れた平和ボケの日本人に与えられた罰なのだろう。泉下で多くの戦争犠牲者たちが慟哭し、地獄の鬼や悪魔たちは快哉を叫んでいることだろう。とにかく日本人は、取り返しのつかないことになった。こんな世の中を、若者や子どもたちに残さざるを得ないことは、何ともはや無念の至りだ。戦後エコノミック・アニマルと揶揄されながらも奇跡の経済的繁栄とそれにともなう人権意識の向上(大正デモクラシーのような)を手にした日本人は、皮肉にも愚か者が鼻先にぶら下げたアベノミクスというお零れ頂戴の見せ金に踊らされて自らの魂を売ってしまった。
「アラブの春」を見ればよく分かる。「一度壊された平和は、二度と戻らない。」これから政治屋どもは、日本国家の繁栄・発展を叫ぶだろうが、多くの国民や多くの他国民の血を流させて、格差と憎悪と悲しみが支配する社会で何の繁栄か? 救世主のようなカリスマを求めることの危険性は十分に承知しているが、この日本の政治的行き詰まりを何とかしたいと思う。
この政治的行き詰まりを生み出した最大の原因は、①世襲政治屋の一般化・固定化による政治と国民の意識の乖離、②公明党・創価学会の唾棄すべき堕落と平和放棄、③日本共産党の共闘拒否・孤立主義による市民運動分断とリベラル結集への諦め、④戦後隠れていた財閥・財界による政治支配の顕在化、⑤マスコミの堕落・機能不全とネット右翼の増殖などだろう。しかし、一言で言えば、日本全体が浮足立って、戦後の馬脚が現れてきたということだ。責任の重い人物名を挙げれば、①橋下徹、②石原慎太郎、③野田汚物の3名だろう。安倍晋三の異常な言動を見ていると、明らかに橋下徹の言動の模倣・コピーになっているのがわかる。
戦後日本の民主主義は、戦争の悲惨を実体験した第一世代、それを教え聞かされた第二世代が築き上げてきたものだが、彼らの多くが亡くなり、第一線を退きはじめたのが、まさに現在だ。第三世代、第四世代になって、いち早く社会の上層部は世襲化と閨閥化を進め、官僚層を取り込み、堅くスクラムを組んで守りを固めている。一方、あらゆる分野で停滞と格差・貧困化が進められ、弱肉強食が常態化している。人口の90%を超える一般大衆とリベラル勢力は、バラバラなまま放置されている。勝てる訳がない。しかし、民主主義と平和国家を諦めきれない。オルテガ「大衆の反逆」をもう一度読もうかな。
安倍晋三は、自身と自衛隊という“軍隊”の親和性を信じて疑っていないようだ。しかし、ひとたび憲法9条をはじめとした関連法案による縛り・頚木を解き放ってしまえば、安倍の意志とは全く無関係に、自衛隊という“軍隊”は頭をもたげ、政府・国民に対する威圧力をもって政治に関与し、自らの意志をもって動きはじめる。戦前は、それを「政府」に対する「軍部」と呼んだ。
文民統制(シビリアン=コントロール)の骨抜きにつながる「自衛隊制服組を、背広組と対等の地位に引き上げる」措置は、戦前の「軍部」暴走につながった「統帥権独立」に対する反省が全く忘れ去られている。というか、それを知った上で「自分と親和性のある(要するに“仲間”の)自衛隊を自由にしてやるんだ」という幼稚な思い込みで行われている。
自衛隊制服組には、元統合幕僚長だった田母神某のような危険人物たちが普通に存在していると考えるべきだ。安倍は、戦争を知らない。歴史も知らない。今の日本では、まるでライオンやトラの檻の前で、鍵を持った子どもが「かわいそうだから助けてあげる」「僕の言うことは聞いてくれるよ、きっと!」と今まさに檻の戸を開けようとしている。
安倍は、自分の短い任期の後のことを見通す想像力が決定的に欠けている。トラやライオン(「軍隊」)には、人間(「政府」)とは全く異なる固有の価値観・運動性向がある。やがて、戦後史に、自衛隊が鬼胎化する可能性が大きくなっていく。単独では無理でも、堕落した政治屋・政党や財界・財閥、マスゴミなどとの連携及び利権が発生すれば、歯止めを失った自衛隊は勝手に動き始め、「政治」勢力化することは間違いない。10年後なのか、20年後なのかはわからないが、とりかえしのつかない事態が起こる。その時には、安倍はいない。
一度野に放ったライオンやトラ(自衛隊)を、素手で(武器をもってるのは自衛隊の方だ!)檻に戻るように命令し、鍵をかけるのは極めて困難だ。極右の安倍政権を今だに支持率50%で野放しにしている日本の国民は「市民」として十分に成熟できていない。元に戻すためには、「革命」か、「戦争」か、「アメリカによる内政干渉(屈辱だがそれでもいい!)」かしか思いつかない。
安倍晋三という暗愚の宰相を二度までも戴いたことは、「不断の努力」を怠るどころか、その意味すら忘れた平和ボケの日本人に与えられた罰なのだろう。泉下で多くの戦争犠牲者たちが慟哭し、地獄の鬼や悪魔たちは快哉を叫んでいることだろう。とにかく日本人は、取り返しのつかないことになった。こんな世の中を、若者や子どもたちに残さざるを得ないことは、何ともはや無念の至りだ。戦後エコノミック・アニマルと揶揄されながらも奇跡の経済的繁栄とそれにともなう人権意識の向上(大正デモクラシーのような)を手にした日本人は、皮肉にも愚か者が鼻先にぶら下げたアベノミクスというお零れ頂戴の見せ金に踊らされて自らの魂を売ってしまった。
「アラブの春」を見ればよく分かる。「一度壊された平和は、二度と戻らない。」これから政治屋どもは、日本国家の繁栄・発展を叫ぶだろうが、多くの国民や多くの他国民の血を流させて、格差と憎悪と悲しみが支配する社会で何の繁栄か? 救世主のようなカリスマを求めることの危険性は十分に承知しているが、この日本の政治的行き詰まりを何とかしたいと思う。
この政治的行き詰まりを生み出した最大の原因は、①世襲政治屋の一般化・固定化による政治と国民の意識の乖離、②公明党・創価学会の唾棄すべき堕落と平和放棄、③日本共産党の共闘拒否・孤立主義による市民運動分断とリベラル結集への諦め、④戦後隠れていた財閥・財界による政治支配の顕在化、⑤マスコミの堕落・機能不全とネット右翼の増殖などだろう。しかし、一言で言えば、日本全体が浮足立って、戦後の馬脚が現れてきたということだ。責任の重い人物名を挙げれば、①橋下徹、②石原慎太郎、③野田汚物の3名だろう。安倍晋三の異常な言動を見ていると、明らかに橋下徹の言動の模倣・コピーになっているのがわかる。
戦後日本の民主主義は、戦争の悲惨を実体験した第一世代、それを教え聞かされた第二世代が築き上げてきたものだが、彼らの多くが亡くなり、第一線を退きはじめたのが、まさに現在だ。第三世代、第四世代になって、いち早く社会の上層部は世襲化と閨閥化を進め、官僚層を取り込み、堅くスクラムを組んで守りを固めている。一方、あらゆる分野で停滞と格差・貧困化が進められ、弱肉強食が常態化している。人口の90%を超える一般大衆とリベラル勢力は、バラバラなまま放置されている。勝てる訳がない。しかし、民主主義と平和国家を諦めきれない。オルテガ「大衆の反逆」をもう一度読もうかな。